43話 無力な呪
鉄の響く甲高い音が地下に鳴る。
クラッグとセレドニが剣と矛を交えている。
S級を越えた領域外と呼ばれる化け物たちの戦いであり、その剣舞は真っ当な人間の理解の外に位置していた。
しかしその剣戟は先程までの攻防よりも遅く、迫力が無かった。攻撃の振りも小さく相手を仕留めようとする攻撃には見えなかった。
ただ殺意だけは鋭く常に相手の死を狙っている。
2人の攻撃の全ては陽動の類のものだった。
必殺の一撃を必殺のまま放つための下準備だった。
2人の狙いは単純で、自分が持つ最大威力の攻撃を敵にぶつけることである。
切り札を切り、早期決着をつけることが目的なのだ。
幽炎の存在を感知したため、2人は2人共一刻も早く決着を付けることを強いられていた。
相手を崩し、そこに切り札を当てる。一流の食材を最大限活かすシェフの様に、下ごしらえとして相手のスキを作り出そうとしていた。
小さな隙さえあれば、絶対の切り札はその威力を際立たせることが出来る。
つまりそれは相手の絶対の死を、すなわち必殺を意味していた。
しかしこの剣戟は、お互いがお互いの攻撃を陽動と分かっている為、大した効果は生まれなかった。しかし決着を早める為、お互い自らの切り札を切るしかない。それ以外に選択肢はない。
よって、自分の必殺が必殺とならない状況が発生した。
つまらぬ戦いに辟易としつつ、それでもなんとか相手を罠に嵌めようと武器を振り、相手の策に掛からないよう神経を尖らせた。
小さな剣戟が無数に交差する。
その全てが相手の意識を散らすための攻撃。その全てが相手の態勢を崩すための攻撃。
迷宮の様に死を誘う剣と槍の交錯を2人は読みと経験で切り抜けていく。
クラッグのすぐ隣には死がケラケラと笑っていて、そしてそれはセレドニも同じであった。
たった1つの罠にかかるだけで死を呼び込んでしまう。
冷徹に、計算高く、2人はただ目の前の相手の命を消し去るためだけの存在と化していた。
状況が動く。
セレドニがクラッグの剣を弾く為、槍を少し大きく振るい、それまでの半身の構えを開いてしまった。体は開き、クラッグと正面から向き合う形となってしまう。
クラッグはそれを小さな隙と認め、剣による高速の突きを繰り出した。常人ならば反応どころか無意識の反射も働かない速度である。
しかし、その小さな隙は罠だった。
セレドニが槍を大きく振るったのはわざとであり、崩れた態勢のように見せ、セレドニはいつでも高速で動き出す準備を整えていた。重心を右足に乗せてはいるが、そのことを隠していた。
右手で高速の突きを繰り出すクラッグの、その右側にセレドニは滑り込む。
大きく左に一歩を踏み出し、態勢を低くし、クラッグの脇の下に体を沈め込む。セレドニにはクラッグの伸びた腕と隙の出来た右の脇腹が見えた。
セレドニはクラッグの側面に位置取ることに成功した。
セレドニは好機を見出した。
槍の穂先には既に高濃度の魔力がこもっている。神器の使用はいつでも出来る。
彼はクラッグの右脇腹から心臓を突き刺すため、槍を持つ左手に力を入れる。
「―――ァッ!」
先程のクラッグの剣の突きとは違う……本物の突きを見せつけるかのようにセレドニは神器の槍を突き出した。
英雄の槍『トラム』。
それは穂先が10に分かれ、四方八方から敵を襲う最速の槍であった。
魔力の刃が長く伸び、蛇の体の様にうねり、縦横無尽に駆け巡る能力である。魔力の穂先の形は自由自在で、数mと伸ばすことも可能であった。
1度狙われたらもう何処にも逃げ場は存在しなくなる恐ろしい武具だった。
有利を取られているクラッグの態勢では、その10の槍を剣で全て受けることは不可能であった。突いた剣を引き終わる前に体中に穴が開いていることだろう。
神速の域に達するセレドニがその槍を振るい、神器の能力を解放する。
槍の穂先から刃が飛び出し、クラッグの体に向かい一直線に走り出した。
瞬きするよりも前にクラッグの息の根が止まる筈だった。
―――悪寒がした。
セレドニの背筋に冷たい恐怖が走る。
冷や汗が滲みだすのを感じた。
クラッグはセレドニを見ていた。
低く踏み込み、自分の側面に回り込むセレドニを目で捉えていた。高速で移動したセレドニの姿を見失うことなく、その位置をしっかりと把握していた。
セレドニの頭に過ぎる。
目の前の男は自分の動きを捉えていたのではないか?
予め分かっていたかのように、自分の動きを視界の中央に収め続けていたのではないか?
クラッグの意識から自分の姿が外れたような気がしなかった。
この立ち位置に誘導されたのは自分の方なのではないか?
そのような疑念がセレドニの脳裏に浮かんだ。
セレドニは歯を強く噛み締め、疑念を振り払う。
迷いからの躊躇は死に直結する。
自分に出来る最善の一手はこのまま最速で攻撃を繰り出すことである。
退くのは多大な隙を作る。隙は死を意味する。
セレドニはクラッグの側面に位置している。強力な有利が彼に味方している。
彼に出来る最高の行動は最大の攻撃を放つことだった。
迷いを断ち切り、セレドニは最速の槍を突き出した。
刹那、声を聞いた。
セレドニは強烈に圧縮された時間の中で死神の声を聞いた。
クラッグが自分を見ている。
表情に一切の変化はない。人を殺し慣れた人間の目をしている。
彼の唇が動いた。
『一心に祈る無力な呪』
セレドニの視界が赤く覆われた。
* * * * *
地下に静けさが舞い戻る。
戦いの熱は冷め、命を削る鉄の音は止んだ。
細かい瓦礫が崩れる音は鳴るものの、死を呼び込む剣と槍の打ち響く音に比べたらなんとも平和で静かな音であった。
地下の地面に立っているのはクラッグしかいなかった。
セレドニの姿はない。
クラッグは剣を垂らし構えを解いている。猛烈な殺意も鳴りを潜めていた。
クラッグは何故か天井を見上げている。
「おーおー……やべえなぁ…………これ…………」
天井には穴が開いていた。
厚い岩盤がくり抜かれ、地下数十メートルのこの場所から地上までつながる一筋の穴が出来ていた。人1人程が通れる小さな穴が一直線に地上までの道を作っている。
その穴の入り口にセレドニはいた。
穴に張り付き、息を乱しながらクラッグを見下ろしている。
右手で槍を持ち、表情にも雰囲気にも余裕がない。心臓が波打ち、汗を大量に流している。先程の1合のやり取りから命からがら必死に逃げた男の姿がそこにあった。
「全く、天井に長穴開けやがって。神殿の人に怒られっぞ?」
「………………」
この地上への縦穴を作ったのはセレドニだ。
クラッグとの最後のやり取りに命の危機を感じるや否や、10の槍を1本だけ天井に打ち上げた。9の槍でクラッグの秘術の威力を削ぎつつ、天井に穴を穿ち脱出経路を作り上げた。
しかし、セレドニは無事ではなかった。
「……全く、なんでそんな体でまだ動けんだよ」
「………………」
「致命傷……ってか、死んでんぞ、普通。それ?」
セレドニの体は半分吹き飛んでいた。
左腕はもげて、左半身にはいくつもの穴が開いている。脇腹は削られ、肩は斬り刻まれ、顔には氷が張り付き、足は砕かれ今にも外れてしまいそうだった。
右半身だって無事ではない。
普通だったら即死の傷である。体の何割かを失い、生きていられるはずがなかった。
なのにセレドニは生きている。息をし、動き、脱出経路の入り口を抑えている。
上に張り付くセレドニの体から血が垂れ、床を汚す。
「その異常な生命力も『叡智』ってやつの力か…………」
「…………まあな」
「嫌になんな、全く……切り札切って殺しきれなかったのはお前で2人目だ。かっこエリーは除く」
クラッグが頭をがりがりと掻く。
もうセレドニは殺せない。脱出の入り口を完全に抑えている。
彼はそのまま一目散に地上に出て姿を隠すだろう。追いかけてもいいが、その縦穴は当然ながら直線一本道。追った途端、逃げ場のない直線で神器『トラム』の10の刃が一斉にクラッグに襲い掛かるだろう。
第一に、逃げるセレドニを追う時間なんてなかった。
「…………俺は切り札を見せたら全員殺すようにしてっから、今見たものを誰にも言うんじゃねーぞ?……お願いします、ほんと」
「……はは」
クラッグは意味のないお願いをセレドニにした。彼も苦笑が漏れる。
「…………言うものか。こんな貴重な情報、そう易々と人に話すなんて馬鹿な真似はしない」
「……貴重?」
「……そうだろう?『俺よりも強い存在がいる』という情報だけでも値千金の情報だ。さらに『そいつの切り札を見た』なんて情報……これはどんな秘密よりも重い…………」
世界に強い人間などいくらでもいる。
しかしセレドニは『領域外』だ。一般にその存在は伝説としか語られない筈のものだ。
その存在に勝てる『領域外』の男がいる。
それだけでどんな情報よりも重い。それを知っているか知らないかで世界はまるで違ってくる。自身の死を回避できるかどうか、重要な問題に直結する。
故にクラッグの存在そのものが軽々しく口に出来ない情報となり得た。
セレドニは金よりも重い情報を簡単に人に漏らす馬鹿ではない。
実際の所、彼はクラッグの最後の切り札の本質を掴み切れていない、というのもあるのだが。
「ほら、もう用はないだろう。さっさと帰れ。しっし」
クラッグは手で追い払うような仕草を向けた。セレドニを追いかけるのは諦めている。
「……では失礼する。……またな」
「もうてめーには会いたくねーよーだ」
「…………俺もお前には会いたくないが、それでもまた巡り合う時は来るだろう…………残念なことにな…………」
セレドニは小さく笑った。
「さらば」
そう言って、縦穴を登っていって姿を消した。
クラッグは地下に1人ぽつんと残された。『領域外』を撃退し、クラッグは勝利した。完全な勝利ではないが、とりあえず勝利した。
「ふん」
口をへの字に曲げ鼻を鳴らす。
クラッグは縦穴から視線を外し、何も無い方向を見る。壁に阻まれて見えないのだが、その方向には幽炎が作り出した炎の壁が存在していた。強烈な魔力が放出されている方向をクラッグは把握していた。
「…………急ぐか」
そう言って彼は走り出した。
皆の無事を祈りながら、地下の世界を駆け出した。




