71話 香り立つ権力の臭い
【イリス視点】
「えっ……?チェベーン家がファイファール家の婚姻を非難したんですか……?」
「そうよ、今朝チェベーン家から声明が届いたわ」
ここは王族が貸切るホテルの特別棟の談話室、私は紅茶を飲みながら第三王女のアドリアーナ姉様と話していた。アドナ姉さまの年は19歳であり私よりも2つ上だ。貴族特有の唯我独尊、自信過剰の気質はあるものの、とても賢く知識に富んでいる尊敬すべき姉様であった。
「理由は?」
「『今回の婚約は王族の権力を狙ったファイファール家の汚らしい思惑が透けて見える。ファイファール家が国益を無視し、今回の婚姻を強行する場合、我がチェベーン家は国家のためにファイファール家に経済的な圧力を課すものとする』……ですって」
「……なに阿呆なことを言っているんですか?チェベーン家は?」
チェベーン家というのはこの英雄都市から一番近い場所にある大きな都市を治める貴族の家だ。ここから半日ほどの距離の場所にその都市は存在していた。その貴族が今回のファイファール家が結んだ婚約を非難しているのだ。
まずそもそもそもとして、相手の家の権力を欲しない貴族の結婚などありはしないだろう。それはチェベーン家だって重々承知のはずだ。
「……これって理由は何でもいいからチェベーン家はファイファール家に圧力を掛けたがっているって事ですか?」
「そうね。実際ファイファール家の資金は火の車。今回の婚約が行われた後でもまだ経済的に苦しいでしょう。その上で隣の都市から圧力を加えられるのはファイファール家にとっては痛いわ」
アドナ姉様はごく自然に綺麗な所作で紅茶を飲んでいた。私も紅茶を頂く。
「なぜチェベーン家はそのようなことを?」
「それは、ファイファール家の力が弱いとチェベーン家が潤うからよ」
「………………」
「7年前、竜の襲撃の事件によってファイファール家は大きく力を失ったわ。それにより、それまで英雄都市を利用してきた商人や貴族が代わりとしてチェベーン家の都市に活動場所を移したわ。それによってチェベーン家は棚から牡丹餅……大きな利益を得ることになったわ」
「成程……ファイファール家のアリア様が王家と婚約を結び、家の力を高めると、その商人たちが昔の縁でこの英雄都市に戻ってしまう可能性があるのですね?そうすると、チェベーン家が困ると…………」
「その通りよ」
今回、ファイファール家のアリア様はほとんど借金の形のような形で嫁入りをする。ファイファール家の負債を王家が少し肩代わりするだけで、政治的な権力、発言力は全く上がらないだろう。……いや、完全に王家の下に付くことを認めたようなものだから、むしろ権力は小さくなるかもしれない。
それでもチェベーン家はファイファール家が得になるような行動を制したいのだろう。
「更にチェベーン家は第一王子ニコラウス派。自分たちの邪魔者であるファイファール家が第六王子リチャードに嫁を出すのだから、嫌がらせはしておきたいわね」
「………………」
今、国内は第一王子ニコラウスを支持する家と、第六王子リチャードを支持する家に分かれている。
正当な王位継承者は第一王子のニコラウス兄様である。
しかし……妹がこんなことを思うのはとても恐縮なのだが……ニコラウス兄様は愚物であると世間一般から言われている。残念ながら能力は無く、そして人望も無い人なのである。
故に王位は第一王子ニコラウス兄様ではなく、能力の高い第六王子リチャードに与えるべきでは?という声が上がっているのである。
「それに、チェベーン家は過去にファイファール家に恥を掻かされているもの」
「…………恥?」
私は聞いてみる。
「ファイファール家のアリアの兄、ナディスという男はそれはとてもとても強かったらしい、ということは知っているかしら?イリス?」
「はい。その話は伺っています」
「過去にこの近隣に強大な魔物が出たっていう話があるのよ。とても恐ろしい虎の魔物だったと言うわ。チェベーン家は王家に支援を要請して、その魔物を討伐しようとしたの。英雄都市に先駆けて、栄誉を独占しようとしたのね」
「………………」
「でも結果は惨敗。支援して貰った王家の軍隊も消費しきり、それでもチェベーン家はその虎の魔物を止めることは出来なかったわ。このままでは魔物はチェベーン家の都市に攻め入り、滅びるだろうというところまで行ったらしいの」
私は姉様の話を聞きながら、緊張して紅茶を啜った。
「でもそこで現れたのはファイファール家の長男、ナディスよ。彼はたった1人でその虎の魔物を討伐してしまったわ。チェベーン家としては面目丸潰れね。王家に借りた軍隊をぱぁにして、さらにその魔物をたった1人の男が打ち倒したのだから。…………それからチェベーン家はファイファール家を一層強く敵視するようになったわ」
「…………チェベーン家はナディス様によって都市が救われたと考えられなかったのでしょうか……」
「出来なかったのね。実際、周りの貴族から大変な嘲笑にあったというし」
その出来事は知らなかった。竜の襲撃とは関係ない事件であっただろうし、ファイファール家も説明を省いたのだろう。
「だからこの英雄都市を襲った7年前の竜の襲撃に最も喜んだのはチェベーン家ね。ファイファール家は大きな損害を生じ、チェベーン家はとても潤い……そして憎んでいたナディスも死んだのだから」
「………………」
私は思わず息を呑んだ。
「それはつまり………… 家はナディス様に死んで欲しいと思うほど憎んでいた……?」
「………………」
私がそう言うと姉様は美しくも妖しい、艶やかな笑みを浮かべた。
「そう言ってもいいかもしれないわね?」
* * * * *
「……という話があったんですよ」
「……ふーむ」
前の調査の依頼の時もやっていたことだが、私が雇った冒険者達は各自の情報を擦り合わせ、議論する為に、数日に一度ミーティングを設けている。その中で私はアドリアーナ姉様から聞いた話を皆に伝えてみた。
「……つまり、そのチェベーン家はこの都市と敵対関係にあったのだから、竜の襲撃事件に関わっている可能性がある、と言いたいのか?女狐?」
壁にもたれ掛かりながら、クラッグは私にそう言った。…………慣れ親しんだ冒険者達は、もうクラッグの『女狐』発言に何の疑問も感じなくなっている。……これは一度雇い主としての威厳を知らしめなければいけないだろうか…………
「……そこまではっきりと言うつもりはないのですが……竜の襲撃事件に対し、損益で考えて怪しい者に目星を付けていくのはどうかなって考えまして……。この英雄都市や、あるいはナディス様に恨みを持つ者を重点的に調べていく方法もあるのかなって思ったのですが…………おかしかったでしょうか?クラッグ様?」
「いや、いい。槍の男セレドニを探すという命題から少し外れている可能性を除けば、お前の考え方は悪くないと思う。どこでどう線が繋がっているか分からないからな」
おぉ、意外。クラッグから賛同を貰いました。他の冒険者達も小さく頷いています。
「でもさ……おっと、いえ……ですがイリス様、竜の襲撃なんて言うのは普通、人が操れるものではありません。人為的な事件ではないと思われていた為、怨恨による線での捜査はしていなかったのですが…………?」
「確かに……フィフィー様の言う通りなのですが…………」
私達は竜の襲撃を災害と同じような目で見ていた。人にはどうすることの出来ないもの。到底人には操り切れる力ではない筈だった。
「いや……あり得なくはない……『竜の鱗のオカリナ』という神器がある」
「神器…………」
「また神器ですか…………」
「……そう言うな。大体人の世に悪さするおかしな現象は神器かS級以上が扱う魔法だ」
クラッグが話すには『竜の鱗のオカリナ』という神器を使えば、そこに竜を引き寄せることが出来るのだという。
元々は水神歴410年頃、多数の竜が住み着くことに困り果てていた国があり、ある1人の若者が1匹の竜を討伐し、その鱗からオカリナを作った。その音色に釣られて多数の竜達はその青年に引き寄せられ、青年はその竜達を誘導しその国から遠ざけたのだという。
そういう逸話の残った話であった。
「だが…………確かにその『竜の鱗のオカリナ』を保管していた国がその神器が何者かに奪われたことを公表している。それが確か、10年くらい前の事だ」
「…………英雄都市の竜の襲撃が7年前……時期は合いますね…………」
「………………」
皆の中に小さな沈黙が走った。
「…………まさか、本当にチェベーン家がこの英雄都市を……?」
「イリスティナ様、その言葉を出すのは早急過ぎます。クラッグ、その『竜の鱗のオカリナ』の知名度はどの位なんだい?ボクは聞いたこと無かったけど…………」
「リックが知っていないんじゃ歴としたマイナーだな」
「……じゃあ英雄都市がその『竜の鱗のオカリナ』を知らない可能性は多分にある……か…………」
自分で話し出しておいてなんだけれど、私が出した本来の依頼は槍の男セレドニの捜索であり、今話し合っている事とは少しズレが生じているかもしれない。しかし、この都市で重要な存在であったナディス様に恨みを抱える者を調べていくことも大切な調査なのだと思える。
「権力の臭いがするね…………」
「………………」
「………………」
私達は昔の事件に政治的な影を感じながら、今後行うべき活動を精査し合ったのだった。
ちょっとだけ短かったので、次話『72話 第一王子ニコラウス』は明後日 5/4 22時投稿予定です。




