第五話 クルティオのクエスト
翌日、朝食を食べて部屋に戻って来てもクルティオはまだベッドの上で寝ていた。苦しそうな表情を浮かべているのなら問題だが、いたって平穏な表情をしているし、寝息も穏やかだ。それでも、午前中は衛兵隊長に話を聞きに行くとして、午後には専門の魔法医を探したほうがいいかもしれない。ただ法外に金が掛かるので診てもらえるか分からないが。
宿から出て手近にいた衛兵に声をかけた。不審そうな目で見てきたが、西の街道の魔物のことで報告したいことがあると伝えると、すんなりと衛兵隊長の所へ案内してくれた。その西の街道へとつながる西側の開かれた門のすぐ近くにある小さな詰め所の外で、厚手の鎧に身を包みながらキビキビと両手を動かして周りの衛兵に支持を出している男がいる。兜は被っておらず、やや長髪の乱れた髪に、四角い顔。色は日に焼けて黒く、無精髭も黒く汚れている。フィルの2倍ほどの年齢だろうか。
「ティエン隊長、例の魔物のことで報告があると冒険者が名乗り出ています。今お時間は大丈夫でしょうか」
「オーケー、問題ない。あとはみんな、昨日と基本同じだ。よろしく頼むよ」
周りに集まっていた衛兵が同時にはっと返事をし、散らばっていった。
「悪かったね、ちょうど入れ替わりの時間で。それから君も、もう持ち場に戻っていいよ」
フィルを連れてきた衛兵も短く返事をすると、その場から離れた。詰め所の中に案内されて、フィルはそこの中央にある椅子に座るよう手招きされる。
「ご親切にどうも」
「魔物のことはそれほど有名じゃない。ディナストじゃ、さすがに噂にはなってるし、貼り紙もしてあるがね。ディナストに、それを目的で来る冒険者はまだいないはずだ」
「もちろんそれが目的だったわけじゃないよ。ガン・ドロって乗合馬車の御者のおっさん、知ってるか?」
「ガン・ド・ロ・サンパーニのことか?」
「お、それそれ。名前の響きが良かったから覚えたつもりでいたけど、微妙に違ったな。サウスケープからこっちに旅してる途中でそのおっさんに気をつけるよう警告を受けたんだ。俺が歩いて旅してたのを気にしてくれたんだろうけど」
「なるほどね。それで魔物のことを知った、と」
「……いや、何に気をつけるべきか、彼は分からないと言った。そしてもしそれに遭遇したとしたら、馬車に乗っていても逃げ切れない、と」
「正直なところ、こちらが把握しているのもその程度のことだ」
「いくらで情報を買う?」
向かいに同じように座っているティエンは、こちらを見定めるようにじっとフィルの目を見てから質問には答えずに言う。
「君の名前を聞いていいかな?」
「フィルウィルド・グランス・アッシュフォードだ」
「グランス家か。盗賊の家系だが、家柄もしっかりしているな。交渉を持ち出す以上、嘘をつくことはない、と判断させて頂く」
「ああもちろんだ。嘘を付くことにメリットはない」
「その上で先ほどの質問に答えるなら、0セシルだ。金は出せない」
「嘘は付かないが情報に価値がないってか?」
「いいや、おそらく価値のある情報だろう。だが、交渉に関しては、悪いがこちらのほうが上手だ」
フィルはティエンの真意が分からず、眉をひそめる。
「まず、君の言うとおり、あれが何なのか、こちらは把握していない。まぁ、仮に単に魔物と呼ぶことにしようか。把握できない理由は、魔物に遭遇したものがことごとくやられてしまっているからだ。最初は御者からの報告だけだったが、実際に現場を確認した。かなり強力な力で、乗合馬車ごと吹き飛ばされている。その周りに血溜まりがあることがほとんどだが、その馬車に乗っていただろう人たちの姿は見つかっていない。周りには彼らの装備品と、人骨。食べられた、と判断せざるを得ない。もう一度言うが、ことごとく、だ」
「その魔物をどうして俺が知っているのか、ということか」
「グランス家の者ならば、交渉に嘘は持ち込まないだろう。そこから導かれる結論は、君がその魔物に会い、かつ、生還した、ということだ。そして、その状況から考えられるのは2つ。逃げ切ったか、倒したか」
「逃げきれるとは、考えられない」
そういうことだ、とティエンは頷き続ける。
「つまり、西の街道の脅威は取り除かれた、と。さあ、こちらが情報を買う必要があるかな?」
「かぁー! 失敗したな。ちょっと金が入用になりそうだったから、その分ふんだくろうかと思ったのに!」
フィルは髪をかきむしる。
「まぁ、冗談はこれくらいにしておこう。それで、本当に倒したのか?」
「そうだよ。まぁ、俺が倒したわけじゃないけど。連れの魔法でね」
「あるいは、遠くで目撃して隠れきった、という可能性もあったんだがな」
ティエンはそこまで笑って言い、表情を真剣に戻して続ける。
「それが本当なら、討伐に対する報償を出せるぞ」
「本当か?」
「当然さ。その代わり魔物の正体や状況について、きちんと報告してもらうことになるがな。それでこちらがそれを確認できれば、一万払おう」
それでフィルはその時のことを思い出しながらティエンに話して聞かせた。具体的に何の魔法かフィルには説明ができなかったが、クルティオというソーサレスが魔物を倒した。そして、魔力を使い切ってしまい、彼女が今宿で眠っていること、魔法医に診てもらいたいことまで伝えた。
「マンティコア、か」
「初めてみたから、あれが確実にマンティコアなのかどうか分からない。ただライオンの図体を一回り大きくしたくらいで、顔は人間のようだった。馬車よりも素早かったし、その牙でクルティオが乗っていた馬車の御者を噛み刻んでいたのも見た」
「もし本当にマンティコアなら、由々しいな。前大戦の勝利で、強力な魔物はこの世界に新たに顕現できないはずだ。10年近くどこかに潜んでいたのか。いや、マンティコアというのが間違っているか」
「それでガン・ドロのおっさんに王都まで先に行ってもらって直接報告してもらっている。けど、魔物のことならそっちのが詳しいだろう。今の特徴で、他の魔物の可能性はあるか?」
「キマイラ」
「いいや、山羊のような特徴はなかった」
「お前も十分詳しいな。キマイラは、単に合成獣という意味で言っただけだ。非常に能力のある魔法使いであれば、作り出せるかもしれない。ま、いずれにせよこれから現地に確認に行ってくる。夜には結果が分かるだろう。宿は「輝く月夜」でいいよな? すぐにでも知らせに行くよ」
ありがとう、とフィルは答えた。
・
昼飯のために宿に戻ると、クルティオがベッドに座っていた。大丈夫なのか、とフィルが声をかけると、彼女はええ、と頷いた。
「でも、まだ魔力は全然回復してないんだけどね。ほら、私の目を見て?」
クルティオの瞳がエメラルドのように輝いている。初めて彼女を見た時に感じた、赤い力強さはない。魔力の残量に応じて瞳の色が変わるのだろうか。
「ああ、うん。目を見ても俺には分からないんだけど」
「目の色が違うことにくらい気がついてるでしょ?」
「そりゃ、まぁさすがに。魔力が回復すると赤くなるのか?」
「正確には違うんだけど、だいたいそんな感じよ。それに、魔力のない私なんて、六歳の女の子とおんなじだもの」
ケラケラと笑うと、クルティオのブロンドの髪が肩先でぴょんぴょんと跳ねる。
「それにしてもフィーは、本当に私に何もしなかったのね。驚きだわ」
「な、何を言ってるんだよ」
「そんなことに照れちゃうくらい経験ないの? 私、結構魅力的だと思うのよね。私に落ちない男なんて、この世にいないと思ってるのになぁ」
フィルはため息をつくと、クルティオの正面に周りベッドに座った。正直なことを言えば、何もしなかった、というのは嘘だ。初めて会った時から、その魅力に強く惹かれたのは事実だし、ブロンドの髪や笑う様に目を奪われた。異常なほどにフィルの体は熱くなった。でも、だからといって気を失っている女の子に手を出すのはマナー違反だ。という、最後の良心がフィルの手を押しとどめた。
「あらら、可愛いわね。その様子からすると、ちょっとは何かしたのかな?」
「汗を拭いただけだ」
「ふんふん。拭いただけねぇ。私は裸を見られちゃったのかしら?」
フィルは横を向く。
「大丈夫よ、怒ってないから。倒れてる女の子の汗を拭いてあげるなんて、とても紳士的なことじゃない? でもそこで止まるなんて、フィーは紳士的すぎるわね。それじゃぁ女の子にもてないよー」
「いいんだよ、そんなこと。クルティオはあれだな、耳年増だ」
「まっ!」
クルティオの頬が大きくなる。
「いや違うな。多分、耳だけじゃない」
「そうよね。さすがにあの魔法を見られちゃったんだから、私が見た目相応じゃないことはバレちゃってるか。んー、どうしたものか」
「隠すつもりがないからだろ?」
「ジータもあっさり死んじゃったし、それじゃあフィーにお願いしようかな」
「何だよ、お願いって」
「私はフィーの命の恩人。そう思わない?」
「それは感謝してるさ」
「裸を見られてるのに、私は怒っていない。それはもう、払いきれないくらいの恩がある」
「だから、お願いって何だ? 俺も特に目的もなく旅してるところだったから手伝えそうなことなら、何だってやるぞ」
「それに、フィーは盗賊」
「……何かを盗って欲しいのか?」
クルティオは頷く。
「私の魔力の回復はしばらく時間がかかるし、できるだけ早く手に入れたいものがあるの」
「何だ?」
「比護の鎖よ……聞いたことがないって顔してるわね。私にはどうしても必要な物なの。それのせいで私の魔力が制限されているということも教えてあげるわ」
制限されている? フィルの疑問に気がついたのか、クルティオは一度目をそらしてから続ける。
「ソーサレスとしての私の魔力は、もともともっと強大だったのよ。それをよく思わなかった連中がいるの。でも、それはかなり過去の話。フィーが想像している通り、私の年齢はだいぶ上よ。どれくらい上かは、乙女の秘密、ということで」
そこでまたケラケラと笑う。
「もちろん、それで封印してるのは私の魔力だけじゃないんだけど、結構迷惑してるのよ。だから、その連中に一泡吹かせてやりたいわけ。もちろん、比護の鎖を手に入れただけじゃぁ、私の封印が解けるわけじゃないんだけどね。嫌がらせをするくらいの権利ってあると思わない?」
「どこにある?」
「興味を持ってくれたのね。嬉しいわ。だけど、ここから先の情報は、クエストを受けてくれると約束してくれないと教えられないわ」
「もう十分断れない状況だと思うけど」
「それでも、確認よ」
「分かった」
「交渉成立ね。私の依頼は、比護の鎖を手に入れて戻ってくること。早いに越したことないけど、大変なクエストになるだろうから期限は特に設けない。けど、そうね、一応今年中にしましょうか。それまで私はここで待ってるわ。私も魔力が回復したら次の手立てを考えるし。報酬は前払いで終わってる」
「それじゃあ失敗できないじゃないか」
「うーん、じゃぁ、その報酬は挑戦権ということで。成功したら成功報酬もあげようかな。私との本番一回なんてどう?」
「だから、そういうのじゃなくって」
「もう、冗談が通じないのね。まぁ、それ相応のこと考えておくわ」
「それで、比護の鎖はどこにあるんだ?」
「王都ティプトアの城の中よ」
笑っていた彼女の表情が真剣になった。




