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79話 論より力

【イリス視点】


 沈黙が場に居座る。

 私とアドナ姉様の視線が交錯していた。


 私はアドナ姉様とリチャード、ジュリが不正を働き、ニコラウス兄様を陥れようとしている推論を立てた。証拠は無いけれど、3人の反応はそれが真実であることを語っていた。


 愚かな王になる者を倒そうとすることは悪い事ではない。

 アドナ姉様はそう言った。そう言って、私に意見を求めていた。

 この不正を黙って見過ごすか、それとも告発するか。

 私は選択を迫られていた。


 私はアドナ姉様の目をじっと見る。彼女の強い瞳を逸らさないようにするだけで精一杯だった。

 私は何も言うことが出来なかった。完全に納得しきることは出来ない。しかし、姉様の言っていることは分からないでもない。

 ニコラウス兄様を陥れることは、もしかしたら正しい行いなのかもしれない。


 悪を為さず、正々堂々と王位を争うことは出来ないのだろうか。……それは私の甘ったれた考えなのだろうか。私はだからこそ、政争が苦手なのだ。


「………………」

「………………」


 安易な返答は出来ない。私の胸の中に迷いが生じているのなら、穢れの無い正論はただの綺麗事である。


「……少し、質問をいいですか?アドナ姉様……?」

「なにかしら?」


 私はほんの少し感じていた疑問をアドナ姉様にぶつけてみることにする。


「姉様は自ら仰られました。これぐらいの影響なら、まだ大混乱には至らないと。大混乱にならないのなら、兄様の王位継承権は揺るがない。この問題はただ、兄様に疑惑が纏わりつくだけになる。

 こんな紙切れ一枚で第一王子の地位が崩れる程、王権が安くないことを一番把握しているのはアドナ姉様である筈…………」

「………………」

「ならば何故、このような事をなされたのですか…………?」


 この紙切れ一枚なら、ごね続ければ関与を否定出来る。第一王子の権力を持ってすれば、紙切れ一枚などどうとでもなるのである。   


 ニコラウス兄様はペッレルヴォさん1人に罪を擦り付けて、自分は冤罪だ、自分は何の関係も無いとごね続ければ良い。

 勿論周囲からの信頼は落ち、罪への疑惑は纏わりつくが、それでもこの国の王位継承権が崩れることはない。

 ニコラウス兄様の負っている王位継承権とは、疑惑の念だけで崩れ去る程脆いものではないのだ。兄様が傍若無人な行いをしたとしても揺るがない大権。それが王位継承権だ。

 …………今回は実際に冤罪でもあるわけだし。


「……少しでも有利な立場を築きたい。それだけよ」

「………………」


 そう言葉を発しアドナ姉様は口を閉ざした。

 ……確かにやらない事と比べれば、やった方がいいのかもしれない。傷を付けられる時に少しでも兄様に傷を付けておくのは、アドナ姉様の考え方からすると大切なのかもしれない。

 しかし……5年近くかけた計画がその程度の効果でいいのだろうか?納得できるような、納得出来ない様な……私は悩む。


 そんな時に口を開いたのは妹のジュリだった。


「確かに疑惑の念ならニコラウス兄様の地位は揺るがないっ……!でもっ……!」

「ジュリっ!」


 アドナ姉様は初めて慌てたように叫び声を上げ、ジュリの言葉を制止した。姉様のその強い口調に一瞬にして部屋全体の空気が凍り付き、ジュリは目を丸くしながら口を閉ざした。


「…………」

「…………」


 ……今完全にジュリは口を滑らした。自慢げに私の言葉を否定しようとし、アドナ姉様の隠したい言葉を口にしようとしていた。

 私はジュリの方を見る。ジュリの青ざめた顔が見える。

 ……なんだ?ジュリが滑らしそうになった言葉はなんだ……?


 『確かに疑惑の念なら』……ジュリはそう言った。……じゃあ、疑惑の念じゃないのなら、ニコラウス兄様にダメージが与えられる?

 私は考える。


 でもどんな証拠をでっちあげようとも、ニコラウス兄様が否定する限り疑惑の念を出ることはない。

 何故なら本当に兄様は無実だからだ。どれだけ精巧な罠を作ろうと『実際にはやっていない』というニコラウス兄様の優位は崩れない。


 じゃあ……なんだ……?

 疑惑の念ではない……なら実際に起こっている……

 たくさんの目に晒された……現行犯……


 婚約式…………


「………………」

「………………」

「まさかっ…………!?」


 私は最悪の考えに至り、大声を上げてしまう。


「……現行犯なら、ニコラウス兄様も言い逃れは出来ない……ペッレルヴォさんが追い詰められ、罪を自白させられ、錯乱して、何か犯罪を起こせば……その責任はニコラウス兄様にも降りかかってくる……」

「…………」

「……でもその為には、小さな犯罪では駄目です……一執事の犯罪がニコラウス兄様にも責任という傷を与えるには、非常に大きな……衝撃的な事件がないといけません…………」


 私の言葉にリチャードとジュリの顔が青ざめていく。アドナ姉様は顔色を変えないけれど、余裕のない苛立ちが伝わってきた。

 私は言う。


「……婚約式の当日……ペッレルヴォさんに、アリア様を殺させる気ですね……?」

「…………チッ!」


 初めてアドナ姉様は嫌そうに顔を歪め、舌打ちをした。

 ……今回の婚約式の主役はリチャードとアリア様だ。いくら立場の弱い女性であれど、王族の婚約者を殺害したとあれば、それが部下の仕業であっても、ニコラウス兄様は責任を免れない。


 そしてチェベーン家は英雄都市のファイファール家と敵対している。チェベーン家と繋がっているという設定のペッレルヴォさんがアリア様を殺そうとするのにも自然な理由が作れる。


 そして、リチャードは被害者となれる。対立している第一王子派の人間に、婚約したばかりの妻を殺され、同情を集めることが出来る。

 元々リチャードはアリア様を厄介者扱いしていた。これは一石二鳥なのだろう……


「……最低ですよ、リチャード、アドナ姉様」

「…………」

「…………」


 恐らく婚約式当日の流れはこうだ。

 リチャードとアリア様がパーティーの席に姿を現した後、途中でリチャードとアドナ姉様が偽造の書類を持ち出し、ニコラウス兄様とペッレルヴォさんを糾弾する。証人は私とバーダー商会を調査した警察たちである。


 そこでペッレルヴォさんはニコラウス兄様を巻き込み、嘘の自白をする。本当はペッレルヴォさんもリチャード派なのだから、好き放題言うことが出来る。

 そして場は混乱し、ペッレルヴォさんは追い詰められ、狂乱した振りでもするのだろう。


 アリア様に近づき、彼女を殺害する。


 当日傍にいるであろうリチャードはアリア様を一切庇わない。上手くアリア様の護衛を遠ざけていくのだろう。


 そうすればニコラウス兄様は英雄都市を襲った疑惑がつくだけでなく、貴族殺しの汚名も被る。弟の婚約者で貴族の娘を殺したとなれば、執事が勝手にやった、では済まなくなる。

 流石に第一王子の特権をもってしても火は消せなくなるだろう。


 リチャード達はおろか、アドナ姉様の顔ですら歪んでいる。

 私の推理が大きく外れていないことを意味している。

 これは最早、書類の偽造なんて生易しい話ではない。

 貴族殺しという、計画していること自体バレてはいけない致命的な極悪犯罪だ。


「許せません……」

「………………」

「絶対に許せませんっ……」


 この計画を実行させるわけにはいかない。

 胸の中に怒りが込み上げる。アリア様の優しい顔が頭の中に浮かぶ。家の為にその身を犠牲にして嫁ぐ彼女の命を利用し、踏みにじろうとしているのだ、この悪魔たちは。


 姉様たちの事を初めて憎いと思う。


「それは……私達と敵対するという事でいいのかしら?イリス?」


 アドナ姉様が威圧するかのように私に問いかけてきた。


「……なに余裕ぶっているのですか、アドナ姉様。私はこの事をお父様に報告するだけであなた達の悪事は崩壊します」

「…………」


 お父様が私の話を全て信じるか信じないかは置いておいて、少なくとも婚約式の会場は厳重な警備に守られる。それだけでアドナ姉様たちの策略は潰える。

 追い詰められているのは姉様たちなのだ。


「そう……残念……」


 アドナ姉様は余裕の表情を崩さず、紅茶を口に付ける。

 なんだ……?なんでこんなに余裕なんだ……?今、姉様たちは圧倒的窮地にいる筈なのだ。


「でも、イリス……」

「………………」

「自分の身の安全を考えるなら、私達に首を垂れるべきだったわね」


 なんのこと……と言おうとした時、それは起こった。


 部屋の中に風が舞った。あらゆるものを斬り刻む悍ましい風だった。

 ほとんど音を立てず、この部屋の壁を斬り刻み、ばらばらにして隣の部屋から飛び込んでくる。


 私はそれが何かを理解する前に体を動かし、転がるようにして座っていた椅子から離れる。その刃は一瞬にして私の背後に立ち、私の護衛をしていた兵士たちを斬り、無力化していく。


 床を転がりながら必死で態勢を立て直す。

 風のように素早い刃の正体を追う。


 それは人だった。


「おぅ、まさか初撃を避けられるとは思わなかったぜ、お姫様!」

「……ヤサカ様っ!」


 目を見開き、驚く。

 そこに立っていたのはアドナ姉様の雇っているS級の傭兵ヤサカであった。


「念の為ってことで、隣の部屋に待機していて良かったぜ」


 長い髪を後ろで束ねた細身の男性がへらっと笑う。先程まで抜いていた筈の長い刀はもう既に鞘の中に収められている。

 彼の戦いぶりは先程バーダー商会の地下で見た。A級相当の実力を持つ魔導ゴーレムを素早い動きで斬り裂いていった。素早さと鋭さを極限まで鍛え上げた達人、紛う事なきS級の戦士、それが傭兵ヤサカであった。


「イリス、あなたの子飼いのS級冒険者は今どこにいるのかしら?まだバーダー商会の調査中かしら?」

「………………」

「大した護衛を用意していなくて助かったわ。まぁ、姉弟での話し合いで強力な護衛が控えていたら、私悲しくなってしまうけれど」

「……どの口がぬけぬけと」


 確かに姉弟の話し合いの場でS級の護衛なんか用意しない。用意するなんて考えにも至らない。こんな展開になるなんて私は全く予想していなかった。

 簡単な護衛は一瞬でヤサカ様に敗れてしまった。まだ命はあるだろうか…………


 ……今、クラッグ達はバーダー商会の地下にいる。

 私の位はA級相当。

 正真正銘、私はS級と1対1で対峙していた。


「残念だけど、イリス。あなたはこの部屋から出せないわ」

「……アドナ姉様。一体どうするつもりです?私を殺して隠しても、すぐに不審の目は姉様に向けられますよ?私の死が隠し通せる筈がない」

「殺すなんて野蛮なことはしないわ」


 アドナ姉様が不敵な笑みを浮かべた。


「神器『ドッペルドール』。記憶と性格と容姿をその人に似せた人形を作り出すことが出来るわ。私の命令に従順な、ね」

「…………『ドッペルメイク』と似たようなものですか」

「あれは人の命令を素直に聞くようなものじゃないでしょう?もっと操り易い、命のこもっていない人形よ」


 アドナ姉様が憐れな奴隷を見るような目で私の事を見た。


「イリス、あなたは婚約式が終わるまで人目のない所に隠しておくわ。そのついでに……あぁ、可哀想だけれど、私に絶対に逆らわなくなる様じっくりと教育しないといけないわ……絶対に、もう一生、逆らいたくないと思うような……教育をね…………」

「………………」

「しばらく悲惨だろうけど、まぁ、これも社会勉強ね。頑張ってね」


 アドナ姉様は笑った。嗜虐的な、恐ろしい笑みだった。


「運が無かったな。イリスティナお姫様。いや……頭が回るっていうのも考えもの、って話か……」

「簡単な仕事よ、ヤサカ。イリスを拘束しなさい」

「あいよ、アドリアーナ姫さん」


 ヤサカさんが私に軽い殺気を投げかけてくる。


「………………」


 私が捕まれば、それは私の問題だけでは済まされない。

 真相は明らかにならず、そしてそれはアリア様の死に繋がっている。

 捕まってはいけない。逃げなければ。逃げて、この事を誰かに伝えなければ。


 でも、私の前に立ち塞がるのはS級の戦士だ。


「………………」


 私はドレスの裾を引き裂く。動きやすいようにドレスをびりびりに破き、そしてドレスの内側に隠し、足に括り付けていた2振りの短剣を取り出した。

 エリーとして使っているいつもの2本の愛剣だ。

 バーダー商会で危険に陥ったら使う予定だったものが、今ここで役に立つとは。


「……お?」

「……イリス?」


 私は剣を構え、闘志を向けた。


「……イリス?あなた正気?目の前にいるのは正真正銘の武人、S級の戦士よ?」

「…………」

「時間を稼げば助けが来るかも、って思っているのかもしれないけど……無理よ。戦いの『た』の字も知らないあなたではヤサカ相手に1秒も持たないわ」


 アドナ姉様が私にそう言う。

 でも、どうだか。戦いの『た』の字を知らないかどうか、1秒も持たないかどうか見て貰おうか。


「……おいおい姫様。これはパーティーのダンスじゃねえんだぜ?そんなセクシーな場所から短剣を取り出したのは、まぁ、俺にとっては嬉しいことだけどよ?」

「……行きます」


 その減らず口を黙らせてやる。


 私は剣を振るう。ヤサカは迎え撃ってくる。短剣と刀がぶつかり合い、強い火花を散らした。力と迫力が短剣を通して伝わってくる。

 空気がびりびりと震えていく。


 ―――私は今、S級の武人に挑む。


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