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80話 S級vsイリス (1)

次話『81話 S級vsイリス(2)』は3日後 6/16 19時に投稿予定です。

【イリス視点】


 ホテルの1室で、甲高い金属音が鳴り響く。

 それは単発の音ではなく、連続した音の群体であった。

 刀と短剣がぶつかり合う戦いの響きが1秒間の間に何十と鳴り渡る。1撃でもクリーンヒットを貰えば私の意識は容易く刈り取られるだろう。その金属音1つ1つに私は命を懸けて応じていた。


 私に高速の刃を向けるのはS級の傭兵のヤサカだ。

 長い刀を手足の様に使いこなし、蛇のように私に襲い掛かってくる。


 ―――私は今、S級の武人と戦闘を行っていた。


 目の前のヤサカは私の姉のアドナ姉様の傭兵であった。私はアドナ姉様の計画を見抜いてしまったが為に、S級の実力者に襲われている。

 1撃1撃に神経がすり減っていく。私は両手に持つ2刀の短剣で彼の攻撃を何とか凌いでいる。全ての攻撃を際どい所で防ぎ、その1つ1つに冷汗を吹き出してしまう。

 そんな攻防がもう既に1分以上も続いていた。


「……何をやっているの!ヤサカっ!さっさと仕留めなさいっ!」


 アドナ姉様が怒ったように叫ぶ。1分以上戦闘が続いていることに焦れ始めていた。

 アドナ姉様の想定では1秒と掛からず戦闘は終わり、もう既に私の身柄はどこか別の場所に移し始めている予定だったのだろう。


 普通だったらその想定で正しい。

 世界でもそう多くないS級の武人と、戦闘に対して適度な教育しか受けていない国のお姫様では天と地ほどの差が生じる。

 本当の実戦など行ったことのないお姫様なら何が起きたのかも分からないまま意識を奪われてしまうだろう。


 ……普通だったら、だが。

 私はエリーとして冒険者の仕事をこなしている。相棒のクラッグの支援という形だが、ドラゴンとの戦闘も行ったことがある。命がけの本当の戦いだってしたことがある。

 A-程度の実力を持つエリー。それが(イリス)だった。



「そうは言っても……へっ……勘弁してくれ、アドリアーナ姫さん。こいつをただのお姫様と思っちゃいけないようだぜ?」

「……なんですって?」


 そう言って、ヤサカは笑う。苦い顔をするアドナ姫とは対照的に、彼には余裕があった。

 ……そう、余裕がある。

 ヤサカの実力はS級。私の実力はA-級。


 無謀な戦いには違いないのだ。

 私はこれまでの攻防で、もう既に大量の切り傷を負っていた。どれもすんでのところで躱した致命傷には至らない小さな傷だ。

 しかし、皮膚を裂くだけの小さな傷ではあるものの、それは何十と私の体を傷つけ、赤い血が滲んでいた。


 必死なのだ。

 私は呼吸を荒げ、必死で彼の刀に付いて行っている。

 実力の差ははっきりとしており、無謀な戦いには違いなかった。


「イリスティナ姫さん、あんたやべーよ。本当にお姫様かぁ?」

「…………実は私は影武者ですので、見逃して貰えませんか?」

「そっちの方が信憑性あるな!信じそうになるぜ!」


 そう言って、彼の銀の刀閃がまた私に襲い掛かる。

 それまで鞘に入っていた刀身が一瞬だけ姿を現し、私に斬りかかってきては、また鞘に収まっていく。そしてまた鞘から抜き出て、刀が私に襲い掛かってくる。


 居合抜き。抜刀術の連続であった。


「抜刀術って……そういう使い方っ……するものでしたっけ…………!?」

「俺は愛剣の刀身はそう簡単に人には見せねえようにしてんのさ。惚れた女の裸を他人には見せられねえだろ?」

「さぁ……女なんで分かりませんねっ……!」


 鞘から解き放たれる刀のスピードは恐ろしく速い。

 銀色の閃光がぱっと光り、それが容赦なく私を叩き潰そうとしてくる。その閃光は速過ぎて、私の目でも全ては捉え切れない。微かに捉えた刀の残影を追って、勘と本能を駆使し、なんとか刀を防いでいく。

 ヤサカは笑っている。私は全く笑えない。こうしている内にも私には生傷が増え、神経がすり減らされていく。

 宙に小さな血の粒が舞っていく。


 このままではじり貧だ。私は少し強引に前に出る。

 彼は言うまでもなく油断している。1回1回刀を鞘に納めながら連綿と戦う事は紛れもなく慢心であった。

 確かに起こりのスピードは速い。鞘から抜き出た刀のスピードは肌がぶわっと粟立つほどだ。


 しかし、刀を1回1回鞘に納める行為は明らかな隙であった。

 彼自身だって分かっているのだろう。しかし、それをして尚、彼に余裕があることを彼は自覚している。私と彼の実力には大きな隔たりが存在しているのである。


 それでも私はその隙を利用するしかない。

 彼が刀を引き、鞘に納める一瞬に、私は少し前に出る。半歩……いや、半歩にも満たないごくわずかな距離、前に出る。

 すぐに次の1撃は私に襲い掛かってくる。本当にこの強烈な攻撃群が、『1回1回刀を鞘に納める』などという面倒臭いプロセスを踏んでいるのだろうか。


 私は1撃を防ぐのに命がけなのだ。本当は防御だけに専念したい所なのだ。

 それでも私は少しずつ、少しずつじりじりと前に出た。


「おーおー、頑張ってるとこ悪いけどさぁ?」

「…………っ!」

「もう一度出直しな」


 ヤサカの体が私の間合いに入った瞬間、刀ではなく彼の蹴りが飛んできた。

 彼の足が私の脇腹に食い込む。激痛が走る。


「…………っが!」


 口から息が漏れながら私は吹き飛ばされ、部屋の壁に激突した。壁はひび割れ、部屋の中に大きな衝撃音が鳴り響く。


「…………っ!」


 痛みで全身がビリビリと痺れる…………が、そんなことで動きを止める訳にはいかない。


 私は転がるようにしてすぐその場から離れると、その一瞬後にその壁は斬り崩された。ヤサカが私に追撃をしてきたのだ。


「ちっ、ちょこまかと」

「………………」


 ヤサカが舌打ちをする。悪態つきたいのは私の方だ。


「ヤサカ!何をやっているの!音を立てずに仕留めなさいっ!外の者達に気付かれたら厄介よっ!」


 アドナ姉様がヤサカに怒鳴った。

 それもそうだろう。アドナ姉様側からすると、私を捕らえようと戦闘を起こした、なんてことは外に知られては困るのである。


「…………ッ」

「………………」


 アドナ姉様の怒声に、ヤサカが一瞬、ほんの一瞬、気を乱すのを感じた。


 私はホテルの一室に備え付けられてあった棚を蹴り倒した。棚は中身を零しながらヤサカの方へと倒れていく。

 その棚の中にしまわれていたのは大量のワイングラスだ。ガラスで出来たそれが全て割れたら大きな音が鳴り響くだろう。


 ヤサカは一瞬ぎょっとして、動きが固まったが、それもほんの一瞬。彼は何も恐れず、自分が押し潰されない様、棚を細かく斬り裂いた。


 大量のワイングラスは斬られ、床に落ち、割れて大きな音を発した。

 ガラス製のグラスは甲高い音を爆竹の様に響き渡らせた。


「ヤサカっ……!」


 アドナ姉様が心配そうな声を出した。

 彼は音を立てないように丁寧に棚を処理することよりも、即座に棚を処理して自身の隙を作らないことを選択していた。

 もしヤサカが棚が倒れないよう丁寧な処理をしていたら、流石に私でもヤサカの隙を突き、腕を斬り飛ばすぐらいの事は出来るだろう。


 ヤサカの周りは棚とグラスで覆いつくされている。まだ落下しきっていない。そして周囲には盛大な音のカーテンが鳴り響いている。


 私は棚の残骸の影に身を隠し、そこから彼に襲い掛かった。

 棚を短剣で裂きながら、彼の側面に攻撃を仕掛ける。最短距離を走る突きの攻撃。腹、足、胸、どこでもいいから奴を斬り裂いてやる。

 障害物と爆音を隠れ蓑に、私はこの戦いで初めてまともな攻撃を彼に仕掛けた。


「けど残念」

「…………ッ!」


 彼の拳が棚の残骸越しに私の顔を殴る。

 彼の拳が見えなかった。当然だ。棚の残骸がスクリーンになっていたのだ。障害物をお構いなしに、彼は私を殴りつけてきたのだ。


 私の剣は彼に届かなかった。

 失神しそうな程強烈な衝撃が私の頭に襲い掛かる。首の骨が折れるかと思った。私の体は床に叩きつけられ、何とか意識を手放さない様必死になる。


「へへ、中々トリッキーだったな。楽しかったぜ……」

「………………」

「…………ん?」


 床に倒れる私に止めをさそうとしたヤサカはそれに気が付いた。

 彼の傍に小さな黒い煙が発生していることに。

 私は先程、彼に剣を入れることに失敗した。その前に彼の拳に私は叩き落とされていた。


 ―――だけど、彼の近くに魔術を届けることには成功していた。

 私は短剣の先に魔術を仕込み、それを彼の近くに置いて来たのだ。


 ヤサカは一瞬、その黒い煙を観察する。その黒い煙は小さく揺れ、害の無いかのようにそこに佇んでいる。彼の体を焼くわけでもなく、痛めつける訳でもなく、ただゆらゆらと揺れていた。


「…………煙幕です」

「なっ……!」


 そして、一気に膨張した。

 黒い煙は一瞬でその体積を大きくし、ヤサカの体を……いや、この部屋の8割ほどを包み込む。

 黒い煙に包まれた場所は何も見えない。私とヤサカの距離は近いのに、私達はお互いの姿も視認出来なくなる。

 単純明快な煙幕の魔法であった。


 私は駆け出した。

 前は見えない。ヤサカも見えない。しかし、外に向かって駆け出した。


 私は逃げの一手を打とうとした。

 それはアドナ姉様たちの敗北条件だった。

 彼女たちは私の口を封じる為に、私を捕まえて変わり身を作ろうとしているのだ。私が彼女たちの悪事を他の人に伝えることを恐れているのだ。


 更に、このホテルから少し遠くにあるバーダー商会には私の味方でS級のフィフィー、リックさんなどがいる。その人たちに助けを求めれば、流石のヤサカでも対応が出来なくなる。

 私の逃亡は私の勝利を意味していた。


 1歩2歩、私はこの部屋の外へと走る。

 まだ黒い煙がこの部屋を覆っている。私はヤサカの姿が見えないが、それは相手にとっても同じだ。

 この部屋の扉の位置さえ黒い煙に覆われて分からない。しかし、部屋の壁など斬り崩してしまえば良いのだ。私はただ、一直線にまっすぐ走ればいいだけなのだ。


 このホテルの外に出れば私の勝ちなのだ。


「……そう簡単には逃がさねえよ?」


 そう、声がした。


 その瞬間、異変が起こる。

 足元がぐらつく。世界が揺れる。真っ当に立っていられなくなる。

 一瞬、頭の中に疑問が湧き出る。攻撃を受けたような衝撃はない。なのに、顎先に攻撃を喰らったかのように、足元が覚束なくなる。


 ちゃんと足に力を入れて走らなければ。そう思い、しっかりと床の上に立とうとすれど、足は床を捉えなかった。


「…………え?」


 数瞬遅れて違和感の正体に気付く。異常なのは私ではなかった。

 床が無かった。

 床が斬り崩されたのだ。


「まさか…………!」


 床と共に私の体が落下する。落下しながら考える。

 ヤサカは私の逃走を妨害する為に、この部屋の床を斬り落としたのだ。


「くっ……!そんなっ…………!」


 床が斬り刻まれ、細かな瓦礫と化す。

 体が落ちる。瓦礫が重力に従って落ちていくと共に、私は床ごと下階に突き落とされようとしていた。

 元々の部屋から落下したために、黒い煙幕から体が抜ける。黒い煙はその場に留まり、下の階には広がっていかなかった。


 同じく下階に落ちるヤサカも煙から抜け出し、私達はお互いの姿を露わにした。

 その時、私はヤサカの表情を見た。


 ヤサカは楽しそうに笑っていた。

 自らも落下しながら、思った以上に楽しめると、不敵な笑みを浮かべていた。


 獲物を狩る獰猛な目をしていた。


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