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207話 謀略

「ん……うぅん……」


 一人の少女が目を覚ます。

 固い床の上で少女がだるそうな寝起きの声を上げる。起き抜けに体を起こすと、自分の上に掛かっていた一枚の薄い毛布がはらりと落ちた。


 窓から月明りが差し込む。

 少女はぼんやりとした瞳で夜空に浮かぶ星々を見上げる。


 少女ロビンは意識を取り戻した。

 異空間での戦いから一週間が経った。ロビンはその間ずっと気を失っていて、この夜更けに目を覚ました。


「起きたか、ロビン」

「……兄ちゃん」


 この部屋の隅にはクラッグがいた。兄の声に反応して、ロビンがそちらの方に振り向く。


「体調はどうだ?」

「たいちょー?」

「あぁ、気分が悪かったりしないか?」

「んー?」


 寝起きで回らない頭を働かせながら、ロビンは返事をする。


「えーと……まだぼんやりする……」

「そうか」


 本人にまだ自覚は無いが、それはただ単に寝起きだから、というわけではなかった。


 ロビンはアルバトロスの盗賊団の手によって、体の中の大きな力を無理やり抜かれてしまっている。そのせいで肉体と精神に大きなダメージを負ってしまっていた。


 思考が上手く定まらないのはその一症状だった。


「ここは……?」


 ロビンがきょろきょろと周りを見渡す。

 ごっちゃな荷物が部屋中に散乱している。そこは整理が疎かになっている倉庫の中であった。


 あれから一週間、クラッグは人目に付かなそうな場所に忍び込んで、王都の中に隠れ潜んでいた。

 誰も来なさそうな物置の中に潜り込み、ただ息を潜め続ける。


 ロビンが目を覚ますまで、彼女の傍でじっと待ち続けていた。

 その一週間で自身の傷の回復にも努めるけれど、あの戦いで受けたダメージは大きく、すぐに力は取り戻せない。


「ここは王都の一倉庫の中だな」

「倉庫?」

「……かくれんぼしてるんだ、今」

「えー? なんで?」


 ロビンが首を傾げる。

 それに対してクラッグは返事をしなかった。


「……あれ?」

「どうした、ロビン?」

「うちの村って、どうなったんだっけ……?」

「…………」


 ロビンが下を向き、じっと考え込む。


「えっと、えっと……なんか怪物が来て……あれ? あれ? ……どうなっちゃったんだっけ?」


 けれど答えは出ない。

 今、彼女の思考力は傷付いている。まともな思考ができるような状態じゃなかった。


「ロビン、難しいこと考えるな」

「兄ちゃん……?」


 クラッグが彼女に近づき、頭を撫でる。


 ロビンの住んでいた村はアルバトロスの盗賊団に襲撃され、壊滅している。

 生き残っているのはその村から攫われた者達、叡智の力を宿した人間だけである。それ以外は彼女の義理の家族も含めて皆、命を落としていた。


「大丈夫だから、今は難しいこと考えないでゆっくり体を休めろ」

「うん……分かった、兄ちゃん……」


 だけど、クラッグはそれを語らない。

 ロビンに本当のことを語るつもりは無かった。


 頭を撫でられ、彼女は気持ちよさそうに目を細める。


「…………」

「…………」


 二人、月明りの差し込む倉庫の中でじっと佇む。

 ここにいるのはまだ小さな兄妹だけ。他に味方はいない。まるで、六年前の故郷が滅ぼされた時に戻ってきてしまったかのようだった。


 家族も故郷も滅ぼされてしまった時の夜。

 兄は妹を背負って、ただ暗闇の道を歩いていた。


 妹は自分が守るという誓いを再確認した旅路。その時のことをロビンは覚えていない。覚えているのは自分だけ。

 彼は何だかその夜のことを思い出していた。


「……兄ちゃん? 兄ちゃんから血の匂いがする」

「ん?」

「兄ちゃん、もしかしてケガしてる?」


 兄に寄りかかりながら、ロビンが口を開く。

 クラッグに付いた傷は深く、まだ塞がり切っていない。その血の匂いをロビンは嗅ぎつけていた。


「…………」


 大丈夫、心配ないというのは簡単だった。

 だけどその時、クラッグの中である考えが思い浮かぶ。


 ――思い浮かんでしまった。


「……実は、傷は深い」

「えっ!?」


 兄の言葉を聞き、ロビンの心臓がどくんと跳ねる。


「だ、大丈夫なの……!?」

「普通だったら死んでいる傷だな」

「そ、そんなっ!?」


 彼女の顔色がさっと青くなる。


「まぁ、僕ならなんとかなる。死なないよう頑張るさ」

「に、兄ちゃん……」

「だけどなロビン。僕はこの傷を治すため、しばらくロビンとお別れしなくちゃいけないんだ。傷の治療は大変だ。一緒にはいられない」

「…………」


 クラッグがあやすようにロビンの頭を撫でる。

 彼女の瞳が涙で潤んだ。


「わ、分かったよ……。ボク、わがまま言わない。兄ちゃんの命が大事だから……」

「……ありがとう」


 涙を流すまいと懸命に、ロビンは全身に力を入れて力んでいた。

 クラッグは話を進める。


 ここからが、彼にとっての本題だった。


「実はな……僕にこの傷を付けた大悪党は、僕たちの村を攻撃した犯人でもあるんだ」

「なっ!?」


 彼女の目が大きく見開かれる。


「そいつはとてつもなく悪く、とてつもなく強い奴なんだ。僕たちの村はそいつのせいで大きなダメージを負ってしまった」

「そ、そんな……」

「世界を滅ぼしかねない最悪の計画を企てている。酷いことばかりをして、たくさんの人を苦しめる悪人なんだ。僕はそいつとずっと戦い続けることになる」

「ず、ずっと……」

「力を貸してくれ、ロビン。ロビンにも、その敵と戦って欲しいんだ」


 彼女がごくりと息を呑む。

 その拳は固く握られていた。


「わ、分かった! ボク、兄ちゃんを助ける! ボクもそいつと戦うよ……!」

「……ありがとう」


 クラッグが妹の頭をぽんぽんと叩く。

 どうしてか、その表情はどこか申し訳なさそうだった。


「……いいか、ロビン。そいつは生半可な敵ではない。覚悟を決めて欲しいんだ。本気でその敵を憎み、恨み、滅ぼしてやるという決意を固めて欲しい」

「決意……?」

「そうだ。その悪い奴は僕たちの村のたくさんの人を傷付けた。絶対に許してはいけない。どんな困難が待ち受けていても、そいつへの敵意を忘れないで欲しい」

「わ、分かった……」


 ロビンが重く頷く。

 だけど、クラッグの険しい態度は緩まない。


「宣戦布告をして欲しいんだ」


 彼がロビンの両肩を掴み、正面から彼女の瞳を見る。


「そいつの目の前で宣戦布告をして欲しいんだ。お前が憎い、と。お前を恨む、と。お前に天罰が下りますように、と、その悪い奴の前で戦いの宣言をして欲しい」

「え、えっと……?」

「今からそいつのもとに行く。そこで僕たちの敵と戦う覚悟を決めて欲しい」

「い、今から……?」


 ロビンは困惑するけれど、彼は有無を言わさない。


「その覚悟が、ロビンを強くするんだ」

「…………」


 クラッグはロビンから目を背けない。

 強い色をした瞳が彼女を捉えて離さない。


 ロビンは頷く他なかった。


「いいか、よく聞いてくれ。僕たちを痛めつけたその大悪人、世界中を苦しめるその悪党の名は……」

「…………」


 クラッグが口を開く。


「……この国の第四王女、イリスティナ姫だ」


 ただ夜は深まるばかりだった。




* * * * *


「ん、んん……」


 小さな少女がぼんやりと目を覚ます。

 そこは王城の一室、第四王女イリスティナの部屋だった。


 ベッドの上で少女が身を起こすと、美しい銀色の髪が揺れる。

 イリスは自分の家へと帰って来ていた。


 クラッグが彼女を衛兵の詰め所の前に置き捨てた後、彼女の執事ファミリアに発見され無事に保護される。

 イリスは長い旅を終え、この部屋で一週間ほど意識を失っていた。


「私、帰ってきたの……?」


 首を回して辺りを見渡せど、上手く現状が把握できない。


 それもその筈。クラッグの手によって、彼女は記憶を一部失っていた。

 イリスにとっての最後の記憶はクラッグと出会う直前、ブロムチャルドの城に居た頃となっていた。


「…………」


 彼女は色々考える。

 どうして自分がここにいるのか。どうやってここに帰ってきたのか。あそこで一体何があったのか。


 しかし、考えても答えは出ない。

 答えを出すための材料をイリスは全て失っていた。


 イリスはベッドから這い出て、部屋の外に出ようとする。

 そこで異変が起こった。


「……え?」


 自分の後ろで音がした。

 大きな窓の開く音だ。ガチャリという音が独りでに鳴り、冷たい夜の風が入り込んでくる。


 そこから侵入者が姿を現した。


「…………」


 一匹の赤い狼と、少年のような姿をした一人の少女だった。


 少女はつばの付いた帽子を深く被っていて、性別が分かり辛い。ただ、その姿はイリスにとって馴染みの深いものだった。


「ロビンっ……!」

「…………」

「無事、だったんだね……ロビン……」


 イリスの部屋にロビンが突然姿を現した。


 ここは三階。

 その窓からどうやって入って来たのかなどの疑問は感じるものの、イリスは友達が無事であったことにただ感激していた。


 ロビンの方へと一歩一歩ゆっくりと歩み寄る。

 しかし、そのロビンの様子はどこかおかしかった。


「……ロビン?」

「…………」


 彼女の表情は固かった。

 ロビンにとってエリーは友達であるが、その変身前のイリスは友達でもなんでもない。


 それどころか、憎悪の対象だった。


「お前のせいだ」


 ロビンが口を開く。


「……え?」

「全部全部お前のせいなんだ」


 ロビンはクラッグから、今回の事件の黒幕が目の前のイリスティナ王女であると教えられている。

 そのため彼女にとって、イリスティナ王女は完全な敵であった。


 獣の双眸が怪しく光る。


「お前のせいで僕の兄ちゃんが……」

「え……?」

「お前だ……お前のせいなんだ……」

「ロビン……何を言っているの……?」


 イリスには何が何だか分からない。彼女の足が一歩も二歩も後ろに下がる。


「憎い」

「…………」

「お前が憎い」


 純粋な恨みが無邪気なイリスの胸に突き刺さる。

 ロビンの目には憎悪による覚悟の色が滲んでいた。


「王族が憎い。貴族が憎い。この国が憎い。世界が憎い。このどうしようもない世界が憎い。……お前を恨む」

「…………」

「お前が憎いから……」


 祈るようにロビンは口を開いた。


「どうかどうか、神様。どうか神様、こいつに天罰をお掛け下さい。お願いします……」


 暗い部屋の中で二人の視線が交錯する。


 クラッグが妹に求めた宣戦布告。

 敵を憎み、恨むことで得られる覚悟。その宣言がここに完了した。


 イリスの視界がぐるぐると廻り、揺れる。


「あ……待って……」

「…………」


 兄から求められたやるべきことが終わり、ロビンは無言のままこの部屋から立ち去っていく。獣の姿をしたクラッグの背に乗り、三階の窓から飛び降りる。


 イリスの震える声での制止に耳を貸さず、一人の少女と一匹の獣は闇夜の中へと消えていった。


「…………」


 何が何だか分からないまま、自室に一人残されるイリス。


 こうして深夜遅く、謎めいた宣戦布告の儀式が終了した。

 その真の意図はイリスにもロビンにも分からない。分かっているのはこの場を整えたクラッグだけである。


 彼の図る謀略はまだ誰にも理解できないままであった。


 その後、イリスの慟哭が部屋の中に響き渡る。

 胸を引き裂かれるような痛みを与えられ、彼女の中で変化と覚悟が芽生え始めていた。


 自分の目で、足で、世界を見て回るという誓いを、ただ一人孤独の中で胸の中に刻み込むのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] クラッグ、知ってたのかぁ! 全部知ってたのかぁ!?
[一言] あっ、これ気づいてますね
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