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32話 パーティーの奥のパーティー

「ようこそイリスティナ様、よくおいで下さいました」

「この度は素敵なパーティーに呼んでくださって誠に感謝しております、バルドス司教様」


 イリスティナは目の前の司祭に恭しく挨拶をした。片足を引き、もう片足の膝を曲げ、スカートの裾を軽く持ち上げるその挨拶の所作は洗練されており、その美しさにバルドス司教は思わず息を呑んだ。


 ここは神殿都市が誇る大神殿の中である。

 彫刻家が持てる限りの技能を用い、壁も天井も一面神聖な逸話をモチーフとした彫刻群で埋め尽くされている。絢爛豪華でもあり、しかし金や銀を使わぬ石の色だけで表現されたその彫刻群は質実剛健な印象さえもたらす。


 今日はこの大神殿で貴族や聖職者たちを集めたパーティーが行われている。

 冒険者に出した依頼の関係で、イリスティナはこの大神殿と連絡のやり取りを行っており、その縁で今日行われるパーティーに招待されたという流れがあった。

 実際のところ、パーティーの誘いが無くても冒険者としてエリーがこの都市を訪れていたので、もう既に居たと言えば居たのだが…………


「その後ろの方々は……執事と護衛の方ですね?」

「はい、執事1名、護衛2名を連れております。宜しいでしょうか?」

「はい、勿論。連絡は伺っております」


 バルドス司教はにっこりと笑った。


 バルドス司教は冒険者たちがこの都市を訪れた時に案内を務めた人である。神殿の聖遺物や歴史の紹介をし、オブスマンの死体への案内もした人物である。当然、冒険者と教会のパイプ役でもある。


 今回、執事はファミリアではなく別の者を連れてきている。黒髪のオールバックをしている人物だった。護衛の兵士たちは兜を被り、厚さの薄い簡易的な甲冑を着ていた。


 パーティーが始まった。

 立食式のパーティーであり、一流の料理人が(こしら)えた料理が並び、一流の格式高いオーケストラが鳴り響いている。集まった参加者はうっとりと演奏に聞き惚れ、素晴らしい料理に舌鼓を打ち、演奏の合間に話される大司教の演説を熱心に聞いていた。

 しかし、イリスティナはそれらを楽しむ余裕なんてない。


「イリスティナ王女殿下様。お目にかかれて光栄です。キャベンフォート家嫡男ギルバート・ドウル・ファムグ・キャベンフォートでございます」

「お会い出来て光栄です、ギルバート様。イリスティナ・バウエル・ダム・オーガスと申します。貴方の武勇伝は伺っております…………」

「イリスティナ姫様。お会い出来たとこに感謝いたします。ポスティス教大司教の長女、フォウムル・フィム・オムス・アウグム・ネヴィルモンドですわ。末永いお付き合いをいたしたいと思っておりますわ」

「フォウムル様。初めまして。イリスティナ・バウエル・ダム・オーガスと申します。こちらこそ貴女と親しくなれれば嬉しいと思っております…………」


 次から次へと人が挨拶にやってくる。王女殿下と繋がりを持ちたいと思った者たちが間髪置かずにやってきて、イリスティナはパーティーを楽しむどころの騒ぎではない。

 しかし、イリスティナは嫌な顔を一つせず、疲れた雰囲気をおくびにも出さず、1人1人丁寧に対応した。


 このようなパーティーは彼女が幼い頃から何回も何回も繰り返し経験してきたことなのだ。王女様にとってパーティーとはお仕事であり、最早やり慣れた日常的な業務であった。

 そうして王女様はすらすらと一切の淀みなく、パーティー会場の参加者たちとの業務会話を次から次へと行っていた。


 冒険者エリーが実は社交界慣れしているなんて知ったら他の冒険者たちは……とりわけクラッグは驚き、目を見開いて狼狽するんだろうなぁ、と思いイリスティナは苦笑した。


「これはこれは、イリスティナ王女殿下。こんばんは」

「ドストルマルグ卿……こんばんは、いい夜ですね……」


 そしてイリスティナが何度か顔を合わせた人物もやってきた。

 下級冒険者であるクラッグとエリーを馬鹿にし、クラッグに抱き着かれては撃退されている人物だ。イリスティナはこの人には良い印象を抱いていないが、そんなことはおくびにも出さないよう気を付けた。


「姫様は今日も相変わらずお美しい。貴女の美しさは国の宝にございます」

「お褒め頂き感謝いたします」

「やはり王族に流れる神聖な血筋は庶民共のそれと比べるべくもないものなのですな。訓練場にいた底辺冒険者の銀髪の薄汚い小娘とは人としての気品が違う」

「…………喧嘩売ってんのかぁ?」

「ん?今何か仰りましたか?申し訳ありません、よく聞き取れなかったのですが……」

「いえ、なんでもありません、ドストルマルグ卿」


 イリスティナは内心やれやれと呟きながら、手に持ったワインを一口だけ口にした。

 全く……この人はどれだけ見る目が無いんだ…………と、そう思いながら。


「いやぁ、しかし、下賤な輩がいないパーティーというのは誠に良いものですな。本当、あの焦げ茶髪の男といったら品性の欠片もない男で困ったものだ。同じ人間とは思えませんよ。イリスティナ様もそう思うでしょう?」

「……ドストルマルグ卿…………」

「……なんでしょう?」

「実は今日、護衛に連れてきているあの男性は……実は……クラッグ様なのですよ?」

「なにっ……!?」


 イリスティナが振り返り、自分の連れてきた護衛の1人に目をやると、ドストルマルグは酷く狼狽した。2歩も3歩も後ずさり腰は退けていた。

 その護衛の兵士は大きな兜を付け、顔が分からない。だから個人の特定が出来ない。

 ドストルマルグの顔は見る見るうちに青くなっていく。


「ドストルマルグ卿……」

「な、なな、なんでしょう……お、王女様…………」

「冗談です」

「…………は?」

「冗談ですよ。あの方はクラッグ様ではありませんよ」


 そう言って、イリスティナは淑やかな微笑みを彼に向けた。

 それは何も知らない者が見ればとても美しい華の様な笑顔であったが、この状況を知っている者が見れば悪戯心に溢れた、子供の様に楽しそうな笑顔であった。


「…………いやはや、王女様も人が悪い」

「ふふ。申し訳ございません」


 ドストルマルグは煌びやかなハンカチを取り出し、溢れた汗を拭った。

 それから少しだけ会話をし、ドストルマルグとも会話を終えた。


 パーティーも終わりが近づいている。

 彼女は内心でふぅとため息をつき、仕事が一段落ついたことを悟った。自分に挨拶に来る人の波が途切れていた。


 ホテルに帰ったら、ラフな格好に着替えて安くて冷えたビールをきゅぅっと飲みたいと思うようになってしまったのは、やはり冒険者に毒されているからなのだろう、と少し自分自身に葛藤をしながら、でも思い描いた夜の一時に少し胸が弾むのであった。


「…………イリスティナ様」


 そんな時に声を掛けられた。


「何でしょう、バルドス司教様」


 バルドスが少し物憂げな表情をしながらイリスティナに近づいた。その表情からこれがパーティーのような華やかな話題でないことに彼女は気が付いた。

 バルドスはイリスティナに顔を近づけ、小声で話し始める。決して人には聞かせたくない様な雰囲気を発していた。


「パーティーが終わった後、時間宜しいでしょうか?少し見て頂きたいものが…………」

「はい?」

「私達が管理しているオブスマンの死体なのですが……ここに来て死体の様子に少し変化がありまして…………」

「……変化?」


 最早死体となっているオブスマンに変化が生じているという話にイリスティナが眉を顰めた。もし本当なら、それが大きな災いの前触れであることもあり得る。


「はい。私達にもどうしたらいいか判断が付かない状況なのです……今のところ危険はないのですが……少し見て頂けないでしょうか…………」

「……かしこまりました」


 イリスティナのビールは遠のくのであった。




* * * * *


「さぁ、こちらです」

「…………」


 イリスティナは閉口した。

 とある何でもない物置の一室、バルドス司教が暗号形式の呪文を唱えると、その何でもない壁の一つが音を立てて開きだしたのだ。

 それは明らかな隠し扉であって、その奥には最低限の明かりしか灯っていない薄暗い地下へと続く階段が闇の向こうに伸びているのである。


 パーティーが終わって暫くしてからの事、パーティーの参加者が皆帰路についた中、オブスマンの死体の様子を視察するためにイリスティナはバルドスの案内を受けていたのであった。


「……この神殿は隠された地下なんてものがあったのですね」

「ははは。神器や聖遺物の中には門外不出のものもありますからな。存在すら秘匿するべきのものはこの地下の宝物殿に隠してあるのですよ」

「なるほど。しかし、前にオブスマンの死体を見せて頂いた時とは違う場所に保管しているのですね?」

「あの時は冒険者達にも見て貰う関係で、オブスマンの死体を移動させていたのですよ。流石に冒険者の方々にはこの地下室はお見せできません」


 そう言ってバルドス司教は苦笑していた。


「このことは是非内密に、イリスティナ王女殿下」

「もちろんでございます」


 そう話しながら地下の階段を下っていった。

 足音が反響して地下階段に音の残り香が鳴り響く。司教の従者として神官が2人、王女様の付き人として3人が付いてきているが、この人数で狭い地下階段を歩くのは少々狭苦しく、たくさんの足音が無数に反響し合いながらゆっくりと進んでいった。


「死体に変化があったと言っておられましたが、具体的にはどのような変化なのですか……?」

「まぁ、イリスティナ様、慌てないで下さい。見て頂ければすぐに分かるものですので…………」

「そうですか」


 階段を下りきるといくつも分岐された暗い廊下に着いた。バルドスは右に左に曲がりながらその廊下を迷いなく歩き進める。まるで迷路のように何度も何度も曲がりくねり、イリスティナたちの方向感覚はいとも容易く崩された。


「申し訳ありません、このような面倒な道でして……」


 バルドスは後ろを歩くイリスティナに申し訳なさそうな顔を向けた。


「なにぶん、この道は秘中の秘でありまして、入る者も出る者も拒むようになっているのです。決して私からはぐれないようにして下さいね。間違った道にはたくさんの罠が仕掛けられております故……もう陽の光を見ることは無くなってしまいます」

「なるほど、教会の神秘に触れているような気分になりますね。どうぞ案内を宜しくお願いします、司教様」


 ここから先は世間の目には触れさせられない危険な神器などが保管されている場所だ。人を迷わせ侵入を阻むこの作りにも納得できるものだとイリスティナは考えた。


「さて、着きましたよ」


 迷宮を抜け、イリスティナたちの前に装飾の施された豪華な扉が目の前に現れると、バルドスはそう言った。

 扉を開けると、そこは今までの薄暗い雰囲気からは一転、明るく華やかな大部屋が広がっていた。応接間の様に大きなテーブルと腰掛けが部屋の中央にあり、美麗な絵画や彫刻が飾られている。絨毯は赤く、一流の職人が手間暇をかけて作り上げたことが一目で分かる程、細密な文様を描いている。


 そして、正面にはさらに奥へと続く大きな扉が構えられており、左右の壁にはいくつもの扉が存在していた。この部屋は地下の一番奥ではなく、さらにこの部屋からいくつもの部屋へと続いているようだった。


 ここには隠すべき神器や聖遺物も置かれていない。ここはただの待合室の様だった。


「どうぞ椅子にお座りください、イリスティナ様。今、準備をいたしますので……」


 そう言ってバルドスは椅子を引き、王女様を促した。


「………………」

「……どうかなされましたか?イリスティナ様……?」


 しかし、イリスティナは動こうとしなかった。椅子を引くバルドスをじっと眺め、口を開いた。


「……お聞きしたいことがあります、バルドス司教」

「…………なんでしょうか?」

「……何故、扉の奥の部屋から大勢の人の気配がするのでしょうか…………?」


 姫様のその言葉を聞き、バルドスは驚き目を見開いた。急にその場に沈黙が訪れた。

 イリスティナはこの部屋の両脇にある扉の向こうからたくさんの人間の気配を敏感に感じ取っていた。


「………………」

「………………」


 お互いが見つめ合う。バルドスは驚きの目で、イリスティナは警戒の目で視線が交錯していた。


「…………はは、は……いえ、驚きました。いえいえ……大した理由は無いのですよ…………」


 バルドスは額に汗を流しながら、ぎこちなく頭を掻いた。肩をすくめ、申し訳なさそうに眉を垂らしていた。


「お前たち、入ってきなさい」


 その声に導かれ、左右のいくつもある扉から、人がこの応接間に入ってきた。


「…………なっ!」

「……これはっ…………!?」


 姫とその従者たちは驚きの声を上げる。

 何十人という大勢の人間がこの部屋に雪崩れ込み、王女たちを取り囲んだ。武器を構え、剣や槍を恐れ多くもこの国の王女に向けている。鎧や盾を装備した完全武装の者たちであり、一定の距離を保ちながら王女様達に敵意を向けている。

 その内の幾人かは、イリスティナが冒険者と神殿騎士の合同訓練で見た顔だった。


 明らかに姫様達に害を及ぼそうとしていた。


「姫様が悪いのですよ……私たちのことを執拗に探るなんて…………」


 バルドスの目が鋭くなり、イリスティナを睨んだ。


「折角、『天啓』という形で忠告を出していたのに…………」


 護衛はイリスティナの身を守るように彼女に身を寄せるが、360度囲われているこの状況では十分な守りとは言えなかった。

 バルドスは裂けんばかりにその口を歪ませ、笑った。


 イリスティナたちの身が強張る。臨戦態勢に入る。


「さぁっ!お前たち!神の反逆者共を捕らえろっ!この地下から一生出れぬよう、閉じ込めてしまえぇっ……!」

「おおおおおぉぉぉぉぉぉっ…………!」


 バルドスが令を発すると、武装した者たちは雄たけびを上げながら一斉にイリスティナに襲い掛かった。


 地下での戦いが幕を上げた。


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