触れると死ぬ箱【肆】
翌日の正午、私は絹谷家の蔵の前に立っていた。
持参したまじない道具各種と共に中へ踏み込んでいく私を、静子夫人はおろおろと、息子さんたち二名は半目で、それぞれ見送ってくれた。私の後ろからは、顔をハットとヴェールで隠した美也子さんがついてきている。彼女のことは助手であると話してあった。
では始めましょうか。
私は小箱の前に立つ。
この土地ごと呪われている以上、本来は地鎮やお祓いを成してからことに当たらなくてはならない。けれど私にそのテの技術はないし、なによりせっかくのいわくつきを綺麗さっぱり浄化してしまうのはもったいない。
だから、切り離す。
いわくつきにはいわくつきだ。
美也子さん、例のもの。
「はい」
手渡された、黒漆塗りの鞘と鮫皮巻の柄を握って刀を抜き払う。
店の壁面に普段は陳列している妖刀だ。刃は薄く鋭く、青い光をほのかに放つ。
ただこの刃、物体は切れない。刀身は小箱を通過しするりと卓上の硬い天面をすり抜け、そのまま地面まで振り下ろされた。
血縁、腐れ縁、地縁。事物はなにごとも縁で繋がっているが、この刀はそれを切り離す。うっかり振り回すと良縁や金縁も切ってしまうので扱いには注意が要る。
この一太刀で、土地と小箱の縁は断ち切られた。次。
「はい」
美也子さんの渡してきた、矢じりを握り締める。鋭い刃で皮膚が切れ血が滲んだ。ぽたりと地面にそれが垂れたのを見届けてから、私はこれを地面に置いて踏みつけにした。
つまり矢表に立つ。これを踏みつけにしている間、悪縁を私に集中させるまじないの品だ。土地との縁を切ったとはいえ、絹谷氏の所有である以上血縁の静子夫人、息子さんたちの方が縁が強い。そちらに小箱の念を寄せないための措置である。次。
「はい」
渡されるのは小さな汚い袋だ。掌に納まるそれの表面には精緻な縫い付け、紋様があったらしいがいまやほつれ崩れてほとんど見えない。
けれどこれは、身代わりのお守り。所有している者をなんとしても守るというまじないがかかっている──けれどいわくつきであるため、その守り方は『手段を選ばない』。
準備を整えた私は、小箱へとおもむろに手を伸ばした。
あ、と静子夫人が息を呑む。
むんずと私の手の中に小箱がおさまる。
同時、背後で美也子さんが崩れ落ちた。
ぎゅうと、胸を手で押さえている。
「呪いが!」
静子夫人があわてる。部外者に邸内で亡くなられては困る、というところか。
しかし慌てる必要はない。
「……ああ、びっくりした。心の臓をつかまれるって、こういう感覚なのね」
すっくと、美也子さんは立ち上がる。
そのとき蔵の中へ清涼な風が吹いた。
美也子さんのかぶっていた、ヴェールがふいに、舞い上がる。
その下にあった面差しを目にして、静子夫人が悲鳴をあげた。
失礼な話だと私は思う。だいたい、店を訪れた客の大半が、美也子さんを見るとこのような反応をする。
玻璃と黒曜の双玉の瞳、白磁の肌。
こんなにも美しい生きた人形だというのに、なぜそういう反応になるのだろうか。
……ともあれ、これで決着だ。
毒も薬も使いよう。私はいわくつきの道具の効力を掛け合わせることで、それぞれの効果を無力化することに長けている。
アンテイクの店内から品を持ち出すと必要になる『調整』とは、そういうことだ。あの店内ではそれぞれの品が相互に作用しあうことで均衡を保ち、悪影響を外に出さないようになっている。なので、一時持ち出しの際はほかの物品同士の効力を調整してまた悪影響を抑える必要があるのだ。
そしていまやったのも、同じこと。
土地との縁を切って小箱を独立させ、矢じりの効果で小箱からの悪縁を私に引きつけ、身代わりのお守りによって心の臓への呪いを美也子さんへ受け流す。だが美也子さんは生き人形であるため『すでに心臓がない』。
……物は良い。素晴らしい。
なぜなら人間などというわけのわからないものと違い、物はひとつの目的のためにのみ存在し余分な働きをしない。規則が明確なのだ。
だからこの小箱は『触れた者の心の臓を止める』呪いを発揮しつづけたまま、けれどその対象が心の臓を持たない美也子さんである以上もはやまともに機能しない。どこにも呪いをたどり着かせることのないまま、ぐるぐると回りつづけるのだ。
解呪とは、到底呼べないが……廻呪とでもいうべきか。
では、お代は木島氏によろしくお願いします。
「の、呪いは。いわくは、終わったのですね?」
そうですね。それについてはお約束いたしますよ。私は静子夫人に答えた。
「もう俺たちは、死ななくて済むんだな?」
息子さんたちも現金なもので、小箱に怯えなくて済むとなれば急に元気になった。
まあ、そもそもは不運な事故でしかなかった三つの死をあなたがたが、存在しない呪いで結び付けてしまったこと。
加えて言えば絹谷氏の孤独が、この一件の原因です。
という私の言葉に三人は固まった。
「ふうん?」
美也子さんが興味深そうに聞いていた。
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絹谷幸次郎氏はもともと心の臓を患っていたのだろう。しかし、周囲にいるのは遺産目当ての息子たち。一代で財成した自分を継ぐには至らない人間ばかりだと思っていた。
よって、弱っているところを最期まで見せることができなかった。医者にでも通えばすぐさま、息子たちが後釜を狙うとわかっていたのだろう。
けれど胸の病はつらい。
そこで、彼は自身で薬を調合した。
「たしかに絹谷はもともと紀州藩医の家ですが……主人の経歴は、鉱山の工夫以降は事業のみで。医学を学んだ様子はないのですが」
鉱山で手に入る薬だったのです。私は応えた。
そしてそれこそが小箱の中身で、すべてのはじまり。みなさんの訴えた頭痛というのも、これが原因です。
「鉱山で手に入る薬?」
爆薬ですよ。ニトログリセリンという名称です。
ただこれには薬品としての側面があり、服用することで血管を広げる作用があります。心の臓が痛むというのは、主要な血管が狭くなることで引き起こされます。狭心症というものですね。絹谷氏の死因も、これでしょう。
「じゃあ血管が広がると、楽になるんだね」
そういうことです。美也子さんの合いの手に私は応えた。なおいまだに絹谷家のみなさんは美也子さんを遠巻きにして不気味そうに眺めている。こんなに美しい物なのに。
ともあれ、絹谷氏はここで作っている薬品を──まあ、爆発する可能性もある危険物ということもありますし──知られたくなかった。ゆえにみなさんを、ここへ入れなかったのです。
「で、頭痛の原因は?」
それも血管拡張によるものですよ。この薬品は揮発しやすく、空気中に成分が漂いやすいのです。つまり口に入れて呑むなどしなくとも息するだけで取り込んでしまうのですね。
海の向こうの、爆薬の製造工場でもたびたび報告があったそうです。出勤すると頭が痛くなるという症状がね。これも、頭の血管が広がったことで刺激された部位が痛みを発したということです。
「そういうことがあるのね……」
そして末のお子さんが亡くなったのはやけ酒をした翌朝だったということで……これは呑みすぎと、夏の暑さによる発汗で脱水症状を引き起こされたのでしょう。血が濃くなり血管の負担が強まると、これまた狭心症になることがあります。親の絹谷幸次郎氏が持っていた病ですし、家系的にも発症しやすかったのですね。
番頭さんは肥えた体型でいらっしゃったそうで。これも血管の負担を強め、狭心症を引き起こしやすくする原因です。
お二人の死が連続してしまったせいで呪いのように感じられたのでしょうが、実際のところは不運がつづいただけなのですよ。
思うことは、呪うことなのです。
「鷂くん……」
ですからまたいわくつきの品が現れたら、ぜひご連絡ください。
「鷂くん?」
家族間でもお互いに呪いを抱きやすいご家庭とお見受けしましたので。木島氏に連絡してもらえれば、近くですしすぐに参りますよ。あと、
「鷂くん帰りましょう」
買い付けだけでなく仕事をしろと木島に言われていたので、その通りに宣伝と売り込みをしていこうと思ったのだが、美也子さんに途中で止められた。
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「呪いを抱きやすいなんて言われたら気分害すに決まっているでしょう」
そういうものですかね。人間はよくわかりません。
帰路についた私の正面を、美也子さんがすたすたと歩く。ヴェールをしっかり下ろしているので気づかれまいが、もし人通りのある道で見つかればまた騒がれるなどするのだろう。
そんな彼女だが、私よりよほど人の機微にも敏い。やっぱり私は裏方に徹して、美也子さんが客商売をした方がいいのでは? 真剣に悩んだ。
と、美也子さんが足を止めている。
彼女は、私の方を顧みて言う。
「思うことは呪うこと。物には念が籠る。だよね」
おっしゃる通りです。
「なら物である私がこうして意思を持って動くのも、だれかに呪われてのことかしら」
願った人がいたのかもしれませんね。『動いてほしい』と。
「そのだれかは、人になってほしい、とは思わなかったのかしら」
おそらくは。美也子さんは、人になりたいですか?
「ああいう反応されることにも慣れたけれど、そりゃあね……なれるものなら、人になってみたい。普通に暮らしてみたい。とは、思うよ」
その思いが叶ったときには、私にとっては接しにくい相手になってしまいますけどね。
人間になってしまえば、美也子さんから物としての存在感が損なわれる。勝手にその未来を想像して、私は少し落ち込んだ。そんな態度も、彼女は敏感に察する。
「私に、人になってほしくないんだ」
できればね。
「ひとでなし」
そうかもしれないですね。
「帰ろうか」
ええ。そうしましょう。
私たちは、人はひとりきりで物だけたくさんの店へ向かって闇を歩いた。
了




