50話 ロビン
【イリス視点】
「ロビン…………」
貧相な村の中で私は1人の少年と出会った。
私と近い年頃で、帽子を被った活発そうな少年である。女性的な綺麗な顔つきをしており、焦げ茶色の短い髪を持っていた。
その少年はロビンと名乗った。
強い風が吹く。
「…………で?何しに来たんだよ、バカ王女」
この人は先程から私に大変失礼な態度をとっている。私の事を世間知らずのバカ王女と言い、口を曲げ挑発してくる。
この子を罰する為か護衛の方が前に出ようとするが、私はそれを手で制した。
「……私にはイリスティナという名前があります。バカ王女なんて名前じゃありません」
「分かったよ。バカイリスティナ王女様」
「(ムカっ)」
この時は自覚していなかったのだが、面と向かって喧嘩を売られたのは私にとって初めてのことだった。貴族の方達はいつも私を褒め称えていた。こんな経験は初めてだった。
何とかこの目の前の生意気な子供を自らの手で打ち倒したい、論破したいという感情が芽生えてくる。そんなことは初めてで、私はふつふつと湧き出てくる胸の高まりに興奮をしてしまった。
「…………いいんですか?この村を救う私にそんな口を利いて?」
「……この村を救う?君が?」
「もちろん。私は農業効率を上げる為の最新の研究をこの村に伝えに来たのです。これを見て私にごめんなさいと言いなさい」
ロビンという少年に優れた知識が詰まった手書きの紙を渡す。すぐに彼も、おぉっ!イリスティナ姫!感謝いたします!と感極まるだろう。
彼は私から手渡された紙をじっと見つめる。
さぁっ!びっくりして仰天しなさいっ!
「字が読めないよ」
「……っ!?」
ロビンは私が書いた渾身の紙をぽいと捨てた。私は風に吹かれそうになる紙を慌てて拾い集める。
「何するんですかっ!?バカなんですか!?貴方っ!?」
「なっ……!?バカ王女にバカなんて言われたくないやっ……!?」
「バカですっ!貴方はバカですっ!なんですか!?文字が読めないって!?バカなんですかっ…………!?」
「う、うるさいやいっ……!勉強さぼってるとか、そんなんじゃないやいっ……!大体、村のほとんどが字が読めないんだから仕方ないだろっ……!」
「っ!?」
字が読めない?ほとんどの人が?……学校で習わなかったのだろうか?
「…………っ!じゃあ読んであげますっ!まず1つ目!ジョン・バウガーが発明した脱穀用の器具がありますっ!これを用いれば一度に大量の麦や米を脱穀に掛けることが出来て、農作業の大幅な改善が出来ますっ……!これを用いるだけでも手間は省け、収入は増えていくでしょうっ!」
「ふんだっ!そんな最新の器機なんて買う余裕あるわけないだろっ!」
「っ!?」
ロビンが私の案を一刀両断する。
騒ぎを聞きつけてきたのか、村の人たちも私たちの近くに群がってくる。
「お前は何も分かっていないバカだ!常識のないバカだ!僕たちの暮らしがどんなものか全くもって分かっていない!どうせ甘やかされて、お菓子ばっか食べて、何一つ不自由してきたことがなく、お金のない苦しみなんかまったく分からないバカなんだっ!」
「ななっ……!?」
喧嘩を売られ私はたじろぐ。私は喧嘩腰の人に対する対処の術など持ってなく、売り言葉に買い言葉の様に私は彼に反論した。
「あなたの方がバカですっ!お金ならどこかから借りればいいでしょうっ!自分自身への投資を怠ってどこにお金をかけるというのですかっ!」
「なっ……!?」
「なんという暴論をっ…………!?」
ロビンだけでなく周りの大人もざわつく。
「そんなこと出来る訳が無いだろっ!?どこも金なんて貸してくれないよっ!お前は本当にバカなのっ!?バカも休み休み言いなよっ!」
「ぐぐぐ…………」
私は唸る。頭の中を必死に彷徨い反論の言葉を探す。
まさに売り言葉に買い言葉。私は叫んでいた。
「私が貸しますっ!」
「……!?」
ロビンが面を喰らったような顔をする。
「私が貸しますっ!私は自分の提案に自信があるっ!器機を導入するだけで十分効率化が見込めるっ!実際の例も勉強しましたっ!私はお金を貸せますっ!」
「…………!」
「大体あなたには向上心が足りないっ!始めから否定ありきで話をし、何かを変えようって気がまるでないっ!大体!文字だってそうだっ!この村には文字が読める人がほとんどいないって……つまり少しはいるのでしょう!?勉強をしようと思えばできたのでしょう!?勉強をさぼっているのでしょう!?自分の中の能力を上げようとしていないのでしょうっ……!?」
「な……なな…………」
ロビンがたじろぐ。私の反撃に言葉を詰まらせてあわあわとしていた。
興奮で自分の顔が熱くなるのを感じる。
「う……うるさいっ……何も知らない奴が僕たちの村に口出しするなぁっ!バーカ!バーカ!バーカ!」
「バカって言った方がバカなんです!バーカ!」
「お前だって今言ったでじゃないかぁっ!バーカ!バーカ!」
「また言いましたねっ!バーカ!バカバカバーカ!」
「あんぽんたんっ!ボケなすびっ!ちんどんやっ!お前の母ちゃんでーべーそーっ!」
「お母様はでべそじゃありませんっ!」
ロビンが何かを投げるような動作をして、私の服に何かがべチャっと付着した。
それは泥であった。ロビンが泥を投げて私の白い服を汚したのだ。
私のお気に入りの白い服を…………!
「うわあああぁぁぁぁっ…………!」
私はロビンに飛び掛かった。奴の体を押し倒し、顔をはたく。パシンといういい音がする。彼も反撃してきて私をポカポカ叩いた。下になる彼の服が泥で汚れる。私の服も汚れていく。
叩き合いになった。揉みくちゃになってもつれ合う。私の服がどんどん汚れていく。こんなのは初めてだ!
許さない!お気に入りの服だったのに!
「嫌い!嫌い!嫌い!あなたなんて大っ嫌いっ!」
「僕だって嫌いだっ!バーカ!バーカ!バーカ!」
ロビンとの喧嘩に夢中になって気付かなかったけれど、その時周囲の人たちは困惑していた。私の護衛の方は私を叩く村の少年を罰しなければならないところだが、あまりに子供っぽい喧嘩に面を喰らってしまっていたらしい。少し大人びた私がこんな喧嘩をするとは思ってもいなかったようだ。
「きゃうっ……!」
ロビンは力尽くで起き上がり、上に乗っていた私は地面に転がってしまう。彼は私を見下ろし、真っ赤な顔で叫んだ。
「悔しかったら追いかけてみろーっ!お前みたいな弱っちいお姫様が僕たちの険しい山を登れるはずないけどなーっ!」
そう言い捨てて、ロビンは脱兎の如く走り去っていった。大きくそびえ立つ山の方向へと向かって風の様に走り逃げていった。
「なんですってーっ……!」
「駄目です!姫様っ!抑えて下さいっ……!」
追いかけようとする私の体を護衛の方が抑える。私の従者が私のやろうとしていることを邪魔するなんて初めての事だった。
この村は初めての事だらけだった。
「はーなーしーてーっ…………!」
私の叫び声は大きな山々に吸い込まれ、大きな自然を前に消えていった。
引き摺られるようにして城へと戻されるのも当然初めての経験だった。
* * * * *
城に帰ると勿論この事は問題となった。
その少年を探し出して処刑するべき、という意見をブロムチャルド様は出したが私自身が却下した。彼は私が直接叩かないと気が済まない。絶対に手を出さないで下さいっ、と貴族の方を強く制止した。
私は山登りも出来るようなラフな格好に着替えた。汚れたって構わない。いつも着ているドレスとは着心地がまるで違う。
「………………」
こう、何というか、着ているものが変わるだけで自分の印象が違って見える。いつもは清楚なドレスを見立てられ普段からそういった系統の服を着ている。だけど、今は登山も出来る簡単な服装だ。
鏡の前に立つと、いつもとは違う自分がそこにいた。
「…………あはっ」
なんだか楽しくなってくる。
そうだ。変装もしないといけない。今から城を抜け出してあの憎き仇敵を追わなければいけないのだ。護衛に抱えられ戻されたということは、私が私のままだったらここから出ることも出来ないだろう。
変身魔法で髪の長さを変えてみる。
長く整った髪を短くしてみただけで自分の印象がガラリと変わる。
私は自分の事を落ち着いた人間なのだと評価していたけれど、服を変え、髪型を変えただけで活発な雰囲気がありありと出ていた。
「…………わお」
私は私に感心した。
何でも出来るような気分になってくる。山を駆け、あの生意気なガキを打ちのめせるような気分になってくる。俄然やる気が出てきた。
昼を少し過ぎた頃、私は書置きを残し城を抜け出した。
そして、あいつが逃げていった山に入る。
確かに山は険しかった。でも私は何も出来ないお姫様じゃない。王族として厳しい訓練は積んでいる。人よりも体力も魔力も多いのだ。与えられる訓練に全て良好な成績を出してきたのだ。
少し疲れるけれど山を登るくらいなんかなる。魔術を使って自分の体を強化しながら歩みを進ませる。急な坂道を坦々と歩いていく。確かに少し、ほんのちょっとだけ苦しいけど、ムカムカが体を突き動かすのだ。
会って言ってやるのだ。『来てやりましたよっ!ロビン!大口を叩く割には大した山じゃなかったですねっ!』って!
「……ん?」
山の中腹まで行ったところで、近くにあった草むらががさがさと揺れる。何かがいるようだ。
草むらの背は高く、大人の人が立っていても隠れられてしまいそうな程大きい。あの少年なんかならジャンプしても頭が出まい。
「………………」
……なるほどなるほど。
あそこに隠れているのはロビンなのかもしれない。
この山を登れるはずないだろと言った手前、ここに私が現れてびくびくしているのだ。どうしよう!本当に来ちゃった!とか思いながら、慌てて草むらの中に身を隠したのだ。今、冷汗をかきながら涙目で草むらの中を逃げているのだ!
「観念しなさい…………」
私は草むらに近づいてロビンを追おうとする。
その時に、草むらからひょこっと頭が飛び出した。
「…………え?」
「…………」
それは狼の魔物の頭であった。
私の体と頭がフリーズする。
恐ろしい目をした魔物が草むらから顔を出し、私を見ていた。
「………………」
狼の魔物が草むらから体全体を出す。
高さだけでも大人の身長程ある大きな魔物だった。鋭い牙と爪を持っていて、それが多くの命を刈り取ってきたであろうことは想像に難くない。頭だけでも十分大きく、その口は私を丸呑みできてしまう程大きい。
「きゃ…………」
「…………」
「きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ…………!?」
本能から湧き出てしまった私の叫び声と共に、魔物が私に襲い掛かってきた。
太く力強い足が地を蹴り、一跳びで私の元へと飛んで来る。大きな口が開く。それは一瞬の事だったけれど、恐怖のせいかやたらと時間が長く感じられた。
こんなの聞いてない!こんなの聞いてない!
そんな考えが高速で100回と200回と頭の中をぐるぐると回る。
貴族の方達は言っていた。この山の魔物を退治していると。こんな魔物が簡単に出てくるのに、魔物を退治しきれているといえるのだろうかっ!?
それにこんなに怖いだなんて聞いていない!
魔物退治は学校の授業でも勉強する。本に書かれた魔物の対処法を学び、どのような魔物にどう攻撃を加えればいいか勉強するのだ。その為の魔術を演習場で学ぶのだ。私はそこでも一番の成績を誇った。
でも聞いていない。大きな魔物がこんなに怖いだなんて聞いていなかった。この恐怖を授業じゃ教えてくれなかった!
瞬間瞬間、狼の魔物は近づいてくる。私を噛み殺し、食べようと迫ってくる。
恐くて体が動かなかった。
悲しいくらいに体が動かなかった。
私……こんなあっさり死ぬの…………?
そう思った。
「サンダーウィップッ…………!」
「ギャッ…………!?」
その時突然どこからか声がして、電撃の魔術が魔獣に襲い掛かった。
私を食べようと開いた大きな口は、呻き声を上げる為の口へと変わる。
雷の鞭が魔物の側面を打ち、バチバチと激しい音を鳴らす。黄色い電撃が魔獣の全身に走り、その体が痙攣するかのように仰け反った。そのまま鞭に叩かれ、魔物の体は弾かれていく。
その鞭は明らかに魔術で作られたものであり、雷の帯を鞭の様にしならせて動かす魔術だった。
鞭の元には1人の少年がいる。
私の目は丸くなる。私を助けた魔法使いは私の憎き仇敵だった。
ロビンが立っていた。冷や汗を流しながら鞭を握っていた。
「ギャウッ…………!」
弾かれた魔物はすぐに態勢を立て直し、今攻撃をしてきた人間の方に向っていく。
ロビンに向って猛スピードで一直線に駆けていく。彼は口をぎゅっと結び、魔獣を迎え撃とうとする。彼の体が緊張で強張っているのが遠目からも分かる。
「あ…………」
私は気付く。さっきまで恐怖で動かなかった自分の体が動くことに。
当たり前だ。今、あの魔物の殺気はロビンに向いているんだから。私は襲われていないのだから。
惜し気なく魔獣が私にお尻と側面を見せながらロビンに襲い掛かっていく。
舐めないでよ、って思った。
「ファイアーボールっ!」
炎の球を10個同時に展開し、一斉に魔獣に向けて放った。
火球が魔物の体にぶつかり、弾けながらその体を焼いていく。
「ギャウウウッ…………!」
魔獣は雄叫びを上げながら火に包まれ死んでいった。その牙はロビンには届かなかった。その雄叫びが断末魔となった。
私たちは魔獣に勝利した。
「はぁっ…………」
私はその場に座り込む。緊張が抜けて、足の力も抜けてしまった。心臓がばくんばくんと大きく鼓動しているのを感じる。汗が噴き出て止まりそうもない。
ロビンが近づいてくる。
この少年に助けられてしまった。何か嫌味でも言われてしまうのだろうか。死にそうになるなんて情けないとか、びびってやんのとか、そんな悪態を突かれるのだろうか?
彼だって汗だくだくだ。何か言ってきたら反撃してやる……!ファイヤーボールを打ち込んでやるっ……!
「大丈夫……?」
「…………え?」
予想外の事に、彼は優しく語りかけてきた。座り込む私に手を差し出し、起こしてくれようとしている。
「僕の名前はロビン。君は何でこんな場所にいるの……?」
「………………」
その言葉に私ははっと気づく。そう言えば私は変装をしていたのだった。服装を変え、髪の長さを変えている。
彼は私に気付いていなかった。
「私は…………」
手を伸ばし、彼の手を取った。
彼の手は想像よりも小さかった。
「私の名前は……エリーです…………」
適当に言ったその場しのぎの名前のつもりだった。
でもその時にエリーは誕生し、私の大切なもう1つの名前となっていくのだった。
ご覧頂きありがとうございました。
次話『51話 初めての戦友』は明後日 3/16 19時に投稿予定です。




