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41話 幽炎

「『幽炎』……?」

「…………『幽炎』……?」


 皆が聞き慣れぬ単語を頭の中で探るように繰り返し呟いた。


 大神殿の地下に正体不明の化け物が侵入した。その化け物は炎を纏っており、その化け物自身も自らの炎に焼かれ全身が炭になっている。

 化け物がかろうじて人なのだと分かるのはそれが人の形をとっているからで、顔も髪の毛も焼け爛れていてとてもじゃないが個人を特定できるような情報が無かった。


 その炎の化け物は既に数名の冒険者たちを燃やして殺している。

 一流の戦闘能力を保有した人たちを一瞬で燃やし尽くしている。明らかに異常な炎であり、全て幻覚だったと言われた方がまだ納得できるものだった。


 自らを『幽炎』と名乗った炎の化け物はゆっくりと歩いて近づいてくる。


「………………」

「………………」


 ゆっくりとゆっくりと歩いてくるその姿だけで皆は気圧された。

 ゆらりゆらりと体を揺らしながら歩いてくる。今にも倒れるんじゃないかという程覚束ない足取りで、押せば倒れるんじゃないかと思える程力なく歩いてくる。


 しかし奴の纏う炎は生きとし生きる者の全てを呑み込んでしまいそうな程力強く輝いている。轟々と音を立てて炎は唸りを上げている。

 皆、その炎に根源的な恐怖を感じた。動物としての本能があの炎には近づくな、近づくなと叫びをあげる。赤ん坊の泣き声よりも純粋な叫び声が体の中で木霊し、警鐘を強く鳴らしている。


 故に皆の体が自然と下がった。

 化け物が1歩近づけば皆の体は2歩下がる。奴に近づいてはいけないと彼らの命が叫び声を上げていた。


 結果、『幽炎』の周囲を取り囲むような陣形が出来た。

 『幽炎』はゆっくりと無警戒に部屋の中まで歩いて来て、奴に近づこうとしない皆はその化け物を取り囲むことに成功する。

 リックは意識して『幽炎』背後に回り込んだが、他の者はただ恐怖に流されるようにそのような陣形になっただけである。


「ねぇ、エルドス……これはお前たちの地下事業の切り札か?」

「し、ししし、しし、知らないっ……!知らないっ!俺は何も知らないっ!知らない知らないっ!こんな化け物は知らないっ……!しらっ!しらっ……しらなっ…………しらなーっ」


 そこまで言って泡を吹いて気絶した。

 自分の中に芯の無い者は『幽炎』から漏れる殺気に耐えることは出来なかった。


 そして漏れるような薄い殺気ではなく、その化け物の熱い殺気を一心に受ける者がいる。

 紫色の髪の吸血鬼のような女性、メルセデスだ。

 メルセデスの顔色は可哀想な程真っ青であり、まるで全く血が通っていないのではないかと思えるまでに悪い顔色をしていた。

 体中が震えており、立っていられるのが不思議な程であった。


 無理も無いと周囲の皆は思う。

 何故なら漏れ出す僅かな殺気でさえ皆逃げ出したい思いで一杯なのだ。むしろ、尻もちをついて倒れ込んでいる者すらいる。

 逆によく耐えらえていると、現実逃避をしたい皆は他人事の様に思っていた。


 『幽炎』の足が部屋の中央で止まる。

 目は燃え尽きて無くなっているけれど、化け物はメルセデスの事をずっと見ている。

 震えるメルセデスを守るようにエリーとクリストフが彼女の傍に寄り添っている。


「オ前ガ……『叡智ノ分流』ダナ…………」

「…………」


 炎の化け物はメルセデスに語り掛ける。

 聞き慣れない言葉に皆は怪訝な顔をするが、当のメルセデスだけは心当たりがあるのか、ビクッと震え俯いた。

 『幽炎』は槍を持った『領域外』のセレドニが言っていた言葉と同じ言葉を使っていた。

 分かっていたことだが、『幽炎』は『アルバトロスの盗賊団』なのだということが分かる。


「ナラバ……燃ヤシ尽クシテシマオウ…………」


 そして手を伸ばし、メルセデスに1歩近づいた。

 その時、リックは自らの剣に魔力を込めた。


「放てっ!アルマスベルッ!」


 リックは剣を水平に構え、刀身が青く輝いていく。自分の紅色の髪と対比するかのように剣は青色の光を発し、周囲の温度を一瞬にして冷やしていく。


 細身の剣は氷の閃光を発射する。

 リックの持つ剣は氷の神器であった。氷を生み、加工し、あらゆる奇跡を起こす。


「貫けっ!」


 問答無用の不意の一撃が走り出す。

 氷の閃光は一瞬で幽炎の体に辿り着き、その体を貫いた。視認できない程の高速で氷の閃光は宙を駆ける。

 幽炎の腹に大きな穴が開き、そいつの体が苦しそうに折れ曲がる。

 氷の閃光は途中から軌道を変え、天井に刺さり、石の一面を氷の一面へと変貌させた。


「流石リックっ!」

「この機を逃すなっ……!」


 幽炎が怯むのを見たと同時に冒険者や神殿騎士の皆が化け物に襲い掛かる。

 この一瞬を好機と見た。チャンスは絶対に逃がせない。

 四方八方から飛び出し、自分の武器を突き出した。


 しかし、当のリックは困惑していた。

 受ける印象と与えられたダメージが合わない。

 氷の閃光には多大な魔力を込めた。だが、目の前の不気味な化け物に深手を負わせられる程の攻撃ではないと思っていた。


 しかし実際には氷の閃光が幽炎の腹を大きく抉り、大きな隙を作っている。

 何かがおかしい。その考えに辿り着く前に、冒険者達は武器を幽炎の体に突き立てた。

 刃が幽炎の体の中で交錯し、化け物の体を穿つ。


 幽炎はたくさんの剣や槍に串刺しにされた。


「やった……!」


 周りから歓喜の声が漏れた。

 しかし、攻撃をした当の本人たちは顔を顰め眉根を寄せていた。

 それは周りの人たちには伝わらない。


「止めっ!」


 そう言って最後に攻め寄ったのはクリストフだ。

 剣に莫大な光の魔力を注ぎ、その攻撃力を莫大に高めている。

 剣は強く光り輝き、刀身を1回りも2回りも大きくしている。斬られるどころか触れられるだけでその物は影も形も無い程に分解されてしまうだろう。


 高速で走り寄る勢いを殺さぬまま、クリストフはその剣を上段から叩きつけた。

 幽炎の体が真っ二つになる。化け物の炭化した体が高濃度の光の魔力に呑み込まれ、容易く裂けていく。極太の刀身が脳天から入り込み、幽炎の体の大半を呑み込み分解させていく。

 光の放つ高い轟音と共に、化け物の体は断ち分かれ、崩壊する。


「よっしゃああぁぁぁっ……!」


 歓声が上がる。

 リックが氷の閃光を放ってから数秒にも満たぬ一瞬の中、冒険者や神殿騎士の皆が以心伝心の攻撃を仕掛け、今、幽炎の体が原型を留めぬ程破壊された。

 炭化した体が崩れ去り、音を立ててばらばらと地に落ちる。


 幽炎の体が崩壊していく。

 そして幽炎の名残の炎がゆらゆらと揺らめいて、今にも消えそうなか細い炎が力無く宙を舞っていた。


 皆が勝利の前触れに胸を高ぶらせる。

 幽炎の炭化した黒い体が炎へと変わり消えていく。

 自身の炎に呑まれるように黒い炭が赤い炎へと変換され、ゆらゆらゆらゆらと揺れている。

 最後の余韻を楽しむかのように炎は空中を弱々しく漂っており、それは化け物の命の最期の揺らめきの様にも見えた。


 しかし、その炎は消えることは無かった。


 そしてまた、炎の中に黒い炭が生まれだす。

 一度は消えたはずの黒い炭がまた現れ、徐々に広がっていく。


 まるで炎には固定の形が無いのだと主張するかのように、

 まるで炎が気まぐれに形を変えるかのように、


 陽炎の様な不確かさをもって、幽炎は炭化したその体を元の姿に戻した。

 何事も無かったかのように不気味な黒い体が人の形を成す。


 悪魔の炭は平然とまた石の床の上に立っていた。


「え?」

「……え?」


 攻撃を仕掛けた冒険者達の横に幽炎が立っていた。変わらぬ姿で平然とその場に佇んでいる。

 首を傾け、自分を殺めようとした敵の事をじっと見ている。その皆はまるで時が止まったかと思うほど感覚が硬直した。


「逃げろっ!」


 そう声を出したが、リックの叫びは意味のないものとなる。


「ウォ……ウォウォウ゛ォウ゛ォウ゛ォッ…………!」


 幽炎が唸り声を上げ始める。

 炎が轟々と燃え上がるかのような声を出し、奴の体が膨らんでいく。はちきれるかのように炭の体がひび割れ、その中から練り上げられた炎が溢れ出す。


 そして悪夢のような火柱が燃え上がった。

 その火柱は横に広がっていき、まるで壁の様な形を成していく。


 攻撃を仕掛けた冒険者達は、その広がる火の壁に呑み込まれ、一瞬で絶命する。

 想像を絶するほどの高密度の魔力を帯びた炎に身を焼かれ、叫ぶ暇も苦しむ暇もなく体は炭化していった。


 S級のクリストフでさえもその炎には抗えず、無残にも体を黒く焦がしていった。

 壁が伸びる先にいた味方もまた、炎に呑み込まれていく。

 敵を囲う陣のの後方にいた者達でさえ、伸びる炎に巻き込まれるように身を焼き尽くされた。


 炎の壁は広がっていき、高く高く伸びていった。

 地下の石の壁は炎の壁を阻むのに一切役に立たず、溶岩の様に溶けその壁の意味を失っていく。代わりに広がっていくのが炎の壁であり、ただひたすら上に高く広がっていった。


 やがて炎の壁は地盤を溶かし地上に溢れる。

 その炎の壁は厚さ3m程、幅は神殿の大きさ程であり、その一定の形を保ちつつ火柱のように高く高く伸びていく。

 神殿の内部にさえ溢れ出し、石材を溶かしつつ大神殿を真っ二つに割った。

 下からせり上がる炎に巻き込まれた人たちは何も理解できぬままにその生涯を閉じる。


 それでも炎の壁は自己の拡張を止めず、ただ天高く伸びていく。

 星に届き得るかと思える程その炎はひたすら高くせり上がっていき、都市の住人は何が起こっているかも分からず、ただ呆然とそれを眺めることとなる。

 暗い夜空を照らすほどの炎が舞い上がっていく。


 この炎の壁は後に神殿都市の伝説となり、神とさえ崇められるようになっていく。それほどの奇跡は今、1体の化け物によって成し遂げられ、ただ炎の壁は轟々と熱く燃え続けるのだった。


 地下の人間たちは地上のその様子を分からない。

 ただ、誰もが絶望の色を含んだ瞳で、その炎の壁を眺めていた。


 その炎の壁には(おぞ)ましいまでの魔力が込められていた。

 その壁に含まれている一握り分の魔力でさえ、一生かけても集められないほどの魔力が込められている。A級冒険者にまで登り詰め、人類の中でも一線級の実力を手にした者達だからこそ分かることがある。


 これはどうしようもないものだ。

 人にはどうしようもないものだ。


 最早戦意を失い、その場にへたり込む者も多数いた。しかし、誰も彼らを責める気持ちにはなれなかった。

 泣いてしまいそうな程、神々しく、どうしようもない炎が目の前に広がっていた。


 炎の壁によって彼らのいた地下の部屋は2分されている。

 廊下側と部屋の奥側の2つに切り離されてしまっていた。


「メルセデスっ……!大丈夫っ……!?メルセデスっ…………!?」


 エリーとメルセデスは部屋の奥側の方にいた。

 メルセデスは炎が広がる際の余波を受け負傷していた。足と腰の一部に火傷を負っていた。


 エリーの双剣は『双刃の御守り』と呼ばれる神器である。

 所有者が危機に陥った際、自動で防御陣を張る能力を持っていた。防御陣が張られるのに所有者の意志は介在せず、剣の気まぐれによって自動で発動するものだった。


 あまり頼りっきりになってしまうのは危険な神器であったが、今回の炎の余波にはその防御陣が発動した。

 発動したが、メルセデスを守り切れなかった。


 炎の本体から漏れ出すような雫が飛び散り、それが神器の防御を突き抜けメルセデスに被害を与えた。ただの余波でさえ危険な威力を孕んでいた。


「エリーっ!メルセデスっ!逃げてっ!幽炎がそっちに行ったっ…………!」


 炎の向こう側からフィフィーの叫び声が聞こえる。

 フィフィーとリックは部屋の廊下側の方におり、氷の神器や水の魔術を炎の壁にぶつけている。しかし、それは一切の意味をなさなかった。

 壁の向こう側とこちら側は一切の干渉が許されなくなった。


 メルセデスを抱きかかえるエリーは見た。

 炎の壁の中から幽炎が姿を現すのを。


「…………あ」


 彼女は小さな呟きを漏らすことしか出来なかった。

 メルセデスはぎゅっと目を瞑り、現実から目を背けている。


 幽炎は真っすぐにメルセデスに歩み寄ってくる。視線を彼女だけに向けて、殺意を彼女だけに向けて、真っすぐゆっくりと歩いていた。


 周りの者達はそれを一切止められなかった。恐怖が体も心も支配して、少しでも化け物から距離を離そうとその身を壁に擦り付けていた。

 そしてそれは仕方のない事であった。

 最早どうしようもないことだった。


 幽炎は倒れているメルセデスの前で足を止める。


「我ハ…………」


 幽炎が口なき口から声を発する。


「我ハ全テヲ燃ヤシ尽クスダケダ…………」


 そう言って炭化したボロボロの剣を振りかぶる。

 エリーはそれを防ぐため双剣を前に構えるも、腕がガクガクと震えて力が入らない。いや、腕だけではなく全身が震えており、動けなくなっている。

 目には涙が滲んでいる。せめてそれを零さない様にすることしか彼女には出来なかった。


 無力さを嘆いている余裕すらなかった。


「―――――」


 幽炎が単調な動きで振りかぶった剣を振るった。

 灼熱の炎が剣の形を成し、エリーたちに襲い掛かった。

 例え諦めていなくても、何も出来る筈がなかった。


「…………え?」


 しかし、その剣は彼女たちには届かなかった。


 炭の剣は防がれている。

 ある人物がエリーたちの前に出て幽炎の剣を防ぎ、炎の化け物と対峙している。


「………………」


 その人物もまた燃えていた。自らの肉を焦がしながら、メルセデス達と幽炎を塞ぐ壁となっていた。


「逃げなさい、君達…………」

「………………」


 エリーたちは唖然とした。

 そこに立っているのは、クリストフであった。

 先程、幽炎の炎の壁に呑まれた筈のクリストフであった。


「ク……クリストフさん……大丈夫なんですか…………?」

「………………」


 先程の炎の壁に呑まれた者達は間違いなく絶命している。体の芯から燃え尽き、ただの炭と化しており、その体さえもボロボロに崩れ落ちている。


 クリストフは今もまだ炎に焼かれ続けている。

 生きてはいたが身に纏う炎は確実に彼を蝕み、彼の命を削っている。体中は焼け焦げ、ボロボロと少しずつ崩れ落ちていく。


「……私の命はもうそんなにもちません」

「………………」

「ですが私の命が燃え尽きるまで、時間稼ぎ程度なら出来るでしょう…………」


 もうクリストフの命が助かることはなかった。

 彼を燃やす炎は消えることは無く、消す方法も無かった。いや、例え炎を消す方法があったとしても、火傷の深度は酷く、もう何をしても助かる見込みのない体となってしまっていた。


「ですが、神殿騎士は命を懸けて人と神を守るもの。人を守って果てるのならば本望というもの…………」

「………………」


 エリーは胸が裂けるような思いでクリストフを見ていると、彼が少しだけ振り返り、涙をこらえるような笑顔を浮かべていた。


「…………そう思う事にします」

「…………っ!」


 そう言って、クリストフは幽炎に斬りかかった。

 卓越した剣は幽炎の真芯を捉え、炎の化け物を斬り刻むが、幽炎はその身に纏う炎を揺らめかせすぐに元の形に戻る。

 斬り返す幽炎の剣でクリストフの右腕が焼かれ、もがれた。

 いとも容易くS級の腕をもいでいた。


「…………さぁっ!さっさと行って下さいっ!そう長くはもちませんよっ!」

「…………ッ!」


 それを聞いて、エリーは走り出した。

 この部屋の奥にはバルドスが作っておいた避難用の隠し通路がある。エルドスの話によれば、ポスティス湖の下を通ってその湖の裏手の森に通じているようだ。


 その暗闇の通路を涙しながら必死に駆けた。

 足を負傷したメルセデスの腰に手を回し脇の下に体を入れて、彼女を抱え走った。


「うぅ……!ううぅっ…………!」


 必死になって走った。

 そうしないとクリストフの行いが全て無駄になってしまうから。

 涙を流しながら必死に走った。


 後ろで炎が爆ぜる音を聞きながら、ただただ走るしかなかった。


あれっ!?読み返したらフィフィーの持ってる武器も神器だって記述があるっ!?

嘘だろっ!?全く考えてないぞっ……!?

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