66. 君に贈る歌 -異界にて3
妻の元から逃げる様に、デュオンはニューヨーク市街に向かって走っていた。
着いた時には分からなかったが、この世界の空気に慣れてくると、ラズヴァンとエリンの魔力を感じられるようになってきた。確かに離れてはいるが、デュオンの足なら30分ほどで辿り着くはずだ。サラは転移が使える。妻の所に黙って置いてきたのは申し訳なかったが、あれ以上、カレンの姿を見るのが辛かった。
いったいどれほど待ってくれていたというのだろう。見たところ、80歳くらいに見えた。もっと上かもしれない。50年以上も経ってしまったのだ。結婚した時に買った新居はすっかり時代遅れになってしまっていた。カレンと二人で過ごした家には、明らかにカレン以外の人間も住んでいるようだった。当然だ。カレンはまだ若く美しかった。サバサバとした性格で、彼女を慕う後輩たちも多かった。再婚したとしても、何ら不思議はない。
(むしろ、彼女の幸せを何よりも願っていたじゃないか。喜んでやれ、デュオン)
無理やり、自分に言い聞かせる。なのに、現実はこんなにも胸が苦しい。
「デュオンさん! 待って!」
「!? ぐわっ!」
「ぎゃあああ!」
もう少しで街だ、という手前で、後ろからサラに抱き着かれた。高速で走っていたところを、唐突に転移で襲われ、デュオンはサラと共に盛大に地面に叩きつけられた。
「い、痛い!」
「こっちの台詞です! サラ様、転移で人を襲ってはいけません!」
「襲ってないよ!? デュオンさんが急に居なくなるから、追いかけたんだよ?」
サラは涙目で擦りむいた膝を擦っている。デュオンは治癒魔法をかけた。
「……申し訳ないことをしました」
「ううん。大丈夫! それよりデュオンさん、奥さんの所に戻って?」
「!? 何を言っているのですか。我々の使命は王女達の救出です。私のせいで、すでに17分も無駄にしてしまいました。これ以上は……」
「これ、奥さんが渡してって」
「妻と話をしたのですか!?」
サラが手渡したのは、一枚の写真だった。そこには、若かりし頃のカレンと、その腕に抱かれる赤ん坊の姿があった。
「裏を見て」
サラに促されるまま、デュオンは写真をひっくり返した。
「!?」
『デュオン・ジュニアと』
「これは……」
「デュオンさんが居なくなった時、カレンさんのお腹には赤ちゃんが居たそうです。学会から帰ってきたら話そう、って思っていたそうです」
「……ああ……!」
ネイソンの車が迎えに来たあの日、「行ってくる」とキスをしたデュオンの手を、カレンが一瞬引き留めた。「何だい?」と、もう一度キスをしようとするデュオンの肩を笑って押し出しながら、「戻ったら話すわ」とカレンは手を振った。
(どうして、忘れていたんだろう……!)
「カレンさん、ずっと独身だったそうですよ」
「!?」
「まだ、1時間43分あります。行ってください。……後悔、しないように」
気が付くと、デュオンは走り出していた。
愛する、妻の元へと。
カレン・ウィリアムズは、日当たりの良い寝室で微睡んでいた。
68歳まで医師として働きながら、女手一つで息子を育てた。苦労はしたが、金銭的に恵まれた職業だったことと、実家の両親の援助を受けられたこと、そして、夫と同じく行方不明となったネイソンの妻の協力もあり、なんとかやってこられた。
何度か、「家を売って、もっと職場か実家の近くに引っ越したらどうか」と周囲に勧められたが、「夫が帰って来た時に、家が無かったら迷子になってしまう」と、カレンは頑として受け入れなかった。
退職してからは、玄関先にチェアを置いて、本を読みながら夫の帰りを待つのが日課となった。夫が帰って来た時にがっかりさせたくない、と、毎日身なりを整え、化粧をした。
80歳を過ぎた頃、糖尿病の合併症から失明し化粧が出来なくなった。
それまで、気丈にふるまって来たカレンの心の柱が、一気に壊れていくようだった。
いつしかカレンは、自室のベッドで過ごす様になっていた。
平日の日中は、家には誰もいない。息子は医者として、息子の嫁は看護師として遅くまで働いている。4人の孫達の内、長男はパイロットになるため一人暮らしをしながら勉強中だ。長女と次女も大学に通っている。末っ子の次男は、医者になるのが夢だそうだ。
「……」
ふと、窓の外で声がした気がして、カレンは目を覚ました。高校生の末っ子が帰って来たのかと思ったが、誰かと話しているようだった。
目は見えなくなったが、幸い、耳はまだ良く聞こえてくれている。
少女と、孫よりももっと落ち着いた大人の男性の声だった。
「……デュオン?」
思わず、声が出てしまった。声の主が、反応したのが分かった。
そんなはずはない、という想いと、もしかしたら、という想いが交錯した。
カレンは力をふり絞り、窓の外へ呼びかけた。
返事がないのは他人だからか、それとも50年も経って、しわくちゃになった自分に気が付かないのか。
男の気配が去るのが分かった。
「ああ……デュオン」
涙が溢れた。もう、待ちくたびれた。インターホンが鳴る度、風が窓を揺らす度、木の葉が窓を横切る度、胸を躍らせ、裏切られた。
あの日、死体が見つかっていれば、もっとあっさり諦められただろう。
生死の分からない人を待つのは、もう、たくさんだった。
「……あの」
「!?」
窓の外から、遠慮がちな少女の声がした。少女の方は、まだ留まっていたのだ。
「入ってもいいですか?」
いいわよ、と答えると、次の瞬間、少女はカレンのベッドの脇に立っていた。
「デュオンさんの、奥さんだと聞きました」
心臓が、冗談抜きで止まるかと思った。
「どうしてそれを? やっぱり、さっきのはデュオンだったのね!? そうでしょう?」
「それは……私の口からは、ちょっと……」
少女は困惑しているようだった。
「まさか、デュオンのお孫さん?」
「ちちちち違います! デュオンさん、独身だって言ってま……あ!」
「やっぱり、デュオンが居るのね!? 何処に行ったの?」
「えっと……」
戸惑いながら、少女はデュオンが「カレンの今の生活を壊したくない」と言って去ったことを教えてくれた。
それを聞いて、カレンは手探りで枕元に置いた写真立てから写真を抜いた。
「これを、彼に渡して。そして、彼に伝えて」
こうして、サラはデュオンの後を追ったのだった。
震える手で、コン、コン、とデュオンは窓を叩いた。
「入って」
と、中から妻の声がした。窓枠に手をかけるとあっさりと開いた。サラが鍵を開けておいてくれたのだろう。
緊張で、足まで震えた。デュオンにとっては20年ぶりの、そして、カレンにとっては50年ぶりの再会だ。
妻はすっかり年老いていたが、知的な魅力は昔のままだった。
「デュオン。手を握って? ごめんなさい。私、目が見えないのよ」
「……カレン……!」
「!?」
思わず、デュオンはカレンを抱きしめていた。仕方が無かったとはいえ、身籠った妻を一人残して居なくなった不甲斐ない夫を、こんな細い身体で待ち続けてくれていたのだ。
「ありがとう……ありがとう……!」
何といって詫びよう、何と説明しよう、と色々考えていたが、口から出てきたのは感謝の言葉だった。
「デュオン。泣いているの? 馬鹿ね。せっかく帰ってこられたのに、泣いてちゃもったいないわ。笑って? ……ふふ。あなたに会ったら、言いたいことが沢山あったのに、嫌だわ、私まで……う……」
「カレン、静かに。しばらくこのまま、君の温もりを感じさせておくれ」
「……ああ。デュオン、デュオン……デュオン!」
カレンは腕を伸ばし、デュオンの背中に手を回した。80歳を超えているとは思えない程、デュオンの身体は若々しかった。そして、とても、冷たかった。
「デュオン。あなた、とても冷たいわ。低体温症になってない? どこに居たの?」
静かに、と言われたのに、心配になって聞いてしまった。デュオンはカレンの頭や背中を撫でながら、ゆっくりと語り始めた。あの日以降、デュオン達に起きた全ての事を。
カレンは驚きながらも、デュオンが語る荒唐無稽の物語を黙って聞いてくれた。
「……じゃあ、帰らないといけないのね?」
全てを聞き終えた時、ポツリ、とカレンが言った。正直な所、デュオンは迷っていた。このまま残っても、30代にしか見えないデュオンを、家族が受け入れてくれるとは思えない。ましてや、バンパイアだ。アルシノエの魔力がなければ陽を浴びることも出来ない上に、定期的に輸血を受けなければ血に飢えて人を襲ってしまう。
だが、帰って何をしろというのだ。今まで、いつかカレンの元に帰るのだ、という希望を支えに生きてきた。それが叶った今、何を支えに生きればいいのだろう。
「……このまま、ここに残ろうかな。息子や、孫にも会いたいし。陽を浴びて、灰になるまで、カレンを見ていたいな」
「ふふ。こんなしわくちゃなお婆ちゃんの顔、眺めて楽しいの?」
「しわくちゃでも、カレンは綺麗だ」
「ありがとう! 恥ずかしい台詞をサラリと言っちゃうところ、昔のままね」
嬉しそうに頬を染めて、カレンが笑った。出会った頃と変わらない、シャイな笑顔だった。
「嫌かい?」
「いいえ、大好き。愛してるわ、デュオン……でもね、あなたは帰らないといけないわ」
ふっ、と、カレンの声のトーンが低くなった。
「カレン」
「いい、デュオン。向こうには、患者が居るのでしょう? 仲間も。オースティンやネイソンの想いを無駄にしてはいけないわ。私は大丈夫よ。今度はちゃんと、居場所が分かってるから」
でも、とカレンはチャーミングに笑った。
「最後に、ピアノを弾いてくれる? 初めてのデートで聞いた、あの曲」
「……もちろんだ」
デュオンはカレンから手を離し、ピアノへと向かった。残された時間は、30分もない。
古いピアノカバーを外し、椅子に座った。20年ぶりのピアノだ。鍵盤を叩くと、懐かしい音色が響いた。
(ああ、お前も、私を待っていてくれたんだな)
子供の時から慣れ親しんだピアノだった。家を買った時、実家から取り寄せた相棒だった。
あちこちに残る傷にも全て思い出がある。
一通り指を慣らすと、デュオンは深呼吸をした。
ゆっくりと、思い出の曲を奏でた。元はイタリアのテノール歌手の曲だが、世界中でカバーされ大ヒットした、愛し合う二人の旅立ちの曲。
結婚式でも使ったこの曲に、ありったけの想いを込めて、今、デュオンは旅に出る。本当は、二人一緒に旅立つ歌だが、デュオンとカレンは違う岐路に立っている。
だけど、心はいつも、君と旅をする。
「TIME TO SAY GOODBYE」
さよならを言う時がきた。
サビをデュオンが歌うと、カレンもそれに続いた。
「デュオン」
「何だい?」
「あなたの世界に、生まれ変わるわ。だから、幸せでいてね?」
「……ああ。約束する」
人は、転生する場所を選ぶことなど出来ない。
だけどもし、女神様が見ているなら、どうか私達の願いを叶えて下さい、とデュオンは生まれて初めて異界の神に願った。
「おばあちゃん、ただいま!」
高校から帰って来た孫がカレンの部屋を訪れた。いつも通り、祖母はベッドで微睡んでいる。その手には、ボロボロになった1枚の写真が握られていた。初めて見る、若い頃の祖母と祖父の写真だ。そこには真新しいインクで「愛を込めて」と書かれていた。
そして少年は、祖母の部屋からいくつかの家族写真とある物が無くなっていることに気付き、慌てて部屋を出て行った。恐らく泥棒が入ったと思い、両親に電話したのだろう。
孫の足音を聞きながら、カレンはうっすらと微笑んだ。
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「いいかい、リタ。1曲目、2曲目は勢いで何とかなったが、次からは審査員の目もぐっと厳しくなるからな。曲は打ち合わせ通りでいけよ」
「は、はい!」
オーディション会場の舞台袖で、リタは震えていた。家から会場までは車で10分程であり、何とか出番に間に合うことが出来た。プロデューサーの言う通り、1、2曲目は勢いで勝ち残ることが出来た。突然の代役、というアメリカンドリーム的な背景も後押しした。
しかし、挑戦者18名の内、2回戦に進めるのは10人。そのうち3回戦に進めるのは5人。そして、決勝に進めるのは2人だけだ。
オーディションの様子はテレビでも、インターネットでも生放送で配信されている。
失敗は許されない。
だが、今自分が人生の岐路に立っているのだと自覚すればするほど、足が震えてきた。
もうすぐ出番だ。今歌っているバンドのパフォーマンスが終われば、次は自分だ。
(いいなあ。あの子達、仲間がいて、いいなあ)
目の前で生き生きと演奏する少年達を見て、リタは心細くなった。
自分の仲間は、ちょっと穴のあいたギターだけ。
エリンやラズヴァンの事が急に恋しくなった。
「……リタ! リタ! ぼーっとするな! 出番だぞ!?」
「は、はい! 店長!」
思わず大声で、プロデューサーを店長呼ばわりしてしまった。舞台の袖とは言え、リタの声は会場中に響いてしまった。どっ、と笑いが起こり、登場前からリタは死にたくなった。
誰の目にも分かるほど震えながら、リタは舞台に立った。
司会者や審査員が何か言っているが、全く耳に入ってこない。
泣きだしたい。逃げたい。帰りたい。帰ってラズヴァンの尻尾に飛びつきたい……!
「ちょおっと待ったぁー!」
「!?」
突然、少女の声が会場に響き渡った。一瞬、パッとライトが点滅したかと思うと、次の瞬間、リタの周りに4人の人影があった。会場が騒然となっている。
「ラズ! エリン! ……誰!?」
「私達の事はいいから、早く演奏を!」
「う、うん」
「大丈夫。姉さんなら、出来るよ」
「私達がついてるわ」
「……うん!」
リタは力強く頷き、ギターをつま弾き始めた。不思議な程、心が落ち着いていた。
(ああ。仲間がいるって、いいなあ)
2曲目まではアップテンポだったため、3曲目は往年のバラードの名曲を選んだ。リタのギターに合わせ、ターバンを首に巻いた茶髪の男がグランドピアノを弾き始めた。リタの声が透き通る様に、だが、力強く良く伸びている。声の強弱に合わせる様に、エリンとラズヴァンが踊る。薄桃色の髪の少女は、やることがなかったのかピアノの後ろに立ち、こそこそと何やら手を動かしている。
バラードは後半に差し掛かり、クライマックスに向けて一気に盛り上がっていく。
ジャジャン! と力強くリタのギターが鳴った瞬間。
「「「わあっ!」」」
会場から感嘆の声が上がった。
舞台上に薔薇の花びらが舞い始めたのだ。
真紅の花びらがエリンとラズヴァンを、そして、リタの美しい歌声を神聖な物へと昇華させていく。
エリンと、ラズヴァンと目が合った。二人とも、優しく、優しく微笑んでくれた。
最後のコードを押さえ終わった時、余韻とともにライトがフェードアウトした。再びリタが照らされた時、リタは割れんばかりの歓声に包まれていた。
「ありがとう、皆!」
振り返ると、誰もいなかった。薔薇の花も消えていた。
「……ありがとう。さよなら、ラズヴァン」
家を出る時の、ラズヴァンの言った「さよなら」の意味が何となく分かってしまった。
皆、あるべきところに帰ったのだ。
3回戦を勝ち進んだリタは、その後決勝で『月の遠吠え』を歌った。
優勝こそ逃したが、消えてしまった仲間への感謝を込めたリタの遠吠えは、多くの者の心に響いた。
リタが歌姫として夢を掴むのも、そう遠くない話だろう。
願わくは、独りぼっちの狼娘に頼もしい騎士が現れますように。
評価、感想、ブックマーク、誤字報告等、いつもありがとうございます!
異界編、思ったより長くなりましたが、ようやく帰ってこれそうです。
サラ様、完全に脇役ですね!(笑)
ちなみに、デュオンが弾いた曲は「Time to say goodbye」、
リタが3曲目に選んだ曲はベッド・ミドラーの「The Rose」をイメージしました。
どちらも大好きな曲です。
次回は、ルカ湖に帰ってきます。
異界の話、特にその後のヴァシレさんことリタさんがどうなったかなど、
番外編でかけたらいいなあ、と思ってます。
頼もしいナイトに出会って欲しいので!
では、また。




