91話 クラッグとの出会い(1)
それは2年前の事である。
私は緊張しながら冒険者ギルドに初めて足を踏み込んだ。帽子を被り、少し露出の高い服を着て、私が僕を名乗り、それまでの狭い城の世界から飛び出した。
「……よぉ、姉ちゃん。見ねえ顔だな? 名前は?」
「……僕の名前はエリーです」
僕が冒険者となった日の事だった。
10歳の頃より冒険者として外の世界を見てみたいと思っていた。それはロビンのいた村での事件がきっかけで、広い世界を見て回ることは私が私に与える僕の使命なのだと思っていた。
5年間体を鍛え、満を持して冒険者ギルドの門をたたいた。
冒険者ギルドの受付にいた、いかついおじ様に声を掛けられ、そこから冒険者への登録を始める。1人で城の外に出ていくのは本当に久しぶりの事であり、これから旅が始まるのだ、と考えると、それだけで私はドキドキと鼓動を高ぶらせていた。
緊張しながら受付のおじ様の話を聞く。
まず冒険者の始まりはFランクからだ。F級はルーキー中のルーキー。薬草摘みか田畑の仕事の手伝いでもするのが丁度いいだろうとおじ様は言っていた。
ちなみにE級D級は下級、C級B級は中級、A級S級は上級とクラス分けされているらしい。E級は未熟者、D級は半人前、C級で1人前、B級はベテラン、A級は達人、S級は怪物と言われているみたいで中級に行けるだけでも十分冒険者としてやっていけるクラスの様だった。……いや、冒険者の稼ぎは全体的に低い傾向にあるのだが……。
まぁ、まずはF級としての1歩目からだ。
薬草摘みというのは仕事として少し味気ないような気がしたけど、我慢だ我慢。派手を好む王族の価値観のままでは冒険者として通用する訳が無い。
だから僕は依頼票が張り出されている掲示板をじっと見て、F級に合った依頼を探していた。
そんな時に後ろから声を掛けられたのだ。
「よぅ! ねーちゃん、1人か? 俺と組んで仕事しねーか?」
軽い口調で話し掛けられる。冒険者ギルドの建物に入ってからずっと緊張しっぱなしの僕はその声だけでびくっと震えた。
驚いて勢いよく振り返ると、そこには頭を掻きながらへらっと笑った焦げ茶色の髪の男性が立っていた。
「あ、あー……驚かせちまったか? すまねぇな?」
「…………」
「そんな怖い顔で睨むなって。怪しい奴じゃねーぞー? 俺?」
信頼し難い男が僕に近寄り、僕の隣に立って掲示板を眺め始めた。
「……ナンパならお断りです」
「ナンパじゃねーっての。俺、クラッグ。俺もF級。一緒にお仕事しませんか、って誘いだって」
……なるほど。さっき受付のおじ様の話を聞いて書類を書いていた姿を見て、同じF級だと分かったのだろう。
しかし、1人でいる所で男性に声を掛けられるというのは初めての経験で、それは僕に警戒心を抱かせるには十分の行動だった。少しずつ怪しい彼と距離を取る。
「おめーさんの名前は?」
「……エリー」
「そっか、よろしく、エリー」
「……軟派な男とはよろしくしません。どっか行って下さい」
「ナンパじゃねーっての」
クラッグという男は苦笑いをしていた。
さっさと仕事を決めてここから離れよう。このナンパ男を振り切ってしまおう。冷たくし続ければこの男も離れていくだろう。
どうやら僕は軟派な男が苦手なようだ。冒険者としてパーティを組むなら硬派でクールな男性とか、優しく丁寧な紳士などが良いなと思う。こんな短時間で自分の新たな一面を発見する。やはり冒険というのは凄いものだ。
「この仕事を行います」
僕は手ごろな薬草摘みの依頼票を受付に持っていき、ナンパ男を振り切るように初めての仕事に出かけていった。
* * * * *
「……何でついてくるんですか」
「仕方ねーだろ! 俺にとってもこの薬草摘みは丁度いい楽な仕事だったんだから!」
王都から出て近くの森の中、依頼の薬草を摘んでいるとすぐ傍に先程の焦げ茶色の髪のナンパ男がやって来た。
なんというか……初日から災難だ。こんな男に付きまとわれるなんて。冒険者としての鍛錬はずっと積んできたが、まさか最初の困難が人間関係になるとは思わなかった。
「同じF級で依頼数制限の掛かってない仕事なら被ってもしゃーねーっつーの」
「……はぁ」
ある程度手入れの入った森の中で僕たちは歩く。魔物が出る頻度は少なく、出たとしても低級の魔物しかいない森の中で薬草を摘む。
ここは王都から近くにある森だ。冒険者や学生が多数出入りする森であり、道は踏み均され、木の葉の隙間から丁度心地よい程度の日の光が差し込んでくる。
まさに新人用に均されたような森の中で僕の後ろをナンパ男が歩いていた。
「おーい、エリー、どうせだしなんか話そうぜー?」
「遊びに来たわけじゃないので」
「つめてーなぁ。固い女は嫌われるぞぉ?」
「別にあなたに好かれたいわけじゃないので」
「エリーさーん? 同期なんだし、仲良くしようぜー? そうだ、冒険者になったか同期とかでも話し合ってみるか。エリーは何で冒険者やってんだ?」
「…………」
「俺は食い扶持を稼ぐためですー。……あ、終わっちまった。で? エリーは? なんで冒険者になったの? やっぱ食い扶持を稼ぐため? それ以外ねーか!」
頭を抱えたくなる。何で初日からこんな頭の軽い奴に絡まれなければならないのか。あんな男と同期になってしまったのか。冒険者登録を行う時期を数ヶ月ずらせば良かった。
軟派男がまた口を開く。
「俺は数年前、冒険者稼業みたいなことやってたしな。稼ぐためには丁度いい仕事だったんだよ」
「……そうなんですか? でも僕と同じF級なんですよね?」
つい会話に応じてしまう。少し彼の言ったことが気になってしまった。
「そん時は冒険者登録してなかったからな。だからF級スタートには変わらないけど、一応冒険者としてはエリーの先輩ってことになんのかな? 何でも聞いていいぜ? ほら、先輩を頼りなさいな」
軟派男……確かクラッグという名前のこの男は胸を張りながら自慢げに親指で自分を指さしていた。先輩……この男が……。なんか嫌だけど、先輩という事ならば少しは敬わなければいけないのだろうか? ……嫌だけど、結構嫌だけど。
「……じゃあ先輩、ギルドの評価が高くなるような薬草の摘み方を教えて下さい」
「適当に摘んどきゃいいんじゃね?」
「…………」
頼りにならない先輩だった。
「そんなことで一々評価なんて変わらねーっつーの……って……ん?」
クラッグは何かに気が付いたように小さな声を発し、そしてがさがさと藪の中に分け入っていった。
「ちょ、クラッグさん……? どこに行くんですか? そっちは道じゃないですよ……?」
つい気になって僕も彼について行ってしまう。
そしてその藪の先、少し開けた空間には冒険者と思われる男性の死体があった。
「ひっ……!?」
思わず仰け反ってしまう。死体だ。死体があった。
その死体は大きな木の幹に打ち付けられており、何かに圧し潰されたかのような損傷を受けていた。木の幹も少なからず損傷しており、その死体は『何か』と木の幹に挟まれて死んだように見えた。
死体だ……。人の死体なんて見るのは5年前のあの村の事件以来だ……。
恐怖で体が竦む。
「……ギルドの連中、怠慢だな。確認不足だ」
クラッグがそう重く小さな言葉で呟くと、その向こうの大きな藪ががさがさと揺れた。
その藪の中からモンスターが姿を現す。それは大きなイノシシの魔物だった。体の高さだけで僕たち人間の身長程ある。
イノシシの魔物がブルルと鼻息を鳴らし、僕たちに視線を向けていた。確かにあれに圧し潰されれば、すぐ傍の仏様の様になってしまうかもしれない。
「突然変異か、あるいは他の場所からこの森に迷い込んできた個体だな。C級程の強さはありそうだ。全く、F級の仕事場にこんなのがいるんじゃねーよ。人が死ぬぞ」
「に、逃げましょう! クラッグさん!」
そう言うと、クラッグさんはわははと笑った。
「バカ言え。あんなやつ俺なら瞬殺だ。恐れるまでもねぇ」
「え?」
「ブオオオッ!」
会話の途中で大きなイノシシは僕達に……いや、僕の方に突っ込んできた。
「うわあぁっ!」
「ブオオッ!」
僕はアルフレード兄様から貰った双剣を抜いて、避けざまにイノシシを斬りつけた。切り傷から血が出るが、イノシシの肉は厚そうで致命傷には至っていない様だった。
僕は地面を転がり、すぐに態勢を立て直す。イノシシは痛みを誤魔化す様に首を振り、また突進し始めた。
今度の狙いはクラッグさんだ。
「…………」
「……オッ!?」
でもイノシシはすぐに突進を止めた。魔物の体が震えている様にも見える。クラッグさんは何もしていない。ただ、イノシシを睨んでいるだけに見える。
「ブオオオオッ……!」
「えぇっ!? また僕ですかっ……!?」
イノシシは方向転換し、まるでクラッグさんから逃れるように僕の方に突っ込んできた。魔物の目からは先程以上の必死さが見える。まるでクラッグさんに睨まれただけでそのイノシシの心は恐怖に蝕まれてしまったかみたいに見えた。
「エリー、ジャンプ」
「……っ!」
クラッグさんが僕に声を掛ける。突進してくるイノシシの上に乗っかるように飛び上がり、僕はその背中に組み付く。そしてそこから手を伸ばし、イノシシの首に短剣を突き刺した。
「ブオオオオオッ……!」
「うわっ……!?」
イノシシは猛烈な勢いで暴れ、僕は振り落とされる。イノシシは首から血をまき散らしながら叫び、走り回り、そして大きな木に勢いよく激突をする。イノシシの足から力が抜け、お腹が地面に付く。
イノシシの体から血がだくだくと零れ、そして動かなくなった。
場がしんと静まり返る。
勝った。突発的な命のやり取りに勝利して、僕は生き残った。
……そうだ、たった今、僕は命のやり取りをしたんだ。負けたら死ぬかもしれなかったのだ。さっきまで必死であり、突然の事であまり気が回らなかったけど、あの戦いは負けたら死んでしまう戦いだったのだ。
それに気が付いてしまうと体が震えてしまう。
恐怖が心に染み込んできて、足がガクガクと震えだし、力が抜け、膝ががくりと折れる。ペタンと座り込んでしまう。
僕は冒険者として戦ったのだ。
はぁっ……と大きなため息をついた……。
「気ぃ抜き過ぎだ、バカ」
「え?」
そんな時、僕の腕がぐいと引っ張られる。体が無理矢理持ち上げられ、その次の瞬間、さっきまで僕がいた場所に大きなイノシシが突っ込んできた。
イノシシはまだ死んでいなかった。血をまき散らしながら必死の形相で決死の突撃を繰り出してきたのであった。
「残念」
クラッグさんの声だ。彼は片手で僕を引っ張り、もう片方の手でイノシシに手刀を放った。ゴキッと大きくて不吉な鈍い音がする。イノシシの脊髄が破壊される音だった。
イノシシはそれで即死したのだろう。生物としての力が抜け、そのまま滑るように倒れ込んだ。そしてもう二度と立ち上がる事はなかった。
「おう、無事か? エリー?」
「あ……ありが……ありがと、ござい……ま……」
「いや、流石。やっぱ予想通りC級以上の実力はあるみてーだな、エリー。こりゃ、期待の新人だ」
「…………」
掴まれていた腕が放され、僕の心臓が痛い程跳ねていた。
恐怖を麻痺させるかのように頭の中に白く靄がかかり、ただ自分の中の鼓動だけが痛い程鳴り響いていた。
死んでいた。僕は死んでいた。
絶命したイノシシの巨体を見る。心臓がバクンバクンと震え、暫く収まりそうになかった。
「悪かったな、エリー。イノシシに殺気放ったら、あいつターゲット変えてお前の方に行きやがった」
「あ、いえ……それはいいです……」
彼が自分の身を守ったと考えたら、別におかしなところは何も無い。……というより、あの大きなイノシシは彼の殺気だけであんなに怯えてしまっていたのだろうか。
「さて……じゃあそろそろ戻るか。ギルドにも報告しないといけないしな」
「え、あ……はい……」
手慣れたようにクラッグさんはイノシシの魔物から金になりそうな部分を剥ぎ取っていく。僕はただそれを横から眺めていた。そもそも、まず立ち上がる為に大分時間がかかったのだ。
ただ僕は茫然とするしかなかった。
今起こったことへの痺れが抜けるまでに結構な時間が必要だった。
「あぁ、帰る前に、ちょっと待ってくれ……」
「え?」
何とか立ち上がれるようになった頃、クラッグさんがそう言った。
クラッグさんはあのイノシシに圧し潰されたのであろう、冒険者の死体に近づいていった。
そしてその前で彼は片膝を付き、両手を組んで目を閉じた。
死者に祈りを捧げていた。軟派で軽くだらしない男だと思っていた人は、死者を憂い、一心に祈りを捧げていた。
その所作が美しいと思った。
* * * * *
「他の冒険者の死体を見つけた時はな、エリー、そいつが身に着けている冒険者カードをギルドの方に持っていくんだ。それが身分証で、登録されている冒険者の生死はそこで管理されるんだ」
「……そうなんですか」
僕達は森の帰路を歩く。クラッグさんは全く疲れていないようだけれど、僕の方はもう限界だ。力が抜けそうになる足に鞭を打ち、なんとか歩いている。
疲れた。肉体よりも精神的に。
早く家に帰って休みたい。こんなにもお城が恋しいと思ったことは初めてだった。
「クラッグさん」
「なんだぁ?」
「……先程の遺体から装備品などを一切剥ぎ取りませんでしたが、そういうものなんですか?」
「あー……遺体剥ぎは違反だ。それやっちゃダメ」
「そうなんですか?」
荒々しい冒険者なら遺体剥ぎぐらいするものだと思っていたけど……。いや、美しい行為とは思えないからダメならダメでいいんだけど。
「あれだ、『事故に見せかけて同業者殺して遺体剥ぎ』っていうのが無いようにしてんだよ。例え亡くなった人でも、その人の装備は奪っちゃいかん。バレたら罰則」
「なるほど」
「その人の装備が欲しかったり、遺品として遺族に渡したかったりした時は、まず一旦冒険者ギルドに提出すること。そこから金払ってギルドから買い取る形になる。そこで支払った金の多くは遺族に渡る。つまり、遺族ならばほとんど金は掛からねえってことだな」
分かり易い解説だった。
「身元確認は装備品の代わりに冒険者カードだ。死んだ奴の冒険者カードをギルドに持っていけば謝礼として金が入るが……まぁ人一人殺すには絶対に割に合わねえ金額だ。これは亡くなった奴への奉仕活動みたいに思っとけばいい」
「奉仕活動ですか」
「まーな。死んだことも知られないなんて言うのは不憫だからな」
彼は数年前、冒険者稼業の様な事をやっていたと言っていたが、どうやらそれは本当のようだ。冒険者のルールを教えて貰いながら帰り道を歩く。
「だから冒険者カードは分かり易いところに身につけておくこと。分かったか? エリー?」
「……え?」
「死んだ時、同じ冒険者に迷惑かけないようにするためだよ」
「…………」
死んだ時。クラッグさんは何気なくそれを口にし、僕は少しドキリとした。
死は身近にあるもの。それが当然の世界のなのだ、冒険者というのは。
……いや、冒険者だけじゃない。きっと死が身近にあるのは、世界中のどんな職業でも当然の事で、それが普通でないのは王族とか、貴族とか、何かに守られている人たちだけなのだ。
そっちの方が普通ではないのだ。きっとそういうものなのだ。
「クラッグさん……」
「なんだぁ?」
「さっき、僕、死んでいたと思いますか……?」
僕はさっきクラッグさんに助けて貰った。彼が僕の腕を引っ張ってくれなかったら、イノシシの最後の決死の突撃が僕にしっかりと当たっていただろう。
死んでいた。死んでいたのだ。死がこれほどまでに身近にあったのだ。
「さぁな?」
しかしクラッグさんは何でも無いように気の抜けた返事をした。
「人って意外とあっさりと死ぬもんだし、逆に人って案外簡単には死なねえもんなんだよ」
「…………」
「あれが無ければ死んでいた、ああしてれば生き残った、なんてのはあまり意味のねえ仮定だな。誰にも分からねえことだし……つまり気楽にやれってことだ」
クラッグさんは色々なものを笑い飛ばすかのように、にぃと微笑んだ。
「…………」
僕は彼の事を品性の無い軟派な男だと思っていたのだが、今はあまりそういう事を感じていない。確かに彼は僕よりも経験を積んだ先輩であった。
少し、尊敬のような気持ちが生まれていた。
それは彼の経験や知識や強さだけでなく、きっとあの時の祈りの姿を見たから。
死者に対する祈りの姿が綺麗だったから。
……全く、嫌になる。
私は世界の誰よりも優れていて、偉大であると教えて貰いながら育ったのだ。
それが、たった初日で嘘だったのだと思い知らされることになるとは。流石に頭を抱えたくなる。
軽蔑するような軟派な男の人ですら、私よりも広い世界を知っていた。
本当に世界というのは広いのだ。
全く、嫌になるものだ。
「クラッグさん……」
「ん?」
僕は彼にお礼を言った。
「取り敢えず……これからは同期として宜しくお願いします」
「おう、よろしく、エリー」
クラッグさんはわははと笑いながら歩いた。僕もその隣を歩いた。
これが僕の冒険者としての一歩目だった。
クラッグへの悪口『ナンパ男』(NEW)
次話『92話 クラッグとの出会い(2)』は3日後 7/16 19時に投稿します。




