第十話 作戦
食事の時間はつつがなく終わり、今はルーミルがキッチンとダイニングを往復しながら皿の洗い物をしている。ルワンとフィルの前には三角のグラスに入った水色の液体が置かれている。
「結構広いと思うんだけど、人、雇ってないの?」
「昔はね。それに、今も日中は給仕がいるわ。さすがにルーミル一人にしておくのは心配だもの。さて、それじゃあそろそろ本題に入る? それとも、先にごくって呑んじゃう?」
「アルコールは、この間一度挑戦したけどまだ味の良さが分からないんだよね」
「ふふふ、安心して。ただの雰囲気を出すためのものよ、フィルウィルドのは。わたしのはちょっときつめのだけどね」
「それじゃあ酔う前に話をしようか」
「大丈夫よ。わたしお酒は強いから」
そう言って笑うルワンの顔には、広場のときに見たシワがない。グラスを掴んでいる手もつややかなものだ。もちろん若い少女のものとは言えなかったが、それでも最初の印象に比べると十歳くらい若い。
「あらら、またどこを見ているの? わたしメイクは得意なのよ。驚いたでしょ?」
「驚くね。どうして自分を老けさせて見せてるんだ?」
「目的は二つ。一つは、単にそれ目的だけのパトロンはいらないし、わたしときちんと話をして納得した人だけを相手にすることができる。もう一つは、実際お相手する時、相手が実は若かったら嬉しいじゃない?」
テーブルの角に、斜めに相対して座っているルワンは、フィルに対してぐっと体を低くして、胸元を露わにする。
「いやだから、俺は相手にしないぞ、金もないし」
「あなたなら親子丼でもいいわよ。あの子も気に入ってるみたいだし、そうね、十年後くらいに」
そう言って笑うルワンは今まででもっとも妖艶に見えた。
「だけど、今のフィルウィルドには別のお願いがしたいのよ。むしろこちらがお金を払ってでもね」
「やっと本題か」
「お互い様でしょ。どちらから話す?」
「じゃあ、こちらから。もしかしたら、そちらの希望を打ち砕くかもしれないが。俺は確かにさっき城から出てきたが、俺がやりたいことは、城に忍びこむことだ」
案の定、ルワンの目が大きくなる。
「悪いけど俺は、気軽に城に立ち寄れるような身分じゃないんでね」
「あれれ、でも立て札で呼び出されてたじゃない」
「今どきあんな方法に驚きだったけどね。やっぱり、そちらの希望は、俺が城に行って何かをすることなのか?」
「うーん、忍びこんでくれるなら、ついでに、かな」
「最初の課題の解決を一緒に考えてくれるなら、ついでに手伝ってやれるかもしれない。けど、俺のクエストも単純なものじゃなくてね、単純に説明すれば、盗みだ。だが、盗むものがどこにあるか分からない。城に入ってから、見つからずに、探す必要がある」
「あらら、結構厄介なこと抱えてるのねぇ」
「しかも、さっき城で宣言してきたからな。一週間以内に盗み出すって。大怪盗にでもなって、予告状を出した気分だぜ」
「面白いこと言うのねぇ。いいわ、条件はそれで。城の中を探すなら、ついでに私のお願いもクリアできるかもしれないしね」
「オーケー?」
ルワンが頷く。
「私のお願いは、身辺調査……と言えば聞こえがいいかしら。以前は羽振りよくパトロンとしてお金を下さった紳士がいるんだけど、最近ご無沙汰でね。彼のことを調べて欲しいの。彼もね、フィルウィルドに似てるところがあるのよ。私には手を出さないのに、お金だけくれるの。戸惑いもあったけど、本当にいい人だったのよね、その人。だからきっと何か理由があると思うのよ」
「都合よく夢見てるだけじゃないか?」
「あらん、結構手厳しいこと言うのね。そうかもしれないわ。彼と出会ったのは、あの子が生まれてすぐだったのもあったし、お金が私も必要だったしね」
「名前は?」
「アスエリエル、と彼は名乗ってた。本名かどうか分からないけど」
「他に特徴は?」
「顔はそうね、優しい感じ。切れ長の瞳はいつも笑ってたし、口元も同じ。でも、ここらへんじゃああまり見ない、白い髪だったわ。シルバーって言えば聞こえがいいかな。フィルウィルドと比べると、そうね、圧倒的に筋肉質かしら。でも、そんなに太ってるわけじゃなく、まさに、引き締まってる、という感じで……」
「ベタボレじゃないか」
「ええ、その通りよ。彼がパパだったらよかったのにね、ルーミル?」
キッチンに向かって大きな声を出す。
「あたし覚えてないよー。だって、一歳くらいの時の話だよ、それ。覚えてるわけないじゃん」
「えええ? もうそんなに前?」
「フィーも言ってやって。彼が城にいるのかなんて分からないでしょって」
非常に的確な指摘だ。ルーミルの言葉を受けて、フィルがルワンを見るが、彼女は分かっているという表情をする。
「本人が城で働いているって言ってたのよ。でもそうね、時期的にティプト王が大陸を統一する前だったから、とても慌ただしい時期だったわ」
「うん? 平和的な統一だったし、そんなに大変だったか?」
「ティプトアは世襲じゃないもの。現国王がどうして国王になれたのかしら? あの橋が封鎖されて、中で何が起きていたのか知っているのは、本当に近しい人達だけなのよ」
「それで国王が変わって、パトロンが来なくなった。やっぱり城にいるのかなんて、分からないんじゃないか?」
「あとはフィルウィルドに任せるわ。やっぱりいなかったのならしょうがないし、多分私は、区切りが欲しいのよ」
「分かった。まぁ、出来る限りのことはしてみるよ。次は、どうやって城に忍び込むか、についてだけど」
「それなら二つ案があるわ」
ルワンが変わらず妖艶な笑みを浮かべながら続ける。
「普通なら、六日後の祭りを利用するのが定石ね」
・
やや広い風呂にフィルは浸かっていた。湯気が室内に充満していて、浴室自体もかなり温かい。ルワンが一緒に入ってこようとしたが丁重に断った。が、ルーミルはフィルの膝に座っている。髪をアップにしていて、寸胴な体つきだ。
「フィーも意気地なしねぇ」
「意味分かって言ってるのか、ルーは?」
「当たり前じゃない。誰だってママの魅力に落ちちゃうのよ」
ルーミルはぐいっと体をフィルに預けると、バシャバシャと足を蹴り、水しぶきをあげる。
「ルワンは、アスエリエルに惚れてるんだろ? だったらもっと一途になるべきじゃないか?」
「それはそれ、でしょ。あーあ、あたしが早く大人になれば、ママをもっと助けてあげられるのになぁ」
ペチッとフィーはルーミルのおでこを叩いた。
「ガキが生意気言うなよ。俺が五歳のころなんて、近所のガキどもとただ遊びまわってただけだったぜ」
「あたしは貴族ですから」
「ガキはガキだろ?」
「もう。フィーは全然分かってないわ。それに貴族の女性なんて、どれだけ男を利用するかじゃないの。そうしないとすぐに没落よ」
「何だ、俺はやっぱり利用されてるのか」
パシャンと音を立てて、ルーミルはフィルに向き直った。
「違うわ。フィーは大事なお客さんよ。ママを見ていれば分かるわ。フィーの意見をとても尊重していたもの。場合によっては、後で家に金品要求だって出来るんですからね」
「それはどうも」
ルーミルはプンプンと頬をふくらませている。でもすぐにクシャリと笑顔になる。
「それより、ルーはアスエリエルを全然覚えてないのか?」
「? ええ、覚えてないわ」
「白髪なんて、ここじゃ珍しいよな」
「そうねぇ。あたしもお外に行った時に、白髪の若者なんて全然見かけない。もちろんおじいちゃん、おばあちゃんならいるけど、ママの話じゃ、そんな上じゃないものねぇ」
「ルーは、ティプト王を見たことあるか?」
「今の、ってこと?」
ああ、とフィルは頷く。
「ないわ。忙しいのかしらね。色々と仕組みを変えたり、学園を作ったり。あたしは行きたくないんだけどなぁ」
「ケープ国立魔法学園ね。寮も完備されてて、手厚い保護があるぞ」
「いくら掛かると思ってるの? それならあたしはママと一緒にいるわ」
「まぁ、その話はまた後で」
失礼しちゃうわ、とまたルーは頬を膨らませる。
「それよりも、ティプト王を見たことないんだな」
「ないって、言ってるでしょ? どうして?」
「俺が知ってる白髪の奴といえば、ティプト王くらいだ」
ガバっと膝から降りると、ルーミルはもっとフィルに顔を近づける。
「国王ってこと? それが本当なら、すごいことじゃない?」
「どうだかな。理屈が合わない。それとも、これからこの国の王になろうとしている人間が、ルワンの世話をして、何か得るものがあるか?」
「む、ムツカシイことを聞くのね。ママが魅力的だった、だけじゃだめ?」
「そうだな、悪い。ちょっと難しかったな」
フィルはルーミルの脇を持って一緒に立ち上がる。浴室から脱衣所に行こうとすると、境目の引き戸がわずかに開いている。ルーミルが走りだして、さっと引き戸を開けると、ルワンが四つん這い姿で覗いていた。
「ママ、何やってるの?」
「もう、ちょうど今ルーミルで見えないじゃない。若い子の入浴よ、私が覗かなくて、誰が覗くの?」
「ママはダメなママですねぇ。しょうがないわ。フィー、ちょっと説教してくるから、先に着替えてて」
ルーミルは裸のまま、ルワンを連れて脱衣所から出て行った。フィルはため息をつく。脱衣所に出て、籠に置かれていたタオルで体を拭く。そこに置かれているのは、フィルが着ていたものとは違う。黒色の装束だ。闇に溶ける色。夜にこの衣装を来て出歩いたとしたら、魔法を使っているわけでもないのに、見つかる確率はぐっと減るだろう。ルワンが用意しておくと言った貫頭衣だ。
フィルにとって七日以内というのに深い意味は無い。単に一週間という単位だっただけだ。けれど、六日後偶然祭りがあるという。おそらくフィルがその祭りの騒ぎに乗じて城に忍び込もうと考えている、というのはありえそうなことだ。真夜中を過ぎれば七日になる。
もう一つの案は、相手がそう考えている内に、つまり、今日、再び忍び込む、という作戦だ。悪くない。ルワンが今おどけてみせたのも、フィルが二つ目の案で行くことを決めたからだ。
フィルは音も立てずに、ルワン邸を抜けだした。




