第八話 ティプティプティプト・ア・ティプティア・ティプティ
驚いているフィルに、むしろティエンが驚く。
「何だよ、金が入用だったんだろ?」
「ディナストの宿に届けてくれたんだろ? 俺は説明したと思うんだけど、そこに魔法医に診てもらいたいソーサレスのクルティオが泊まってるって」
「うんにゃ、いなかった。宿の主人にも確認したが、そんな子は知らないのだとよ。宿帳も見せてもらったが、フィー一人で宿泊していた」
「何言ってやがるんだ、そんなハズない」
「その通り。そんなハズない。そもそもフィーが泊まったのは二人部屋だしな。その理由も主人は覚えていないと来た。クルティオがソーサレスなら、何かしら魔法を使ったのかもしれないな」
「何のためにだよ」
さあね、とティエンは首をふる。
「だから、俺はフィーを探すことにした。西の街道で確かに戦闘の跡があったし、倒れた荷馬車に、半ば食われた死体。フィーの言うとおりの状況だ。だが、マンティコアの死体はなかった。もっとも、中から膨らんで爆発したのなら、何も残っていないという状況は正確なのかもしれないが」
「それなら報酬をもらうわけにはいかないんじゃ……」
「そう。だからこれは情報料だ。彼女について」
「いや、やっぱり受け取れないな。悪いけど、仲間を売る気はない。それに、信じてもらえないかもしれないが、俺も彼女について何も知らないぜ」
「クルティオの目的は?」
それこそ、この場所で言うことはできない。そもそも、クルティオが何を目的にして比護の鎖を盗んで欲しいのか、俺には分からない。
「どうして俺が王都に向かったと分かった?」
「西の街道側には来なかった」
「ただ隠れていただけかもしれない」
「北の街道へ向かったという目撃証言があった」
「気をつけてたつもりだが」
「そう。だからもしかしたらフェイクかもしれないと考えたけどね。ただフィーはディナストについて詳しくないから、隠れるのに適した場所も知らないだろうと考えた。それに、西の街道での魔物について、俺からも直接王に報告しておこうと考えたわけだ。だから、こちらとしては、ティプトアにフィーがいなくてもそれほど問題じゃなかった。まぁ、ついでだな」
それなら、と口に出そうとしてフィルは留まる。余計なことは言わないほうがいいだろう。
「実のところ、立て札を使ってフィーを探そうというのはバカな作戦に思えたんだが、まさかこれほどすぐに発見できるなんて、驚きだな」
「誰の提案だ?」
その内に分かるよ、とティエンは髭をさすりながら答える。そこで彼も黙り、ただ両腕を組んで大きく椅子に腰かけた。
つまり、その提案をしたものがここに来る、ということだろう。その人物がいつくるのか分からないが、待つしかないようだ。
フィルも同じように腕を組んで座り直すと、クルティオとの会話を思い出す。
「それで、比護の鎖はどこにあるんだ?」
「王都ティプトアの城の中よ」
「城の中?」
「ええ、間違いないわ」
「どうしてそんなことまで判ってるんだ?」
「フィーは確か浮揚の魔法を使っていたわね。それなら準上級の魔法までは扱えるのでしょ? 遠眼力の魔法は使える?」
フィルは頷く。
「その応用だと思ってもらえればいいわ。遠眼力は自分の知っている場所を視ることができる。私の魔法は、知っているモノを視ることができる。んー、実は少し違うのだけど、分かりやすく説明するとそういうこと」
「それで、王都ティプトアの城の中にある、と」
「ジェルの秘宝である比護の鎖。視るだけじゃなく言葉に還元すると、そう枕詞が付いていたわ。私が欲しいのは比護の鎖なんだけど、それはどうやらジェルの秘宝らしいの」
「ジェルってのは人の名前か?」
クルティオは首を振った。それは分からない、と答える。
バタンと大きく音がして正面の扉が開き、フィルの思考は途切れた。長身の男性が入ってくる。赤色、金縁のチュニックを着こなし、スラリと伸びる腕。髪は透き通るように白く、それが肩先まである。精悍な顔つきはフィルよりも一回りくらい上だろうか、三十前後だろう。その後ろに、分かりやすいメイド服を着た女性が困ったように彼を見ている。
「ですから、このようなところに……」
「遅くなったな。説得してきたぞ」
「説得できてないじゃないか」
ティエンがため息を付く。
「マエリア殿、このティエンがここにいますので、危険はありません。どうぞお下がりください」
「ですが、ですが……万が一のことも」
「それに、マエリア殿が仕えている方はそもそも自分よりも腕が立ちます。危険はありませんから」
「心配しているのは、そこではありません」
「大丈夫だよう。ちょっとここで話をするだけだ。何も勝手に城を抜けだそうなんて、これっぽっちも考えちゃいないさ」
言いながら白い髪を大きく揺らす。マエリアが彼とティエンとフィルの顔を順にめぐる。
「それなら、グリディオン殿の隣に立って、万が一外に行こうという素振りを見せたら、どうぞマエリア殿の力で縛ってやって下さい」
「分かり、ました」
マエリアはまだ納得していないという表情だったが、グリーの隣に控えた。隣に立つと、グリーの半分ほどしかない、小柄な女性だ。ヘッドドレスに大きなブリムをしていて、そこから垂れるひらひらの紐が床についてしまうほどだ。
「いやいや、悪いね、騒がしくて。キミがフィルウィルド君か」
愛想のいい笑顔をその顔に浮かべながら、フィルの正面に座る。
「俺も倣ってフィーと呼んでいいかな?」
「どうぞ」
フィルは疑わしげに相手を見ながら、ティエンに誰だ、という視線を送る。
「ティプト王だ」
「そう。俺がこの城の主、ティプティプティプト・ア・ティプティア・ティプティだ」
思わず聞き返す。
「最悪だろ、この名前。この名前は俺に付いてるんじゃなくて、国のものなんだよ。代替わりごとに一文字足していくとかなんとか、よく分からん風習があってだな。それならもうちょっと考えて足していけばいいというのに、俺も引き継いだ時に「ティ」を加えた手前、文句は言えないんだがね」
再び白い髪が大きく揺れる。豪快な笑い方で、フィルの思い描く王族の優雅さは感じられない。テペタを国としてまとめあげたのが彼だ。手腕、能力は飛び抜けているのだろう。ティエンよりも強いと先ほど言っていた。それに確か、王都中心のこの地域を治めていたティプトの者はより強くなるために世襲を行っていないと習った。
「まぁ、なんだ。ややこしいから、ティップとでも呼んでくれてればいいよ」
「そんなことしたら不敬刑で投獄されないか、俺」
「さて、こうみえて俺は忙しいんでね。担当直入にフィーに聞こう。マンティコアは実在したか?」
ティップの表情から笑顔が消え、深い黒い視線がフィルを貫いた。
「もし本当にそのような魔物が未だ実在しているのだとしたら、この国にとって憂慮すべき事案だからな。できれば、デマカセであって欲しいんだがね」
「それならティエンから襲撃の痕跡の報告がいってるんじゃないのか?」
「だが、その死骸はなかった」
そのティエンが答える。
「クルティオが倒した際に破裂した」
「残念ながら、クルティオの存在も確認できていない」
「おいおい。俺は交渉事で嘘を付くほどバカじゃないぜ」
「もちろん、フィーがグランス家の人間であることも考慮に入れている。つまり、嘘ではないが、真実で隠していることがあるんじゃないか、とティプト王は考えておられるわけだ。俺には分からない。フィーと直接話したいと考えたようでね」
「あんな立て札で見つかるなんて、立派な考えなことで」
「実際見つかった」
フィルの皮肉に涼しい顔で答える。
「それで、マンティコアは実在したのか?」
「あれが幻影の類の魔法だとは思えない。実際に、殺されてた痕跡は残っていたんだろ?」
ああ、とティエンが答える。
「ティエンが言った、キマイラの可能性は残る。俺だって、マンティコアに会うのは初めてだ。文献で読んだことがあるくらいで、あれが本当にマンティコアなのか、という質問なら俺には答えようにない」
「ディナストの南方には、この大陸古来からキマイラの丘と呼ばれている荒涼地帯がある。だが、そこのキマイラはかなり前に絶滅したはずだ」
「運良く生き延びていた種がいたか」
「あるいは、高位の魔導師によって新たに生み出されたか」
「結論は、そのクルティオというソーサレスが怪しい、ということだ」
「ティエンにも言ったが、仲間は売らない。もっとも、俺だって彼女のことで知ってることなんて全然ないけどな」
「俺が見る限り、フィーは嘘を付いていないな。直接会ってすっきりした」
「それはどうも。それなら俺も聞きたいことがいくつかある」
何だ、とティップは答える。
「前大戦の最後の封印は完璧か?」
広くない室内が静かになる。ティプト王は腕を組む。黒い瞳がフィルの真意を探ろうとしているのか、鋭さを増す。
「九年前の時点で封印は完璧だった。が、今じゃマンティコアがこの世界に顕現できるほど弱っているんじゃないか?」
「先の質問について、こちらかも一つ問おう。どうして、俺にそんなことを聞く?」
「前大戦の勇者四人は、どういうわけか後世に名を残していない。だから俺達は、誰が勇者なのか知らない。わずか九年前の話だからな。彼らがまだ生きているのは明らかだろう? 俺は、その一人がティプト王なんじゃないかって考えたわけだ」
「それはマエリアやティエンだって知らないことなのだが、フィーには嘘を付きたくないな、四人のうちの一人、というのはその通りだ」
フィル以外のティエン、マエリア、グリーが驚きの声を上げるが、すぐにティップはそれを抑える。
「一応君たちも秘密にしておいてくれ。あまり知られたくないことだからな。それじゃあ、最初の質問についてだが、俺には分からない。封印をしたのは俺じゃないからな。あるいは、その可能性もある、か。よし、それは俺から情報を仕入れておこう。それから次の質問は?」
「……情報を仕入れる必要はない、違うか?」
ティップが口笛を鳴らす。
「アディーがフィーを褒めるのも納得だな」
その言葉にフィルが立ち上がる。
「俺はお前の親父さんとも仲がいいだけだ。世代的にはそちらのが近いからな」
「へぇ。じゃあ俺がここにいることバレてんのか?」
「あの学園から抜け出すのに二年もかかるとは情けねぇ。あいつは真面目すぎるのが玉に瑕だ。これがアディーと最近交わした会話だよ。学園から抜け出した時点で一人前って認める算段だった感じだな。だからフィーも自由にやれって、で、だから何かあったら家に戻ってこいってさ。その後で豪快に笑っていたな」
「あのクソオヤジ」
「だから俺は、フィーともこうして直接友人になれてよかったよ」
立った勢いのまま、フィルはティップに指をさす。
「俺は、ティップとは友人にならない。宣言する。あと一週間だ」
何だ、という表情を見せたティップにフィルは言い放った。
「ジェルの秘宝、比護の鎖を頂戴する!」




