82話 決着
【イリス視点】
息を呑む。
空気がピリピリと張りつめて痛い。
一瞬後には生か死か、そういった緊張がこの部屋の中を駆け巡っていた。
「いくぜ……間違って死んでも恨むなよ…………」
「………………」
私は全神経を集中させる。彼の攻撃を防ぎきる為に自分の中の気を極限まで張り詰めて、神速の攻撃に備える。
私の世界は凝縮を始め、時間が圧縮される。
言葉を最後にし、ヤサカは刀を引き抜いた。彼の鞘の中から銀色の刀身がきらりと光った。
抜刀術において刀を引き抜くこと、それはそのまま超高速の攻撃を意味している。
S級の武人との戦いは最後の1合を迎えようとしていた。
空間が縮んだのではないかと思う程一瞬で、ヤサカの刃は私の元に到達した。
速過ぎる、と思う暇すらない。ヤサカは私を断ち斬るために刀を薙ぐ。
ヤサカの刃が私の足の皮膚を裂く、そのまま肉に食い込んでいく。この一瞬後に、私の足は骨を断ち、綺麗に両断されるのだろう。
キンと高い音がする。刃と刃が交わる音がする。
私の世界は凝縮され、世界の動きがゆっくりに見えた。私は相手の攻撃に反応することが出来た。
私はヤサカの抜刀術の刃を止めていた。
私の足にヤサカの刃は食い込んでいる。熱い血がだらだらと足から垂れ、もうボロボロになっている私のドレスを赤く汚していく。
浅くはない傷。でも、確かにヤサカの渾身の攻撃を私は止めていた。
戦闘に支障はない。
私はヤサカの攻撃を見切り、神速の一振りに反応し、止めることが出来た。
笑いそうになる。ほっとしそうになる。喜びそうになる。
私はS級の本気の攻撃を止めたのだ。
……でも、どうしてだろう。
笑ってはいけない気がする。喜んではいけない気がする。
一瞬で私の頭が回っていく。
今、追い詰められているのは誰?
教えて貰った気がする。
世の中には相手の意識の隙を突く攻撃というのがある。わざと攻撃を偏らせて、相手の意識にも偏りを持たせる。相手の意識が薄くなる場所を作り出し、そこに攻撃を入れ込む。
そうクラッグは言っていた。
この攻撃の優れているところは、どれか一つ攻撃パターンが通用すれば、相手の急所に攻撃が滑り込むというところであるらしい。1撃で相手を殺しきれるらしい。
そういうパターンを強い者達はたくさん所持していると言っていた。
今、私の意識は偏っている。
ヤサカの剣に集中し、全神経を持ってそれを止めた。そして、止まった刃を見て安堵しようとしている。
そうじゃないだろ。
こういう時……クラッグがよく僕に使う攻撃というのは…………
「蹴り技だっ!」
「っ!?」
私がヤサカをまるで見ずにほとんど勘だけで剣を上げると、そこにヤサカの蹴りが入り込んできた。
顎を守った私の短剣にヤサカの強烈な蹴りが襲い掛かってくる。轟音が鳴り響いた。
ヤサカは居合斬りの直後、すぐに体を回転させて私に蹴りを放ってきたのだ。
当然、意識は彼の刀に集中している。彼の抜刀術を防ぐために、全神経を彼の刀に向けていた。
蹴りの攻撃なんて、一瞬前には頭にもなかった。ヤサカはその意識の隙を突いて来たのだ。
「てめぇっ……!」
ヤサカの顔が驚愕で見開かれる。
私は1本の短剣でヤサカの刀を、もう1本の短剣でヤサカの足を防いでいる。その2本の短剣を大きく振り、彼の刀と足を弾く。
彼の態勢が少し崩れる。
「やあああああぁぁぁぁぁぁっ……!」
私は前に出る。
短剣の切っ先を向けて、彼に突撃する。
貫いてやる。それだけを考えて、私はただ前に前に足を出した。
S級の武人の前には、その1歩を前に出すだけでも恐ろしいほど困難なのだとこの戦いで痛感した。
だから、今前に出せている1歩は、この戦いの苦労の結晶であり、私をここまで鍛え上げてくれたたくさんの人の力の塊なのだ。
私は叫びながら前に出た。
「舐めるなああぁぁぁっ……!」
「な゛っ……!?」
それでも恐ろしいのがS級であった。
ヤサカは素早く態勢を立て直し、すぐに迎撃の刀を振るってきた。追い込まれてから、態勢がまだ少し崩れた状態での刀の振りだというのに、それがとんでもなく速い。
私が苦しみながら一生懸命積み上げたこの道程を嘲笑うかのように、最速の刃を振るってきた。
このままでは私の攻撃が届くよりも先に、彼の攻撃が私を届いてしまう。私を先に斬り裂いてしまう。
万事休す。この刹那の後、私は真っ二つにされてしまう…………
「…………え?」
「……あ」
2人で小さな声を漏らした。
ヤサカの刀は止まっていた。
ガキンという重く、しかしどこか不自然な音と共に、刀を握るヤサカの腕は動かなくなった。
刀は空中で静止していた。魔力によって作られた防御陣によって、私の首と肩の付け根のすぐ手前で止まっていた。
どこからか魔力の防御陣が発生していた。
「これはっ……!」
「神器かっ?!」
私の持っているこの双剣は『双刃の御守り』という名の神器だ。
所有者が危機に陥った場合、神器自体が自動で防御陣を張り、双剣の使い手を守るのだ。ただこの神器、防御陣が張られないことの方が多いので、あまり頼りがいのある神器とは言えないのである。
しかし、今ここ一番というところで神器は発動し、ヤサカのカウンターは止められた。
「終わりだあああぁぁぁぁっ…………!」
「…………っ!」
ちょっと運が良くて、ズルかったような気がするけど、
私は渾身の力で前に出た。
前に出て、ヤサカの腹を貫いた。
血が零れる。傷口と刃の隙間から血がトロトロと零れだす。
私の刃はしっかりとヤサカを貫通し、彼の背中から短剣の先が生えている。
ヤサカは口から血を垂らす。
「………………」
「………………」
「………………」
決着がついた。
至近距離で彼と目が合う。
彼は最初、信じられないという驚きの表情で私の事を見ていたが、それがだんだんと穏やかな表情になり、最後には小さな笑いを零していた。
「……おいおいおい」
「………………」
「こいつは話が違うぜ…………」
彼は口から血を吹き出しながら、力強く笑った。
「誰だ、楽な仕事だなんて言ったのは…………」
そう言って力尽き、彼の刀が手から離れ、私の短剣を腹に抱えたまま、彼は床に崩れ落ちた。
彼の意識は完全に途絶えた。
心臓の鼓動が聞こえる。
私はS級を見下ろしている。
息が熱い。呼吸が熱い。血潮が熱い。ドクンドクンと心臓が脈打っている。
感覚がおかしい。戦いが終わったっていうのに、その熱は一切引くことはなく、世界はまだゆっくりと動いていて、感覚は圧縮し凝縮され続けている。
全身の音が聞こえる。全身の脈の流れが情報として飛び込んでくる。
今、私の中の何もかもが火照っていた。
……勝った。
私が勝ったのだ。
私がS級に勝利したのだ。
血を垂れ流しながら倒れているヤサカを見下ろして、未だ実感できぬ勝利を理性で捉えていた。
「熱い…………」
私の口からそう一言漏れた。
その時だった。
「はいはい、お疲れー、イリスー」
「………………」
気の抜けた声が私に投げかけられる。
鋭敏な感覚をもって、私はその声の方向を振り返る。でもそこには誰もいない。誰もいない筈だけれど、そこには確かに人の気配があった。
そしてその声は私の良く知る人物だった。
「凄かったねぇ、流石イリスだ」
壁の中からにゅっと頭が飛び出てくる。まるで水の中から姿を現すかのように、自然に、壁を一切傷つけることなくその子は現れた。
少しくすんだ金色のセミロングの髪をしている女性、『魔導の鬼』という異名を持つS級冒険者であり私の友達…………
「フィフィー……」
「お疲れさん!イリス!」
何でもないようにフィフィーは壁を透過し、からからと笑いながらひょいと姿を現した。
そして全て事情は把握しているかのように、倒れているヤサカをてきぱきとロープで縛り拘束し、回復魔法を掛けながら彼の腹に突き刺さった短剣を引き抜いた。
回復魔法を掛けながら剣を抜いたので、出血死の恐れはないだろう。
ただ、乱暴に剣を引き抜いたようで、ヤサカが気を失いながらビクンと体を逸らしていた。
「……ずっと見てたんですか?」
テキパキと作業するフィフィーに疑問をぶつける。
……何だこのタイミングは。……なんてタイミングで彼女が現れるんだ?それも、あまり慌てた様子も見受けられない。
これは一体どういうことだ?
「全部じゃないよ?途中から見てたの。なーんか嫌な予感してさ、ちょっとイリスの様子を見ておこうかなぁ……って思ったらヤサカさんと戦ってんだもん!驚いちゃったよ!」
「…………じゃあ今ここに着いたばかりなんですか?」
「ううん?ちょっと前に着いたよ?」
「……ちょっと前って?」
「4、5分くらい前?」
「………………」
「………………」
私のこめかみがピキッと鳴った。
「じゃあなんで助けてくれなかったんですかっ!?」
私がワーッと叫ぶと、フィフィーがぺっと舌を出し軽く「ごめんごめん」と言っていた。
「でもさ、イリス、どんどん良くなっていってたからさ」
「………………」
「一目で分かったよ。あ、今、殻を破ろうとしてんだなぁって……これはそう簡単に邪魔できないなぁって」
「………………」
確かにヤサカと1手打ち合う毎に自分の世界が広がっていく感覚があった。そこら辺でフィフィーはこの場に駆け付けたのだろう。
ヤサカも驚いていたみたいだし、あの時私が成長していたとフィフィーが言うのなら、確かに私は急激な成長をしていたのだろう。
そういう意味では彼女の判断は私にとってのプラスになったのだろう。
でも……
でもだ……
じとっとした目でフィフィーを見ると、彼女は慌てて手を振って弁解を始めた。
「もも、もちろん、本当に危なくなったら助けようとしたよ!?でも、実際に勝てた訳だし、今回はわたし気が利いてたと思うんだけどなっ!?」
「…………まぁ、いいです」
……確かに彼女の言っていることは正しいし、私はこの戦いでかなりの成長が出来たような気がするのだが…………でも、釈然としない。
本当に死ぬかと思ったのだ!
本当に、心の底からもう駄目かと思ったのだっ!
私ははぁ、と大きなため息をついた。
ペタンと座り込み、私は上を見上げる。先程上の階の床を斬り崩してしまったのだ。吹き抜けとなってしまった高い天井が見える。
私達でボロボロにしてしまった訳だが、この部屋はとても解放感に溢れていた。
後でホテルの人に謝らないと。
上の階からアドナ姉様がこちらを覗いている。
顔には驚愕の表情を貼り付け、今見ているものを信じられていないようだ。私だって自分の事なのに信じられない。
彼女がそこから動かないのを見ると、どうやらアドナ姉様はそこで腰を抜かしているらしい。
フィフィーが軽く杖を振るうと、私達を覗き込んでいたアドナ姉様がいとも容易くフィフィーの元から飛ぶ縄に縛り付けられた。更に、上の階からリチャードとジュリの小さな呻き声も聞こえる。
一瞬でフィフィーが王族3人を全て拘束してしまった。
「何故、私は勝てたのでしょう……」
「ん?」
私は座り込みながら、隣で気絶しているヤサカを見ながらそう呟いた。
不思議だった。
何故私はS級の武人に勝つことが出来たのか。S級とは世界最高峰の武人やそのレベルの技術を持った人たちの事だ。英雄と呼ばれ、災害と恐れられるような人物の事である。
それなのに、勝ったのは私で、そこに倒れているのはS級のヤサカの方だった。
それがとてもとても不思議で仕方なかった。現実味が無いように感じられた。
「私は、A-級だった筈なのに……」
「うん、そうだね」
ついこの前、神殿都市に向かう前まで私はA級から少し劣ったぐらいの実力だった。A級との1騎打ちでさえ分が悪いとされていた筈だったのだ。
「でも、イリスはある時から明確に変わったんだよ」
「それは?」
「神殿都市の最後の戦いの後辺り……幽炎と戦った後かなぁ……」
「………………」
フィフィーは言う。
「幽炎と刃を交えて、それで尚生き残って、イリスの器はぐんと大きく広がった。広がった器に大量の水が注ぎこまれるかのように、君は今とんでもないスピードで成長してる」
「………………」
「ほら、この都市の一番大きな道場の武闘部会を調査した時、そこの若手のS級のルドルフさんと模擬戦したでしょ?」
そうだ。この都市の道場のまとめ役である武闘部会を調査しに行った時、そこに所属するルドルフさんというS級と模擬戦をした。まだ23歳という若さにも関わらず、この都市全体で1,2を争う程の使い手だった言う話だ。
会長の行動に困らされているような苦労人だった印象がある。
「イリスはその人と模擬戦をして、何手も何手も彼の攻撃を防いでいたでしょ?本当だったら1手か2手でやられているのが普通だったんだよ、彼とA級との模擬戦は。その辺りからもう既に、イリスの変化は目に見えていたんだね」
「………………」
それでもまだ少し私は納得できず、自分の手のひらを見た。
「でも…………」
「ん?」
「……私は、幽炎を2秒、たった2秒足止めしただけなんですよ?」
幽炎との戦いに生き残って私の器が広がったのだと、フィフィーは言う。しかし、実感は未だ湧かない。
何故なら、幽炎との戦いはたった2秒しか持たなかったからだ。私は1回剣を振り、でも何事もなかったかのように幽炎は再生し、その直後に殺されかけたのだ。
ボロ負けもボロ負け、何もすることが出来なかったのだ。
何も出来なかったのに私の器が大きくなったとは、とても信じられなかった。
「でもその1手に価値があった。その2秒はイリスにとって計り知れないほどの宝になった」
「……それは、何故?」
「何故ならその幽炎は紛れもなく世界最強だったから。果てしの無い高みにいる存在だったから」
イリスが2秒奴の攻撃を防げたことが奇跡なくらい、あの幽炎は強過ぎる存在なのだと、フィフィーは言う。
「その世界最強の殺しの一撃から生き残ることが出来たのだから、器が広がってもなんも不思議じゃないよ」
「……そんなにとんでもない存在だったのですか?幽炎は?」
「うん、私でさえ、アレの強さは計り知れないくらい。多分、わたし程度じゃ高みの片鱗すら見えていないと思う」
S級のフィフィーがそこまで言うのなら、それ程まで恐ろしい奴なのだろう。
「……この世界にはとんでもない程恐ろしい存在というのがいるの。高みはどこまでも高く、深淵はどこまでも深い。そして、あの幽炎はそんな世界の際の際にいる1つの存在だと思う。この世界の中で、本当に本当の世界最強の一角に座る存在……それがあの幽炎だと思う」
「……なんてとんでもない存在と、私達は神殿の地下で出会ってんですか…………」
「正直詐欺のレベルだと思うよ?クラッグさんも、初心者向けダンジョンにラスボスが出てきたような詐欺感、って言ってたもん」
確かに言っていた。全身を燃やされて、動けなくなりながらずっと文句を垂れていた。
「ま、なんにせよ…………」
フィフィーは笑いながら私に手を伸ばした。
「ようこそ、S級へ」
「…………」
「まだS級入門者だけどね?」
私はそのフィフィーの手を取って、引っ張り起こして貰った。
両の足で立つ。激闘の後で、体は怠く、足はまだ震え、立っているのもやっとだったのだが、どうしてだろう、S級になりたての景色は少し今までとは違って見えた。
―――私は今日、S級の領域を微かに、半歩、跨いだのだった。
「あ、そうだ、フィフィー」
「ん?」
「お願いがあるんですけど……」
私はフィフィーに言う。
「ヤサカを倒したの、フィフィーがやったことにしておいてくれません?」
「…………はぁ?」
フィフィーは眉を曲げた。
「いや、だって、一国の姫がS級を倒したなんて、それ絶対おかしいじゃないですか。調査されて、実は冒険者エリーとして経験を積んでいたなんてバレたら、凄い面倒じゃないですか」
「………………」
「それにですよ?私、ヤサカを倒すのに、僕が使う双剣を思いっきり使っていたので、今日の戦いの様子が外に伝わってしまうと、イリス=エリーってあっさりとバレてしまうじゃないですか……特にクラッグになんて即バレですよ?」
私がこうも必死にお願いをしているというのに、フィフィーは私に呆れ顔を向けていた。
おかしいなぁ……こうも理路整然としたお願いなのに、どうしてフィフィーは私に怪訝な顔を向けているのだろう…………
「なんというかさぁ……イリス……」
「うん?」
「……やり口がクラッグさんに似てきたよね?」
「!?」
私はものすごいショックを受けた。
実力を隠蔽しようとしたら、クラッグに似てるって言われた。
私は今日、S級を打ち倒し、そしてショックで寝込んだのだった。
『クラッグに似てる』←最大級の罵倒
次話『83話 ソファにごろんと横になる』は3日後 6/22 19時投稿予定です。




