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滅ぶ世界のヒストリア  作者: なつ
第一章 大きな運命を操る乙女
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第三話 赤い瞳のソーサレス

 ディナストへの行程は4日目までは順調だった。途中でオルシナという妖精のちょっかいがあったが、考えてみると妖精というのはそういうものだ。荷物を勝手に漁ったり、あるいは、仕事を勝手に進めておいてくれたり、噂で耳に入ってくる妖精は必ず人間に対していたずらをしている。他は真偽不明の美少女が、近づこうとしたら消えていなくなった類くらいだ。

 途中乗合馬車と数度すれ違ったが、わざわざ馬車をとめていくような物好きな御者とは出会わなかった。もしあの口うるさい御者が扱う乗合馬車がサウスケープ、ディナスト、そこから北方にある王都ティプトア、そしてケープタウンの4つの町村を巡っているのだとしたら早くとも明日にならないとすれ違うことはないだろう。けれどフィルは乗合馬車のシステムを詳しく理解していないから分からない。

 道は今ではほぼ東へ向かっている。これならオルシナと出会ったあたりから南東にまっすぐ向かった方がかなり短縮できたのだろうと思うが、道が大きく円弧を描くように曲がっているのには先人たちの知恵と経験の結果から来ているのだろう。つまり、安全ではないということだ。

 行程が順調なので、保存食にはまだ余裕がある。けれど飽きてきたのはいかんともしがたい。バラエティは豊富だが味にレパートリーが少なすぎるのが問題なのだろう。改善の余地は大いにある。が、それはフィルの専門ではない。

 さて、4日目までは順調だった、と先に言ったが、それは道のすぐ脇の転がるそれのせいだ。フィル自身も道からそれて、それのすぐ隣に立つ。馬こそそこにないものの、乗合馬車が横転している。屋根部分は壊れ、中の様子もはっきりと見える。大きな荷物はないが、割れたガラス状のものが周りに散らばり、ところどころには血の跡もある。馬車に手をかけてみるが、動きそうにない。

「こんなものが横転するなんて」

 かなりの力が必要だろう。魔法の力を利用したとしたらどうか? フィルが扱える魔法では無理だ。一般的な魔法ではこれほどの物体を動かすのは難しい。精霊魔法や高速言語魔法なら可能だろうが、そうなると魔法のエキスパートでもある。それほどの使い手がこれをやったのだとしたらフィルではとても太刀打ちができない。あるいはこれを力によってやったのだとしても。

 鈍い地を這う音が聞こえてきたのはどうすべきかフィルが悩んでいた時だ。

 いや、音はよく考えるともっと前から聞こえていた。それが遠く、小さかったからフィルの思考を邪魔しなかっただけだ。ズド、ズド、というような重い土のうを次々と地面にたたきつけているような鈍い音。

 ディナストへと続く道の先からだ。土煙を上げながら、乗合馬車がこちらに向けて猛然とダッシュしている。けれどその音は、あの乗合馬車から来るものではない。乗合馬車の音はあんなに重くない。馬の蹄の音は激しいがはるかに軽快だ。

 もっと背後から、そして確実に乗合馬車との間合いを詰めている。

「どうする?」

 と考えても選択肢は多くない。何に追われているにせよ、フィルに対処できる相手ではない。乗合馬車は、何とか逃げ切れることを祈る。ざっと周りを見渡すが身を隠せそうなところはない。

 とっさに横転している荷馬車の荷台の影に身を伏せる。傷んだ馬車の板の間から音がする方を確認する。

 御者台に御者が立つようにして手綱を握り、馬を走らせている。どう考えてもその背後から来る音の方が早い。

 僅かフィルの目と鼻の先で今までよりもさらに鈍い音がしたかと思ったら、馬車が激しく宙に舞う。

「きゃーーー」

 同時に叫び声。すぐに車両は横転するように倒れて転がり、それ以上に高く飛ばされた御者がさらに遠くの地面に落ちた。

 その背後にいたのは、

「ライオンか?」

 いや、それよりも一回り大きい。前足を両方上げて咆哮する。そして何よりも特徴的なのが、たてがみに覆われた顔だ。獣のそれではない。むしろ人の顔に近い……マンティコアだ。

「なんであんな怪物がこんなところに出るんだよ」

 ただのライオンであれ一人で対峙して生還できるとは思えない。が、魔法を使えば逃げ切れることはできるだろう。だが、マンティコアが相手となると逃げるという選択肢は厳しいか。現にどこから追われていたのか、見事乗合馬車は吹き飛ばされたのだから。

 マンティコアは四肢を着くと頭をぐるりと回し辺りを睨みつける。フィルとの距離は30メートルほど、こちらは節目の間から確認できるが、あちらからは見えていないはずだ。

 ガタ、と後方で音がする。物音を立てないように振り返ると、吹き飛ばされた乗合馬車の倒れた車両から細い手が2本バタバタと揺れている。すぐに天地を理解したのか両手を地面に着けるとそこから出てこようとしている。

 振り返ると、マンティコアの視線はまっすぐその乗合馬車に向かっている。フィルがもう一度後方を確認すると、ひょこと顔を出して頭を振っている。乱れた髪がばさばさと動いている。それほど長くないがきれいなブロンドだ。フィルの位置からでも、目のあたりの赤さが際立っている。瞳の色かもしれない。年齢は自分よりも低いだろうか、まだ少女と呼んでも差し支えないだろう。

「うごぁぁぁぁぁっぁぁぉぅ」

 再びマンティコアの咆哮だ。ビクッと少女の体がこわばり、その赤い瞳が大きくなる。土を蹴る音が響き、マンティコアが少女の体が半分まだ隠れている車両へと突進する。まずい、と感じとっさに自分も少女の方へ走ろうとするが、全く間に合うはずがない。

「こっちだ!」

 フィルの声じゃない。ここからは見えないが、倒れた乗合馬車の向こう側から大きな男の声が響いた。おそらく御者だろう。瞬間的にマンティコアの軌道が変わる。

 その隙に少女の元に駆け寄ると、甘い香りが鼻を刺激する。少女の不安そうな瞳がフィルをとらえる。まるで魔法のように、フィルの体が熱くなる。

「う、動けるか?」

「両手、引っ張ってくれる?」

 伸ばされた両腕の肘辺りを握ると、少女を引っ張りだす。腕は細かったが柔らかく、そのまま立ち上がった少女はフィルの肩くらいの身長しかない。着ているのもシンプルな白いワンピースだが、それがまたよく似合っている。

「ありがとう」

「走れるか?」

「どうして?」

「さっき、化け物みただろう? このままじゃすぐにこっちに戻ってくる」

 何度か激しい音が聞こえていたが、そこに男のくぐもった声も混じっている。

「可愛らしい子だったわね。あれがどうかしたの?」

「いやいや、あれに襲われたら大変、分かる?」

 少女は首をひねって、眉をへの字にする。赤い瞳はまるで理解していないかのようだ。

「それなら倒せばいいじゃない」

「無理でしょ。だから逃げてたんでしょ?」

「ああ、だからさっきから揺れがひどかったのね。横転した時はさすがにやりすぎでしょ、と思ったけど」

 言いながら少女はケラケラと笑う。

「大丈夫でしょ。ジータもいるし、彼ならチョチョイのチョイよ」

 再び激しい咆哮。それもやや上方からだ。視線を上げると、乗合馬車の車両の上にマンティコが器用に立っている。その足元には血だらけの男。

「あれがジータじゃないよね」

「お、お嬢様、どうかお逃げ、くだ……」

 最後まで言葉を発する前に、その首元にマンティコアの前足がかかる。すぐ次の瞬間に、男の首が地面に転がり落ちた。フィルの胃が沸騰したかのようにきりきりとする。目を背けたいが、そんなことをすれば一瞬にしてマンティコアはここまで来るだろう。

「あらら、ジータったら情けない。じゃあ、あなた、お願い」

 おいおい。と声に出したつもりだったが、声にならなかった。少女の赤い瞳に見られていると思うと、体が熱くなる。胃の痛みも一瞬にしてなくなる。

「いや、でも、無理でしょ」

 マンティコアを見ながら、どうにか絞りだす。

「あれれ、おかしいなぁ。普通ならもうこれで私の言いなりだと思うんだけどぉ。まぁいいわ。それじゃあ私が魔法でやっつけてあげるから、ちょっと時間稼ぎしてよ」

「あんた、魔法使いか?」

「それって可愛くないからきらい。私のことは、そうね、ソーサレスが好みかな。ソーサレスのクルティオって呼んでくれる?」

「どれだけ時間を稼げばいい?」

「ツレないわね。うん、30秒でいいわ」

 直後、クルティオは目を瞑る。それと同時に、彼女の体から僅かな光が発せられる。30秒くらいならなんとか凌げるか? マンティコアは食い飽きたのか、ジータの体を脇へ投げた。そしてこちらを見下ろす。

「うごぁぁぁぁぁっぁぁぉぅ」

 マンティコアが咆哮した瞬間に、フィルは懐から小刀を取り出すとその足目がけて投げつける。それと同時に、自身は右へ。

 フィルの小刀を左前足で軽くいなすと、次の瞬間フィルの行き先の二歩先に降り立った。そして首をひねるとまっすぐフィルを睨む。

「く、早すぎる」

 両足を踏ん張り、すぐに左へステップ。フィルの頭右上をマンティコアの前足がかすめる。すぐさまバックステップし、魔法詠唱。

「・・・ミラージュ」

 今自分がいたところに、自身の幻を作り出す。数秒しか持たない、簡単な魔法の蜃気楼だ。連続詠唱。

「・・・レビテート」

 簡単な浮揚の魔法。二メートルほど上空に退避する。幻はすぐにマンティコアの前足に消え去り、その顔がフィルを見上げる。

「へへへ、避けに関したお手のもんよ」

 盗賊という職業柄、体の動きには自信がある。避けることに関しては学園でも成績トップクラスの自信があった。攻撃を喰らえばおしまいだが。

「ガルルルル」

 血色のよだれを垂らしながら、マンティコアは左前足で二度地面を叩く。

 刹那、マンティコアが巨大化する、いや、一気に跳んで接近してきたんだ。浮揚の魔法中、避けることができない。

 体当たりを食らうと思った瞬間、フィルの肩に力がかかり、魔法の効果が解ける。と同時にそのまま地面にたたきつけられる。

「はい、よく頑張りました」

 地面に大の字で倒れながら上空を見ると、マンティコアがフィルのいたところを通り抜けたそのさらに高いところにクルティオが浮かんでいる。ちょうどフィルと同じように大の字の格好だ。

「そこから見上げるのはダメですよー、見えちゃいますから。目をつぶって、できれば頭をガードしておいてくださいねー」

 フィルは目を離せなかった。クルティオが両手を前に出し、マンティコアに照準を合わせる。

「レモルノ=ヲーネ!!」

 マンティコアが巨大化する。今度は見間違いじゃない。けれど、巨大化というよりも無理やり体内が膨らんでいくかのように。

「あぐぉおおおぉ」

 ボンと低い音が響き、マンティコアは破裂した。


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