第七話 お尋ね者のフィルウィルド
その後もずっと走って移動したため、フィルが王都ティプトアに着いたのはディナストを出てほぼ4日後のマナの月頭だった。町の入口には門兵が二人いて、その扉は閉まっている。ディナストから旅をしてきたことを伝えると、すぐに門を開けて中に入れてくれた。少なくともまだ悪事を働いていないのだから、止められる理由はない。
王都だというが、周りに立ち並ぶ建物はそれほど大きくない。サウスケープのような計画都市とは違い、おそらく人が寄り集まることで発展していったのだろう。高くても2階建てのレンガ造りの家が立ち並んでいて、道のまっすぐ先に城壁に囲まれた王城が見えている。
「さて、どうやって入り込もうか」
人の数は多い。道には子供から大人、商人風の男、司祭風の女、衛兵、それにいかにも浮浪者といったいでたちの者もいる。フィルは道を王城に向かって歩きながら周りを観察する。途中、やや広場になっているところを越えると、建物の造りこそ変わらないものの、様々な店が立ち並ぶ風景に変わった。呼び込みをしている人もいれば、扉に紹介状のない者お断り、と書かれていて何の店かわからないところもある。酒場や宿も見つけたが、時間的にまだ早い。
王都に来たことも初めてなら、当然王城の中のことなど知る由もない。ましてや、どこに比護の鎖が隠されているかなど、分かろうはずがない。まずは一訪問者として王城を見ておくことが必要だろうが、いきなり訪問して果たして城に入ることができるだろうか。あるいはまたマンティコアの襲撃の報告を利用するのも手かもしれないが、それならここまで乗合馬車を避けて来た理由と矛盾する。
城門の前には開けたスペースがあり、露店が立ち並んでいる。石で出来た橋が一方にあり、城門につづいている。その門も開いていて、その左右には衛兵が二人立っているだけで、警備という面では拍子抜けだ。そこを行き交う人もいるが、広場の人数に比べるとかなり少ない。入るのに許可は必要なさそうだが、目立つのは避けられないだろう。
堀の距離は五メートルほど。城壁も同じく五メートルくらいあるだろうか。城門を通らなければ、通常なら侵入は難しいだろう。
フィルが広場の片隅で城を見渡しながら思案していると、城門の奥から大量の立て札らしきものを持った兵士と、その前に立派な白金の鎧を着た兵士とが二人出てくる。橋のこちら側に来て、近くに兵士が持っていた立て札の一つをそこに設置する。何が書いてあるのだろうか。
そう思ったのはフィルだけではなく、その広場に集まっていた多くの人がその立て札の周りに近づいていく。フィルもその流れに従い、立て札の見えるところまで近づいた。
「この者、見つけた者に100セシル」
お尋ね者、か。その下には人相があまりうまいとはいえない絵で描かれている。頭にはバンダナ。長い青色の髪。左の頬に切り傷……。あれ? これ、俺じゃないか?
その下にさらに注意書き。「見つけたら近くの衛兵まで。犯罪者じゃないので、丁重に扱ってね♪」
白金の鎧を着た兵士が大きく頷きながら、隣の兵士とその場を離れようとする。周りからはこそこそと話しあう声。
「何をやったんだろうねぇ」
「犯罪者じゃないって書かれてるけど?」
「お尋ね者だなんて、今どき……」
さて、どうしたものか。とりあえず素早い動きでバンダナを取ったものの、バレるのは時間の問題だろう。それに、放っておけば立て札がそこら中に立てられるのは火を見るより明らかだ。それならば名乗りでたほうが早いし、傷も深くならない。
「おっさん、ちょっと待った!」
フィルはすぐに行動に出た。白金の鎧の兵士を呼び止める。何だ、という表情でこちらを振り返ったが、その顔がすごい勢いで変わっていく。無表情、怒り、驚き、感嘆、無表情。途中、怒りの表情が合ったのが気になるが、すぐに彼は理解し、フィルの前に立った。
「フィルウィルド・グランス・アッシュフォード殿だな?」
「フルネームまでご存知ですか。どこからだ?」
「その話は城で聞く」
「俺はまだ悪いことをしてないと思うんだが」
「犯罪者ではないと書いてあるだろう」
「いやいや、確かに書いてあるけど、普通ああいうのに、音符マークなんて書き加えるもんかね」
「ある人の意向だ。ついて来い」
なぜか周りからは拍手喝采。何の拍手かさっぱり分からない。
「俺はグリディオン・フォン・ド・エルベルグ。グリーとでも呼んでくれ。それからあいにく、まだおっさんじゃない」
グリーは部下の兵士に指示をし、今設置した立て札を早速取り外している。グリーは彼を置いてそのまま石の橋を渡る。予定外ではあったが、城の様子が分かるのは好都合かもしれない。それに、まだ罪を犯していないのは確かだ。捕まるような理由もないし、グリーの態度からもそのような扱いは受けていない。それならば、この機会を最大限に利用するだけだ。
城門の先は植樹され、整備された庭園だ。表の広場よりもかなり広いスペースがある。グリーは白金の鎧を着ているが、鎧を着ていない人も多く、庭園でただ休んでいるようにしか見えない人もいる。貴族や王族だろうか。
石畳の道の途中に、一度だけ右に折れる分かれ道があり、その右手側にグリーが曲がったのでフィルはそちらについてく。まっすぐ進んでいれば、まさに王城の入り口だろう。今正面に見えているのは、建物自体は城とつながっているものの、高くない左翼の建物だ。もちろん高くないと言っても、外の建物とは違い三階くらいの高さはあるだろうが。城壁と同じくらいだ。屋上に出られるのであれば、そこからも外へ攻撃を加える事ができるだろう。
「さあ、ここに入ってくれ」
「牢獄じゃないよな」
「違う。俺たち兵士の会議場だ。フィルウィルドの情報提供者がいる」
「それが家族なら、俺は入りたくないんだが」
「ティエン将軍だ」
合点がいく。馬車を利用すれば、フィルよりも先に王都ティプトアに着いていてもおかしくはない。フィルはグリーが開けてくれた扉をくぐった。すぐに階段があり、そこを上に進む。その先が広い部屋につながっていて、中央に長方形の長机が置かれている。だが、その部屋には誰もいない。
「あれ、ティエン将軍がいないな。まぁ、まさかこんなにすぐに見つかるなんて思っていなかっただろうしな、ちょっと席を外してるだけだろう。とりあえず、そこの席に適当に座ってくれ」
グリーに促されて、机の向かって右手に置かれている椅子に座った。部屋の雰囲気は実家の応接室に似ている。造りは頑丈なのだろうが、それを感じさせない装飾が施されている。光取り用の窓が高いところにあり、また多くの燭台には炎が揺れている。幸いなことに火は高いところにあるので、フィルの心が乱されることもない。
机にはえんじのテーブルクロスが敷かれており、その上にこの大陸の地図が描かれている。他には何もない。部屋には今入ってきた以外にも、それぞれの壁面に扉がある。それぞれどこにつながっているのかさっぱり分からないが、少なくとも今フィルが座っている扉の正面が、城の中央側に向かっていることは確かだ。
グリーは逆に、フィルの背後にある扉から出て行った。ティエンを探してくるから、待っていてくれと言い残して。
ティエンがどれほどの時間で戻ってくるのか分からない。さすがに今行動するのは得策ではないだろう。それよりも問題は、どうして自分を探されているのか、ということだ。一つには、自分が学園から逃亡したこと。その知らせはすぐに実家にも届いたはずだ。となれば、家から捜索願を出されたか。だが、勘当こそされ、まして探しだそうとするだろうか。そしてもう一つには、やはりマンティコアに関する魔物のことか。ティエンが関わっているのなら、その可能性の方が高い。
ガチャっと後ろの扉が開き、足音が響く。
「おう、探したぞ、フィー」
椅子に座ったまま振り返ると、ティエンが汚れた口元の髭をニカっとさせて入ってきた。そのままフィルの頭をクシャクシャとしてから、フィルの右手側に座る。グリーもその後に付いて来て、逆に入口側の下手に立ち、手を後出に組む。
「探される理由なんてないと思うんだが」
「何を言ってやがるんだ」
言いながら、ティエンは懐から札束を取り出した。
「おらよ、一万セシルだ」




