触れると死ぬ箱【参】
十二階を遠く望みながら歩くことしばし、我々は絹谷邸にたどり着いた。昔ながらの漆喰塀に囲われた屋敷だ。いまのご時世でこれを維持するのも相当に金が要るだろう。大したものだと思いつつ門をくぐる。
庭の片隅に、問題になっているのだろう蔵が見えた。
「なにか、わかりますか」
いえなんとも。私は妖なども視えないわけではないですが、別段お祓いや加持祈祷を専門とするわけではないので。
言えば、不安そうに静子夫人は私を見据える。そんな反応されてもあくまでも私の専門は品の扱いだけだ。それ以外は他の業種に譲る。嫌だというならいまからでも引き返すが、まあそれで代わりの者を呼べなどと言われたらまた新規に接する人間が増えて厄介極まる。
それに人が死ぬ小箱といういわくつきには、興味があった。
手入れの行き届いた庭を邸宅に沿って横切り、私と静子夫人は蔵の前に立った。そこで、視界に入ってくる男たち二人組がいる。
「母上。怪しげな万事屋に頼りにいったとは聞いてましたが」
「それが例の?」
仕立てのいい紬に袖を通し、腕組みした男たちが言う。散切り頭の下、ぎらついた目つきがこちらを刺す顔つきだ。悪尉の面みたいな怒り顔である。よく似た二人なので、おそらくこれが生き残った息子二名なのだろう。
「ええ。万事屋の木島さんを介して依頼した、こちら鷂さんよ。例の小箱をお引き取りくださるそうで」
どうも、はじめまして。ぎくしゃくと私は頭を下げた。息子たちはいぶかしげな顔で、私をじいと見据えた。
「……いくら取られたのです、母上」
まだなにもいただいてませんよ失敬な。私がそう顔に表すと、息子たちは間合いを詰めてきた。二名とも私より大柄なため、自然と見上げるかたちになる。
彼らは吐き捨てるように言った。
「開化のこの時分にいまだ加持祈祷か。官憲にしょっぴかれたくなければ失せろ」
「貴様などに払うカネはびた一文ありはしないのだぞ」
そもそも金に興味はありませんが。そう話したところで彼らに納得の色はまるでなく、けれど親の前で暴行を振るうまでの野蛮さはなかったのかはたまた彼らも小箱は怖いのか。しばらく私をねめつけて、「俺は絹谷を継ぐんだからな。お前のような木っ端市民に関わっている暇はない」「いや継ぐのは俺だ」と言い合いしながら、彼らは去っていった。
「ごめんなさい。末の子が亡くなったので、気が立っているようでして」
兄弟仲が、よほどよろしかったので?
「あ、いえ……どちらかと言えば、不仲でして。今回、三人が揃ったのもじつに数年ぶりのことでした」
ほう。そうですか。それはそれは。
………………またなにか察してほしいような態度だ。面倒な。して、不仲なのに揃った理由とは?
「主人の遺した財産の分与に関して、自分だけがわりを食うわけにいかないと思ったようです。長男に邸や事業は継がれますが、次男と三男もお金は継承予定でしたので」
なるほど、先の態度の理由も腑に落ちた。一代で財成した父のおこぼれに預かろうというわけだ。そこへ出向いてきたアヤシイ私は、彼らからすればおこぼれのさらに端っこを掠め取ろうというコバンザメのようなものか。
しかし、現に三人が死んでいる。小箱に触れなかったものの、入るなと言われた蔵に入った己らも無事でいられるか保証がない。頭が痛くなったのは死の予兆ではあるまいか。であれば、金を払う気にはなれないが問題の解決ないし小箱の持ち出しをしてくれればありがたい……思惑はそんなところだろう。
「あの、そろそろ見ていただいてもよろしいですか」
ああ、わかりました。私は請け負い、扉を開けてもらう。
重たい扉が開くと、蔵の中の空気が流れだしてきた。あまりきな臭さはない。蔵特有の、湿っぽくてほかのものを寄せ付けない匂い……に交じってべつの臭気がある。
これはなんだろうと思いつつ、奥に進む。見れば雑然と品が並んだ薄暗がりの奥に、ぼんやりと机の輪郭がある。あまり物が載っていない卓上、なにやら木製の小箱が鎮座しているのが見えた。
私なら両手の上に載せられる程度の箱だろう。
これがくだんの『触ると死ぬ箱』かと思われた。
そーっと手を伸ばしてみた。
「さ、触ったら死ぬんですよ!」
直接触れなければいいんでしょう。まじないの道具を持ってきていますので、おまかせください。
「まじない、というと……いわくつきですか?」
毒も薬も、使いようですよ。目には目を、いわくつきにはいわくつきを。
私が手を伸ばすと、箱はひとりでに、卓上を動いた。
「は、い?」
さながら卓を傾けたかのように。つうと滑って、端に寄っていく。私はそれが落ちそうになった瞬間に、卓の端へと懐から出した革袋を近づけた。
箱はころりと中に落ちる──かと思われたが、すんでのところで止まった。
……厄介だな。どうやらホンモノらしい。
私は懐から方位磁針を取り出す。蔵のあるここは……艮。鬼門だ。ついでに舶来品である、水場を探すための二本の棒を取り出す。「し」の字に曲がったこれを両手に持ち、うろうろとそのあたりを歩くとぐいんと棒が動いて交差する点があった。蔵の中央あたりだ。
つまり小箱は、場所と密接に結びついたいわくなのだろう。本当に厄介だ。
などと思いつつ、おそらく私の目は爛々と輝いているのだろう。以前もいわくつきを前にした際、美也子さんにそんなことを言われた。
容易に回収ならざるようだ。が、そうであるほど手に入れたときの達成感は筆舌に尽くしがたい。そういったところも、いわくつきの品の醍醐味だ。
私は静子夫人を顧みながらつぶやいた。明日また準備を整えて正午にうかがいます、蔵には人を近づけませぬよう。
「はあ……」
それと二点質問が。
「なんでしょう?」
亡くなった末の御兄弟ですが、たいして財産を継げないからとやけ酒などしてはいませんでしたか?
あと、番頭さんは肥えた方でいらっしゃった?
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「爛々とした目。いわくつきは本物だったんだね」
蝉の声がちいさくなる方へと歩き、シンとした頃に私の店アンテイクに辿り着く。扉を開けると開口一番、美也子さんはそんなことを言ってきた。
しかし私、そんなにわかりやすいですかね。
「鷂くん、普段は目が死んでる」
ひどい。
「で、とくに陳列に移る様子がないってことは。今日は手に入らなかったの」
少し準備を要する品でした。今日着ていった絽と、革袋だけでは無理でしたね。
「袂に入れようとした物を拾えず必ず落っことす『穴開きの絽』と、入れた物が対になった袋の中に落ちる『双首袋』だっけ」
私はうなずきで返した。
それほど危険でない品なら、絽にかかった呪いで『拾えない』ことを利用して、私は直接触れずに物体を動かすことができる。あとは袋に追い込めば、そちらの呪いで安全に店内まで直行させることが可能だ。
しかし今回の品は土地と密接に結びついており、あの場所からの移動が難しい。
「土地のせいで、動かせないってこと?」
蔵の場所は邸内で鬼門の方角にあり、陰の気がひどく溜まっていました。加えて地下には水脈もある。水道地図を帰りに見てきましたが、おそらく蔵の位置にはかつて井戸があったのでしょう。お祓いと『息抜き』をせずに埋めたて、淀んだ気に晒され、蔵自体が呪いを孕んだ場となっています。
「じゃあ、蔵の方が呪われているんでしょう。小箱に触れると死ぬ理由は?」
そうですね……美也子さん、この空っぽの箱を持ってもらえますか?
私が差し出した手のひら大の赤い桐箱を手に、中身がないことを確認した美也子さんは首をかしげた。
じつはですね。その箱もちいさなまじないがかかっておりまして、中に少しずつ魂を込めることができるのだそうですよ。
「込めると、どうなるの」
重さが変わります。言いつつ私は受け取り、一度大きく身震いしてみせてから、彼女に渡す。
ちなみに身震いとは『御霊振るい』が語源にあり、自身の魂を周囲に発して周囲からの圧に負けないようにするためのものです。つまりいまの私の動作で、わずかですが魂が籠りました。
「本当に……? あ、でもちょっとだけ。重さが、変わったような」
そうでしょう。私は受け取り、箱の中が相変わらず空であることを見せた。
そのあとで、箱の底に張り付けていた、桐箱の赤とまったく同色の板切れを取り外してみせた。
「え?」
磁石で張り付く薄い板です。じつはこの桐箱、内側に鉄も使われているのですよ。いやはや中身ばかりに注目して、外側の厚みが変わったことに気付かないとは骨董屋の一員の名折れですよ。
「いやいや……じゃあいまの、ただの奇術?」
ええ。身震いもべつに御霊振るいなんて語源はありません。
……しかし、この嘘と奇術で十か二十かはたまた佰か。それくらいの回数、人間を騙しつづければ、人々の『そうなのかもしれない』との念が籠って本当に『重さの変わる箱』になり得ます。
私の説明に、美也子さんは少し考え込んでから、ぽんと手を打った。
「今回も同じこと?」
人の生き死にがかかった重たい念によるものなので、十や二十も要らなかったようですがね。小箱に触れた直後に人が死んだことで、『触れると死ぬ箱』との念を静子夫人や絹谷家のみなさんが込めてしまったのですよ。
際立って強い目的、方向性を与えられると物は変質する。ひとつの在り方のみを示すように、なってしまうのだ……。
「でも、それなら……偶然に絹谷氏や末のお子さんや番頭さんが亡くなった、ってことで。それによって小箱はようやく『いわくつき』になったのでしょう。三人の死亡原因はなんなの? 蔵に入ると頭痛くなる理由もわからないし」
そこは静子夫人と息子さんも居る場でお聞かせしましょう。
さて、そういうわけなので。
「なにかしら鷂くん」
ついてきてください、美也子さん。
「足りない分の呪い対策?」
そうですとも。断らないでくださいよ。
「断らないよ。そのために私が居るようなものでしょ」
そうですね。
あなたは、この店の備品ですから。




