52話 空腹の獣たち
【イリス視点】
「……という訳で、この村には食べるものがほとんどありません!」
ロビンが近所の子供たちに号令を出す。
貧困スタートであった。
ここは緑が生い茂る山の中だった。植物や動物まで、ありとあらゆる命が蠢き、森を這って生きている。そんな場所に子供たちを集めて食べるものが無いという話をするとしたら、これからやることは一つで…………
「よって今日の遊びは『食料調達』ということになりますっ!」
「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ…………!」
と、ロビンは号令をかけ、村の子供たちは雄たけびを上げた。
生きるか死ぬかの山のお遊びが始まろうとしていた。……というより、ただの仕事と全く変わらなかった。
パンがなければお菓子を食べればいいではないか、という言葉を私はぐっと飲みこんだ。言えない……こんな殺気めいた友たちを前に、そんなことは言えない…………言ったら多分、私が丸かじりにされてしまうのだろう…………
腹を鳴らしながら目が血走る友達たちに私は気圧されていた。
これが……本当の貧困…………
「手段は選ぶなぁっ……!何を犠牲にしても……何を殺しても食べ物を手に入れろぉっ…………!」
「サー!イエッサー!」
「最悪、食べれなくてもいいっ……!殺せぇっ……!」
「サー!イエッサー!」
「ちょっと待って?!」
制止を掛ける。殺気が方向性を見誤らせる。
空腹の殺気の恐ろしさを知った。
こうして山の中での狩りが始まる。私はもちろんロビンに付いていくことにした。
山を掻き分け、ガサガサと進む。緑の匂いが山全体に充満しており、この匂いを嗅ぎ慣れない私は少し頭がくらくらする。整備された植物園で緑の美しい香りを堪能したことはあるが、なるほど、これが容赦のない自然に蔓延る緑の匂いなのか。
山の力強さを感じる。
全然分からないけど、護衛のアルムスさんも私たち全員に気付かれない様に私の傍にいるのだろう。ニンジャヤバイ…………
でも私は少しわくわくしていた。
何故なら摘みたての山菜料理が食べられるからだ。
何物も取れたての新鮮な食材が一番美味しいって聞く。私は豪華な食材を日頃から食べているけれど、まさか自ら山に入って食材を調達することがあるとは思わなかった。新鮮な味が楽しめるなんて役得だ。
そんな中、ロビンがそこら辺を這っていた蜘蛛を長い針で突き刺した。
蜘蛛の胴体が貫かれ、串刺しとなる。
「………………」
「………………」
ロビンは立ち上がりくるりと振り向いた。
目を血走らせながら、口元が裂けるのではないかという程恐ろしい笑みを浮かべている。突き殺した蜘蛛を見ながら笑っていた。
「…………1匹目だよ………」
「いやあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……………………!」
ロビンが絶命した蜘蛛を食材が入る予定の背負子のカゴに入れた。
「食べるんですかっ…………?!その蜘蛛、食べるんですかっ…………?!嘘ですよねっ…………!?」
「食うっ…………!この世全てのものは食材だっ…………!」
「毒あるかもしれませんよっ…………!?」
「食えなくても食うっ…………!」
「意味が分からないっ……!」
あぁっ!ダメだっ!目が狂気の色に染まっているっ……!
彼を止められる者は誰1人としてこの世には存在しないっ…………!
「親分っ!あそこにアリの巣がっ…………!」
「よしっ!でかしたっ!1匹も逃すなっ……!一網打尽にしろっ……!」
「イエッサーっ!」
私、夕飯は遠慮しようっ!城に帰って普通のものを食べようっ!
田舎恐いっ!空腹の人恐いっ…………!親分ことロビン恐いっ…………!
「親ビン!あそこに蜂の巣がっ………!」
「あんだってええぇぇぇっ…………!?」
ロビンが慌てながら走り出した。
そうだよね!蜂は危険だよね!一目散に逃げなきゃいけないよねっ…………!
しかし、ロビンが走っていった先は蜂の巣の下であった。
見上げながら呟く。
「………今日の食材は豪華だな……」
「じゅるり」
「………………」
皆はぶんぶんと蜂が大量に飛び交う蜂の巣を見上げながら涎を垂らしていた。
ロビンたちにはあれが食材に見えるらしい。唖然とする他ない。
「いけええええぇぇぇぇっ…………!今日の村の飯は蜂の巣だああああぁぁぁぁっ…………!殺せえええええぇぇぇぇぇっ…………!」
「ヒャッハーーーーーーー…………!」
イカれた目をぎらつかせながら魔術で蜂を火炙りにしていく我が友たち。空腹って、人を狂気に陥れるのね…………
侵略者の攻撃に為す術なく、蜂の兵隊たちはこんがりと焼け地に落ち死んでいく。食事に正義も悪も無いけれど、涎を垂らしながら狂気の笑みを浮かべる友達たちはどうしても悪にしか見えなかった。
ゲテモノで背負子が埋まっていく。
「ヒャッハーーー…………」
「大量だぜええええぇぇぇぇぇ……………」
「たまんねぇなぁ…………これえええぇぇぇぇ…………」
みんなの目がかっ飛んでいる。悪いクスリをやっているとああなるって聞くけど……あれはただ空腹による症状なのだ…………
恐い……空腹って、恐い…………
私は友を通して空腹の苦しみを知ることが出来た。
それからというもの、私は1人でなるべく普通の食材を採るように努めた。
せめて私だけは普通の食材を集めなければいけない。
図鑑で見たことのある山菜、芋、茸を取っていく。こう、実際の採集しようとすると座学と実学がだいぶ違う事を思い知らされる。図鑑に載っている挿絵はその植物の理想的な状態を描いていたのだろう。図鑑の知識が正しく反映されない山の神秘に戸惑いを覚える。
きっと、座学だけでは自分の想像も入ってしまうのだろう。
記されていない部分を自分の想像で埋め、そのイメージの違いに戸惑ってしまう。土で汚れていく自分の手と、図鑑をめくる自分の綺麗な手の違いに苦笑せざるを得なかった。
「あ……このキノコ…………」
色鮮やかなキノコが目の前にあった。これは確か毒があるから採ってはいけない筈。私は手を止め、そのキノコから離れようとした。
「あぁ、これは大丈夫。いけるいける」
そう言ってロビンは私に近づいて、さっさとその色鮮やかなキノコを採集していった。
あ、あれ……そ、そうなんだ……?図鑑で毒があると見たことがあるからダメなのだと思ったのだけど…………そうですね、現地の方がいうのだからちゃんと食べられるキノコなのだろう。
きっと私が図鑑で見たのは形の似た別のキノコだったのだろう。
「大丈夫……そう、大丈夫……これなら、多少手足が痺れて見えちゃいけないものが見えるだけだから…………」
「捨ててっ!」
違った。ロビンが狂っているだけだった。荒い息と共にロビンはキノコを摘んでいく。
「大丈夫……大丈夫……この程度だったら死なないし…………」
「死ななければセーフって考え、やめませんっ!?」
空腹恐い!空腹恐い!
そうやって食材を採っていると背負子が一杯になっていく。かごの中はゲテモノの食材で一杯だ。私は逃げよう。夕飯にお呼ばれしても私は逃げよう。今まで私はたくさんの貴族の方から厭らしい意図が透けるディナーに誘われてきたけれど、今日ほど命の危険を感じるディナーは初めてだ!
社交界に長けた私をディナー1つでここまで震え上がらせるとは、ロビン……なんとも恐ろしい子…………!
どこにいるかは分からないけれど、ニンジャのアルムスさんも手をバツにしながら首を振っているような気がする。
日が傾き始める。今日の探索はここまでだ。
少し休憩したら山を下って村に戻ろうという話になった。背負子を下ろし、地面に座り息をつく。
「いつもこんなことしているんですか?」
私はロビンに聞いてみる。
「最近は特別だね。城の建設で多く税が掛かっちゃってるから」
「そうですか…………」
そう言われてしまうと立つ瀬がない。私は身分的には貴族側の人間だ。貴族の誰もこんな過酷な狩猟生活をしたことがないだろう。
「…………こういうのって、この村だけなんですかね?」
「そんな訳ないと思うよ。どこの村だって一緒さ」
……学校では、偉大なる王族の指揮の元、全ての国民は裕福で幸せな生活を送っていると教えられたことがある。あれはなんだったのだろうか…………
「でも、ま、いいよ。蜘蛛嫌いじゃないしね」
「………………」
それでもからからと笑うロビンはなんだか眩しく見えた。
そんな時だった。
「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁっ…………!?」
友達の叫び声が聞こえた。
「ん!?」
「なんだ!?」
「今の声……ビーダー………ッ!?」
叫び声がした方に駆け付ける。
そこには大きな魔物から逃げる友達の姿があった。
「ビーダー!大丈夫っ……!?」
「親分っ……!俺は大丈夫なんだけど……あの魔物に背負子のカゴが盗られて…………」
「なんだって……!?」
そこには私たち子供の身長の倍くらい高さがある魔物がいた。
たくさんの触手が生える気持ちの悪い魔物だった。紫色のぶよぶよとした胴体を持ち、そこからたくさんの触手がうねうねと動いている。触手には多くのぶつぶつが付いており、そこから分泌液が垂れており、ネバネバした触手を作り出していた。
見るからに気持ち悪く、悪辣な魔物だとすぐに分かった。
その魔物の触手はビーダーが背負っていた背負子を掴んでおり、胴体の穴が開いた部分にその中身を放り込んでいる。
食事をしていた。
「皆!逃げましょうっ……!」
身の危険を感じ、そう叫んだ。
しかし、ロビンも皆も動こうとしない。触手の魔物と向かい合い、身を強張らせている。
逃げないといけない!悔しいけれど、かごの中身は諦めないといけない!食べ物は大事だけど、死んでしまっては元も子もないのだ!
あの魔物と戦っても何の利益にもならない。逃げるしかないのだ。
「ロビンッ…………!」
「………………」
ロビンは言った。
「…………こいつ食えるかな?」
「絶対絶対絶対絶対いやだあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁぁっ…………!」
私は魂の叫び声を上げた。
「バカですかっ!?頭おかしいんですかっ!?空腹で頭おかしくなっちゃったんですかっ……!?それとも元々頭おかしいんですかっ……!?」
「腹に入れちまえば一緒さ」
「一緒じゃありませんーっ!あんなものが自分の血となり肉となるだけで寒気がしますーっ!」
私の制止も聞かず、ロビンはナイフを構え触手と向き合う。皆も戦闘態勢に入っていく。
なに!?本当にこんなこと、他の村でも起こってるの!?やっぱりこの村が特別おかしいんじゃないのっ…………!?
「大体まず、こんなの絶対誰も食べないですって!」
「切り身にしたらバレないって」
「やめてあげてっ!」
そんな、自分の村の人間を犠牲にするような行為はやめてあげてっ!
後で話を聞いたら、護衛のアルムスさんはとてもハラハラしていたという。
「なんだっ!?あいつ、ぎこちない動きをし始めたぞっ……!?」
「チャンスっ……!僕たちから奪った毒キノコとかで、あいつ痺れてるっ…………!」
「やっぱ食べちゃいけないものだったんじゃないですかあああああああぁぁぁぁぁっ…………!」
皆で一斉にぶよぶよの魔物に襲い掛かる。みんな狩猟者の目をしていた。
「いくよっ!食うか食われるかの戦いだぁっ!」
「食わないでえええええぇぇぇぇぇっ…………!」
勿論、私の言葉なんて誰も耳を貸してくれない。城育ちの私の言葉は山育ちのみんなの心に届かなかった…………
私は山の厳しさを思い知ったのだった…………
…………これ、本当に山の厳しさなのかなぁ………
* * * * *
「ふぉっふぉっふぉ……よく煮えたのぅ…………」
「………………」
家の中に白い湯気が立ち上り、部屋の中を温めていく。大きくて熱い鍋がテーブルの中央に置かれ、私たちが採ってきた食材がぐつぐつと煮えている。
ここは村長の家だ。ロビンは村長の孫らしく、ここで村長と暮らしているらしい。今、この家には山で食材を採ってきた子供たちが集まっており、ここで一緒に鍋を囲う予定であった。
……みな、顔色が優れない。
やっちまった………というような罪悪感に満ちた顔をしている。
高いテンションが収まって冷静になった後のようだった。
「皆、今日はたくさんの食べ物を取ってきてくれたのぅ。ほれ、みんな、良く食べぃ」
「………………」
皆、鍋に手を付けようとしない。何も知らないのは村長だけだった。
「あ、あの……村長…………」
「なんじゃ?エリー君と言ったかな…………?」
「あの……その……無理に食べなくても…………ほ、ほら……蜘蛛とか入っていますよ………?」
私はやんわりと説得を試みた。本当に危険で得体の知れないものは蜘蛛如きではないのだが、説明は出来ない。したくない。できる筈がない。
なんか心なしか鍋のお湯にも粘りが出てきているような気がするし…………
「ふぉっふぉっふぉ、皆が一生懸命取ってきてくれた食材ならどんなものでも嬉しいのじゃよ、エリー君」
この村の村長は白いひげを擦りながら、穏やかな笑みを浮かべ優しい口調でそう言った。
…………違うんです………違うんですよ、どんなものでも、なんて軽々しく口にしちゃいけないんですよ…………
…………ねぇ、この方あなたの村長でしょ………なんとかしなさいよ………という視線を送るが、ロビンは汗を垂らしながらそっぽを向いた。ひどいですっ!
「それじゃあ、先に頂かせて貰うかの」
「あ!」
そして村長はひょいと、私たちが採ってきた謎の肉を口に入れた。
「んんー…………」
村長が謎の肉を美味しそうによく噛んでいる。私たちはごくりと見守っている。
「…………ん!」
村長が目を見開いた。
「んんん゛っ……!」
「…………!」
「うん゛っ…………!」
村長の喉が大きく動き、その肉を呑み込んだ。
「………………」
「………………」
「………………」
村長はゆっくりと私たちに微笑みかけ…………
―――ビターンと倒れた。
「そんちょお゛お゛お゛お゛おおおおぉぉぉぉぉぉぉっ…………!」
「そんちょお゛お゛お゛お゛おおおおぉぉぉぉぉぉぉっ…………!」
「そんちょお゛お゛お゛お゛おおおおぉぉぉぉぉぉぉっ…………!」
村長が倒れたっ!
やっぱり倒れたっ!
やっぱり倒れたっ!
そりゃあ倒れるよねっ!?
うん!知ってましたっ!
私は生まれて初めて殺人未遂を犯してしまった。
夜空に煌めく星のどこかに村長の魂が昇ってしまわない内に、必死に回復魔法をかけ続けたのだった。
結論。山って恐いなぁ。
…………いや、空腹って恐いなぁ………
村長は犠牲になったのだ……空腹の……犠牲にな…………
次話は明後日3/20 19時に投稿予定です。




