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29話 どうしようもなく大きなもの

【イリスティナ視点】


「うぅー…………なんともひどい姫様じゃ。人が折角気持ちよく酔っぱらっていたところに解毒魔法を打ち込むとは…………」

「人を呼びつけておいて、その間に酔っぱらう人初めて見ましたよ」


 細かく入り組んだ路地裏から入れる空き部屋の一室に私と冒険者複数人、そして話に聞いた吸血鬼が入り込んでいて、密談を交わそうとしていました。

 明かりも差し込まぬ暗い夜、少ない数のランタンがぼうっと光り、最低限この部屋を照らしておりました。


 紫色の髪を揺らしながら、メルセデス様は無理矢理酔いを覚まされた自分の頭をとんとんと叩いているのでした。酔い覚まし解毒魔法って効果は抜群なんですが、酔っている時と素面の時の意識のギャップがもろに来て、酔いとは違う感じで暫く頭がクラクラするんですよね。

 別に私は悪くないです。


「……で?本当に『アルバトロスの盗賊団』と『叡智』の情報をご存じなのですか?」

「なんじゃなんじゃ、せっかちじゃのう。そんなに生き急いでいては人生損ってもんじゃ。ほら、一先ず酔っぱらいたまえ」

「お酒は没収します」

「あ~~~~~~~っ!」


 差し出されたコップを酒瓶ごとひったくり、酒を飲ませないようにした。彼女は子供の様に手を伸ばしてじたばたしているが、頭を押さえつけて席に座らせます。

 たとえ飲んでしまってもすぐに酔い覚まし解毒魔法をかけてやるんですから。


「……仕方ないのぅ。どれ、交渉に移るか」

「最初からそうしてください」


 この人に主導権を握らせてはいけない。この人の流れに乗ってしまったら何も出来ないままに翻弄されて終わりです。ほんと……!先程の酒場では…………!どれだけ…………!どれだけ、弄ばれたかっ……!

 クラッグを女として引き止めろとかっ…………!この私に対して……冗談でも言っていい事と悪いことがありますっ…………!


 ガルルルルルル…………!

 この恨み、はらさでおくべきかっ……!


「とは言っても、どう交渉を始めようかのぅ…………?案を思いついたのも先程じゃしのぅ…………?」

「まずは護衛の具体的な方針を定めましょうか。報酬を受け取るタイミングなどは、護衛任務の形態によっても左右されそうですし…………まず、メルセデス様はこの都市を離れ、別の安全な場所に移動する……というのがよろしいでしょうか?」

「いや……お主たちから聞いた『オブスマン』の出現報告が気になる。わらわには『血吸い鬼』の力があるからのぅ。怪しい奴に噛みついてやれば、そいつの情報が取れるから情報戦には有利じゃ。このまま何も分からずこの都市から離れるのは、そちらの方が恐い」

「……そうなのですか…………?」

「それに……わらわはこの地に危険は少ないと思い、この都市に逃れたのじゃ…………正しく言ってしまえば、安全な場所など何処にもないのじゃ…………」

「………………」


 それから、私はメルセデス様とこの依頼の方針について語り合いました。この神殿都市で調査を続けること、『アルバトロスの盗賊団』での伝承で話の出ていた『夜空に煌めく星々』という神器を所有している謎の集団が怪しいこと、その謎の集団は『神様の悪戯』に関係している可能性が大きい為それらを調査することが具体案として挙げられました。


 また、メルセデス様の護衛の仕方について、何人体制でどのように、どう守っていくか、そのような具体的な話を2人でした。

 そう……2人でしていました。


「……皆様はどう思われますか?」


 振り返って仲間の冒険者たちの方を見ますと、皆ぽかんと、呆然としていて意見も反論も感想もありませんでした。しんと静まり返っていました。

 そう言えばさっきまでの会話の中でも、冒険者の方々はうんともすんとも言っていませんでした。…………どうしたのでしょうか?


「………………」

「………………」

「あ、あの……?皆さま黙りこくってどうされたのですか……?何かおかしかったでしょうか…………?」

「いや…………」


 冒険者の方々は困っていた。

 この状況で俺たちにどうしろと……というような、困惑と呆れが若干こもった複雑な苦笑いが顔に張り付いています。

 あれ……?私、何か変なことやってしまったでしょうか…………?


「あの……イリスティナ様…………?」

「フィフィー様?」


 フィフィーが困ったように頬を掻きながら一歩前に出た。


「対策とか、意見、反論とか……その前に……姫様達が言っている『叡智』というものが何か、教えて貰わないとどうしようもないのですが……?」

「え…………?」

「あー…………」


 ……もしかして、私、1人で盛り上がってたのでしょうか?

 あー……確かに……それもそうです…………それもそうでしょうね…………


 『叡智』というものは冒険者にとって初耳のワードです。それなのに、こう、私だけが盛り上がってしまったら皆様も困惑するというものです。反省。


 フィフィーにだけは仲良くなった……というより、お互いの恥を見せ合ってしまったので、その時に少し相談しましたが…………こう、前に出て進言してくれたという事は、皆さまの声を代弁していただけたのでしょう。


 あー………………

 でも…………


 でもですね…………


「実は……『叡智』というものは…………」

「『叡智』というものは…………?」


 皆さまが私に注目した。


「…………私にもよく分かっていません……」

「あれ?」


 皆さまが一様に首を傾げました。


「……んん?知らないのに、こんなに食い入るように探っているのか?」

「知らないからこそ、知りたくなる……いえ、知らなければいけないのです」

「…………?」

「私は『叡智』の事をほとんど知りません。『叡智』の事を知っていた昔の友達は……消えていなくなってしまった事。そして、『叡智』の事件に巻き込まれただろう、兄様が死亡した事。……それぐらいしか知りません…………」

「イリスティナ様のお兄様…………?」

「……それって、第二王子…………?」

「だから、私はその時の謎を追いたいのです」


 そう言って、メルセデス様の方を見ました。

 正直に言って本当にこれ以上皆様に語れることはないのです。後は私の個人的な思い出がほとんどなので、そこら辺を皆様にお話ししても全く興味ないでしょうし。


 他の冒険者達も私に釣られるかのようにメルセデス様を見ました。

 『叡智』に関する最低限の情報をくれ、と目で訴えかけていました。


「う……でも、『叡智』に関する情報は、今回の報酬なのじゃぞ…………?」

「…………」


 そんなの知るか、依頼をこなすために必要な情報をくれ、ここで情報をけちって死ぬのはお前なんだぞ、これは護衛任務なんだから…………と、皆さまはメルセデス様を追い詰めるかのように目で語っていました。結構めちゃめちゃ雄弁に語りますね。


 そんな冒険者達の凝視に耐え切れず、メルセデス様が思わずたじろぎます。


「………………」

「………………」

「うぅ……わかったのじゃ、前金みたいな形で必要な予備知識は知って貰おう。わらわにとっても大きな利になることじゃしな…………」

「おぉ」

「折れた」


 そうしてメルセデス様は報酬の筈だった『叡智』の情報の一部をあっさりと話さざるを得なくなってしまったのでした。


「はぁ……まぁ、仕方がない。…………では、どこから聞きたいのじゃ?」

「どこからって……ボク達はそもそも『叡智』とは何か、という事すら知らないんだけど…………」

「そもそも『叡智』とは何か……か…………

 そうじゃのぅ……『叡智』を一言で言うなら……災いじゃな」

「……災い?」


 皆さまが首を傾げる。私も初耳です。


「そうじゃ。『叡智』とは根源魔術の一種と言われている。あらゆる奇跡に変換可能な大術式であり、故に数多の悪夢を引き起こしてきた原因の、その根っこじゃ」

「…………」

「…………」


 皆から沈黙が発せられる。


「その根源魔法の起源は分からない。根源というだけあって、世界に元々あったものなのか、それとも後に発生したものなのかは分からない。ただ、『叡智』は人知れず、あらゆる災厄のその根源に関わっておる」

「――――――」

「根源魔法とは魔法を作る魔法の元である。強大な下地である『叡智』はありとあらゆる大魔術を作り上げる基礎となった。故に人の世には姿を現さぬ。土の下に埋まった基礎が人の目には触れられぬ様、人はその上に成り立つ魔術しか知らぬ。

 しかし、確かに『叡智』は土の下でしっかりと人の世を蝕んでおる。

 …………なんじゃあ?皆、よく分からないと顔に書いておるぞ?」


 メルセデス様は皆を揶揄(からか)う様にからからと笑い、冒険者達はごくりと息を呑んだ。


「……『叡智』が作り上げたものを、俺たちも知っている…………?」

「その通りじゃ。ありとあらゆる事象を引き起こす災い、人に厄をなすありとあらゆる可能性を持った惨禍の根源、それが『叡智』と言われとる。

 世界中に巻き起こる災いとされる現象、魔物には『叡智』が関わっていることが良くある。お主たちも良く知る事件に関わっていたりもするのぅ」

「…………例えば?」

「まずは言わずとも分かるかもしれんが、『アルバトロスの盗賊団』や『オブスマン』は『叡智』の力が生み出した災いの軍団と言われておる」

「………………」


 話の前後からそれを予測するのは容易い事でしたが、神話級の逸話に軽く絡んでくることに、皆は冷や汗を垂らしました。


「他にも……例えば水神歴385年、イルゼッタ王国を1ヶ月で崩壊させた炎の大嵐『アグニ』。

 例えば水神歴552年、世界最大級の大連峰が突如平地になってしまった怪奇現象『巨人ヨートゥンの大仕事』。

 例えば638年、ガゼル大陸全体に大幻術を掛けた誰も姿の見たことのない魔神『ファミル』。

 これらは『叡智』の力を根源とした、その上に成り立つ奇跡の存在と思われるのじゃ」

「………………」


 それらは全て未解決怪奇現象となっている謎の事件ばかりでした。

 勿論、何かしらの魔術のせいだろうという仮説は立っています。大人数での魔術の失敗とか、天候気候が変異し大魔術を生み出してしまったとか、眠っていた神器がなんかの拍子で目を覚まし力を暴走させたとか、色々な説はありますが、結局のところ誰にも何も分かっておらず、都市伝説のように曖昧で真実は闇の中にあるものでした。


 それを、メルセデス様は全て『叡智』の仕業だと片付けました。


「更にじゃ……7年前、王城を襲った猛る魔獣『ギガ』もまた、『叡智』の力によるものじゃ…………」

「…………」

「…………」


 猛る魔獣『ギガ』。それは比較的最近私の国に起こった大事件です。


 7年前、王都の前に1匹の獣が姿を現しました。その獣は民家よりもずっと大きく、小さな城ほどの体積を持っている大きな魔獣で、そんな獣が一直線に王城へと向かってきて、どんな兵士も、どんな防御も、どんな防壁も打ち崩し、大通りを突進し続け止まることはありませんでした。


 やがて、魔獣『ギガ』は王城に到着し、その城を食い荒らしました。城は見る見るうちに崩れ、噛み砕かれていったのですが、王国の抱える兵士たちは優秀で、勇敢で、王や王子達と共に力を合わせ、知恵を重ね、勇猛な戦いをし、なんとか魔獣『ギガ』を撃退……そして森の奥まで追い詰めて殺害に至ったと言われております。

 これは王族とその兵士たちの英雄譚として語られている話であります。


 しかし、その猛る魔獣『ギガ』は一体どこから来たのかは永遠に謎のままでした。

 突然発生した魔物の変異体とも、悪の魔導士の実験の失敗による狂獣とも、色々な説がでていますが、どれ一つ核心には至りません。


「…………『ギガ』も……?」

「…………まさか」


 皆が息を呑む。

 『ギガ』の災いは1夜限りのものであったが、それはまだ記憶に新しい出来事である事、そして王城にいとも容易く攻め入られて深い傷跡を残していったこと、例えS級の冒険者でもどうしようもない存在であることなど、皆に恐怖を与える存在としては十分な魔獣でありました。


 当時、私は10歳でした。何が何だか分からなく、怯えている内に全てが終わってしまったので、あまりよく覚えていません。ただ、涙が零れた記憶だけがありました。


 そんな有名な魔獣にも『叡智』が関わっている。

 皆、ほとんどの人が今日初めて聞いた『叡智』という存在が自分たちの良く知る恐怖に関わっていることを知り、心臓の鼓動を早くしておりました。


「つまり、『叡智』への対策など出来る筈も無し。何が来るかは分からんし、何が来てもおかしくはなく、『領域外』が入り乱れ、何が来ても太刀打ち出来ん。

 わらわ達に出来ることは逃げることだけじゃ…………」

「……『領域外』…………」

「…………どうして、メルセデス様は『叡智』に狙われているのですか……?」

「これ以上の情報は後の『報酬』に含める。『叡智』に関わる重要な経緯ではあるが、これからの対策には役立たん情報じゃ」


 メルセデス様はニヤリと笑いました。


「前情報はこれで以上じゃ。これでも、お主たちはわらわを守ってくれるかの……?」


 彼女のその笑みは、困惑する私達への挑発のような笑みでした。どうだ、こんな大きな存在から自分を守れ切れるのか、というような声が聞こえたような気がします。

 でも、それは悲しいメッセージでした。疲れ切ったような笑みでした。触れれば壊れてしまいそうな笑みのように感じました。


 大きな存在に追われ続けた人の、疲労がこもった表情をしていました。


「……………………」


 私達は暫く何も言えず、ただ夜は更けていました。

 ただひたすらに大きな存在が、暗闇から私たちを覗き込んでいたのでした。


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