209話 再び回り始める運命
「ではリック、お前にはこれから特別任務に当たって貰う」
「はっ、かしこまりました」
夜、王都の端の方に位置する薄汚れた路地裏。
普段は人気のない場所なのだが、今日その時に限っては多くの人間がその場で何やら作業を行っており、忙しなくざわざわとしていた。
その場にいるのは『ジャセスの百足』の構成員たち。
クラッグは『アルバトロスの盗賊団』に捕まっていた者達を救い出したはいいが、その場に放っておいて自分は一人夜の中に消えていった。
その者達を保護するため、リックの誘導の元、百足の構成員たちはその場に赴いて深夜の王都で忙しそうに働いているのだった。
「リック、お前の仕事はロビン様の護衛だ。任務の性質上、単独で行ってもらう」
「はい」
その場では百足の副団長ギウスとリックの二人が話をしていた。
「今後ロビン様はジャセスの百足とは無関係の人間だ。そう装う。当然お前との連絡回数も激減する」
「かしこまりました」
「あらゆる状況にお前一人で対応していけ。出来ないとは言わせない」
ロビンはクラッグに記憶を封じられ、別の記憶を埋め込まれている。
目を覚ました頃には別の人間のようになっているだろう。しかしそれはクラッグの意図するところであり、敵の追っ手を躱すための策だった。
そんな状況でもリックは動じない。
胸を張り、険しい表情で返事をする。
「出来ないなんて言いません。ロビンを守るのはボクです」
「……覚悟があるようで、結構」
彼の瞳には炎が宿っている。
使命感。責任感。そして無力感による悔しさ。
大切なものを踏みにじられた者の、悲壮感さえ漂う覚悟だった。
「ではもう行け。ロビン様がいつ目を覚ますのか分からない。起きて最初に見るのがこの光景では、出鼻から躓いてしまう」
「かしこまりました。では出立します」
リックが寝ているロビンを背負う。
生まれてからずっと所属してきた組織から距離を置く瞬間だった。
「……リック」
「なんでしょう、ギウス副団長」
「健闘を祈る」
言葉少なく、彼を見送る。
彼の成長をずっと見守ってきたギウスは、どこか切ない気持ちになりながらリックを旅立たせた。
「……ありがとうございました」
小さく振り返り、リックはお辞儀をする。
そして前へと歩き出し、もう振り返ることは無かった。
王都を出て、夜の中をひたすら歩く。
背中にロビンの重みを感じながら、リックはただただ前へと足を動かしていた。
どこへ行こうか。どのような生活を送ろうか。
これからは一人でロビンを支えていかないといけない。
泣き言なんて言っている暇はない。
自分がやらねば、ロビンを守る人はいない。
まだ11歳である幼い彼は、確固たる決意を基に暗闇の中を歩んでいた。
「ぅ……ぅうん……」
しばらくすると、背中のロビンが目を覚ました。
「……あれ? ……ここ、どこ?」
「起きたのかい?」
「んー……?」
うつらうつらとしながら、少女はただ幼馴染の背に揺られる。
「……まだ寝てていいよ。夜は明けてないから」
「んー? リック……?」
「うん、ボクだよ」
リックは背中のロビンに当たり障りのない言葉で語り掛ける。
記憶喪失状態の彼女がどういった反応をするのか分からない。状況を見極めながら、ロビンの反応を探っていた。
「リック、リック、んー……」
「…………」
傍にいるのが幼馴染だと分かったからか、ロビンは安心したようにまたまどろみの中に意識を手放そうとする。
ただ、それは偽りの記憶。
ロビンとリックが幼馴染であることは実際変わらないのだが、彼女が感じているのは植え付けられた記憶による偽物の安心感だった。
「心配要らないよ。ボクに任せてロビっ……」
ロビンはゆっくりと休んでいてね、と言いかけてリックは口を噤む。
クラッグから偽名を使うよう指示を出されていた。
ロビンの名は使わず、新しい名を彼女に与えなければいけなかった。
「…………」
じゃあ、どういう名前にしよう。
背中にいる少女になんと名乗らせよう。
リックの頭の中に一つの名前が浮かんで、それが離れようとしてくれなかった。
「……フィフィーはゆっくり休んでいてね」
「んー……」
咄嗟に出た名前。
フィフィー。
この戦いで殺されてしまった自分の大切な幼馴染。ロビンからすると最愛の義理の姉。
その名前が口から零れ出てしまった。
「……安心していいから。……フィフィーはボクが守るから」
「…………」
「ちゃんと……今度こそ、フィフィーを守ってみせるから……」
リックの目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
何とか涙を我慢しようと歯を食いしばりながら、背中の重みを守るためにただひたすらに前へと歩く。
「ありがとうね……リック……」
「…………」
そして少女はまた眠りに就く。
幼馴染の暖かい背中に安心しきって、優しい夢の中に落ちる。
彼女はいつも帽子を身に着けていたが、それは王都に置いて来た。
もう必要の無いものだ。
ロビンは兄の強さに憧れて男っぽく振舞ってきたが、その兄の記憶はもうない。憧れは消え失せ、彼女が男装をすることは無いだろう。
「……お休み、フィフィー」
安心しきって眠りについた彼女を起こさないように、リックは小声で呟く。
涙交じりの震えた声。
「……ぅっ、ぅ」
大きな声は上げられない。背中の少女を起こしてしまう。
声を抑えて咽び泣きながら、リックはただ自分の道を進んでいく。
「うぅ……ぅっ……」
色々なものを失った。
でも、それを振り返る時間は無い。
夜の闇の中で、一人の少年の旅が始まろうとしていた。
とある川の源流。
緑豊かな山の中腹から水が湧き出しており、か細いながらもちょろちょろと小さな水の流れを作って山を下っていく。
険しい山の奥の奥。
人の足では辿り着くのも困難なような場所の、やがては大きな川となり、大きな湖となるその始まりの源流の傍で、一人の少年がじっと身を休めていた。
クラッグである。
彼は消耗した力を癒すためにこの川の源流を訪れていた。
「…………」
大きく深呼吸をする。
山の精気、川の精気が彼の体の中に入り込み、少しずつ少しずつ体を癒していく。
人は来ない。
こんな山奥の辺鄙な場所を人が訪れるはずも無く、周囲にはただ木の葉の揺れる音、森の生き物たちが息づく音、源流が流れ始める水の音だけが静かに響き渡っていた。
クラッグはここで数年留まり続けるつもりだった。
直近の戦いの傷も大きいのだが、彼は今までずっと『叡智』の力を探し出して体の中に封印するという仕事を続けてきた。
そのせいで彼の力はかなり大きく消耗していたのだ。
ここでじっくりと回復を図るつもりだった。
数年の間、山奥の一所に留まり続けて何もしない。それは常人だったら耐え難い行いなのかもしれない。
しかし彼にとっては苦でも何でもなかった。
「…………」
地面に腰を下ろしながら木の幹にもたれ掛かり、顔を上げて夜空を見上げる。
木々の枝葉の隙間から見える星々は近く、人の町から見える星空よりも鮮明にきらきらと輝いている。
ぼんやりと星を見上げながら、少年は奇妙な友人のことを思い返していた。
『自分が嫌いなら、変わればいい』
いつか言っていたギンの言葉。
今や星となった彼の言ったことが頭の中で反芻されていた。
『自分が嫌いなのならば、お前は本当に本気で、自分が変わる為の努力をするべきだと俺は思う』
『人は変われる。一生懸命、死ぬ気でやるんだ。自分の為に。自分の大切な者の為に』
『俺はお前が怠慢だと言っているぞ』
何故こんな説教染みたことを思い出しているのか。
決まっている。
彼の妹のエリーについてだ。
彼女とはいずれ再会をしなければならない。クラッグはそう考えている。
エリーは既に深くこの戦いに巻き込まれてしまっている。今更引き返させるわけにはいかない。
数年後にまたエリーと再会し、ロビンと再会し、色々な人を巻き込まないといけない。
いずれ来たることが確定している、大きな戦いに備えて。
『だから、私が……俺が、ギン兄様の代わりになります。……なるんだぜ?』
思い返されるのはエリーの言葉。
彼女がギンの真似をして、自分のことを慰めようとしてくれた時のこと。
クラッグはそこに途方もないほどの勇気を見た。
「…………」
自分も変わらないといけない。
いずれまた彼女と再会することになるのだから。
その時までにせめて、エリーとかロビンとか、身近な人間を傷付けないだけの人間になっておきたい。
「…………」
彼の心は憎しみに溢れている。
どうしようもない世界だとか、私欲を貪る権力者だとか、人の傲慢、人の欲望、人の世の全てに怒りが込み上げてきて止まらない。
本当にどうしようもないほどに込み上げてくる負の感情を、彼自身が抑制できない。
それは彼の存在の根幹に関わることだった。
そして何より、彼は自分のことが大嫌いである。
自分が嫌いで嫌いで、自分のことを一滴の雫ほども信じていない。
そんな自分が自分を変えられるだろうか。
変えられる気がしない。弱い自分が自分に打ち勝つことなど出来やしない。
「……俺はクラッグ、だぜ」
それなら、それなら……。
自分以外の人間の真似をすればいいのではないだろうか。
自分が信じられないのなら、他人の力を借りてくるのはどうだろうか。
「……わっはっは、お前の悪行も、ここまでだ」
真似るのは憎たらしいあの野郎の口調。
自分とは真逆だったあの男だからこそ、クラッグは彼を真似る価値があると思った。
「……もう安心だぞぉ。……悪い奴はやっつけたからな。俺がみんなを助けてやるからな……」
小声でぶつぶつと、彼は独り言を繰り返す。
それは上っ面だけの猿真似だった。
自分の性根が変わるわけではない。外面だけを真似た三文芝居。浅知恵に任せた行動の変容である。
「っておいおい、ここめっちゃ景色いいじゃん。……俺ここで昼飯にしよー」
それでも今の自分を変えられるのなら。
近しい人間を泣かせるような人間から変われるのであれば。
それはなんだか悪い気がしなかった。
「……ふふっ、ははは」
クラッグはくつくつと笑う。
自分があまりにも滑稽で、思わず笑い声が漏れていた。
「……あぁ」
星を見上げる。
「……星が綺麗じゃねーか」
再び見上げる星空は、なんだかいつもより美しく見える気がした。
* * * * *
――5年後。
「よぉ、リック」
「あ、クラッグ……」
王都の一角。
太陽が燦々と照っている街中のカフェのテラス席、そこでクラッグとリックが顔を合わせた。
まるで数日ぶりの再会かのように気安く、何の了解も取らないままクラッグがリックの対面の席に腰掛ける。
「久しぶりだな。ロビンは元気か?」
「……久しぶりって言うのなら、まず目の前の人間の調子を尋ねなよ。君がボクに興味なんてないことは知ってるけどさ」
「ははっ、すまんな」
淡々とした口調で二人は話をする。
それは数年ぶりの再会のようには見えなかった。
今この場にフィフィーはいない。記憶を失ったままの彼女に、二人の関係性を知られるわけにはいかなかった。
「……この数年間で変わった? クラッグ?」
「変わってはねえんだろうな。変わったように見せているだけだ」
今までと様子が違うクラッグを見て、リックが尋ねる。
それに対してクラッグは自嘲気味に返答をする。
それでも、リックは微笑んだ。
「いいんじゃない? 悪くないと思うよ、ボクは」
「……どーも」
リックがコーヒーを啜る。
クラッグも店員にコーヒーを注文する。
「はい、これがここ数年間の報告書。といっても、大きな事件は無かったけどね」
「おう」
リックが鞄から書類の束を取り出し、テーブルの上に置く。
クラッグはその場でそれを読み始める。
これはリックが百足の組織に提出していた報告書であった。彼は定期的に百足と連絡を取り、叡智の力の手掛かりとかフィフィーの様子などを報告している。
リック自身は大きな事件は無かったと言っているが、それは5年前の事件と比べたらの話であり、リックとフィフィーの二人は冒険者ギルドからの大きな依頼を何度もこなしている。
そのせいでたった16歳と15歳の少年少女がS級やA級へと至っている。
「…………」
そんな報告書をクラッグはコーヒーを啜りながら読んでいた。
「……ここ数年の事情は大体分かった」
「そうかい」
クラッグが資料を読み終え、それをリックに返す。
「じゃあ、俺はここら辺で。またなリック」
「もう行くのかい?」
「もう用は済んだ。これ以上ここにいても意味ねーだろ」
クラッグがそう言うと、リックが苦笑する。
「やっぱ君は何も変わってないや」
「……表面だけ取り繕っても意味ないかねぇ?」
「いいんじゃない? なんだってさ」
クラッグが席を立つ。
「金がねえんだ。奢っといてくれ」
「ほんと、君は相変わらず悪い奴だ」
「今後は俺も冒険者をやるつもりだから。そん時はよろしくな、先輩」
「うわ、ぞっとした。やめてくれ、先輩だなんて言うの」
「ひでぇな」
「冒険者になって、クラッグは何をするつもりなの?」
去り際にリックが尋ねる。
それに対して、クラッグが小さく笑った。
「ちょっとばかし鍛えてやらないといけない奴がいてな」
そう言いながら、彼がここを去る。背中越しにリックへ手を振りながら歩き去っていく。
それは今までの彼だったらしそうに無い動作であった。
冒険者ギルドの中。
腕自慢の荒くれ共が集まる場であるが、その建物の中は綺麗に整っていた。
掃除が隅まで丁寧に行き届いており、配置されている調度品も品の良いものばかり。王家の人間のお膝元であるこの街では、冒険者ギルドの建物も小汚くあってはいけなかった。
「う゛ーん……」
そんな冒険者ギルドのベンチで、クラッグは一人唸り声を上げていた。
冒険者登録への手続きを済ませた彼は、今後の活動方針について悩んでいたのである。
やることは決まっている。
兎にも角にも、まずはエリーと再会しなくてはいけない。
しかしどうやって、どのようにして再会すればいいか。クラッグにはその上手い方法が思いつかなかった。
「う゛ーん……」
新聞を頭に被りながら、ベンチにだらしなく腰を掛けている。
エリーは記憶を失っている。さて、では、どうしたらいいか。
冒険者ギルドの中は今日もガヤガヤと喧騒に包まれている。品の悪い冒険者が女性冒険者をナンパしようとして、返り討ちにあったりしている。
そんな騒がしい建物の中で、クラッグは上手く考え事をまとめられずにいた。
「……ん?」
なんて行儀悪く項垂れていた時だった。
彼に幸運が訪れた。
依頼表が張り出されている掲示板、そこをじっと見ている一人の少女がいた。
銀色の短髪。凛と済んだ顔付き。冒険者らしい活発な格好。
5年前に比べて大きく成長している。
成長しているが、それは間違いなくギンの妹、エリーだった。
一丁前にデザインの良い帽子を被っている。まるで男っぽい格好をしていた頃のロビンのようだ。
そんな彼女が真剣な顔で冒険者への依頼表をじっと見ていた。
「…………」
クラッグはにっと笑う。
自分の運も捨てたもんじゃないなと思いながら。
ベンチから立ち上がり、ゆっくりと背後から彼女へ近づいた。
「よぅ! ねーちゃん、1人か? 俺と組んで仕事しねーか?」
大きめの口調で声を掛けた。
少女がびくっと驚きながら、慌てて振り返る。
「…………」
その目にはあかるさまな警戒心が宿っていた。
当然である。今、エリーにはクラッグの記憶が無いのである。
ナンパ男のような不審者に声を掛けられたと思い、彼女は鋭い目でクラッグのことを睨んでいた。
「…………」
それを見て、彼はへらっと笑う。
――今日この日、二人の冒険が再び幕を開けたのだった。
《第三章・封じられた記憶・完》
これにて第三章終了です!
お付き合い頂きありがとうございます!
次が最終章です。
ただ、ここら辺でちょっと更新おやすみさせて頂きます。二本同時更新はきつかったよ……。
なるべく早く戻ってきますので、またよろしくお願いしますm(_ _)m
それと、今日からジャンプルーキーやツイッターの方でオリジナル漫画『曇天日和の漫画家たち』を投稿しようと思っております。
シェアハウスをしている漫画家たちの日常を描いたギャグ作品です。
良かったらご覧になってください。
よろしくお願いします。
作者ツイッター→https://twitter.com/kohigashinora




