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46話 バカ

【エリー視点】


「うそ……だよね…………」


 湖の波打ち際に1つの焼死体が上がっていた。

 神殿都市の顔であるポスティス湖のほとりで、黒く焦げた焼死体が無残に横たわっている。


 震える足で近づく。

 全身が焼け(ただ)れている。火が強すぎたのか体の所々が炭化して黒ずんでいる。炭化していない他の部分は酷い火傷をしている。焼け爛れていない部分は無く、この火傷で生き続けられる筈がなかった。


 顔も焼けている。

 でも、誰か判別できない程ではない。


 この人はクラッグだ。

 間違いなくクラッグだ。

 炎の化け物を食い止めていた僕の相棒だった。


「うそだ…………」


 気が付いたら地面に膝を付けていた。足に力が入らなかった。

 目がちかちかする。頭にぼんやりとした霞がかかって考えが纏まらない。


 現実ではない様だった。

 嘘の様だった。


 手が震えていた。自覚はない。全身の感覚がない。

 ただ、目の前の死体が、全部全部嘘の様に思えて仕方がなかった。


 僕のせい…………?

 僕が逃げる為の時間稼ぎをしたせい?

 僕が弱かったせい?

 そもそも……この神殿を調べる依頼を出した僕のせい…………?


 この任務に彼を誘った私のせい…………?


 震える手で彼の頬を撫でる。最早、炭となってしまった黒い部分を撫でる。

 固かった。人の肌の固さじゃなかった。


 彼の顔に水滴が落ちた。

 何だろうと思ったら、私の涙だった。

 自覚はない。泣いているという自覚はない。全身は麻痺している。


「ごめん…………」


 涙が止まらなかった。


「ごめんなさい…………」


 もう鼓動の音を鳴らさない彼の胸に顔を付けた。

 心臓の鼓動の音がした。


「んあぁ……?その声、エリーか?」

「…………え?」


 目の前の焼死体から声がした。


「んあぁ……気絶してたわ……」

「……え?…………え?」

「エリー、今何時?……って、体動かねえ。焼けてんのか、これ。あー、マジ死ぬかと思ったぁ。もう勘弁」

「………………」


 …………は?


「今、状況どうなってんの?幽炎は湖の底に沈めたんだけどさ……ありゃあ、2日と経たずに出てくんぞ。ま、その間に遠くに逃げちまえばいいんだけどさ。メルセデスがいなかったら都市の人も襲わんだろ、あいつは」

「………………」

「不完全燃焼なのは確かだなぁ………決着はつかず相討ちだし………ん?俺の方がでかい負傷負ってるから、実質負け………?いやいや、引き分けみたいなもんだし。今回で決着をつけるつもりなかったし……俺も死んでないから文字通り不完全燃焼だし」

「………………」

「……ん?おーい?エリー?聞いてんのかぁ?あー……目が見えねえ。目まで焼けてんのか、これ」


 ………………


「生きてんのっ!?」

「うぉっ!?耳元で大きな声出すんじゃねえっ!?」


 え゛ぇっ!?いや!これ!?ありえないでしょっ!?

 だって、だって、こんなにも焦げてんだよっ!?体中が炭化しているんだよっ!?

 いやいやいやっ!?ありえない!ありえないよっ!?

 これで生きてるなんてあり得ないよっ……!?


「うそっ……!?うそっ……!?本当に生きてるのっ……!?」

「めっちゃ喋ってんだろうが、現在進行形で」

「うわっ!?生きてるっ!気持ちわるっ!その状態で生きてるの気持ちわるっ!」

「あ!このヤロウっ!」


 思わず体を離す。

 いや、だってこれ、気持ちわるいっ!死体が喋ってる!炭化した人間が生きてるっ!ゾンビみたいなもんだっ!


「どうやって生きてるのっ!?」

「生きてちゃわりぃか!?」

「いや!だって、これ!物理的に無理だって……!どうやって生きてるのっ!?」

「頑張ってんだよ」


 人は体の何割か火傷を負ってしまうと生きられなくなるとか聞いたことがあるが、こいつはそんなものじゃない。

 全身だ。全身が焦げているのだ。

 でも流暢に喋っている。

 うわ、気持ちわるっ…………!


「クラッグさん……!?生きてるんですかっ……!?」

「え……?本当に……?それ、人間としておかしくない……?」

「その声は……フィフィーとリックか。無事だったかー?」


 僕の後ろにはフィフィーとリックがいた。


「あれ?2人共いたんだ?」

「さっきからずっといたでしょっ……!」

「……エリー君の事、慰めてたんだけどなぁ…………」


 えぇ……?全然気付かなかった。

 そういえばどうやってここまで来たのか思い出せないや。


「ゆ……幽炎はどうなったの……?」

「さっき言った通り、湖の底に沈めてきた。戦闘中隙を見てさ、上の岩盤を全部破壊したんだよ。湖の水が地下通路に流れ込んできて幽炎の全身を呑み込んでさ、ポスティス湖の神水だし特攻だろうと思ってざまーみろとか思ったんだけどさ……あいつおかしいでやんの。

 動いてんの、水の中を。炎の癖に水の中で普通に燃えてやんの。

 げっ、て油断してさ、一瞬で全身燃やされてさ、しょうがないからカウンターで射抜いたんだけどさ、どうもあいつも割と苦しかったらしくて湖の底に封じられていったよ」

「…………」

「っていうか、なんだよアレ。なんでこんな場所にあんな化け物がいるんだよ。詐欺にあった気分だよ。なんつーか、初心者向けの迷宮でいきなりラスボスが出てきたような詐欺にあった気分だよ、ほんと」

「…………」

「ま、あれだけの力を持ってるんだ。消滅はないだろ。2日後くらいに復活だな。今回は痛み分けだよ、全く。取り敢えずこれが精一杯。これ以上語ることのない微妙な戦いだったさ。さっさとこの都市を離れようぜ」

「…………」


 クラッグは真っ黒焦げのまま流暢に喋る。苦しそうな様子は全くない。

 …………こいつ、ほんとどうなってるの?


 戦いの中で奇しくも湖の水を地下に流し込むという僕の考えた作戦と同じことをクラッグはやっていたようだ。で、この有り様だ。

 いや、あの怪物を止めたのだから素晴らしい戦果だ。絶句する。


「……でも、これじゃあクラッグはもう一生戦えそうにないね。何か冒険者以外の仕事探さないと…………」

「いや?リック?あちこち炭化して体動かせないし、目は焼けて無くなってるし、内臓まで焦がしてるけど……まぁ、ゆっくり休めば治んだろ」

「うっそだろ…………」


 流石のリックさんも絶句していた。

 とりあえず言えることがある。

 目の前のこいつもおかしい。


「…………と、取り敢えずみんなと合流しようっ!状況は担ぎながら説明するから」

「おう、頼む。俺は楽させてもらうわ」


 そうして移動の為にリックとフィフィーが立ち上がり、僕は転んでしまった。立ち上がろうとしても足に力が入らず、尻もちをついてしまう。


「……あ……あれ…………?」


 全身に力が入らない。脱力感が体中を回り、腰が立たない。


「……エリー?」

「……あはは……腰が抜けちゃったみたい…………」

「ん?」


 クラッグが疑問の声を上げた。


「どうした?エリー?」

「いやいや……安心したら力抜けちゃって…………」

「………………」


 その言葉を聞いて、クラッグはきょとんとした雰囲気を出した。そしてすぐ、黒焦げの男はいじめっ子の様にニヤッと笑いだした。

 すぐに僕はそれが失言であったことを悟る。


「おやおやぁ……?エリーさん……?腰が抜ける程、俺の事心配でもしてくれたのかぁ?」

「…………え゛っ?」


 黒焦げの顔なのに、僕をおちょくるような表情をしていることはしっかりと分かった。


「どうしたよぉ?俺が生きてて、そんなにほっとしちゃったのかぁ?必死だなぁ?ワロタ」

「…………っ!」


 自分の顔が一瞬で赤くなるのを感じた。


「し!心配なんかしてないっ……!」

「へー?へー……?」

「う!うるさいっ……!心配なんかしてないっ……!」


 クラッグがニタニタと笑う。

 くっそー!隙を見せてしまったっ!またクラッグにからかわれるっ……!

 こいつは僕をからかうことに異常な執念をかけてくるのだっ…………!


「心配なんかしてないっ……!」

「ふーん?ふーん……?」

「うっさいっ!笑うなっ……!断じて心配なんかしてないっ…………!」


 ここは必死に否定するしかない!絶対に認めちゃいけない!認めたらこいつは数日間このネタを引っ張ってくるだろう…………!

 そうだ!僕は心配なんかしていないっ……!全く心配なんかしていないのだっ……!


 ………………


「してないっ……!これっぽちもクラッグの心配なんかしてないんだからっ……!クラッグが死んでようが僕には関係ないんだから…………!」

「へー?へー……?へー…………?」

「クラッグが死んでようが死んでなかろうが……どうでもいい…………!」


 ………………


「クラッグが死んでようが……どうでもいい…………」

「ほうほう、ほほーう?」

「…………死んでようが……」


 目の前の炭の男は変わらずニヤニヤと笑っている。僕の反応を楽しんでいる。

 でも……なんだか……僕の口は上手く回らなくなってきてしまった。


「心配なんか……心配なんか……してない…………」


 自分の言葉が毒の様に体に沁みてきてしまった。


「クラッグが……死んでようが…………どうでもいい」


 クラッグが死んでてもどうでもいい。

 そう言うと、

 なんか、

 僕の胸はきゅっと締まった。


「心配なんか…………」

「え?」


 気付けば僕は彼の胸に顔を埋めていた。


「エ、エリー…………?」

「心配……なんか…………してないもん…………」


 口から漏れる言葉が弱くなっているのを感じる。

 こいつが悪いのだ。死にそうになるから悪いのだ。僕を怖がらせるから悪いのだ。

 こんなに体が震えるのは全部こいつのせいなのだ。


「………………バカ」

「…………」

「バカ……バカ…………」


 声がくぐもる。口が震える。目から流れる正体不明の水が彼の胸を濡らす。僕はクラッグの体を力なく何度も何度も叩いた。


「バカ…………」

「あ……あー…………」

「バカ、バカ……バカ…………」


 クラッグがとても困った声を出していた。


「バカ……バカバカバカ………バカ…………」

「…………悪かったよ、エリー」

「バカ…………」


 彼の体に腕を回した。バカなこいつの体をへし折るためだ。

 腕に強く力を込める。ただ、強く力を込めた。


 クラッグは静かに声を出した。


「…………ただいま」

「……バカ…………」


 これは断じて彼を抱き締めているのではない。

 そうだ、これは攻撃なのだ。

 ただバカなこいつの体をへし折るために、その為だけに、腕に力を強く入れていた。


「…………バカ」


 神殿都市での戦いは、本当に、幕を下ろしたのだった。


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