57話 ロビンの友達
【エリー視点】
鍋がぐつぐつと煮えている。
「ふぉっふぉっ……深夜に食べる軽食というのは乙なものでな………時々息子たちに隠れてこっそりと食べているのじゃ」
「………………」
まだ夜は明けていない。最低限の明かりだけを灯した暗い部屋の中で、小さな鍋が煮えたぎっていた。開いている窓から湯気が出て、星空へと立ち上っていく。軽く頂ける分だけの山菜とイノシシの肉が入っており、その香りがこんな時間まで起きていたことのない私のお腹をくすぐっていく。
「ほれ、量は少ないが夜食というのはそれでいい。温まるぞ?」
「…………ありがとうございます」
村長がよそった鍋を受け取り、山菜を口に食む。熱くて口の中が痺れた。
「あの…………ロビンは………?」
ここは村長の家だ。
隠された地下で私たちは村長に捕まり、そして何故か今ここで鍋を囲んでいる。
ここに共犯であるロビンはいない。私と村長の2人だけだ。
「あの子ならタルの中に押し込めて蓋をしておいた。暗くて寒いじゃろうが、罰じゃ。1晩くらいあそこで怯えててもらわないとのぅ」
「…………すみません」
肩が竦む。私はどんな目に合わされるのだろうか…………
まさか、まさかこの鍋に毒……いや、紫のブヨブヨの触手が入っているのではないだろうか…………!?嫌がる私に無理矢理あの気味の悪いのを食べさせようとしているのではないか…………!?
「ふぉっふぉっふぉ!震えるでない。怯えるでない。別に罰を与えるつもりはない。ただ、お主には注意をしにきただけじゃ」
「…………ご、ごめんなさい……」
私の体は自然と小さくなる。居た堪れなくなって丸くなってしまう。
いけないことをしていたので申し訳ない気持ちにはなっているのだが、それでも聞きたいことは山ほどある。あの地下室は何だったのか、『叡智』ってなんなのか、『百足』ってなんなのか……ロビンは一体何者なのか…………
「あの…………」
「待ちなさい、エリー君。お主の質問は一切受け付けぬ。今はただ、君が儂の話を一方的に聞くだけじゃ」
「………………」
制される。何も物を言うことが出来なくなる。一拍を置くかのように村長が鍋をすする。
「……ロビンに関する記述、読んだじゃろ?」
「…………最初の記述だけです」
「それでも察しが付くこともあるじゃろう。本人は気付かないだろうが、外から見ると…………な………」
村長が悲しみの表情を浮かべる。言うのを躊躇うかのように、一瞬だけ空白の間が入った。
「…………水神歴972年、ロビンが襲撃される、という部分まで読んだな?
「…………はい」
「…………その時にあの子の両親は殺されておる………」
「………………」
「……儂はあの子の本当の祖父ではない。もちろん、あの子は儂の息子を父親だと信じて居るが、あいつもあの子の本当の父親ではない………
幼かったからじゃろうなぁ………あの子はその事を全く分かっておらん………」
「………………」
村長は目元を拭った。
「その時に……あの子の村は皆殺しにされておる…………唯一生き残ったのは、あの子とあの子の兄だけじゃ……そいつも……中々この村に帰って来れない。
あの子は気付いておらぬが……あの子は孤独じゃ…………」
「…………ロビンのお兄さんって、大きなイノシシを狩った人ですよね……?」
「わはは、エリー君の中であいつはそういう立ち位置か」
村長は力なく笑った。私も少し笑ったが、上手く笑えなかった。
「あの子はそういう人生を送らねばならない……このどうしようもない世界に、漂い続けなければならない………そういう宿命を背負って生まれてきてしまった………
それはどうしようもなく………一生変えられないことなのじゃ…………」
「…………どうしようもない世界……」
「息を潜め続けなければならぬ。隠れて過ごさねばならぬ。この村から出すことは出来ない。この村で一生を終える。その意味を……その重さをあの子は少しずつ知っていくじゃろう…………」
鍋の料理は未だ温かい。しかし、私の体は冷えていくようだった。
「だからこそ……軽率な行いは許されん。その軽い行動は、あの子を殺すことに繋がる。分かれ、エリー君」
「…………申し訳ありませんでした」
私は情けない気持ちを抱えながら頭を下げた。
私たちの興味心はロビンを不幸にしていく。この村はロビンの事を思って、ロビンに隠し事をしているのだろう。
「…………エリー君、お願いじゃ」
「……はい」
「ずっとずっとあの子の友達であってくれ」
村長の真剣な眼差しが私を射る。息を呑む。平凡な頼みごとの筈なのに、その重みが私に圧し掛かってきた。
「たまにこの村にやって来て、君の話を聞かせてやってくれ。あの子の……いや、あの子たちの遊び相手になってやってくれ。ロビンの様に、もう一生外に出れん子は……何人かいる…………」
「…………はい」
「頼まれてくれるか?」
「……はい。私で良ければ…………」
村長が少し間をあけて、口を開いた。
「たとえ君が、この国のお姫様でも……?」
心臓が強く跳ねた。
「………………え?」
体が固まる。村長は今、何と言った…………?
私が……お姫様だと言った…………?
暗い闇の中にあるこの景色でさえ、白黒の世界になってしまったかのような錯覚を覚える。冷や汗が噴き出る。
…………バレていた?私が王女だって、バレていた……?
「ふぉっふぉっふぉ……!この老いぼれも、まだまだ節穴ではないわいっ………!これでも儂も昔、『百足』に所属していたもんじゃからのぅ…………!」
「………………」
「そう緊張するな、イリスティナ様!まだ儂以外には気付いとらんっ!まさかお姫様が変装してこんな辺鄙な村に遊びに来ているなんて誰もこれっぽっちも想像しておらんっ!
『百足』にだって気付かれておらん。あやつらはエリー君の事を知らなさ過ぎる……!」
固まる私を前に、村長は大きく笑った。
「儂とエリー君だけの秘密じゃ」
ロビンに似たイタズラめいた笑顔に私も思わず笑みが零れる。
正体がバレていたというのに…………血が繋がっていなくても、ロビンの中に村長の面影を見て、私はなんだか嬉しくなった。
「ずっと友達でいてやってくれ」
村長は穏やかな笑みを浮かべ、私に語り掛ける。
「君がどんなに偉い地位にいようとも……この村がどんなに貧しくても……あの子が苦しい宿命を背負っていても………いつもいつも、あの子の友達でいてやってくれ。皆の友達でいてやってくれ…………」
「――――――」
「それが、一番、大切なことなのじゃ…………」
友達……それがとても重い言葉に思えるのは初めてであった。
やることは簡単である。しかし、背負うものは重かった。途中で簡単に手放していい絆ではなかった。
それでも私は頷いた。
「私の……家名に懸けて…………」
「…………うむ」
村長は満足げに頷いた。穏やかに、ゆっくりと頷いていた。
「良かった……」
「…………」
「良かったのぅ…………」
お爺様は嬉しそうに微笑み、鍋を一口すする。鍋の湯気は部屋を暖めていく。
不思議だ。先程まで寒かったこの部屋が暖かく感じる。鍋は少しずつ冷めているというのに。
湯気は窓から外に出て、星空へと昇っていく。
きらきらと輝く星空は、王都では見られない程美しいものだった。
* * * * *
夜を歩く。
村から城に帰ろうとしている。
相変わらず星空は綺麗で、気持ちはふわふわ浮いていた。
ロビンはまだタルの中に押し込められているだろうか?恐い思いをしているだろうか?泣いたりしているだろうか?
でも私は嬉しかった。
ロビンだけが罰を受けて少しだけ申し訳ないけど、村長と話せて嬉しかった。
友達という絆は重いものだった。でも、その絆は心地のいいものだった。
損得じゃない。何か私がしてあげられることはないだろうか。自然とそう思えてくる。そうしたいと思えてくる。
損得以外の絆は、私にはほとんど縁の無いものだった。
気持ちがふわふわと浮いてくる。
私はスキップをして城へと帰った。
―――そして、その人は姿を現した。
「………………」
その城の入り口に護衛のアルムスさんが突っ立っていた。ものすっごく厳しい表情をしていた。
「………………」
私の体が固まる。ふわふわ浮いていたいい心地が地面に急転直下し、大量の汗が噴き出していく。
「………………」
「………………」
アルムスさんは一言も喋らない。でも、それはとてもとても恐かった。固まった体が小刻みに動き出し、震えを伴っていく。
「…………いい度胸ですね、イリスティナ様」
彼は笑った。とても気持ちのいい笑顔で笑った。
でもそれが恐かった。いや、彼がどんな仕草をしようが全てが恐かった。
何故ならアルムスさんから溢れ出る怒気がこの場を支配していたからだ。
「……つ、つい……出来心で……………」
…………ロビンだけが罰を受けることなんてなかった。
私もすっごい罰を受けたのだった。
2話連続ゲームオーバー
次話『58話 知り得ぬ為の大喧嘩』は明後日3/30 19時に投稿予定です。




