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102. 城1階の戦い ー愛を知る魔族 2ー

「あなた、凄いわね。本当に人間なの? 私の術が全然効かないなんて……ふふ! 楽しいわ」

 シグレの剣を華麗に避けながら、ニーチェが艶やかに笑う。


 開戦直後、シグレは『寒月』を放った。

 しかし、ニーチェの防御力はギリギリのところでシグレの必殺技の威力を上回り、髪を数本消失させただけに終わった。


 事前にサラから「ニーチェは体が人間だから体力や腕力はないが、その分、精神・神経系の攻撃と防御魔法に全てを注いでおり普通の攻撃は通用しない」と聞いていた。

 そのため、それに備えてシグレは修行を積んできたつもりだ。

 刀に転移魔法を纏わせる、という発想自体はずいぶん前からあった。しかし、自分の身体から離れた場所に転移魔法を発生させる技術の習得と、それに耐えられる刀の入手が困難であり長年実現できずにいた。血を吐くほどの修行と、古代龍の爪を手に入れたことでようやく実戦で使えるレベルにまで昇華させたのが、つい先日のことだ。

 ニーチェへの『寒月』は通じなかったが、シグレは初めから一撃で仕留められるとは思ってはいない。『寒月』は触れたものを消す技だ。初撃でかなりの魔力をニーチェから奪ったはずだ。数回繰り出すことができれば、勝機はある。

 だが、『寒月』はまだ完成したばかりの技であり、発動に時間がかかる上、発動後も数秒しか維持できない。しかも、次の『寒月』を発動するまでに、数分のインターバルを必要とした。熟練度を上げていけば無敵の攻撃技となるだろうが、今はまだ、使い勝手の悪いハイリスクな荒技だ。


「昔、サキュバスと付き合っていましたので」

 無表情のまま、シグレが答える。攻撃の手を休める訳にはいかない。次の『寒月』を放つまで、時間を稼ぐ必要があった。


 シグレの答えに、ニーチェは嬉しそうに「まあ!」と華やいだ声を上げた。


 時間を稼いでいるのはニーチェも同じだ。シグレの斬撃を魔力で防ぎながら、思いつく限りの魔術を行使した。目の前の色男はよほど精神攻撃に耐性があるのか、全く術が通用しない。こんな相手はガイアード以来だ。久しぶりに心が弾む。何がなんでも、この男を落として堕とす、とニーチェは気合を入れていた。

 どういう理屈かは分からないが、最初の攻撃で、かなりの魔力を削られた。あの攻撃には注意が必要だが、相手も術の発動にかなりの魔力を消費するらしい。おそらく、相当な集中力も必要とするだろう。何度か発動させれば、自分の術も通じるようになるはずだ、とニーチェは分析していた。

(ああ。この、すまし顔の心をドロドロに融かしたい。最高の夢を、見させてあげるわ)

 ニーチェは熱い息を吐くシグレを想像し、恍惚の表情を浮かべた。


「あはん。ロマンチックね。どのくらい付き合ったの?」

「10年程でしょうか」

「10年!? ふふ。私が言うのもなんだけど、そんなにサキュバスと付き合うって、異常ね! それとも、まだあの遊びが流行っているのかしら」

「サキュバスの力を使わずに相手を夢中にさせる、という遊びですか?」

「あはん! そうよ! 私も昔やったことがあるの。あれはとても楽しい遊びだったわ。ふふ。私の場合、真剣だったけど。あなたとその子も、その遊びをしていたんでしょ? じゃなきゃ、サキュバスの精神攻撃に10年も耐えられるはずないもの」

「? 彼女は初めから全力でしたが?」

「何でそれで平気なの!?」

「逆にサキュバスを落としてみよう、と強い意志があったからでしょうか。……若気の至りです」

「あらん! 面白い人ね。そんなもので防げないことくらい、知っているでしょうに」

「そうですね。実際、私は負けました。彼女を愛してしまったので」

「素敵! でも堕ちなかった、ってことね。あはん、凄い精神力だわ。どう? 今度は私と勝負してみない?」

「『寒月』……お断りします」

「残念だわ」

 シグレの纏う空気が一瞬で凍りついた。鋭い一撃がニーチェを襲う。

 ニーチェは防御魔法の質を一段階上げ、後方へと転移した。今度は上手く躱したはずだ。

 が。

「『繊月』」

「!?」

 シグレの刀身が糸の様に細く伸びた。

 糸は真っ直ぐ伸び、針の様にニーチェの肩を穿ったあと、融ける様に消えた。

「ああ!」

 更に後方へと転移しながら、ニーチェが顔をしかめた。

 ニーチェは肩に手を置き傷口を治癒しようと魔力を込めるが、直径1センチ程の穴は塞がらない。穴が開いた部分が、完全に消失していた。

「何をしたの!?」

「実験です。上手くいきました」

 美しい顔を痛みで歪ませるニーチェに、涼しい顔で答えながら、シグレは刀を鞘に納めた。

 敵が転移で逃げることは予想がついた。が、『寒月』が発動できる時間は限られている。

 ……ならば、追跡して仕留める。

 それが、戦いながらシグレが編み出した『寒月』の応用技『繊月』だ。転移魔法を纏った刀身を細くして伸ばす。ニーチェが逃げた位置がもっと離れていれば届かなかっただろう。おそらく、次は通用しない。

「痛いわね」

 ニーチェのこめかみに冷や汗が伝う。

「魔族にも痛覚があるのか?」

 刀の柄に手を置いたまま、冷ややかにシグレが見下す。

「無いコがほとんどよ? でも私、感覚が無くなるのは嫌なの。だって、私はサキュバスよ? 愛し合うのに五感は大事でしょう? だから、人間の身体を頑なに維持しているの。ふふ。痛くて泣くのは久しぶりね」

「泣いても手加減はしないが?」

「手加減されたくて泣いている訳じゃないわ。……あなた、魔族みたいに冷たいのね」

「涙はサキュバスの常套手段だからな」

「……あなたの恋人、可哀そうだわ。きっと、本気で泣いても伝わらなかったでしょうね」

「お前に彼女の何が分かる」

「あなたこそ、私達の何が分かるというのよ……!」

 キッ、とニーチェがシグレを睨んだ。シグレの瞳は、氷よりも冷たく凍り付いている。

「あなた、そうやって心を閉ざしたまま彼女と接していたんでしょう? 私達は愛を与え、愛を求める種族よ? 少なくとも私は、相手をする時はいつも真剣だったわ。きっと彼女も本気であなたにぶつかったはず。なのに、あなたは術に嵌るまいと心を閉ざし続けた。あなた、本当に彼女を愛していたの……!?」

「余計なお世話だ」

 シグレの姿が、ふっ、と消えた。一瞬で転移して、ニーチェの背後から剣をふり下ろした。

「ニーチェ様!!」

 ザシュッ、と嫌な音と共に、シグレの剣が男の身体を引き裂いた。「ひゅっ」とニーチェが息を吸い込んだ。目を見開き、ニーチェとシグレの間に割り込んで来た壮年の男を抱きしめると、シグレの追撃から転移して逃れる。

「邪魔が入ったか」

 冷酷に、シグレが呟いた。


 ニーチェは広間の片隅で、男の血を浴びながら必死で治癒魔法を唱えた。

「ゲラーシ!? しっかりしなさいな! ゲラーシ!」

 シグレは追ってこない。おそらく、時間を稼いでいるのだろう。ギリッ、とニーチェは歯を噛みしめた。ゲラーシと呼んだ男は、とっくに絶命していた。

「何をするのよ! この子は人間よ!?」

「それがどうした。魔族に心身を支配された人間など、魔族と同じだろう? ……敵は、排除する」

「……何なのよ、あなた……!」

 ぶわっとニーチェの髪が一層赤く燃え上がる。これほどの怒りは久しぶりだ。まるで、妻になることを望んだ相手を奪われた時のようだ。

「許さないわ!」

 ニーチェは男の亡骸を横たえると、憤然として立ち上がった。

 シグレは先程の位置から身動きもせず、刀身に魔力を溜め続けている。魔族に魅了されていたとはいえ、一人の人間を殺めた後だというのに、シグレの表情は微塵も揺らがない。


(もう、手加減はしない。この男を本気で堕とす)

 と、ニーチェが瞳に魔力を込めた時だった。

「お待ちください! ニーチェ様!」

「我らが相手をします!」

「ニーチェ様はお逃げ下さい!」

 三人の男達がニーチェの前に立ちふさがった。


「!? お前達、部屋で待っていろと言ったじゃないの!」

 ニーチェは背筋がゾッとする感覚を味わった。


 男達はゲラーシと同じ、ニーチェの忠実な下僕だ。かつてはレオナルドの部下だったが、魔族となったレオナルドの元から離れた所をニーチェが魅了した。それから17年間、ずっと傍に置いてきた者達だ。

 ニーチェがレオナルドやガイアードに会うたびに微妙な顔をされるのは、彼らのこともあるからだ。

 当時20から30代だった青年達も、今ではすっかり壮年の男であるが、ニーチェの愛は変わらない。むしろ、日に日に愛着が湧き、膝枕をして白髪やシワの数を数えるのがニーチェの楽しみになっていた。


 その男達が、ニーチェを庇う様にして魔族よりも冷たい男と対峙している。


「下がりなさい、お前達! 命令よ!」

 魔力を込めて、ニーチェが命じる。が。

「「「嫌です!」」」

 男達は口を揃えた。

「貴女を泣かせた男を生かしてはおけません」

「これ以上、貴女の僕は不要でしょう?」

「貴女こそ、部屋でお待ちください」

「お前達……!」

 ドクン、ドクンと、ニーチェの豊かな胸が早鐘をうつ。

(違う……! お前達は私に『魅了』されているだけ。それは偽りの愛でしかないの!)

「早く戻りなさ……」

「『寒月』」

 ニーチェが強制的に男達を転移させようと手を伸ばしたのと同時に、無情にもシグレの技が発動した。

「ニーチェ様!」

「きゃあ! イワン! マカロ!」

 シグレの放った斬撃が、ニーチェを庇った男の身体の一部を消失させながら、あっけなく命を奪う。もう一人の男の剣をさらりと躱し、シグレは距離をとって再び魔力を溜め始めた。

「ニーチェ様! 離れてください!」

 一部だけになった死体に縋ろうとするニーチェの細い腰を抱きながら、生き残った男が叫ぶ。男の腕の中で、ニーチェは「嫌、嫌」と首を振った。

「放しなさい、ローベルト! あああ! イワン! マカロ!」

「ニーチェ様!!」

 男が叱責する。男にとっても彼らは昔からの仲間だ。死体に縋りたい気持ちは同じだ。だが、今は主を守ることが何よりも優先される。男は元魔法騎士団員だ。それだけに、敵対してる相手の実力と恐ろしさがはっきりと理解できた。ニーチェは精神攻撃の通用しない相手の前では、只の非力な女性だ。

「ニーチェ様、お逃げ下さい」

「何処に逃げろというの!? あの男は転移で追ってくるわ!」

「ガイアード様の元へ」

「!?」

「さあ、早く」

 確かに、とニーチェは思う。ガイアードの方がはるかに強い。だが……

「……ローベルト」

「何をしておられます! はや……」

 ニーチェの唇が、ローベルトの唇に重なった。「解除」と、ニーチェが小さく呟く。ローベルトは一瞬硬直した後、その場に倒れた。「うう……」と、頭を抱え蹲った。

「あなたに、自由を」

 艶やかに笑って、ニーチェはローベルトから距離をとった。


 確かに、ガイアードの元へ逃げればニーチェは助かるだろう。だが、目の前の男が許せなかった。

(仇を討つ、なんて。人間みたいね)

 ニーチェは自嘲する。「魔族になるとボタンを掛け違えた様に考え方が変わる」というのは、レオナルドの口癖だ。だとしたら、元々魔物のニーチェの考え方は、人間に近付いたのかもしれない。

(愚かだとは思っている)

 シグレは強敵だ。

 だが、死んだ彼らとの生活はニーチェの壊れた心を癒してくれたのだ。ニーチェは年をとっていく彼らの中に、古木の宰相の面影を求めた。術を使って無理やり魅了した男達だったが、いつか術を解いた時、それでもニーチェを求めてくれたなら、今度こそ妻になろうと夢見ていた。

 その夢を、この男は奪った。

 敵としては正しい行動であろうが、ニーチェには許せなかった。

(全身全霊で、相手をしてあげる。そのためなら……この身体を捨てるわ)


 ニーチェは、人間の身体を維持するために常にかけていた制限を外した。

「ああああ!」

 ビクン! と、ニーチェの身体が跳ね上がる。

 身体の中から一気に黒い霧が湧き上がり……ニーチェは身も心も魔族になった。


挿絵(By みてみん)


ブックマーク、評価、感想等、ありがとうございます!

感謝です。


さて、ニーチェさん対シグレ兄様ですが、すっかりシグレ兄様が悪役です(笑)。

いや、兄様は真面目に任務をまっとうしているだけなんですが、

ニーチェさんが思ったより可憐で「薄幸の美女を襲う鬼」みたいになってます。

ごめんね、兄様。


話は代わりますが、大宰府の近くの竈門神社が大変なことになってるらしいですね!

宝満山という山の入り口にあるので、十数年前に登山をするときに通り過ぎたことがありますが、その時はほとんど無人だったのに、その後「縁結びのご利益がある」と女子に人気が出て、今ではすっかり「鬼滅の刃」の聖地となってるとか。

面白いですね。


では、次回もニーチェ編です。お読みいただけると幸いです。


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