205話 残党
そこは雲よりも高い山の峰であった。
手を伸ばせば届いてしまいそうなほど近く、星が夜の中で輝いている。
普通の人間では登り切れないほど険しい山の山頂付近、景色を遮る物など何一つとしてありはしないその場所で、複数人の男たちが佇んでいた。
白いフードを被り、仮面で顔を隠した怪しい集団。
アルバトロスの盗賊団である。
「こんなにも数が減ってしまうとは……」
「…………」
団員の一人がぼそりと呟く。
山の峰から美しい景色が一望できる場所で、男たちの間には重苦しい空気が流れていた。
彼らは先程まで赤い魔獣や幽炎と戦っていた。
その怪物たちの手によってたくさんの仲間が殺されてしまった。数十人いた精鋭たちが今や五人しか残っていない。
命からがらその戦闘の場から逃れ、残った団員たちは今この山の山頂へと身を移している。
闇の異空間『ジステガン』には五つの出入り口がある。霊峰ゴスティスという名の険しい山の山頂にその出入り口の一つがあるのだった。
クラッグも知らない出入り口である。
ただ、逃れられたはいいが組織は実質的に崩壊状態となっていた。
中心メンバーがほぼ全滅し、敵も殺しきれなかった。叡智の王たちも敵の手に落ち、彼らの手にはほぼ何も残っていなかった。
ただ重い沈鬱がその場を支配する。
「はは、バカの癖になに重苦しい空気を漂わせている」
「……っ! 団長っ!」
「団長、ご無事で……!?」
その時、一つの生首が声を上げた。
団長ニコラウスである。団員が抱えるニコラウスの首が、声を発した。
彼の肉体は赤い魔獣に細切れにされ、幽炎によって焼き尽くされた。そこにあるのは生首だけ、そしてその残った部分も痛々しく焼け焦げている。
生命力が異常な領域外の人間たちでも確実に死んでいるような状態でなお、ニコラウスはなんとか命を繋いでいた。
「確かに我らは今酷い状況だ。二体の怪物に何もかもを踏み躙られた」
「……申し訳ありません、我らが至らぬばかりに」
「だがこの作戦、失敗というわけではないと思うぞ?」
ニコラウスが口元だけでにっと笑う。
彼だけがこの場で希望を見出していた。
「頼んでいたこと、無事に済んでいるな?」
「はっ、こちらに……」
団員バーハルヴァントが一つの水筒を差し出す。
そこには『神水』を再現した水が入っていた。
叡智の王たちから力を抜き出し、それを水の形にしたもの。それはあの場の盃の中に貯められていた。
それを団員たちは水筒一杯分だけくすねていたのである。
丁度あの戦いの中でロビンの体が毒に侵された時、アルバトロスの盗賊団は並行して『神水』の窃盗作戦を進めていた。
叡智の力の塊。
強烈な力の結晶はごく一部ではあるものの、敵の手へと渡っていた。
「それを我に飲ませろ」
「はっ」
体の無いニコラウスのために、団員が彼に水筒の中身を飲ませる。
首から下はないが、ニコラウスの体から神水が漏れ出るようなことは無く、彼は全ての神水を吸収していった。
「……ふぅ」
彼が小さく息を漏らす。
ニコラウスは確かに叡智の力の結晶を手に入れた。
「これで我は一段階高みへと昇った。今回の犠牲も、十分に取り戻していける」
「流石は団長でございます」
団員たちは頭を垂れる。
確かに今回、アルバトロスの盗賊団は大きな痛手を被った。
しかしそれでもこの団長が健在な限り、この盗賊団はまた力を取り戻すだろう。それどころか今回『神水』の一部を手に入れたため、より強大になって戻ってくる可能性があった。
「……どちらにせよ、我らには時間が必要だな。組織としても、我個人としても、力を取り戻さなくては」
「団長は自身の回復に専念して下さいませ。我ら一同、組織を立て直すために尽力させて頂きます」
「ははは、そう言うな。指示を出すだけなら口だけの今でもできる」
「はっ」
ニコラウスがからからと笑う。
「……とりあえず、我が力を取り戻すまで数年は必要だな。体を再生させるだけなら数日で出来ると思うがな」
「良かった。王族の方が行方不明とあっては大きな問題となります。是非とも体の再生だけでもお急ぎください」
アルバトロスの盗賊団はいずれ再生する。
その意識が生き残った者達の間で共有された。
「それで……」
「ん?」
その時だった。
ニコラウスが目だけを動かして、とある方向に視線をやる。
「そこにいる君は、我らを殺しに来たのかな?」
ニコラウスの視線の方向。呼びかけた先には誰もいない。
しかし、そこには不気味な魔力の塊が漂っていた。
熱を帯びた形無き魔力は、ニコラウスの声に呼応して実体化していく。何もないその場から炎が湧き上がり、焼け焦げた炭が積み重なっていく。
ボロボロの脆そうな炭はやがて四肢を持ち、人の姿へと変化していく。炎を纏いながら、徐々にその姿を現していく。
「なっ……!?」
「こいつはっ!?」
団員たちが驚愕に顔を引きつらせる。
突然、その場に姿を現した炭の姿をした化け物。
それは先程まで自分たちを大いに苦しめていた尋常ならざる怪物であった。
幽炎が姿を現した。
「…………」
幽炎はその場にじっと佇み、顔無き顔で盗賊団の団員たちに視線を向ける。
それだけで、団員たちは全身が震えるかのようだった。
「まぁ、待てお前たち、そんなに殺気立つな」
今この場で平静を保っているのは、ニコラウスと幽炎の二人だけだった。
「お客人からあまり殺気を感じない。どうやら我らと話し合いをしにきたようだ。こちらから殺気を放っては失礼というものだろう」
「…………」
「それで? 我らに何の用かな、炎の怪物殿?」
「…………」
首だけのニコラウスと顔の無い幽炎の視線が交錯する。
しばしの沈黙の後、幽炎が口を開く。
「オ前タチハ……幽水ト敵対シテイルノカ……?」
「幽水?」
「……アノ狼ノ形ヲシタ怪物ノコトダ」
幽炎の人ならざる底冷えした声に、団員たちはごくりと息を呑む。
「ソウダトイウノナラ、我ハオ前タチノ活動ニ少シ協力シテヤッテモイイ。我ガオ前タチヲ少シダケ利用シテヤロウ」
「ふむ……」
幽炎から持ち掛けられた話は協力関係の要請。
ニコラウスは少し困ったような表情を見せる。首があれば、首を傾げていただろう。
「そもそもとして、我らは君たちのことを何も知らないのだが? 君と、その幽水という怪物はどういった存在なのだ?」
「ソンナコト、ドウダッテイイ。オ前タチガ知ル必要ハ無イ」
「ふむ、冷たいな……」
歩み寄るようにニコラウスが話し掛けるも、幽炎の態度は固く、重苦しかった。
「オ前タチハ我ノ求メニ応ジテイレバソレデイイ。ソレ以外ノコトハ考エナクテイイ。我ニ利用サレル代ワリ、我ヲ利用シロ。ソレダケデイイノダ」
「くっ……」
横暴な物言い。
団員たちは歯ぎしりをする。
だが今、強い立場にいるのは圧倒的に幽炎の方だった。
この炎の怪物はこの場にいる全員を皆殺しに出来る力を持っている。この化け物となんとかやり合えていたニコラウスは今瀕死の状態なのだ。
だから、盗賊団の団員たちは幽炎の提案を飲むしかない。
「ふむ……」
だが、ニコラウスは別の視点からものを考えていた。
この怪物とは話が通じない。
おそらく人らしい思考とか感情を持っていないのだろう。人の価値観から外れた異形の者のような印象を受ける。
それ故、あらゆる交渉や話し合いは全て無意味。ただ徒労に終わるだろう。
言葉を重ねれば重ねるほどただ両者の溝が深まるばかり。そこに理解は無いのだろう。そう予測できた。
ならば適当に話を合わせて、さっさと話を打ち切るのが一番無難だと思った。
「分かった。君の言う通り協力関係を結ぼう」
「団長……!?」
「ソウカ」
ニコラウスの返答に、幽炎が小さく頷いた。
「ただ一つ聞かせてくれ。その幽水ってやつと君はなぜ敵対する?」
「…………」
話の最後にニコラウスがそう訊ねると、幽炎の炎がゆらりと揺れた。
「……大シテ意味ハ無イ」
「意味が無い?」
「我ト幽水ガ殺シ合ウコトニ意味ナンカナイ。得ルモノモ無ケレバ、誰カノ利トナルワケデモナイ。意義モ無イシ、正義モナイ」
「…………」
「タダ、殺シ合ワナケレバ気ガ済マナイ。ソレダケダ」
幽炎が語り続ける。
「コレハ同族嫌悪。自己嫌悪デアリ、自傷行為。同ジ叡智ノ力ヲ深ク根差シタ者同士、オ互イノ存在ガ看過デキナイ。滅ボシ合ワナケレバ気ガ済マナイ」
「…………」
「理由ハ無イ。得モナイ。ダガ、滅ボシ合ウノダ」
その言葉に、団員たちの額から汗が垂れる。
人の理解の外にある化け物。決して分かり合えることのない怪物がそこにいた。
「我ハ全テヲ燃ヤシ尽クセレバ、ソレデイイ。……ソレデイイノダ」
幽炎が背を向け、前へと歩き始める。
「……我ノ名ハ『幽炎』。何カアレバ、我ヲ呼ベ」
その言葉を最後に、幽炎がこの場から姿を眩ます。
炎を纏った炭の体は、風に溶け入るように消えていった。
「…………」
「…………」
団員たちは身動きが出来ないまま、小さくごくりと息を呑む。
炎の怪物がこの場を去ったというのに、まだ熱気だけがここに残っている様な気がした。
「やれやれ……」
ニコラウスがため息をつく。
「幽水に幽炎……。とんでもない化け物たちが立ち塞がってくれたものだ」
星の輝く山の上。
彼の小さな呟きだけが、この場に重く響くのであった。
幽炎のセリフが読みにけぇ(自業自得)




