206話 別離
夜更けの王都。
真夜中だというのに、街の至る所で喧騒が鳴り響いている。
鎧を着た人間が忙しそうに走り回り、王都中で騒ぎが起こっていた。普段は誰もが寝静まる夜遅くに松明で周囲を明るく照らしながら、多くの兵隊たちが汗を流している。
それもそのはず。
この王都は今日、謎の魔獣に襲撃されたのだ。
巨大な赤い獣は王都奥深くまで易々と侵入し、王城を半壊させてしまった。
幸い死者こそでなかったものの、それは歴史に残るような大事件、大失態であった。
その後、不可解なことに魔獣は煙のように消え、その姿を眩ます。
今、王都の警備兵とその街を拠点とする冒険者は夜通しで魔獣の捜索、そして警戒に当たっていた。
王都の人たちは知らない。
王城の地下にある異空間、そこで壮絶な戦いが繰り広げられていたことに。
巨大な魔獣、炎の怪物、世界の闇に潜む組織が戦い、殺し合った。世界全体の未来にも影響の出るような重要な争いが人知れず行われていた。
戦いが終わった後、クラッグはその異空間の入り口を封じる。
何かの拍子に王城の人間がこの入口に気付かないよう、念入りに厳重に封印を施し、この闇の世界に誰も立ち入れないようにした。
そうして戦いに一区切りがつき、王都の片隅。
誰も通らないような狭く暗い路地裏の一角で、クラッグとエリーが身を隠していた。
「……ふぅ」
「クラッグさん! こんな場所にいないで、早く病院に行かないとっ……!」
「バカ、病院で治るような傷じゃない。それより静かにしとけ」
狼の姿を解いたクラッグが気怠そうに座り込み、壁に背を付ける。
その左胸には大きな傷が付いたままであり、痛々しい様相を晒していた。先程の戦いで敵の団長に貫かれた傷がそのままであり、今も心臓は治っていない。
それでもクラッグが死ぬ様子は無く、平然としている。左胸の傷は大きいが、そこから血が流れ出ることもない。
エリーには訳が分からなかった。
「そんなことより、周りに人影はいないか? エリー、見て来てくれ」
「わ、分かりました!」
「静かにな」
エリーがとととと走って、狭い路地裏を一回曲がって周囲を確認する。
今この王都は赤い魔獣への警戒で騒がしくなっている。しかし、ここは王都の端に位置する寂れた場所だ。
そう簡単に警備の人間は来ない。
一通り辺りを見回って、エリーが戻ってくる。
「だ、大丈夫です、騒ぎはこっちまで来ていないようで……って、あれ?」
小走りでクラッグに近づくと、何やら彼の様子に変化が見られた。
クラッグは自分の血を操作して、狼の頭を形作っている。
先程まで彼が戦いで使用していた魔獣ギガ。その頭部だけを手のひらの上で再現していた。
狼が大きく口を開く。
そこからロビンの体が吐き出された。
「あっ!?」
エリーが驚く。
魔獣ギガは口の中が異空間となっている。
アルバトロスの盗賊団に誘拐された人間は皆、魔獣の腹の中に入れて運んでいた。クラッグはその中からロビンだけを取り出す。
「ロビン!」
エリーが彼女に駆け寄り、その体をぎゅっと抱きしめる。
ロビンに意識は無い。ぐったりとしたまま眠っていた。
「…………」
クラッグがロビンの背中に手を当てて、治癒魔法を使う。
彼の手が淡く光り、その光で彼女の体を癒していった。
「クラッグさん、ロビンは無事なのですか……?」
「まぁ……良い状態とは言えないが、調整は付く」
「調整……?」
「…………」
エリーが聞き返すけれど、彼は返事をしない。
口を閉じ、淡々とロビンに回復魔法を掛け続けていた。
「……ロビンは、またあの変な奴らに狙われるのでしょうか」
「そうだろうな」
「ロビンはまた大変な目に合ってしまうのでしょうか……」
「そうかもしれないな」
「…………」
エリーの言葉に、クラッグは全て肯定を返した。
彼女がロビンの顔をじっと見る。
お世辞にも顔色が良いとは言えない。体の内から膨大な力を無理やり抜かれ、明らかに体調を悪くしてしまっていた。
息も静かに、力無くぐったりとしている。生気すら抜けてしまっているような、弱々しい小さな体がそこにあった。
「…………」
友達のその姿を見て、エリーは決心をする。
「クラッグさん……」
「…………」
「私、戦います」
エリーがクラッグに顔を向ける。
「私、戦いたいんです。悪い奴らにロビンを……友達を傷付けられたくない。あいつらと戦えるだけの力が欲しいんです」
「…………」
揺らぎない瞳で彼を見る。
熱い瞳をただ真っ直ぐ輝かせ、自分の覚悟を示そうとしていた。
「お願いします。戦い方を教えて下さい、クラッグさん。悪い奴らを退ける力をください。ロビンを守るために、あいつらと戦う力を……」
「…………」
「クラッグさん……私を、強くして下さい……」
エリーが決意の言葉を口にする。
彼女はこの大きな戦いに足を踏み入れることを誓った。
「…………」
クラッグは顔を上げない。
エリーの方を見ない。彼女の熱い視線から目を背けていた。
「……申し訳ないと思っている」
「え?」
クラッグから返ってきたのは謝罪の言葉だった。
「お前を巻き込んだ。お前はもう戻れない。お前はもうどうしようもないほどに、この戦いの関係者になってしまっている」
「…………」
ぼそりと呟くように、彼が小さく言葉を口にする。
「エリー、君は戦わなければならない。君には困難が待ち受けている」
「の、望むところですっ!」
クラッグの言葉に、彼女がぐっと握りこぶしを作る。
ふんすと鼻を鳴らした。
「…………」
その様子を見てクラッグが顔を上げる。
そして小さく笑みを作る。
「……悪いな」
「クラッグさんは悪くありません! 悪いのはあいつら悪い奴らです!」
「はははっ」
威勢の良いエリーの言葉に、クラッグは力なく笑った。
「……いいか、エリー。およそ10年後だ。今から大体10年後、ロビンが20歳になった頃に大きな戦いを仕掛ける。または、巻き起こる」
「10年後……?」
「僕はそこでこの戦いの全てにケリをつけるつもりだ」
クラッグの眼が冷たい色でぎらりと光る。
彼女は息を呑んだ。
「およそ10年後。それまでにお前は強くなっていて貰いたい」
「えっと……ロビンが20歳になった頃って、どういうことですか?」
「ロビンの叡智の力を安定させたい。今ではまだ幼過ぎる。体も心も成長して、強くなった頃に事を起こしたい」
「な、なるほど?」
彼の言っていることをエリーは全て理解できているわけではない。事を起こす、とは何を意味しているのかもよく分からない。
だけど、なんとなく言っていることは分かるような気がした。
「僕は数年、身を隠す。今回の戦いで予想以上に力を消耗してしまった。力が戻るまで数年は必要だ」
「わ、私がその間クラッグさんを守ります!」
「お前ごときに僕が守れるか、バカ」
クラッグがエリーの頭にゲンコツを落とした。
「そういうわけで僕は身を隠して回復に努めるから、お前はその間自主練でもしとけ」
「わ、分かりました!」
「以上だ」
それだけ言ってクラッグは口を閉じる。
話は終わり、という感じだった。
「え、えぇっと……」
エリーは少し困る。
もうちょっと詳しく色々と教えて貰いたかった。
「じゃ、じゃあ私はロビンを守りながら自分を鍛えます! ロビンと一緒に訓練して、強くなってみせます!」
「いや、それは無理だな」
「え……?」
エリーの顔がきょとんとする。
その時だった。
クラッグの手がエリーの顔を乱暴に掴む。
「ひゅっ……!?」
それは突然のことだった。
クラッグが機敏に動き、エリーの頭部を掴みながら彼女を地面に押し倒す。
いきなりの暴力染みた行動にエリーは混乱する。
声を上げたいが、彼の手はエリーの口を覆っていて彼女は上手く声を出せない。
「ここまで説明しておいてなんだが、お前には一度一通り忘れて貰う」
「ひゃっ……!?」
「少し知り過ぎ、ってやつだ」
エリーはじたばたするが、クラッグは微動だにしない。
彼の腕は鋼のように固く、自分の頭を掴むクラッグの手を引き剥がすことは出来なかった。
「僕の懸念としては、お前が色々知っているせいで敵に狙われないかということだ」
「……っ!?」
「敵がどこに潜んでいるか分からないからな。ふとした拍子でお前が標的になってしまうかもしれない。それならいっそ、大部分を忘れておいた方がいい」
「~~~っ!?」
エリーの抵抗は何の意味も生まない。
その場で虚しくじたばたと手足を動かすことしかできなかった。
「どうせ覚えていたところで何も出来やしない。何の意味も無い」
「しょっ!? しょんなことにゃいでひゅっ……!」
「忘れていた方がまだマシってものだ」
エリーに異変が起こり始める。
視界がぐらつき、意識がぼんやりとし始める。
眠たくなってきた時と同じような感覚。考え事すら上手く出来なくなって、意識が暗闇の中へと落ちていく。
何か大切なものがぽろぽろと零れ落ちていく。
失いたくない何かがバラバラに崩れて、手の届かない場所に消えて行ってしまう。
それが嫌だと思っても、エリーに出来ることは何もなかった。
「ク……クラッグ、しゃ……」
「おやすみ、エリー」
彼が最後の挨拶をする。
「良い夢を」
エリーの意識が深い闇の中に堕ちる。
彼女の体から力が抜け、ぐったりと地面に横たわる。
「…………」
静かな夜が戻ってくる。
空には星が輝き、街はしんしんと眠りについている。王都の中心の喧騒も、この寂れた場所にまでは届かない。
エリーは眠りに就いた。
クラッグは口を開かない。
ただ、夜の闇が静かにこの場を覆っている。
こうして二人の絆は一度途絶えるのだった。
王都の衛兵たちの詰め所。
そこに一人の少女が捨てられた。
「ん? なんだ、この子?」
慌ただしく王都の中を駆け巡る衛兵たちがその少女の存在に気が付いた。
いつからそこにいたのか、詰め所の玄関の隣に小さな少女が横たわっている。
意識は無いようで、目は閉じられている。誰の仕業か分からないが、少女の体にはご丁寧に毛布が掛けられていた。
「なんだ? どうした?」
「いや、小さな女の子がそこで寝てて……」
「はぁ?」
衛兵たちが首を傾げる。
捨て子かなにかだろうか。この忙しい夜に困った親がいたものである、なんてことを頭の中で考えていた。
「……なんだろう、この子。本当に捨て子か?」
「さ、さぁ……」
そこで寝ている少女は少し妙な様子であった。
やたら綺麗なのである。
髪は銀色の短髪。小さな子供ながらとても整った容姿をしており、スラムの捨て子のような貧しい様相をしていない。
まるで貴族の子かなにか……。
衛兵たちは何やら厄介ごとを抱えてしまったような気になった。
「あ、あのっ……!」
「ん?」
その時だった。
衛兵たちの背後から、大きな声が掛けられた。
「そ、その女の子……少し見せて貰って良いですか……!?」
後ろにいたのは小さな男の子。
この少女と同じくらいの年齢で、おそらく10歳前後。小さいながらも立派な執事服を身に纏っていて、身なりがとても整っている。
「君は……?」
「あ、えぇっと……すみません、申し遅れました」
衛兵の質問に対して小さな男の子が恭しく頭を下げる。
「私は王族付きの執事を務めさせて頂いております。ブルース家次男。ファミリア・ドストマルク・オン・ブルースと申します」
イリス王女の迎え者が姿を現す。
こうして一人の少女の長い冒険は終わりを迎えるのだった。




