58. 王女とナイト
エリン・ラグナ・ハミルトンが誕生したのは、今から300年近く前になる。国王と王妃に即位したばかりの両親から生まれた時、エリンには双子の兄が居た。兄は、死産だった。
エリンも極度の貧血により、赤子というにはあまりにも色が白く、長くは生きられないと思われていた。しかし、懸命な治癒魔法により何とか危機を脱したエリンは、その後はすくすくと愛らしく成長した。
エリンが生まれる以前、王妃コルネは非道な実験により3人の子を身籠っていた。
一人目は胎児期に死に、二人目は出生直後に死に、三人目は実験材料として連れていかれ、殺された。
コルネにとって、エリンはかけがえのない宝であり、希望であった。エリンという名は、大好きだった祖母・ソリンからとった。
コルネはそれ以降、子を宿すことは無かった。エリンを授かり、晴れて母となったコルネにとって、これ以上の出産は「自分の病気のせいで、また子供が死ぬかもしれない」という恐怖でしかなかったのだ。
両親と国民から一身に愛情を注がれ育ったエリンが、バンパイアとして目覚めたのは14歳の時であった。
娘が人間ではなくなったことにコルネは泣いたが、正当な後継者を得たゾルターンは「でかした」と言った。エリン自身も、自分の身体が誇らしかった。欲を言うならば、もう少し成長してからが良かったのだが、発病のタイミングは選べない。幼児期に発病しなくて良かった、と本気で思った。
エリンは父やバンパイアナイト達の指導の下で研鑽を積み、学問も魔術も体術もナイト達と遜色ない唯一無二の王女として、サフラン大陸では一目置かれる存在となった。
とはいえ、エリンの身体は14歳の少女である。
心の成長と身体の成長には、実は深い関係がある。知識も経験も年相応に増えたものの、エリンの本質は少女のままであった。
そのためか、心を閉ざし、暗くなりがちなバンパイア達の中で、明るく社交的で好奇心旺盛なエリンは異質な存在であった。
他大陸では魔物とされるバンパイアが牛耳るハミルトン王国が、300年もの間サフラン大陸の他国と友好関係を築き保ってこられたのは、ゾルターンの指導力とエリンの社交性によるものが大きいといえる。
サフラン大陸の架け橋とも呼べるエリンは、たいそう異性から人気があった。もちろん、一般市民や普通の騎士達からすれば高値の花であるが、バンパイア騎士達からすれば、エリンは命を賭して守るべき姫であると同時に、長い人生を共にできる数少ない女性のバンパイアである。しかも、クイーンに似て美しく、やや見た目が幼いことに良心が痛まなければ、これ以上ない結婚相手なのである。
とはいえ、エリンの心は14歳である。異性に興味はあるが、本気で「結婚したい、母になりたい」とは思えず、気に入った相手とデートを重ねることはあったが、本格的に付き合おうと思ったことはない。もっとも、父やナイトの監視が厳しかったせいもあるし、父より優れた男がいないことも原因であった。
そんなエリンが恋をした。
相手は、まだ16歳の少年であった。
初めて会ったのは叙任の儀式の時であった。初々しい騎士達が並ぶ中、少年とその兄だけは異質であった。一見すると20代半ばに見えたからだ。
父の後ろで「これが我が国の新しい護り手か。顔と名を覚えておこう」と真面目に騎士達を観察していたエリンだったが、その兄弟がターバンを外した時、思わず「あっ」と声を上げた。
父も「ほう」と呟き、広場中がざわめいていた。
少年達には大きな三角形の耳があったのだ。獣人である。
生まれて300年近く経つエリンにとって、獣人を見るのは初めてのことではない。この大陸では獣人の立場は著しく弱いとはいえ、大事な国民である。多くの者は獣人に対し偏見を持っていたが、ゾルターンもエリンもその存在を軽んじたことは無かった。10年程前にキリリア地方の山奥で狼の獣人が住む村が滅んだと報告を受けた時、当時その辺りを担当していたナイトを「我が国民を見殺しにした」という罪で死刑にしたくらいだ。その時、別のナイトにより助け出され、育てられた幼い兄弟がいたことをエリンは耳にしていた。獣人は他の人族よりも成長が早い。「大きくなったものだ」と、少し赤い顔で誇らしげに叙任の儀式を受ける兄弟の姿に、エリンの涙腺は緩んだ。
それから、エリンは二人の事を折に触れて気にかける様になった。
実はヴァシレという兄が中身が女性であり、命の恩人であるキリムというナイトを愛していると知った時は心が弾んだ。キリムは完全に困惑している様子だったが、エリンは半ば好奇心から弟のラズヴァンと共にヴァシレの恋を応援するようになった。
こうして兄弟と交流を深めていたある日、偶然ラズヴァンのモフモフの尻尾を見てしまい、エリンは稲妻に打たれたような衝撃を受けた。エリンが今まで見たことのある獣人は兎やネズミといった比較的小さな、しかも獣に近い容姿の者達だったため、耳以外は人と変わらぬラズヴァンのモフモフが意外だったせいもある。「まさか」と思い、エリンは戸惑うラズヴァンの上着を剥ぎ、あちこちモフモフの肉体美を目撃した。この瞬間、エリンの小さな胸は生まれて初めてトキメキを覚えた。
とはいえ、その時はまだ、恋というよりは「モフモフは正義!」という訳の分からない衝動に駆られていただけであった。エリンはモフる楽しみを覚え、ラズヴァンもまんざらではないのか、エリンを見ると尻尾を振るようになった。
ラズヴァンはよく笑い、よく泣き、よくへこむ。喜怒哀楽の激しい、可愛いワンコだった。
エリンがラズヴァンのモフモフを満喫するようになって暫く経った頃、事件が起きた。
魔王復活。
エリンが生を受けてから2度目の事である。前回の復活の際は、魔王の魔力に世界中の魔が呼応するかのように暴走し、その影響により多くのバンパイア達が自我を失った。その反省を受け、バンパイア達にはより強固な自我を抑える術を施していたのだが、それでも数人……特に若い騎士達に被害者が出た。
ヴァシレもその一人だった。
若い騎士に被害者が多かった理由は、何らかの「欲」を抑えきれなかったためと考えられた。ヴァシレはキリムを愛していた。その強い愛情と、それを受け入れて貰えない悲哀が災いした。
ヴァシレは自我を失い、キリムによって討たれた。
キリムは愛おしむようにヴァシレの頭を撫でた後、ちょうど駆け付けたラズヴァンとエリンの目の前で自らの首を剣で貫いた。
悲鳴を上げながら、キリムに駆け寄り傷を癒そうとするエリンの手をラズヴァンが止めた。
「何故止める!? 今ならまだ、キリムは助かる!」と、訴えるエリンに、「頼む。姉の元へ逝かせてやってくれ」とラズヴァンは頭を下げた。そして剣を抜き、「父さん。今までありがとう」と、死にきれずに苦しむキリムの首を刎ねた。最後の瞬間、キリムは笑っていた。
二人を埋葬し、寂しくなった家に戻ってもラズヴァンは泣かなかった。それが酷く哀しくて、エリンは泣いた。泣きながら、ラズヴァンの胸に顔を埋めた。ラズヴァンが堪らなく愛おしかった。キリムの首を刎ねた背中を見た時、可愛いワンコではなく、一人の男として意識した。
狼は群れで生きる生き物だ。ラズヴァンがどれほどヴァシレとキリムを慕っていたか、エリンは知っていた。知っているつもりだった。
キリムが何故自ら死のうとしたのか、エリンには分かりそうで分からない。そのキリムをラズヴァンは手にかけた。その理由も、分かりそうで分からない。
ただ、ラズヴァンが酷く傷つき、心を閉ざしたことだけは分かった。
しばらく静寂の中にエリンの嗚咽だけが響き、やがてそれにラズヴァンの嗚咽が重なった。
ラズヴァンが感情を露わにしたのは、それが最後だった。
あの日から16年。
聖女を連れて湖に現れたラズヴァンの顔には、生気が戻っていた。遠目で見ても、モフモフの尻尾が揺れているのが分かる。
エリンは目頭が熱くなるのを堪えられなかった。「姫」と、護衛の騎士に呼ばれ「分かっている」と涙を拭き、顔を上げた。
「お帰り。ラズヴァン」
エリンは小さく呟き、笑顔で駆け出した。愛しい、ナイトの元へと。
ブックマーク、評価、感想、誤字報告等、ありがとうございます!
東京出張から帰ってきました。
よく歩いた~! なのに体重増えてる!
心当たり? ありますとも!(泣)
東京は美味しくて危険なものが一杯ですね。魔界かと思いました。
さて、今回は姫とワンコのお話でした。
私、姫もワンコも大好きなので、書いていてとても楽しかったです。
次回はルカ湖で魔物退治の予定です。
お読みいただけると幸いです。




