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骨董扱処あんていく廻呪録  作者: 留龍隆


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8/8

不死になる茶碗【肆】

「本物なの?」


 いえ。少し念は籠っていましたが、さほどの品ではないようです。と私は美也子さんに返す。


 危険ごと持ち帰ってさしあげる、ということを条件に交渉し、いくらかの金を得て戻ってきた私は卓上に茶碗を置いていた。

 両手の中指薬指親指をくっつけ、人差し指と小指のみを立て。狐を模したこの手の、口をかたどる部位を突き合わせると手首を互い違いにひねって指をからませる。その指の隙間から覗くといういわゆる『狐の窓』越しに視ても特別になにか憑いていることはないようだ。


「鷂くんの眼で視えないなら、そうなんでしょうね」


 私はたいした術師ではありませんよ。そりゃ、多少視えますし同門や同種の人間の区別くらいはつきますけど。それだけです。


 それにしても、いわくつきではなかったか……がっかりだが、仕方がない。あの香炉、いつかまた巡り巡って手元に来るといいのだけど。


「じゃあなんだったのかしら。その、不死になるって話は」


 それについては話を聞きながらいくつか考えましたよ。

 美也子さん、小泉八雲先生の著作は読んだことおありで?


「『茶碗(In a Cup)(of)(tea)』?」


 まさに幽霊話ですが、私が言いたいのは来日される前の話ですかね。諸外国を回っていたときの仏領西インドの二年間という著作の中で、海地(ハイチ)という国でのブゥドゥ信仰における『ぞんび』なる存在について記述があります。


「ああ。特殊な呪術的薬品で完全な死でも完全な生でもない状態におく、意思の無い状態にした存在でしょう。労働させるためにつかったとか」


 知ってましたか。


「師範学校にいた頃に読んだの。じゃあ、その川縁の男はやっぱり死んでいなかったってこと?」


 可能性としては。私は返しつつ、茶碗を手に取った。底浅くつくりも粗雑、井戸の茶碗のような名器でもない。なんの変哲もない茶碗ではあるが、これで盛られた飯にブゥドゥにおける『ぞんび』をつくる粉をかけられていたなら。これを摂取し一度仮死状態になり復活する……ということは考えられる。

 呪物化していないのなら、あくまで奇術の範疇だったという見方だ。


「けれど、その茶碗を置いていく理由にはあんまり結びつかないよね。単にその大郷さんのお母さんを気に入ったから置いていった、というならもうなにも言えることもないんだけど」


 その点については私も同感だった。そも、死者を呼び寄せる口寄せの巫女が不死を招くものを持っているのもなんだか奇妙である。

 考え込んでいる私の横で、美也子さんはオルゴウルを巻いた。この物品の呪いの対象は人間限定のため、彼女は指がくっつかない。

 キキキィん……とピンを弾いて高い音が連なっていく。曲は、このオルゴウルの製作者が自分で作曲したものらしい。おそらくはより多くの人間に聴いてもらうため、巻かないと指が取れない呪いになったのではないかと私は考えている。


 物は変質しない。心変わりしない。宿された機能をまっとうする。

 そこに機能や見方を宿そうとするまでが人間のすべきことで、あとはただあるだけで物というのは美しい。


 ……『機能を宿す』。

 ……ふむ。もしや?

 美也子さん、また少し出てきます。


「今日はなにか持っていかなくていいのかしら」


 ええ。死者を調べるのと、大郷の母君に会うだけですので。



        #



 警察署のツテを使い、大郷の母君が幼少のころ……つまり三、四十年前までの両國川周辺での死者について記録を調べた。

 客死した男についての情報もあり、腑分けした結果も記載されていた。この年代は虎列拉コレラの流行もあって死人からの蔓延が恐れられていたらしく、それなりに死因を調べてくれていたようでありたがい。

 調書によるととくに毒物を摂取した痕跡はなかったようだ。

 けれど、死因は……


「欲っていうのは、どこから生まれるのかしら」


 考えにふけって夜更けを待っていた私の横で美也子さんが言う。手慰みにか、卓上に投げ出していたお金を数えている。

 不足ですよ、と私は答える。不平不満不快。足りていないものがあるから、それを埋めようと欲が生まれるのです。


「私が狐者異に対して不快を覚えたのはなんなんだろう」


 他者の欲望を欲望したのでは? 私の空腹、不快に対して同調して、思い通りならないことに不満を覚えたのですよ。

 比べることからしか不満は出てきません。


「なら、鷂くんが私の基準なんだね」


 そうなりますか。


「だんだん、そうなっていったんじゃないかな。ううん、そう作られていった(・・・・・・・)ような、気がするの」


 どうでしょうね。私は壁に掛けていた妖刀を手に取る。

 時刻は丑三つ時。大郷の話ではこの時間帯になると、茶碗を返せと門を叩くらしい。あいにくと我が店舗には立派な門などないので、摺りガラスの小窓が嵌まった戸を叩かれるだろう。


 ……他人と比べるのは向上心や客観視という点では結構ですが、執着や呪いに繋がることもままありますからね。私は美也子さんに言うともなく、ひとりごちた。


 この隔理世かくりょは、もともと薄暗い。

 外も街灯が弱弱しく灯るばかりだ。

 そんな薄明かりに照らされる摺りガラスに、ごぞ、と陰が差す。

 小窓に、丸みを帯びた黒い影がある。黒の隙間に、肌の色が見える。肌の間に、暗い穴が双つ見える。

 穴が三つに増える。


「茶碗 かえして」


 たいした品ではないのでお返ししてもいいのですが。

 私が人間を好きではない一番の理由に、あなたは抵触している。私は妖刀を抜いた。


「茶碗 かえして」


 人間のいやな点は、すぐ言葉を翻すところ。

 裏表を使い分けようとするところ。

 そして一番いやなのはなにより、

 嘘をつくことです。


「茶碗」


 黙れ。人殺しが。


 私は戸を開け、刀を一閃した。

 茶碗と、巫女の霊──年老いたまぶたの隙間の黒々とした両眼、歯もいくつも抜け落ちた口が、暗い穴をかたちづくっている──とのあいだにあった縁が断ち切られ、絶叫とともにその姿は縮み消えた。



       #



 死に触れるように見せ、死を演出する。

 歩き巫女はおそらく、ぺてん師にすぎなかった。多少の霊感くらいはあったかもしれないが、口寄せなどはできなかったのだろう。


「でも口寄せで、いくつも当てていたんでしょう。本人しか知り得ないこととか、隠しごとなんかを」


 サクラですよ。彼らは最初から巫女の仲間だったんです、その言い当てられて驚いていた男も、もうひとりも。群衆に紛れ込ませておいて『あたかも通りがかりの人間を当てた』『それなのに百発百中で的中させた』と演出するための。


「……あ、だから男も流れ者だったってこと? 歩き巫女についてきてた奴だった、から」


 そういうことです。

 妖刀を壁に掛け直し、縁が切られたことで正真正銘ただの物に戻った茶碗を撫でつつ私は返した。

 そして男の死因は、調べたところ背中を刺されての他殺でした。もう、だいたいの筋書きはわかるでしょう。


「仕事の取り分とかで揉めて、巫女が殺したってことね」


 ひどい話ですよね。

 ……私もべつに、芸として口寄せを演出して金を取る程度ならなにも思いはしない。けれど人を殺してまで金のために動き、さらにその上で大郷の母君を騙そうとしたのは……あまりに醜い。


「なら、不死になる茶碗だと言って渡したのはなんだったの? 一番謎なんだけど」


 あの巫女は『死にたくなかった』のでしょう。私は返す。

 死者を喚べると人を集め、死に触れ、死に近づき、けれどすべては虚構で本当はなにも知らない。死に親しんでいるようでその実、幾多の人の死への恐怖に触れ続けたことから己の恐怖が増幅された。死にたくないと、死を怖がった。


 だというのに、仲間割れで知己を殺してしまった。

 祟りを恐れた巫女は男に呪われるか、そうならずに済むかを知りたくなった。未知が怖いから、知ることで制御したくなった。

 そこで浮かんできたのが、大郷の母君だった。


「どうしてそこでその子が? ……その子が、って言っちゃったけどいまはだいぶお年を召してるか」


 年の頃は還暦を迎える前ですかね。会いに行ったら結構しっかりしていらっしゃいましたよ。

 たしかに彼女は川縁で男を見た、と語ってくれました。

 警察にも記録が残り、確実に死んでいる男を、です。

 そして私は彼女にお逢いして察しました。

 彼女は、私と同族(・・・・)です。


「……あ。『視える人』だったんだ」


 当人には自覚が無いようでしたがね。

 おそらく、多少の霊感しかない巫女も私同様に同族を察することはできたのでしょう。巫女が大郷の母君に親しくしたのは、手懐(てなず)けて自分の興行の邪魔をしないように操るためだったと思われます。本物の霊視で、ぺてんが見透かされでもしたら商売あがったりですから。


 ……男の遺体は宿場で見つかったとのことでしたが、大郷の母君を川縁に連れていったということはそこが本当の殺人現場だったのでしょう。


 巫女は、そこに自分が殺した男の霊がさまよっているのかを確かめたくて、大郷の母君を連れ出す口実として『不死になる茶碗』という嘘の話題を持ち出した。

 加えて男の霊がさまようのを知ってからは、嘘を本当に変えようとした。


「念を込めさせようとした、ってことだね」


 その通りです。

 自身が霊視をできると知らぬままの大郷の母君が、『不死になる茶碗』と言い含められて持たされた。霊能力を持つ者による物品への恐れと惧れが降り積もっていけば、いつか本当に死を避け得る呪物と化すかもしれない。わずかな、その可能性に賭けて巫女は茶碗を置いていったのでしょう。

 が、そうはならなかった。

 絹谷家のように地の気が溜まっている土地でもなく、大郷の母君も気味悪さから蔵に封じてしまい他者の思念に晒されなくなった。

 茶碗が呪物化することはなく、あとに残ったのは──年月を経て、呪いに怯えたまま死んだのであろう巫女の執着だけ。

 死してなお彼女は死を恐れ、死を避け得ないかと茶碗にすがろうとした。亡霊と化してなお、生前の執着に従ってここまでやってきた。


「人を呪わば穴二つ、というか」


 恥というものを知っていれば、穴はひとつで足りるんですけどね。

 嘘つきは泥棒のはじまりともいうが。騙すこと、騙ることを恥とも思わないからこういうことになる。


 私は茶碗を手に、戸を開けた。もう帰ってくることがないように、と思いながら、茶碗を高く放り投げる。


 ぱりん、と乾いた音が隔理世の夜に響いた。



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