78話 茶番
【イリス視点】
「ペッレルヴォさんがニコラウス兄様の執事になったのは5年前…………」
「………………」
「…………9年前の契約書にペッレルヴォさんとニコラウス兄様の名前があるのはおかしいのです……」
ここはチェベーン家が治める都市のホテルの一室、私達王族の姉弟は兄様とチェベーン家の行っていた不正を暴く為、密かに話し合いをしていた。
7年前、英雄都市に竜の大群が押し寄せ、都市を蹂躙した。
そして先程、チェベーン家の抱えるバーダー商会の中から竜を操る神器『竜の鱗のオカリナ』の取引に関する書類が出てきた。
その書類にはニコラウス兄様と兄様の執事であるペッレルヴォさんの名前が記されていた。
その書類に書かれている日付は9年前。時期的には合っている。
しかし、これはおかしかった。ペッレルヴォさんがニコラウス兄様の執事になったのは5年前であり、9年前の書類に2人の名前が記されている筈がないのだ。
そう私は言った。
「さぁ……そうとも言いきれないんじゃない?イリス?」
「……どういうことですか?」
アドナ姉様は言う。
「9年以上前からペッレルヴォとニコラウス兄様には元々繋がりがあって、それが縁で5年前に自分の傍に彼を置いた、という事よ」
「………………」
「執事というのは自分の傍にいるもっとも動かしやすい便利屋だもの。繋がりがあって、自分の悪事に加担してくれる人を選んだ方がやり易いわ。そういう例なんてたくさんあるし…………」
「……なるほど」
確かに、アドナ姉様の言う通りである。十分あり得る話だ。
しかし、なんだろう……何かが引っ掛かる……一度疑いを持つと、通り過ぎた事象が怪しく見えてくる……
「チェベーン家のあの男…………」
「……ん?」
私は地下に連れて行ったバーダー商会の中のチェベーン家の人間の言葉を思い出す。
「なんだそれは……そんな契約書は知らない……って言っていました。何かの間違いだって……それは知らない……と…………」
「………………」
「……その言葉が本当だとしたら…………?」
チェベーン家の人間が『竜の鱗のオカリナ』の売買契約書を見た時、酷く狼狽えていたのだ。その時、私達はその人がしらばっくれているものだと思ったのだが……もしチェベーン家の人間がその契約書について本当に知らなかったのだとしたら…………?
「……さっきから何を言ってるの?イリス?」
「………………」
「バカな事ばっかり言って議論を惑わせないで。今考えるべきことは婚約式でどう行動するべきか、でしょ?」
「………………」
アドナ姉様が眉間に皺を寄せながら私に問いかける。彼女はふぅ、と一息つき、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
しかし、もう既に私の胸の中には疑惑の念が生じている。一度生まれた黒い雲は私の胸の中に居座り、そう簡単に消える事はない。
皆にはこの疑念を感じていないのだろうか?聡明なアドナ姉様も……?頭のいいリチャードやジュリも……?疑問を感じていない理由は…………?
私は『竜の鱗のオカリナ』の売買契約書を手に取る。
「……皆さん、ペッレルヴォさんのフルネーム知っていましたか……?」
「…………さぁ?」
「…………一執事の名前など把握していないに決まっています」
「…………ここに名前が書いてあります」
私は契約書をテーブルの上に置き、皆に見せる。そこにはこう書かれている。
「『同責任者 ペッレルヴォ・バーム・オルス・トゥルースム』…………トゥルースム家……小さい家で、あまり有名な貴族ではありませんが……確か、トゥルースム家は……第六王子派……貴方の陣営でしたよね?リチャード?」
「………………」
私がリチャードの目を見ると、リチャードはごくりと息を呑んだ。
もしかして……このペッレルヴォさんはニコラウス兄様の執事として仕える5年以上前、リチャード、もしくはアドナ姉様の元にいたのではないか…………?
「……イリス、それは恐らくペッレルヴォかニコラウス兄様の罠よ。名を騙ってリチャードに責任を擦り付けようとしているのよ」
「姉様!」
私は言葉で制す。
「はっきり申し上げましょうか!?その書類を見つけたのはヤサカ様です。アドナ姉様に仕えている剣客のヤサカ様です。あの時、バーダー商会の地下では皆が書類の調査に当たっていました。
例えば……例えば、もし、ヤサカ様が胸の内からこの契約書を取り出し、さも今見つけたように振る舞われたら誰も疑うことが出来ません。誰もがこの書類がバーダー商会のものだと思い込むでしょう!」
「………………」
「そもそもバーダー商会にとって不利になる証拠がバーダー商会に残っているのが不自然だったのです。これだけ……これだけが残っていた。他は処分されていたのに……この書類が残っていて誰が一番得するか……言うまでもないでしょう……」
「………………」
この書類があればニコラウス兄様の力を削ぐことが出来る。それで一番得するのはニコラウス兄様と対立するリチャードだ。そして、その契約書はいまリチャードの傍にいるアドナ姉様の剣客であるヤサカ様が見つけている。
そうだ……アドナ姉様の…………
「……そもそも……そもそもの話として……英雄都市のファイファール家とチェベーン家の確執を聞いたのは……ファイファール家のナディス様をチェベーン家が恨んでいるという話を私に振ったのは…………アドナ姉様からでした…………」
「………………」
「私は……ヒントを得たと思い、チェベーン家の調査を始めました。そして今……アドナ姉様はニコラウス兄様を追い詰める材料を得ている…………」
私はアドナ姉様の目を見る。姉様は強く冷たい目で私を見返してくる。
「それは……その契約書は、偽物ですね……?」
「………………」
「アドナ姉様が用意した……偽造書ですね……?」
……アドナ姉様は私を利用したのだ。英雄都市を調査している中で、チェベーンが怪しいと私を唆す。本当の狙いはニコラウス兄様の失脚、それによるリチャード派が台頭すること。
恐らくアドナ姉様はバーダー商会の黒い噂でも嗅ぎつけていたのだろう。私にバーダー商会、並びにチェベーン家を捜査するよう仕向け、どこかしらのタイミングでこの偽造契約書をチェベーン家領内で発見するように見せかけようとした。
「…………初めからペッレルヴォさんはリチャード側の人間なのでしょう……その中でニコラウス兄様に近づき、ニコラウス兄様を巻き込んだ犯罪をでっちあげる…………後は、ペッレルヴォさんの嘘の自白さえあればニコラウス兄様の信用はがた落ちです」
恐らくその場がリチャードの婚約式なのだろう。その場で偽物の契約書が取り出され、嘘の犯罪の自白がある。ニコラウス兄様は訳の分からないまま身内の自白によって第一王子の地位に傷が付く。
ペッレルヴォさんがニコラウス兄様に仕え始めたのは5年前。つまり、5年以上かけた計画だったのだ。
「どうですか、姉様!私は間違っていますか!?」
「………………」
「………………」
私とアドナ姉様の視線が交錯する。姉様の瞳は力強いままで、一切の動揺が無い。心の内が読めない。睨むような視線を向けられている。
その目の強さに、私の方が動揺してしまいそうになる。
……負けていられるか。私だって冒険者として旅をし、強くなっているのだ。威圧的な目にだって負けはしない。
長い長い数秒間、私達は目を逸らさず見つめ合い、やがてアドナ姉様は小さくため息を吐いた。
「……イリス、下らない憶測は止めなさい。今謝罪するのなら姉に対する猜疑の念、許してやってもいいわ」
「………………」
「だけどこれ以上ありもしない罪を姉に被せると言うのなら……分かっているわね……」
思わず息を呑む。これ以上アドナ姉様に逆らうのなら、私はタダでは済まないかもしれない。
「ですが…………」
「………………」
「ならば何故、リチャードとジュリはあんなに額から汗を垂らしているのですか?」
「ッ!?」
私はリチャードとジュリの方を振り向き、2人は急に話を振られ、ビクッと体を震わせた。
正直アドナ姉様には一切の動揺が見られなかった。その目の色は鉄よりも固く、一切の崩れを見せなかった。
しかし、まだ幼いリチャード達は別だ。先程から私の言葉1つ1つに息を呑み、体を震わし、動揺を露わにしている。…………可哀想だとは思ったが、弱い方を責めさせて貰った。
「……も、申し訳ありません、アドナ姉様…………」
「………………」
リチャードとジュリがぎこちない動きでアドナ姉様に頭を下げ、アドナ姉様ははぁっと大きなため息を吐いた。そのため息を聞き、私も小さなため息を漏らしてしまった。
それまでの緊張が吐息となり、部屋の中に漏れ出した。
「全く……これだから頭のいい子というのは使い辛いわ。利用するならアレね、バカに限るわ」
「…………アドナ姉様の考えた作戦にしては……色々と穴があったので…………」
「仕方なかったのよ。作戦を考えたのは竜の襲撃事件の後。後付けの作戦なのだから綻びも出るわ」
アドナ姉様はやれやれといったような感じで手をぶらぶらと振った。アドナ姉様が初めて漏らした自白だった。
「それでも……婚約式までの短い間さえバレなければ、後は何とかなったって言うのにね」
アドナ姉様はため息をつき緊張の糸を緩めたが、私の緊張の糸は張り詰めていく。
「後付けの作戦という事は……実際に『竜の鱗のオカリナ』を入手している訳では無いと……?」
「まぁね。紙切れ一枚のリーズナブルな作戦よ」
「…………嫌なリーズナブルですね……」
成功したら御の字。失敗してもほとんど証拠など残らない。手間をかけていないからだ。
「…………バーダー商会が違法奴隷を扱っていたのを知っていたのですか?」
「……詳細は知らなかったわ。ただ黒い噂はあって、遅かれ早かれあなたはバーダー商会を直接調査するものだと思っていたわ。それだけで、私達には十分」
「………………」
完全に私は利用されたのである。
「何故こんな混乱を呼ぶようなことを?」
「……ねぇ、イリス。あなた、ニコラウス兄様の事をどう思う……?」
「…………?」
突然アドナ姉様は私に問いかけてきた。姉様はゆっくりと紅茶を飲み、そして口を開いた。
「……ニコラウス兄様は愚物よ。あれが王位に付いたらこの国は乱れるわ。イリス、貴方もそう感じているんじゃないかしら?」
「………………」
「愚かな王は国を壊す。犯罪者よりもずっと質の悪い存在になる。愚かな王を倒そうという行動は悪ではないのよ。その行動が、少し、非道で悪を孕んでいたとしても」
……確かに私はこの国の将来を心配している。ニコラウス兄様は女癖が悪く、勉強が嫌いで、自分を磨こうとする努力が足りず、しかし自分は尊大であると思っている。
心配になるような人物であった。
「少しの悪を為したとしても、国全体の利益を考えれば仕方ない……イリス、あなたはそう考えないかしら……?」
「………………」
「もし私の考えに共感してくれるのなら……」
「………………」
「何もせず、何も言わず、婚約式の日まで大人しくしていなさい」
強い瞳を向けられ、私の額から汗が垂れてしまった。
陰謀が渦巻き、このホテルの一室は強い緊張で満たされる。
私の戦いが静かに始まりの音を鳴らしていた。
お久しぶりです!また来て貰えて感謝です!
書くぞ~~
次話は3日後 6/10 19時に投稿予定です。




