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22話 夜空に煌めく星々

「フンフンフフフーン」


 1人の女性が暗い道を歩いていた。鼻歌を歌いながら陽気に帰り路を歩いていた。


 彼女は神殿騎士のヴィオ。ワインレッドの髪を持つ、若いながらも優秀な騎士であった。

 今日は神殿騎士と冒険者の合同訓練があった。訓練の内容としてはお世辞にも成功とは言えないものであった。家柄重視の貴族と実力重視の冒険者たちの価値観の溝が浮き彫りになってしまう形となってしまったのだが、それでも全く交流が無かったわけではない。


 真面目に訓練をする者同士はとても馬が合った。

 ヴィオにとってそれはエリーのことで、ちょっと、人には言えない趣味の関係で彼女たちは知り合ったのだが……模擬戦の時はただ武人として熱い戦いを繰り広げた。


 冒険者らしい型に嵌まらないエリーの剣はヴィオをとても楽しませた。夢中で剣と盾を交差させた。本当に楽しかった。

 ヴィオはなんとなく彼女に対し、貴族の型は習ったけど、それよりも自由な冒険者らしい剣の方が自分に合っている…………というような感覚をエリーの剣から感じていたが、まさか、エリーは貴族ではなく冒険者なのだから、自分の勘違いなのだろうと思っていた。


「フフフーン。フンフーン」


 彼女は酔っぱらっている。上機嫌に歌を歌いながら歩いている。

 陽気なことにはもう1つ理由がある。

 王女イリスティナ様に会えたことだ。会えて、色々と会話できたことだ。彼女は凄く立派で、神殿騎士と冒険者の諍いを簡単に収めてしまった。


 世間では彼女は『100年に1度の神童』とも『世間知らずの無能王女』とも呼ばれているが、とにかく無能ではないことはよく分かった。


 自分たちの王女が立派であるということが、なんだかとても嬉しくて、彼女は少し酒をひっかけてきた。


「フフンフンフーン」


 そして彼女は歌い、笑い、夜の道を歩いていた。


 …………だが、無粋な輩がそれを邪魔した。


「……ん?」


 ヴィオはすぐ異変に気付く。

 真っ暗な道の先、真っ黒なフードを被った何者かが曲がり角から姿を現した。


「……なんだい、あんたら」


 黒いフードが暗い闇に紛れる様に佇んでいる。普通、遠目では夜の闇のせいで黒いフードは見えないものだが、騎士として鍛えている彼女はそれをしっかりと捉えた。

 角から出てきた人数は7人。それが道を塞ぐようにしながら彼女にゆっくりと歩み寄ってくる。


 どう考えてもまともな人間たちではない。

 ヴィオは気を引き締め、腰の剣に手を掛けた。


「……なんだい、あんたら。ナンパならお断りだよ」

「…………おめでとう……」


 真ん中の人間がその黒いコートの中から大きな杖を取り出し、喋った。


「……君は神様に選ばれた」

「…………はぁ?」

「『聖域』へと……ご案内だ…………」


 その黒フードのため息のような声と共に、両脇の黒いフードが2人、ヴィオに向って走り寄ってきた。その手には彼女を打ちのめすためだろう、鉄の棒が握られていた。


「はっ……!」


 ヴィオはそれを迎撃する。

 『聖域』という言葉はこの都市で生まれ育った者にとっては大切な意味を持つが、それを考える前にまず、盾を押し1人を強く壁に叩きつけ、1人は相手の攻撃をいなしてから自分の剣の腹で思いっきり叩いた。


「うごぉ…………」

「なんだい弱っちいね!不気味なのは見かけだけかい!?」


 襲い掛かってきた黒いフード達は膝をつき震え、彼女は笑った。これなら例え7人が一気に襲い掛かってきても負けはしないだろう。そう、ヴィオは自分と相手達の力量を正確に測った。


 それでも、真ん中にいる杖を持った黒フードは笑った。

 闇に紛れ、表情は決して見えない筈なのに、その顔がニヤリと厭らしく歪んだように見えた。ヴィオは確かにその不気味さを感じた。


「…………だが、時間は稼いだ」

「ん?」


 その者は身長の半分ほどもある大きな杖を空高く掲げた。


「神器『夜空に煌めく星々』」

「…………え?」


 そして、ヴィオは杖に灯る光と同じ白色の光を身に纏った。

 そして、静寂はやって来た。


「………………」

「………………」


 杖とヴィオに纏う光はすでに消え、辺りは先程までと同じ暗闇に包まれている。夜空の星々もこの道を明るく照らしたりはしない。

 ヴィオと黒いフード達は向かい合っている。先程と位置関係は全く変わっていない。


 しかし、ヴィオが握っていた剣はだらりと闘志無く垂れ下がっていた。


「…………術はしっかりと効いているか……?」

「…………ハイ」


 ヴィオの口から声が漏れた。

 それを聞いて、黒いフード達は満足げに、警戒心の無い足取りで彼女へと近づいていく。


「ではお前はもう、私たちの言いなりだ。そうだな」

「ハイ、カシコマリマシタ……」

「よし」


 黒いフードはヴィオに手が届くほど近づいていた。


 そして、彼女は混乱していた。

 あれ?あれ……?なんだ、これ……?私、どうなっちゃってるんだ?

 体が言う事を聞かない。声も勝手に漏れていく。そして何より、闘争心が湧かない。さっきあれほどまでにぶちのめしたかった謎の黒い奴らを倒す気が起きなくなっている。


 というよりも、もう何もかもが変だ。

 自分の体が自分で動かせないし、自分の心もまた、なにか別のモノに黒く侵されていくような感じを味わっている。自分が自分じゃなくなっていく感覚。そして、そのことにすら、もう、何も感じなくなっていく感覚。


「では私たちに付いて来い。抵抗はするなよ?」

「ハイ、カシコマリマシタ……」

「うむ、よし」


 あぁ……これはダメだ。これは付いていってはダメだ。

 でも、もう体は動かない。抵抗する意思も湧かない。助けて欲しい。誰かに助けて貰わないと、もうどうしようもない。

 でも、その『助けて』という心すら……もう黒く塗り潰されて…………


「では行こう。『聖域』に…………」

「…………ハイ」


 そして謎の黒いフードはヴィオの両手を取り、そこに縄を掛けようとした。

 もう彼女に逃れる術は無かった。


「…………らぁっ!」

「!?」


 ―――助けが来る以外は。


 その黒いフードの人間の上にある男が降ってきた。か細い星の明かりを背景に、勇ましい声を上げ、上空から謎の男が迫ってくる。正確に言うと、周囲の建物の屋上から飛び降り、ヴィオと黒フードの間に落ちながら蹴りを放った。


「なんだっ!?」

「何者っ!?」


 後ろに下がっていた黒いフード達は驚きの声を漏らした。

 ドゴン。

 ヴィオと黒フードは引き剥がされる。空から降ってきた男はその蹴りだけで石の床を砕き、大きな破砕音と共に小さくない窪みを作った。


 その男に押しのけられるように黒フードは後ろ側にたたらを踏み、踏ん張ろうという気力すら湧かないヴィオは床に倒れ込んだ。


 空から降ってきたその男は焦げ茶色の髪をしていた。

 D級冒険者クラッグであった。


「何者だっ!?」

「殺せっ!」


 闖入者を7人の黒いフード達が一斉に襲おうとする。クラッグは逆に倒れたヴィオを庇うように数歩下がった。

 その時、もう1人の男が屋上から飛び降りてきた。


「はっ……!」

「……っ!」


 その男は落下と共に、大きな杖を持つ黒いフードの人間に斬りかかった。一瞬だけ早く気が付いたフードの人間はとっさに歩を下げることで、なんとかその剣を躱す。

 その男は紅色の髪をしており、ヴィオを庇うクラッグを庇うように位置取り、剣を構えた。


「こいつ!S級のリックだ!」

「やばいぞっ!退けっ!退けっ!」


 リックの登場に、黒いフード達は一目散に逃げていく。黒いフードが暗闇の中に紛れていく。

 それをリックは追わず、状況確認のため後方に呼びかけた。


「クラッグ!彼女の容体は!?あいつら追うか!?どうか!?」

「…………やべぇぞ、こりゃ……神器級の洗脳だ!追わないで手伝え、リック!」

「分かった!」


 リックは謎の黒フード達を追わず、仰向けにされたヴィオに近づき身をかがめる。

 ヴィオの瞳に光は映っておらず、表情はなんの感情も示していなかった。


「お前は胸元、俺は額な」

「了解」


 早口のやり取りの後、2人は自分の指の腹を嚙み切り、血で彼女の体に『解呪』の術式を書き込んでいく。極めて迅速に、一切のロスなく、彼女の体に赤い血文字を書き込んでいった。


「いくぞ」

「せーの!」

「はっ!」


 血文字で魔術を構成しながら、そこに魔力を流し込んでいく。魔術によって血文字は怪しく光り、その血文字は彼女の体に吸い込まれていくかのようにすっと消えていった。

 そして、魔術の光が消え、また暗い闇が辺りを覆った。


「…………かはっ!ヒュー、ヒュー、ヒュー、ヒュー…………!」


 まるで数分息を止めた後のように、ヴィオは苦しそうに息を吸い込んでいた。(むせ)てもいた。汗も吹き出していた。

 ただ、彼女の瞳に光が再び宿った。


「君は確か……神殿騎士のヴィオと言ったね。大丈夫かい?」

「ヒュー、ヒュー……!あ、ありが……とう…………はぁっ……!助けられたのは……分かって…………はぁっ……!」

「語り掛けておいてなんだけど、今はゆっくり息を整えるといいよ」

「すま……ない…………はぁっ……!」


 2人はヴィオを壁にもたれ掛けさせ、彼女の回復を待った。少し水も飲ませた。


「ふぅ……すまない……心から感謝する。あれは…………私じゃどうにもできなかった…………」

「何があったんだ?」

「…………すまない……ほとんど分からないんだ……」

「仕方ないさ。神器級の洗脳を受けたばっかりなんだ。むしろ今よく喋れているよ」

「……すまない…………」


 彼女はまた水筒の水を呷った。息は落ち着いてきたが、顔色が非常に悪い。だけど、なんの心の宿していない虚ろな表情よりかは大分ましだった。


「分かるのは…………あいつらが建物の陰から突然出てきたこと。……『君は神様に選ばれた』と言って私を『聖域』に案内すると言っていたこと。1人1人は強くなかったこと。…………でも、謎の杖によっていきなり行動不能になってしまったこと」

「…………そこまで分かるなら、十分すぎる気はするな?」

「あと、あいつ。神器『夜空に煌めく星々』って言っていたこと…………」

「いやいや、分かり過ぎだよ。ほとんど分からない、なんてことはないじゃないか」


 状況の整理をしていたヴィオに、クラッグとリックは目を丸くしながら苦笑していた。


「…………とりあえず、そこまで意識がはっきりしているならもう大丈夫だろうな。病院へ連れていくぞ?」

「まだ完治はしてないから……ちゃんと病院でじっくりと治療するんだよ?あとその病院、冒険者の護衛も付いているから安心して?そこ、うちの奴らも入院してるんだ」

「……すまない、何から何まで感謝する…………」

「寧ろこっちが感謝するぜ。情報、うっはうはだ」


 そう言いながら、クラッグはヴィオを背負い、夜の闇を静かに駆けていった。

 闇を掻き分け、しかし闇に逆らわないように、暗い暗い走り方をしていた。


「しかし……どう見る?クラッグ?」


 走りながらリックは問いかける。


「…………色々と気になる点はあるが……1番は『夜空に煌めく星々』って神器だな」

「そうだね。つまりは『アルバトロスの盗賊団』…………」

「………………」


 状況から察するに黒いフードが語った『夜空に煌めく星々』という名の神器がヴィオを洗脳した杖だろう。

 そして、『夜空に煌めく星々』という単語は『アルバトロスの盗賊団』の神話に登場する。


「………………」


 王に『アルバトロスの盗賊団』を討つと進言した若者が王族に要求した報酬が、王様の娘と、夜空に煌めく星々であった。

 その話は神話なので『夜空に煌めく星々が欲しい』という話を聞いても、神話特有の壮大な要求としか捉えられていない。星や月を貰おうとする話はよくある事だ。


 しかし、あの神話が『夜空に煌めく星々』という神器を要求していたのだとしたら…………


「……さてさて、どうなることやら…………」


 先の見えぬ未来に、クラッグの零した声は夜へと吸い込まれ、消えていった。


クラッグたちがこの場に駆け付けられたのは何かの推察でも何でもなく、相棒と姫様にからかわれた傷心を慰めるため、リックを誘って夜の酒場に行っていただけです。

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