90話 お寝ぼけエリー
【イリス視点】
「おーい、起きてっかー? 鍵開けてくれー」
扉がドンドン叩かれる音がする。
その音に私は目を覚ます。柔らかな布団に包まれながら、暖かなベットの上でまどろみゆっくりと目を開ける。
変な夢を見ていた気がする。妙な夢に引き摺られているのか、頭が重くゆっくりと揺らされているような気分になっていた。
「なー、俺昨日お前の部屋に財布置き忘れてねえかなぁ? 忘れて来ちまった気がしてさー」
扉から荒い声がする。良く聞き慣れた男性の声だ。
私はゆっくりと体を起こす。まだ回らない頭を揺らし、気を抜けば閉じそうになる目を擦り、暖かな布団と名残惜しい別れを告げて、音のするうるさい扉の方に近づいた。
ふわぁとあくびを1つする。
窓から朝の陽ざしが差し込んできており、暖かな陽気が部屋の中に染み込んできていた。
私は鍵を開け、扉を開いた。
その向こう側には想像通りの男性がいた。
「おう、お早う。わりぃ、起こしちまったみたいだな?」
目の前にいたのはクラッグ。焦げ茶色の髪が特徴的な良く見慣れた男性であった。
「……クラッグ様ぁ、お早うございますぅ……。今日は朝、お早いんですねぇ……」
「……あぁ?」
「でも、扉をどんどんするのはやめて下さい……ふわああぁぁぁ……」
また大きなあくびを1つする。その時にクラッグが私の事を訝しい目で見ていることに気が付いた。
「……どうか致しましたか? クラッグ様?」
「いや……エリー、なんだその気持ちのわりぃ口調は?」
「ふぇ……?」
『エリー』と言われ、一瞬で頭が覚醒していく。……そう言えば昨日はエリーの格好のままエリーの部屋で寝たような……。
「…………」
「…………」
「…………あ゛ああぁぁ! お゛、お早うクラッグ! ど、どうしたんだい!? こんな朝早く!?」
「いや、財布この部屋に忘れてねえか確認しに来たんだが……なんだエリー、さっきの気持ちわりぃ口調は? イリスティナや他の貴族みたいだったぞ?」
クラッグが眉を顰め、私の……いや、僕の体から汗が噴き出てくる。
「い゛、いやっ……! 寝ぼけてたんだよっ! へ、変な夢見てたみたいでさっ……! 結構ぼんやりしてただけさっ!」
「なんだそりゃ? お貴族様になる夢でも見てたか?」
「そ、そうだったかなー!? 確かそんな感じだったかなー……!?」
べらべらと必死に嘘を並べた。見た夢はそんな夢ではなかったのだが……あれ? どんな夢だっけ? まぁ、いっか。
「邪魔するぞー」
「と……というか! 寝起きの女性の部屋を尋ねるなんて失礼じゃないかなっ!? 僕、寝間着なんだけど!?」
「気にすんなよ、そんなこと」
「デリカシーが無いな! 君はっ!」
クラッグは我が物顔でずかずかと部屋の中に入って来て、お、あったあったと自分の財布を見つけていた。確かに昨日は僕の部屋で2人酒を飲んでいた。
酔っ払い、僕はイリスの部屋に戻るのが面倒になったのでこの部屋で寝たのだった。
「というか……」
「なんだよ、クラッグ」
クラッグは財布を手に持ちながら僕の事をじっと見て、顎に手を当てていた。
なんだろう? 僕、何かおかしいかな? いや、寝起き直後なのだから寝癖が直ってなくて変なことは確かだろうが、それは勘弁してほしい。
「……エリーの寝間着姿、エロいな」
「な゛っ……!?」
焦げ茶のアホウがとんでもない事を言いだした。
「いやだって、だぼだぼのシャツとか……隙のあるファッションがなんつーか、エロいっつーか……。普段着より露出度低いのに煽情的というか……」
「うっさい! 真面目に考察すんなっ! 出てけっ、このバカっ……!」
お姫様の立場だとたとえ寝間着でもしっかりとした服装でいないといけないのだ。一流の素材を使った寝心地の良い寝間着が用意されていることは分かるのだが、それでもだぼだぼのシャツの開放感の元、ベットに潜る魅力には敵わない。
その為、エリーの時は緩い服装で寝ることを楽しんでいるのだが……エロい言われた……。
「着替えるから出てってよ! バカっ!」
「気にすんなって」
「アホかっ! 君が言うなっ! じろじろ見んなっ!」
「いやさ、最近エリーにセクハラあんましてなかったから丁度いいかなー、って。うむ、眼福眼福」
「しねっ! この焦げ茶っ……!」
「ぶっ……!」
枕を投げ、それがクラッグの顔に当たる。クラッグは枕に吹き飛ばされ、ごろごろと転がり壁に衝突した。S級なりたてでも本気の枕投げは馬鹿に出来ないみたいだ。素人なら死んでいたかもしれない。
……このバカは絶対死にそうにないけど。
「っていうか、セクハラなら最近されたよ! お前の半裸見せられたよっ!」
「それ俺楽しくねーじゃん」
「僕はどっちも恥ずかしーわ! このアホっ!」
「ぶっ……!」
次は布団を投げておいた。クラッグが布団に埋もれる。
言っとくけど、ほんと、これらの行動だけでもこいつを打ち首に出来る。不敬罪なんてもんじゃない。王族にこんなエッチな恥かかせているのはこのアホ焦げ茶ぐらいだろう。
あー! 打ち首にしたい! こいつの死体を晒して野犬に食わしてやりたいっ!
「あー、エリーがエロい」
「うるさいっ! うるさいっ! だまれっ、このアンポンタンっ!」
「わははははっ!」
僕は憤りながらベットに腰かけ、クラッグが楽しそうに笑う。くそぅ、いいようにからかわれている。悔しいっ!
……いやいや、待て。……最近学んだじゃないか。こういった時の為にクラッグの弱点を暴いておいたじゃないか!
クラッグは攻めに弱いんだ! たじたじになるんだっ!
「…………そ、そんなに見たかったら、見ればいいじゃないか」
「……んんっ?」
僕は緩めのシャツの首元を引っ張る。胸元が少しだけ……ほんの少しだけ露わになるように服を引っ張った。
それだけでクラッグの表情は強張り、顔が赤くなる。
「ちょっ……! ま、待ちなさいっ、エ、エリー! は、はしたないっ……!」
「な、なな、なんだよ。ぼ、僕は全然気にしてなんかないんだから……す、好きに見ればいいじゃないか……!」
「お、おぉ、落ち着けエリー。落ち着けエリー!」
クラッグが慌てて狼狽える。椅子の上であわあわしている。
ふははははっ! ク、クラッグが狼狽しておるわっ……! い、いつまでもからかわれてばかりの小娘だと思わないことだなっ……! ど、どうだ! お、思い知ったか!
ふーっ! 熱っ! 僕も熱っ……! 心臓がバクンバクン言ってるのが分かるっ! でも僕をからかってくるクラッグを撃退する為なんだ!
これは戦いなんだ! 熱っ! 熱っ……!
「エ、エリー! お、お止めなさいっ……! お兄さんは悲しいですよっ……!」
「誰がお兄さんだっ……!」
遂にクラッグの口調もおかしくなる。勝利は目前だ!
……しかし、熱いっ! は、恥ずかしいっ……! で、でもクラッグに勝つ為なんだっ……! ここで追い打ちを掛ければ……例えば裾をめくってお腹を見せたりしたら……って、赤っ! 僕の肌、赤っ……!
は、恥ずかしいっ……! し、死にそうな程恥ずかしいっ! で、でもここで退く訳には…………、
「と、とと、ところでエリー! 今日の仕事の話なんだがっ……!」
「あ! うんっ! そうだね! 仕事の話をしないとねっ……!」
僕はシャツの首元から手を放し、背筋を伸ばし姿勢を正した。僕もクラッグも顔が真っ赤で、危険試合という事で没収試合とすることとなった。示談の成立だった。
そりゃ、仕方がない! 仕事の話は大切だからだっ! 僕たちは仕事の話をしなければいけないのだ!
僕たちはお互い、はぁぁっ……、と大きなため息を吐いた。
「……で? 仕事の話って……調査の話だよね……?」
「あぁ……うん。……最近調査の仕事が行き詰ってるからな。なんか丁度いい指針とか無いかと思ってさ」
「あー……チェベーン家の調査が空振りに終わったからねぇ」
方向転換には成功した。
僕たちの本来の調査目的は、槍の男セレドニの調査とそれに繋がっていると推測できるアルバトロスの盗賊団に関する情報の収集だ。
この英雄都市と対立しているチェベーン家の都市の調査は、バーダー商会の違法行為発覚と私の姉弟の陰謀の阻止という成果が出た。しかし、これらは本来の調査目的と成果が合致しなかった。
よって槍の男セレドニの調査はふりだしに近い形に戻ってしまった。
僕たちは手をぱたぱたさせ、赤くなった自分の肌を扇ぐ。
「ま、まぁ……調査の仕事なんてのは成果が出なくても仕方がない地味な仕事だから、現状に不満はねえんだけど……でも、あんまり時間はねえんだろ?」
「そ、そうだね……。イリスとの契約は調査の他に王族の護衛も入ってるから、王族がこの都市を離れる時は僕たち冒険者もこの都市を離れることになるね」
仕事の話をしていると、お互い落ち着いていく。
リチャードとアリア様の婚約式が終わったら王族はこの都市を離れることとなる。もう前段階の顔合わせは終了しているから、婚約式の日程もそう遠くない。
「イリスに頼めば半数ぐらい冒険者をこの都市に残して調査を続行させることは出来ると思うけど……」
「いや、無駄に時間をかけすぎるのも考えもんだ。婚約式が終わった時に調査も一旦打ち止めにしよう。それが丁度いいだろう」
「うん、分かった。イリスに伝えとく」
正直ありがたい。暫く王都を空けているのだから、帰ったら王女としての仕事が山積みになっているだろう。僕はどうしても王都に帰らなくてはならず、そしたら暫くは冒険者稼業もお休みだ。
「しかし、婚約式……婚約式か。当日のリチャードの様子が楽しみだな。あのクソ生意気な王子がアリアの前ではたじたじになってやがんの。本番でなんか粗相を起こすんじゃねーの?」
「ちょっ、やめてよ。何か起きたら面倒なんだから」
「リチャードがなんかミスしたら盛大に笑ってやろ」
「……当日クラッグは外の警備担当ね。イリスにそう言っておくよ」
「ひでえや!」
当然である。こんな無礼な焦げ茶をパーティー内に連れてなんか行けない。
僕はふぅとため息をつく。
「でもさ……やっぱり思うところはあるよ。今回の結婚」
「ん?」
「だって、リチャード達はアリア様を殺そうとしたんだよ。でも結局罪は揉み消されてる。それが引っ掛かっててさ」
リチャード達への制裁は監視というだけであり、罪に対する罰が軽過ぎた。もっと罰を受けるべきだったのでは、と思ったりもする事もあった。
「……ま、俺達にはどうしようもない事だわな。王族に意見なんて出来る訳がねえ」
「……リチャード達が許されたのは王族だからってだけだ。今回はそこまで被害が無かったけど……だけど、長い歴史の中で、本当に救いの無い人が救いのない事件を起こして、それが偉い人だったからという事だけで罪がかき消されてきたことがあったんじゃないかって……今回の事件を通して思ったよ」
「そら、あっただろうな」
「……その被害者は、泣き寝入りするしかなかったのかな……」
「だろうな。なんも出来ることはねえだろ」
クラッグはそれが当たり前の事であるように、軽くそう言い椅子の背もたれに体重をかけた。そんな当たり前の口調が悲しかった。
「それは、まぁ……仕方ねえことだな……」
「……仕方のない、で済ませていいことなのかな?」
「仕方のねえ、で済まねえことばかりだけど、それも含めて仕方がねえ。世の中には仕方のねえことばっかりだからだ……」
一拍の呼吸を置いて、クラッグは口を開いた。
「俺達はどうしようもない世界に漂う放浪者だからな」
「…………え?」
その言葉を聞いて、心臓がどくんと跳ねた。自分の体がびくっと震えた。
「どうしようもねえことなんか腐る程あるってことで、そんな時に出来ることと言ったら…………どうした? ……エリー?」
「え? ……あ、いや……」
クラッグは僕の事を変な目で見ていた。
僕は多分目を丸くしていたのだろう。クラッグの一言に驚いていた。鼓動が早まっていくのを感じた。
クラッグが眉に皺を寄せ、そんな僕を見ていた。
「な、なんでもないよ……?」
「なんだ? 変な奴」
クラッグが訝しがりながら笑った。僕の変な様子を見て笑っていた。
僕は頭の中が白くなり始めていた。ベットの上に座っているのに、ふわふわと宙を浮いているような気持ちにさせられていた。
僕は思い出していた。7年前の言葉だ。
『……僕たちはどうしようもない世界に漂う放浪者なんだよ』
それは僕の友達、ロビンの言葉だった。
7年前の事件から行方が分からなくなり、今は謎に包まれている人物だ。
私が僕となる理由の1つであり、僕がずっと追い続けている人物の言葉だった。
その人の言葉と、ほとんど同じ言葉を目の前の相棒が口にした。
心臓が早鐘を打つ。目の前のクラッグは僕の変な様子を見て、何にも分かっていないかのようにへらっと笑っている。
体が硬くなっていくような感じがする。喉が渇いていくような感覚を覚える。
あれ? まさか……、
まさか、クラッグは……?
思わぬところで僕は7年前の手掛かりに遭遇していた。
久しぶりのいちゃいちゃ回。……いや! まごう事なきいちゃいちゃ回だしっ……! わての中では限界以上のいちゃいちゃ回だしっ……!
次話『91話 クラッグとの出会い(1)』は3日後 7/13 19時に投稿予定です。




