84話 襲い来る不治の病
【イリス視点】
「…………」
「……そろそろ時間ですね」
気まずさから、私とリチャードはあまり言葉を交わさなかった。
場に重い空気が満ち、空気が淀んでいた。
私達は待合室から出て、パーティーの会場へと向かう。
今日はリチャードとアリア様の初顔合わせのパーティーが行われる日だった。
婚約式の前祝のパーティーで、今日やっと初めてリチャードとアリア様はお互いの顔を知るのだ。
王族や貴族の交流というのは、顔を合わせるだけでも大変なものである。
パーティー会場に足を運び、皆からの祝福を貰う。
しかし今日はそんなめでたい日だというのに、私とリチャードの雰囲気は暗い。
それもそうだろう。
何故ならリチャードは本番の婚約式の場で、今からであるアリア様を利用し、殺害しようとしていたのだ。
だから私はこの婚約を喜ぶことが出来ない。
この婚約がアリア様を幸せに出来るとは到底思えなかったからだ。
あんなことがあった後だと言うのに、王族側はしれっとリチャードとアリア様の婚姻の準備を進めている。
アドナ姉様やリチャードが企てた計画は公表されていない。
実行されないまま潰した計画であるし、握り潰しやすかったのだろう。お父様は自分の子供たちが企てた計画を公表するつもりはないようだ。
身内の恥が外の者に知られていないのなら、王族側にとってこの婚約を取り止めにする理由など一切ないのだろう。何事もなかったかのようにリチャードとアリア様の婚約の道程は進んでいた。
私もお父様から口止めを受けている。ファイファール家の関係者にアドナ姉様やリチャードの企てた計画を話す訳にはいかない
このままじゃアリア様は幸せになれそうにない。
彼女は自分の命を利用しようとした相手と婚約を結ばなければいけなくなるのだ。
リチャードは彼女をぞんざいに扱うだろう。
彼の計画の中では彼女は殺して利用するだけの存在だった。それが私に企みを潰され、一生を共にする妻になることになった。
そんな相手を大切にし、幸せにすることが出来るだろうか。
……出来る筈がない
リチャードを見る。
彼の横顔には感情が宿っていなかった。
妻になる人への初顔合わせに対し、期待も緊張も喜びも不安も感じていない。
つまりどうでもいいということだ。
彼にとってアリア様はもう利用価値の無い人であり、この婚約は彼にとってただの仕事と化している。
今、彼の頭の中では立場の悪くなっている自分の状況をどう打開するか、アドナ姉様と立てた計画が打ち砕かれこれからをどうするか、ということに意識は向いているだろう。
彼にとってただの厄介者であるアリア様は眼中にないに違いない。
「……何度も言いますが、アリア様を愛し大切にしないといけませんよ、リチャード」
「……分かっていますよ、イリス姉様」
「…………」
ダメだ。口でいくら言っても人の心は変わる筈がない。
それはリチャードだからという訳でなく、普通の人だってそうだろう。人に愛せと言われ、簡単に人を愛せるようになったらこんなに苦労の要らない事はない。
自分自身でさえコントロール出来ないもの、それが愛なのだ。
どうしたらいい?
このままではアリア様は不幸だ。
私はアリア様に幸せになって欲しい。
この都市に来て、私の調査に協力してくれて、そして最近では私の事を姉と呼び慕ってくれるアリア様。情が湧かない訳が無い。
元々が不幸な政略結婚の犠牲者なのだ。それに更にリチャードの非情な思惑が明らかになったことで、彼女の未来がより鮮明に透けて見えるようになった。
ぶち壊さなくてはいけないだろうか、この婚約を。
でもどうやって?
お父様やお母様が関わっている縁談を私の力で壊せるわけがない。正攻法な破談は出来る筈がない。
トラブルを起こして婚約式をぶち壊す?
バカな。演劇や小説じゃないのだ。そんな荒々しい事をして上手くいく筈がない。
どうする……
どうすればいい……
そう悩んでいるところで、部屋の扉が開いた。
私とリチャードが顔を上げる。
純白のドレスに身を包んだ美しい女性が部屋に入ってくる。
佇まいの1つ1つから育ちの良さが伺え、歩く度に美しい青色の髪がふわりと揺れる。
「初めまして、リチャード様。貴方様と婚約を結ばせて頂くファイファール家次女アリア・フィオ・ナ・ファイファールと申します。どうか末永く宜しくお願い致します」
「…………」
アリア様がリチャードと私の前に歩み寄り、片膝を下げ貴族のお辞儀をした。
当然の事だが、彼女はいつもよりも粧し込んでいる。いつものドレス姿も上品ではあるけれど、今日の着ているドレスはより上質な素材を使っており、細部により複雑な装飾がなされていた。
アリア様の繊細な美しさがより映えている。
「イリス様も本日はご同席感謝いたします。リチャード様の家族としてこれからも深い親交を築けたらと思います」
「こちらこそ宜しくお願いしますね、アリア様。今日は一段とお綺麗ですよ」
「ありがとうございます、イリス様」
アリア様がにこっと笑った。
「…………」
でもリチャードは一言も喋らない。
アリア様が挨拶をしたというのに挨拶を返そうとせず、無言のままだ。
「……リチャード、どうしたのです。あなたもご挨拶をしなさい」
「…………」
挨拶すらしようとしないなんて、どれだけ失礼なことだろうか。それは政略結婚とか、貴族と王族の作法とか以前に、人として無礼に当たることだ。
そんな態度をとっても一向に構わないとリチャードは思っているのだろうか。
やっぱり、リチャードはアリア様を人として下に見ているのだろうか。
「……ごめんなさいね、アリア様。どうもリチャードは緊張しているようで」
「いえ、お気になさらず、イリス様、リチャード様。かく言う私も緊張しているもので」
私とアリア様が笑い合う。
当然、リチャードは緊張している訳では無い。侮辱しているのだろう。
初顔合わせに至っても傲岸な態度に出ることで、これから自分の妻をどう扱うか、その方針を示しているのだ。
要はその態度で、自分に馴れ馴れしく近寄るな、とリチャードは言っているのである。
これではアリア様は孤独な生涯を送らなければいけなくなる……
「……ほ、ほら、リチャード。あなたの将来の奥さんですよ。自己紹介くらいしたらどうです?」
「…………」
私は必死になってリチャードとアリア様の仲を取り持とうとした。
「しゅ、趣味が合えばこれからの仲も深まっていくでしょうし……ほ、ほら、自己紹介だけでも……」
「…………」
「リチャード?」
「………………」
……ん?
なんだろう?
リチャードの様子がどこかおかしい?
「…………」
リチャードは未だ一言も声を発しようとしない。
顔が赤い。
頬が真っ赤だ。
アリア様を見て、ぼんやり呆然としている。
…………ん?
「……リチャード様?どうかなされましたか?」
「…………いっ!いえっ!」
アリア様がリチャードに声を掛けると、弟が非常に上ずった声を発した。まるで緊張している少年のような声だった。
アリア様は少し小首を傾げていた。その仕草1つですら可愛らしいと、女性の私ですら思う。
「余っ……!余はリチャードと申すっ!ア、アア、アリアとやら!余の妻になれることをほ、ほほほ、誇りに思うがいいっ!」
1つ1つの挙動がぎこちない。非常に固く、いつものリチャードではない。あわあわとしており、落ち着きがなく、顔が真っ赤だ。
彼はいつどんなときも傲慢で不遜であった為、彼のこんな様子など今までに見たことが無かった。
まるで熱に浮かされているかのようだった。
「はい、リチャード様。これからは婚約者として、妻として貴方様をお支え致しますので、どうかよろしくお願いします」
「……あわあわあわわ」
アリア様はリチャードに微笑みかける。リチャードはうろたえる。
お淑やかに笑うアリア様はとても美しい。リチャードはそんなアリア様から目を離せない様であった。
ガン見だった。
林檎の様に顔を真っ赤にしながらアリア様に視線を奪われていた。
………………
んんー?
これは一体どういう事だろうー?
何度も言うようだが、リチャードとアリア様は今日初体面である。伝聞では聞いていたかもしれないが、今日までお互いの姿を知らなかったのだ。
愛はコントロールできないと先程自分で思ったものだが、なんだこれは?私の苦悩は一体どこへ行ったんだ?
今日、たった今、リチャードは病に侵された。
治療法の無い、古来から対処法の無い不治の病に罹ってしまったのだ。
何だか釈然としないまま、初めての顔合わせはとんとん拍子の順調の順風満帆に進んでいくのだった。
* * * * *
「くっそー!面白くないわっ!」
リチャードとアリアの初顔合わせのパーティーを行っている頃、その裏庭ではリチャードの双子のジュリが不貞腐れていた。
「あともう少しでニコラウス兄様は失脚!リチャードの地位が高まれば自然とわたくしの地位も上がる筈でしたのにっ!なのに、なんなのっ!?それどころかお父様から罰を与えられるなんて!どういうことなの!?」
裏庭に作られた小さな池の周りを歩き、イライラとしたようにジュリは綺麗に整えられた草花を踏み荒らしていた。
「おーおーおー、ジュリや、ジュリ。んなつまんねーことしてんじゃねーって。ほれ、ガキは玩具でもいじって遊んでろって」
「きいぃぃぃ!何なんですの?!この従者!なんでわたくしに敬意を示さないんですの!?」
「わっはっは!おめーみてーなちんちくりんに敬意を示す奴なんかいねーっつのー」
そんなジュリに近寄り、彼女の頭を乱暴に撫でる1人の女性がいた。A級冒険者のタンタンという人物だった。20代半ばのスタイルの良いベテラン冒険者である。
そんな彼女が王女であるジュリに乱暴な言葉を投げかけていた。
「悔しかったらもっと背でも伸ばせっての、ばーか」
「きいいいぃぃぃっ!不敬ですわ!不敬ですわぁっ!」
「わっはっはっは!」
このタンタンという女性冒険者は、イリスが用意したジュリの監視役であった。
先日の闘争でアドリアーナやリチャード達は敗れ、彼らはイリスの監視下に置かれるようになった。イリスは信頼できる冒険者に彼ら3人の監視を依頼し、護衛という名目での24時間の監視が行われるようになった。
A級冒険者というのは尋常ならざる実力を持ち、あらゆるモンスターを屠る達人のことである。人並み外れた実力を持ってしまった為か少し常識に欠けており、何度も命の危機を潜り抜けている為に地位や権威という者にも疎い者が多かった。
そして姉であるイリスに敗北したという立場上、彼女が派遣したこの冒険者を処罰する訳にもいかない。ジュリ達はそういう状況に置かれていた。
「せめてわたくしに敬語を使いなさいっ!本来なら頭を地面に擦り付け、わたくしに仕えられる喜びを噛み締めるべきところですわよっ!」
「わっはっは、リザードマンの1匹も狩れんような奴に何の敬意を示せって言うんだ。ほれほれジュリ、あたいのことを一発でも殴れたら敬語を使ってやってもいいぞ?」
「きいいぃぃぃっ!バカにして!バカにして!」
「わっはっは!」
ジュリが腕を回しタンタンに殴り掛かるも、その拳は1発も当たりやしない。当然である。万が一にもジュリの拳が歴戦の戦士に当たる筈など無いのであった。
「見てなさいっ!見てなさいっ!いずれ全員を見返してやるんだからっ!わたくしをバカにする全員を見返して、頭を地面に擦り付けさせてやるわっ!尊大で崇高なわたくしをバカにした奴らを全員見返してやるんだからっ!」
「あー……これは思ってたより重症だなぁ。どうしたもんか」
ジュリが拳を振り回しながら癇癪を起こす様子を見て、タンタンは頭をぽりぽりと掻いた。
「一度ちゃんと性根を鍛え直してやらないといけねーかもしれねーな」
依頼主であるイリスからは、もし良かったら適度な教育も、というお願いを出されている。義務ではないし、具体的な達成目標など立てられる筈も無い事ではあるが、今後の方針を悩みタンタンは首を捻った。
そんな時、建物の陰から1人の少年が姿を現した。
「おや?」
「へ?」
現れたのはディミトリアスという少年だった。
「貴女は……オーガス王家の第7王女ジュリ様でございましょうか?」
「え?……は、はい」
「お初お目にかかれて光栄です、ジュリ様。私はファイファール家の主マックスウェル様の弟であるバーハルヴァントの長男のディミトリアスと申します。どうか、今後とも宜しくお願い致します」
薄い青色の髪の少年が恭しく頭を下げた。
この少年はこの都市の主であるマックスウェルに命じられ、王女イリスと共に槍の男セレドニの調査を行っている少年であった。
「貴女はジュリ様の護衛の方でしょうか?」
「あー、あたいはイリスティナ姫様に雇われた冒険者のタンタンだ。礼儀作法なんてのは欠片も知らねえが、ま、許してくれ」
「タンタン様ですね。イリスティナ様とは何度も仕事を一緒にさせて頂いております。どうかよろしくお願いします」
ディミトリアスは不躾な冒険者に対しても嫌な顔をせず、爽やかに笑顔を返した。荒くれ者の武芸者が集まるこの英雄都市で生まれ育った貴族として、こういった手前の相手には慣れていた。
「…………」
ジュリは何故か返事をしない。ディミトリアスに挨拶を返さなかった。
「おいおい、姫様よぉ?挨拶ぐらいは返した方がいいんじゃねえのか?あたいは礼儀の知らねえ粗野な冒険者だけど、挨拶ぐらいは普通にするぞ?」
「…………」
それでもジュリは黙りこくったままだった。
「……ん?」
タンタンが異変に気付く。
ジュリの横顔が真っ赤だった。イチゴのように顔を真っ赤にし、その心臓の鼓動の高鳴りが外からも聞こえてくるようだった。
「んんー?」
タンタンが首を傾げる。
ジュリはディミトリアスに出会い、熱い病にかかってしまった。ジュリは何も話そうとしなかった。何も話せない様だった。
ただただ、真っ赤な熱に浮かされてしまったのだった。
「今日は私の従兄弟であるアリア様と第6王子のリチャード様の初顔合わせがあるようですね」
「うぇっ!?は、はい……」
ディミトリアスが話しかけるとジュリがそわそわとし出した。
「つまり私とジュリ様も縁が出来るという事になります。これからはこうしてお付き合いする機会が増えるとと思いますので、何卒宜しくお願い致します。ジュリ王女殿下」
「……あわあわあわわ」
ジュリは顔を真っ赤にしながらうろたえるのだった。
ファイファール家の息女のアリアの命を利用し、彼女の殺害を目論んだ主犯格の2人は今日、決して治ることのない不治の病に罹ってしまった。
もう、彼らに何かを企む気力など起こり得る筈も無かった。
こうして英雄都市に平和が訪れたのだった。
負けたらギャグ要員!
次話『85話 半裸ッ!』は3日後 6/28 19時に投稿予定です。




