42話 英雄の槍
「ぜぁッ…………!」
「…………ッ!」
地下に轟音が鳴り響く。
人知れぬ地下の牢獄の中、人の域を外れた2人の戦士がぶつかり合っている。剣と槍が激しく交錯し、ぶつかり合う。数瞬で幾百の鉄の音が鳴り響き、閉ざされた地下の空間に木霊していく。
クラッグとセレドニの超人2人は戦い続けていた。
2人の剣閃の余波が周囲に散乱し、無為に地下の壁を斬り崩す。彼らが剣を振るう度に煉瓦質の壁や天井は崩れ落ち、残骸が周囲に撒き散らかされる。
2人はただ戦うだけで、周囲に破壊を齎していた。
「おいおいおい、あんまり周りを壊すなよっ。地下が崩れたら生き埋めになって死んじまうぜっ……?」
「…………お前と俺が生き埋めになったぐらいで死ぬ訳が無いだろうっ……!」
軽口を叩き合いながら、音を越える速度で剣を打ち合っている。
剣戟が悪夢として形を成し敵を殺さんと駆け回る。1つ1つの剣閃に人を殺し尽くしてしまう程の威力と迫力が込められているが、両者とも一切の恐怖なくそれを防ぎきる。
「―――ハァッ!」
セレドニが槍を大きく回し上段から槍を叩きつける。柄の長い槍は大きく円を描き、強い威力を伴って走り来る。槍は天井にぶつかるも、石のそれを容易く裂きながらクラッグに襲い掛かった。
が、柄が長いという事は振り回すのにも時間がかかるという事だ。クラッグは容易にそれを回避する。彼の槍は勢い余って床にぶつかり石を砕く。
しかし、避けられることはセレドニも想定済みだ。彼の狙いはこの次にあった。
「…………げ、ちょっと待て……」
思わずクラッグは呟いた。
セレドニは床に埋まった槍を引き抜く。それも石畳の床を多く砕き、その破片をクラッグにぶつける様にして槍を振った。
石畳は散弾の礫と化し、猛烈な勢いでクラッグに襲い掛かる。と同時に、槍を振りぬく際に斬り崩した天井も崩れ落ち、上と下から同時にクラッグに攻め掛かる。
クラッグは甘んじてその両方の攻撃を受けた。雑に腕で防御し、彼の態勢が少し崩れる。
何故ならば、この攻撃は自分の気を逸らす為の陽動でしかないと分かっていたからだ。結局は瓦礫でクラッグは殺せない。
本命は降り注ぐ石の雨に隠れる神速の槍だ。
襲い来る瓦礫に身を潜め、セレドニは深く構えた槍を突き出した。
空気を震わし、音を越え、空間に衝撃すら走る槍の一撃がクラッグに襲い掛かる。
それを分かっているクラッグは冷静に対処する。
剣を前に構え、槍を逸らす準備をする。
意識を完全に槍の来る前方に集中させ、襲い来る一瞬に反応する。
槍はクラッグの首を狙っていた。
クラッグの剣が敵の槍の先端に触れ、彼も1歩身を退く。
クラッグはセレドニの攻撃を完全にとらえることが出来た。後は槍の軌道を少し変えるだけでセレドニの攻撃はクラッグの首から紙一重で外れるだろう。
クラッグはセレドニの攻撃を防ぎきる態勢が整った。
「…………?」
しかし、クラッグの胸が少しざわついた。何かの嫌な予感を覚えた。
刹那にも満たない時間でクラッグは確かに槍の先端を見た。おかしな光を纏っていた。
「……嘘だろっ!?」
クラッグは大きく身を逸らす。
上半身が地面と水平になる程、体を逸らして敵の槍から身を遠ざける。
それは明らかに過剰な反応で、無理な態勢に体のバランスが崩れる。先程の身の位置でも十分槍を避けられていた筈なのに、クラッグは不利な態勢になってまでわざわざ思いっきり身を逸らした。彼の片足が地面から離れる。
……そうだというのに、クラッグの首に浅い斬り傷が付いた。全くクラッグに届いていない筈の槍の刃はクラッグの首を確かに傷つけ、少しの血が宙に舞った。
「あっぶねっ……!?」
「…………チッ!」
セレドニは明らかに苦々しい顔をした。
神速の槍の余波が空気を震わして、いくつもの壁を貫き地下建築を破壊していく。
セレドニは槍の方向を変え、態勢の崩れているクラッグに追撃しようとした。
しかし、彼自身神速の槍を振るう為にかなり身を乗り出し、前に重心を出している。クラッグに攻撃を仕掛けるまでにワンテンポ遅れてしまった。
その瞬間を突いて、クラッグが無理矢理手を伸ばす。片足だけで踏ん張り、セレドニの胸ぐらを掴んだ。
「…………っ!?」
セレドニの胸が引かれ、頭がクラッグに近づいていく。
クラッグは片方だけ地面に付けている足に力を入れ、強引に体を起こしていく。
「うらぁっ!」
「ッ!?」
2人の頭がぶつかった。
クラッグはセレドニに頭突きをしたのだ。
鉄と鉄がぶつかり合うような鈍い音がする。
不意の衝撃に、セレドニは目がくらくらした。まるで頭から星がぱあぁっと飛び出るかと思った。
視界は回り、体はよろける。思わず手で額を抑えてしまう。
この石頭め……と、心の中で悪態をつきながら腰に力を入れ、態勢を直そうとする。
「っちぇい!」
嫌がらせの様にクラッグはセレドニの腹に大した威力の無い蹴りを入れて、そして彼は敵から身を離す。クラッグの態勢が完全に元に戻った。
彼自身も手で額を抑え、涙目であり、痛そうにしていたのだが。
セレドニはクラッグを睨みつけた。
「……今のは勘で避けたのか…………?この化け物め…………」
「あっぶね!?おめぇっ!?あっぶねっ!?死ぬかと思ったぞ、おめぇっ!?あっぶねっ……!?」
クラッグはわーぎゃー叫んでいた。
彼はとっさに身を大きく逸らしたのだが、そうしなければ彼の首はすっぱりと両断され、今無残な死体を晒すこととなっていただろう。
死がギリギリまで首に迫っていた緊張感から、クラッグは心臓をバクバクと言わせていた。
「はぁ…………全く、怖え怖え…………
しかし……なるほど、なるほど……その槍もなんらかのマジックアイテムって訳か…………今の今まで隠しやがって。いやらしい奴め」
「…………」
槍は完全に避けていた。それでもセレドニの槍は決して当たらない筈のクラッグの首にダメージを与えた。大きく身を逸らせても、その首を小さく傷つけていた。
結局クラッグの回避は正解であり、セレドニは槍の穂先以外にも何かしらの刃を持っているという事を意味していた。
そして、クラッグはその謎の刃に目星を付けていた。
クラッグは顎に手を当てながら語った。
「魔術を付加した槍か。普通の魔術が込められているマジックアイテムって可能性もあるが、お前の剣戟に対応出来る程の魔術なんて限られてくる。
その槍……神器だな?」
「…………さぁ?どうだろうな?」
セレドニが一切表情を変えず、クラッグの話を聞き流す。彼は槍の穂先をクラッグに向ける。
しかし、クラッグは口角を上げながら話し続けた。
「いや……俺にはその槍が何なのか、見当が付いているぜ?神器の真名、言ってやろうか?」
「………………」
クラッグはニヤニヤと口元を緩ませ、相手に自慢するかのように語った。
「その神器は、十の矛を持つ英雄の槍『トラム』。
かつての神域の怪物、十身一命の蛇ナーガを打ち倒した英雄の槍だ。
水神歴だいたい300年ぐらい、神話の蛇ナーガが大陸全土を荒らしていた。その蛇は10の身体を持つが、その命は1つに繋がっていた。1つの身体を滅ぼしてもその命は尽きず1つでも体が残っている場合、滅ぼされた身体が再生して元に戻る。
それを英雄ナディオンは一撃をもってナーガを滅ぼした。
英雄ナディオンの槍の穂先は10に分かれ、その1つ1つがナーガの頭を1つ1つ滅ぼしていく。十の矛先は十身一命の蛇ナーガを射抜き、一の命を滅ぼした。
その時の英雄の槍がお前の今使っている槍『トラム』だ。
どうだ?当たってるか?」
「………………」
セレドニの口が堅く締まる。
「神器の効果は刃を広げることじゃない。10の身体を持つ蛇を一度に穿ったという伝承通り、魔力の刃を槍の穂先から9つ創り出し、それを操者が自由自在に操れるっていう能力だ。
相手は10の刃を一斉に相手にしなきゃいけなくなる。10の槍が縦横無尽に駆け回り、前後左右上下、あらゆる方向から襲い掛かってくるっていう、非常に厄介な代物だ」
「………………」
「そしてその神器は神槍の英雄ナディオンが作り上げた都市トライオンに眠っていると言われている…………が、今目の前にある…………」
自慢げに語るクラッグは顎を上げ、見下ろす様にセレドニを見た。
とても厭らしい笑みがその顔に張り付いていた。
「その都市の調査をすればお前の正体が分かるかもしれねぇなぁーーーーー?」
「………………」
クラッグは口角を上げ、鼻をぷくっと膨らませながら語尾を不必要に伸ばし喋った。明らかにセレドニを挑発していた。
「どうせぇーーー?その『セレドニ』って名前ぇーーー?偽名なんだろぉーーー?お前ほど強い奴だぁーーー?その神器『トラム』を手に入れる過程で、なんか伝説の1つや2つ作ってんだろぉーーー?英雄都市トライオンに足跡残してんだろぉーーー?」
「………………」
「どうっすかぁーーー?今どんな気持ちっすかぁーーー?内心バクバクっすかぁーーー?自分の身元がバレそうになって焦ってますかぁーーー?情報でない訳無いもんなぁーーー?芋づる式で『アルバトロスの盗賊団』まで情報を探られたらどうしようとか思ってますかぁーーー?」
「………………」
手をぱぁっと開く動作も加え、可能な限りセレドニを馬鹿にする。
そのクラッグをセレドニは冷めた目線で見ていた。挑発に乗るような男ではなかった。
「………………」
「………………」
「…………何やってんだ、俺……」
「…………」
クラッグは唐突に正気に戻る。頭をぽりぽりと掻いていた。
「…………ふん」
セレドニは軽く鼻を鳴らした。
「……そういうお前はどうなのだ…………」
「…………うん?……俺?」
「…………素性が割れるのならまだ真っ当だ」
ぽりぽりと頭を掻いているクラッグをセレドニは睨みつける。訝しいものを見る目が向けられていた。
「…………しかし、お前はどうだ?
…………お前の事は合同訓練の時から目を付けていた。お前が実力を隠しているのは分かっていたからだ。……まさかここまでの実力を持っていたとは思わなかったが……つまり俺はお前のことを調べていた…………」
「………………」
セレドニは語り、クラッグの顔は曇っていく。彼の口が曲がっていく。
「……しかし、お前の経歴はD級。強者を匂わせる臭いはまるで無かった。これはおかしい。
……そこまでの強さだ。表の世界に生きる者としての残るべき足跡が無い。……お前がその強さに至るまでの過程がまるで残っていなかった」
「………………」
「……俺はまだいい。影に生きる者だ。……だがお前は冒険者。
…………お前は意図的に自らの実力を隠蔽し他者を惑わしている。それも、念入りに、恐らく、幾重もの仕掛けを施して…………そのような者に碌な者はいない」
セレドニの言葉を聞き、クラッグの目が徐々に鋭くなっていく。敵意が漏れ始める。
そしてセレドニはクラッグに言った。
「……まるで貴族の様に小狡く、王族の様に卑劣だな」
ビキっと、クラッグのこめかみが鳴る音がした。
「…………ほぅ……言ったな……?」
クラッグの声は震えていた。
「俺を貴族、王族のようだと言ったな…………?」
「………………」
「お前は俺の事を貴族、王族のようだと言ったんだな…………?」
彼の口元がひくつく。
「…………面白い。お前の事が大好きだ。ぶっ殺してやる」
「………………」
クラッグは剣をセレドニに向ける。短気なことこの上ない。
しかしその殺気は極上で、ただの気迫だけで石も鉄も斬り刻んでしまいそうな程であった。彼のこめかみがひくついている。
やれやれと呆れ顔でセレドニもまた槍を構える。
次の瞬間にもお互いの獲物が交錯し、火花を散らそうとしていた。
……その時だった。
「……んっ!?」
「…………なんだっ!?この魔力っ!?」
2人は近くに膨大な魔力の放出を感知した。
命を呑み込むような悍ましい魔力の存在に身が震える。
それは幽炎が出した巨大な炎の壁であった。
地下室の壁に阻まれ、2人には炎の壁を視認することは出来ない。しかし、すぐ近くで発生する魔力の塊が余りにも膨大で余りにも邪悪で、それを感知しないでいるというほうが無理なことであった。
炎は見えなくとも彼らの肌は泡立った。
「これは……幽炎かっ……!?何であいつがここにっ…………!?」
セレドニが声を震わせながら叫んだ。
「おいおいおい……この方向……エリー達が向かった方向じゃないよなっ……?」
「あいつが出てきたら、全てが台無しだぞっ…………!?」
2人共がごくりと息を呑み、冷や汗を流しながらお互いの目を見る。
考えていることは一緒であった。
「…………どうやらお互い時間が無くなったようだな……」
「…………あぁ、どっかの阿呆が乱入してきたせいだな……お互い、困ったもんだな…………」
2人は武器を構え、即座に戦闘の態勢に入った。
戦いを止める、という選択肢はない。
お互いがお互いにとって、今ここで潰しておかなければならない敵だった。ここで見逃すようであれば、次にこいつに殺されるのは自分の仲間であるからだ。
「…………こんな無粋な状況で神器を解放しなければならないのは……いささか癪だが……まぁ、仕方がない…………」
「くっそ、つまんねえ戦いになったな」
愚痴を零しながら闘気を練り上げていく。
そして交わす言葉も少なく、また刃の交錯が始まった。
最後の打ち合いが幕を開けた。




