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81話 S級vsイリス(2)

【イリス視点】


 床が抜け落ちる。

 逃亡を図ろうとした私の行動を阻むかのように、ヤサカはこの部屋の床を一瞬でバラバラにした。

 床と一緒に私の体も下の階の部屋に突き落とされる。

 煙幕から抜け出し、私とヤサカの姿が露わになった。


 空中でお互いの姿を認識する。

 落ちている時でさえ、一瞬の隙を見せることも許されなかった。


 ヤサカが上機嫌に笑みを作っていた。

 私はS級の武人ヤサカと戦っていた。


「なっ……なんだっ……!?」

「これはっ……がっ……!?」


 下の階にいた者達が、急に天井が抜け、驚きを露わにしていた。


「まぁ、おねんねしとけ」


 しかし、その状況を完璧に把握しきる前に、魔力によって刀身を伸ばしたヤサカによって一瞬で昏倒させられる。

 叫び声をあげる暇すら、状況を把握する暇すらなく、周囲の人たちはヤサカの刀の峰を浴び、気絶していった。


 ほぼ同時に私とヤサカは床に着地するが、初動が早かったのはヤサカの方だった。

 床に足が着くや否や、ヤサカは素早く私の方に襲い掛かってきた。仕掛けた側と仕掛けられた側の準備の差が出てしまった。


「くっ……!」


 ヤサカは力強く上段から斬りかかってきた。私もとっさに短剣でヤサカの刀を防いだものの、その勢いで私は床に押し倒された。

 床に背がつく。短剣でヤサカの長い刀を防いでいる。

 ヤサカは上に、私は下に、刀と剣を合わせ、競り合っていた。


「よく頑張ったぜ、お姫様」


 ヤサカは一言だけそう言い、素早く剣を引いた。返す刀で私の意識を刈り取る気なのだろう。私の体は上からヤサカに抑え込まれ、逃げ出すことが出来なった。


「………………」

「…………ん?」


 ……その時、はっとヤサカが何かに気付いた。

 何に気が付いたのか、それは私にとって考えるまでもない事だった。彼の視線は私の片手に注がれていた。


 私の片手には短剣が握られていなかった。

 私は1本しか短剣を手に持っていなかったのだ。


「てっ……めぇっ……!?」


 ヤサカが床を切り崩した時、私は2刀の内の1刀の短剣を天井に向って放り投げていた。黒い煙の中に紛れながら、1本の刀は私の手を離れていた。

 私は罠を張っていた。

 あらかじめ短剣を上の方に放り投げておいて、黒い煙に紛れ、丁度落下地点でヤサカを迎え撃とうとした。


 その1刀の短剣は今、くるくると回りながら落下を始めており、丁度私の上に圧し掛かっているヤサカの背中へと落ちようとしていて…………


「ちぃぃっ…………!」


 ヤサカがすんでのところで私から離れ、回避をする。

 あと0.2秒……0.2秒気が付かなかったら、彼の背中から短剣が生えていたというのに。


 私は自分の剣を空中で掴み取り、素早く身を起こす。慌てて回避行動を取った彼に迫る。

 退くヤサカに追う私。優位は私に傾いた。


「やあああぁぁぁっ…………!」


 私は渾身の力、出し切れる最大のスピードで短剣を振るった。

 高速の3連撃、前に出る事だけを考えながら剣を振るった。

 刃と刃の衝突する高い音が鳴り響く。僅かな量の血が舞い散る。私は一心不乱に前に出て、ただ可能な限り速く、速く剣を振るった。


 しかし、私の視界が揺れる。

 相手の刀の間合いを殺しきり、私の2本の短剣が生きる間合い、とても近接した距離に私達は位置し、ヤサカが私の顎を殴りつけてきた。

 刀の柄の部分を顎に叩きつけられる。

 私の視界は一瞬ぶれ、すぐに自分の意識を奮い立たせ正常に戻したものの、その一瞬でヤサカは私から距離を取ることに成功していた。


 私の渾身の攻撃は防がれてしまった。


「………………」

「………………」


 一瞬の沈黙が私達の間に流れる。私達はお互いの目を見ていた。

 彼が指で自分の鼻頭を撫でる。そしてその親指の腹を彼は見る。

 そこには血がついている。彼の鼻頭には傷が付いており、そこから血が垂れていた。


 私の剣は、薄くではあるけれど、確かにS級に傷を付けていた。


「…………もしあと1歩深く踏み込まれていたら……目か、頭か……あるいは首か…………」

「………………」


 その1歩が果てしなく遠いのだが…………


「イリスティナ姫さん…………」

「…………なんです?」

「……あんたには俺の女の裸を見る権利があるようだ」


 そう言って、ヤサカは自分の刀を鞘の中には収めず、抜き出したまま構えた。

 構え、激しい闘気を震わせていた。


「油断は……してくれないのですか…………?」

「あぁ、もう駄目だな」


 ヤサカの目に真剣な色が混じる。

 彼に傷を付けることに成功してしまったが為、彼に慢心が無くなる。いちいち刀を鞘の中に収めるなんて面倒で舐めた真似はしようとしなくなる。

 所詮お姫様と舐められていた雰囲気は消え、場に殺伐とした死合いの空気が溢れた。


 これから私が味わうのは正真正銘のS級の剣技だ。


「行くぜ……」

「…………っ!」


 ヤサカが私に突っ込んできた。

 銀の流線が空間を走り、私を斬り刻まんと襲い来る。実際には意識を刈る為の峰打ちなのだろうけど、その刀のスピード、迫力は私に死を恐れさせた。


 連続した剣戟が私に打ち込まれる。

 それまでは鞘から刀を抜いて一振りし、鞘に納めてはまた鞘から刀を抜く……という面倒な手数を踏んだ単発の剣閃の連続であったのだが、今回は純粋な連続的な剣技だ。


 さっきまでは抜刀術の連続で、一振り一振りの剣の速度は今より速かった。

 しかしどこまで行っても単発の剣閃の連続で、刀の起こりの出どころも一緒であった。


 だけど、これからの相手の剣技は普通の、しかし純粋に研ぎ澄まされた剣技であった。コンビネーションを伴って、私の体の周りを舞うように刀が揺れる。


「くっ…………!」


 圧される。

 2本の短剣を全て防御に費やしても防ぎきれない。防御の上から体に衝撃が走る。保っていられない。

 何度も態勢を崩される。その度に必死になって立て直し、すぐに相手の攻撃を防ぐ。


 私はこの部屋から逃げれば勝ちなのだ。逃げて、助けを呼ぶことが出来ればそれだけで勝利なのだ。

 ……だけど、逃げる隙なんて少しも、微塵たりともない。

 超高速の刃が私を圧し、逃げる隙なんて悠長なものをけらけらと嘲笑ってくる。私は刃に取り囲まれているかのように感じた。


 反撃のチャンスなんて一切来ない。

 連綿と続く攻撃には一切の隙など無く、まるで嬲られるかのように私はただヤサカの攻撃を防ぎ続けていた。

 S級の恐ろしさを身をもって体感する。


「…………っ!」


 まるで煙の様だった。

 縦横無尽にゆらゆらと揺れ、その刀は煙のように私の周囲に纏わりつく。上下左右私を包み込み、四方八方から襲い掛かってくる。

 刃に包み込まれている。

 一切の隙も無い。


 この攻撃の嵐は本当に1本の刀から生まれているのか疑問に思えてくる。私は本当のところ10や20の刀に同時に襲われているのではないかとさえ思えてくる。

 煙を払うかのように私は攻撃を防ぎ続けている。反撃の余裕など微塵もない。


 皮膚は裂け、体をボロボロにされる。もう私の息は絶え絶えで、立っているのもやっとな状態だ。

 ただ本能に任せて敵の攻撃を防いでいた。


 それでも彼の攻撃を防ぎきることが出来ない。


「ぎぃっ……!」


 ヤサカの刀の峰が私の右の胴体に当たり、ろっ骨を粉砕する。彼は私を殺してはいけない為、峰で攻撃をしなければならない。

 痛みで全身に痺れが回る。攻撃を喰らってしまったことに、私は『しまった』と思った。


 しかしだ。『しまった』と思う暇すら私には許されていなかった。

 そのまま追撃で左の肩を叩かれる。意識が飛びそうになる。『しまった』なんて考えている暇があったら、その分を防御に回さなければいけなかったのだ。

 なんで今、右の胴体を攻撃されたのに、次の瞬間に左の肩を攻撃されているのか。ヤサカの刀が空間を飛び越えているように感じられた。


 何とか必死に自分の意識を繋ぎ留めながら、私は態勢を立て直すために後ろに下がり距離を取ろうとする。

 が、それもダメ。いとも容易く彼は私との距離を詰め、私に追撃を仕掛けてくる。


 まるで煙の様だった。私に刀の煙が纏わりついていて、この部屋全体を支配しているかのようだった。下がっても、防いでも、殺意の有る煙は私に纏わりつき、私を嬲っていく。

 どれだけ下がっても、ヤサカの刀は私に纏わりついてくる。


 逃げ場所など何処にもない。

 払っても払っても払っても払っても、この煙を晴らすことが出来ない。

 煙に削り殺されるような感覚を覚えた。


 S級の恐ろしさを直に味わう。

 この連綿と続く攻撃は一切休まる所を知らない。私はただ防ぎ続ける。彼には微塵の隙も無い。私の体はボロボロで、激しく攻められて意識も途絶えそうである。それでも一切攻撃に回ることが出来ない。私はただ防御するだけである。


 S級の恐ろしさを直に味わう。

 ただ、ただただ、ただひたすらに防御するだけである。


「てめぇ…………」


 だけれど、何故か苦々しく顔を歪めたのはヤサカの方であった。


「……対応し始めてやがるな、俺に」

「………………」


 ヤサカが苛立ちを含んだ声を発する。


「どんどん、良くなっていやがる……俺の攻撃を……しっかり防ぎ始めてやがる」

「………………」

「おめぇ、速くなっていやがる。だんだん、俺に対応してきていやがる…………」


 刀の向こう側にあるヤサカの顔が険しくなる。


「易々と……S級に……慣れてんじゃねえっ…………!」


 ヤサカが乱暴に刀を振るった。

 その刀は防御ごと私を吹き飛ばしたが、それでも私は即座に態勢を立て直し、彼の2手目3手目を防ぐ。


 彼はとても恐ろしい。S級というのは災害のような存在だ。私は刃の嵐をその身一つで受けているのだ。

 恐ろしい

 恐ろしい……けど…………


 目がちかちかする。

 世界がゆっくりと動いていく。時間が凝縮されていく。意識が引き伸ばされていく。

 ヤサカの刀も、動きも、呼吸も、段々と少しずつ見え始める。先程まではあまり見えなかった彼の刀閃の流れも今や大分見え始めている。


 最近の私は調子がいい。

 なんだろう、自分が広がっていくような妙な感覚を覚えている。時間がゆっくりと流れるように感じられ、刃の動きや人の動きが鮮明に見えてくるようになってきている。

 まるで第六感が育ってきているかのように、私は自分の空間が広がっていくように感じていた。


 最近の私は調子がいい。

 最近、というより……あれだ、幽炎だ。

 あいつとの戦いの後からだ。

 私はあの時、今までにない程死を実感し、私の命は燃やし尽くされそうになった。


 あの時から調子がいい。

 私の世界は変化し、自己の成長を感じている。こんな風にただ防御一辺倒で目の前の敵の攻撃を防ぎ続けているだけでも、何か自分の世界が広がっていくように感じる。

 彼の刃の動きが見えてくる。

 対応できるようになってくる。

 彼の攻撃を防ぎ続けることで、私は引き上げられていく。


 1手防ぐ度に私の世界は広がっていく。

 1手守る度に私の世界はゆっくりとなっていく。

 煙のように空間を支配していた刀はだんだんとその姿を露わにし、その剣閃が見え始めてくる。


 この全ての事は修練である。

 私は私の成長を実感する。


「このヤロウっ…………!」

「ぐぅっ…………!」


 ヤサカ渾身の突きが私の肩に突き刺さる。

 肩から血が噴き出す。痛みから思わず呻き声をあげてしまう。

 ニヤッと笑みを作ったヤサカの顔が見えた。


 そうだ。思い出す。

 こんな時こそあれだ。クラッグとの訓練の時に教えて貰った技だ。

 絶対に使わないと思った技。非常識極まりなく、あり得ないと思った技。でも、クラッグに覚えておいて損はないと言われた技だ。


 正直、こんな技を持っているクラッグの正気を疑った。

 でも確かに、今とても使えそうだ。


「ふ……んっ……!」

「なっ……!?」


 私は肩に力を入れ、魔力を通し、肩の筋肉を膨らませた。膨張した筋肉がヤサカの刀を体内で押さえつける。筋肉を固くし、筋肉を閉める。

 肩を動かして、筋肉と骨で刀を抑え込み、刀が引き抜けにくくなるよう邪魔をした。

 肩を固くし、膨らませ、痛いけれど、ヤサカの刀の動きが止まる。


「おいおいっ!?嘘だろっ!?バカかよっ……!」


 流石のヤサカさんも驚きの表情を見せた。

 これぞクラッグ流、体内白刃止めっ!


「うわああああああぁぁぁぁぁぁっ…………!」


 私は前に出た。体の中でヤサカの剣が擦れて痛い。泣き叫びたくなるほど痛い。

 でも、それでも攻撃の為には仕方がない。

 遠すぎる1歩を前に出し、私は剣を突き出した。

 ヤサカも回避行動を取る。しかし、避けきれず、私の剣もまた彼の肩に刺さった。

 肉が裂ける感触が剣を通して私の手に伝わった。


「電撃よっ…………!」

「……!?」


 私は魔術を交えた。

 ヤサカの肩に差し込まれた剣を通し、彼の体の内から電撃が流し込まれる。今までずっと崩れなかった彼の冷静な表情は初めて苦悶の色に染まった。


「ぐわあああぁぁっ……!?」


 ヤサカの顎が上がり、痛々しい呻き声が発せられる。小さな初級魔術と侮るなかれ、そこには私の魔力を大量に込めているし、そもそも体内からの零距離攻撃なのだ。


 身の内から体を焦がされ、苦しみながらヤサカが電撃に痺れていく。

 このまま倒しきれればっ……!

 そんな甘い幻想を一瞬抱いた。


「ぐっ……!」

「……!」


 ヤサカはそんな苦しい状況の中で、更に一歩前に出た。

 歯を食い縛りながら、彼は私の腹を思いっきり蹴った。


 私は蹴り飛ばされ、吹き飛ぶ。

 あまりの衝撃に、私の内臓は傷つき、口から血が噴き出る。

 筋肉で止めていた彼の刀も肩から抜け、私は吹き飛び壁に激突した。


「はぁっ……!はぁっ…………!」

「ぜぇっ…………!はぁっ…………!」


 息が荒く漏れる。満身創痍の呼吸をする。

 しかし、それまでと違うのは、今まで余裕を崩さなかったヤサカもまた呼吸を乱しているという事だった。


「……とんでもねぇ…………」

「………………」

「おめぇがお姫様なんていうのは詐欺だな。この野蛮人め」


 失礼な人だ。こんなにもか弱く嫋やかな私を捕まえて、野蛮人などと言うとは。


「駄目だ駄目だ。こりゃ、生け捕りにしろなんて任務、受けられねえわ。そんな覚悟で行っちゃ、こっちが殺されちまう」

「………………」

「最低でも腕と足、1本ずつくらい貰っていくぞ」


 ヤサカは私に刀の切っ先を向ける。殺意が場を満たす。

 先程までもヤサカは本気だった。だけど、それはあくまで私を無傷で生け捕りにする、という条件下での全力だった。


 ヤサカから殺気が溢れ出す。

 ここからは正真正銘、命を懸けた殺し合いだ。もう彼は私に刀の峰なんか見せてくれないだろう。

 痛々しい程の張りつめた空気が世界を支配する。


「なっ!?ダメよ!ヤサカ!バカ!ダメに決まっているじゃないっ……!後に残る傷は一切付けず捕らえなさいっ!」


 この戦いを上から覗いていたアドナ姉様が驚きの声を発する。

 アドナ姉様としては、この戦いが起こった痕跡すら残さず私を処理したいのだ。私を一定期間拘束して、解放した後、私の足や手が千切れていたら大問題だ。


 私が死んでしまったらなんて、目も当てられない様な大事件に繋がってしまう。


「……アドリアーナ姫様よぉ、もうそういうラインは越えちまったんだよ…………」


 しかし、目の前のヤサカの覚悟が揺るぐことは無かった。

 彼の目に狼のような獰猛な色が混じる。野生の様に厳しく、命を含んだ目の色だ。

 とても危険な目の光をしていた。


「こいつは越えて来ちまった。安全のラインを。余裕の線を……」

「………………」

「こいつはS級のラインを、微かに、半歩、またぎやがった」


 静かな声が私を圧す。

 ヤサカが刀を鞘に納め、構える。次に来るのは正真正銘の抜刀術。神速の剣技だ。


 次の一手が全力だ。


「いくぜ……間違って死んでも恨むなよ…………」

「………………」


 息を呑む。次の攻防は一瞬で終わる。私は彼の刀に全神経を集中させる。


 彼の鞘から銀色の刀閃が迸る。

 最後の短い一合が幕を開けた。


次話『82話 決着』は3日後 6/19 19時投稿予定です。

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