204話 決着
「クラッグさんっ……!?」
「…………」
血の中で、エリーが悲痛な叫び声を上げる。
ニコラウスの剣は赤い魔獣の体に深々と突き刺さっている。
その剣から魔力の刃が伸びて、魔獣の体の中の一番魔力が濃い部分をしっかりと貫いていた。
ロビンを治療していた隙を突かれ、ニコラウスの攻撃がクラッグの体に深々と突き刺さっていた。
その一撃は今までの戦いの中でのダメージと重みがまるで異なっている。
それまで赤い魔獣が喰らっていたダメージは外側の血の部分だけであった。魔力は削れてしまうが、致命的なダメージとは程遠いものだった。
しかしこの攻撃は魔獣の核の部分、クラッグの体の、しかも心臓部分を捉えている。
普通なら即死に値するダメージであった。
「ぐふっ」
「ク、クラッグさん……!? 死んじゃダメです!」
クラッグの体から直接血が噴き出し、口から血を吐きだす。
エリーが泣きそうになりながら叫び声を上げるが、その声は外には漏れ出ない。
赤い魔獣の存在感が弱くなる。
敵のダメージがはっきりと目に見えて、ニコラウスはにやりと口の端を釣り上げる。
だが、赤い魔獣はまだ死んでいなかった。
「…………」
「……っ!?」
ギロリと魔獣の目が血走り、ニコラウスの方に向けられる。
そこでニコラウスは自分に迫る危機に気が付いた。
剣が抜けないのである。
魔獣の体に突き刺した剣がぴくりとも動かなかった。
「しまっ……!?」
その瞬間、魔獣の体から血が這い出して来て、ニコラウスの剣と腕を絡め取った。
しまったという言葉すら吐き出せないほど、その血の動きは早かった。
赤い魔獣の体から伸びた血に絡みつかれ、ニコラウスは身動きが取れなくなる。
一瞬前だったら剣を手放せば逃れられた状況だったが、それすら許さないほど速く、魔獣の血がニコラウスを捕らえた。
「…………」
クラッグがニコラウスを睨む。
その形相を外からは伺い知ることが出来ない。
だけど確かにニコラウスは身を突き刺すほどの殺気を感じ、額から一筋の汗を垂らした。
「オオオオオオォォォォッ!」
「くっ……!」
赤い魔獣が雄叫びを上げる。
その瞬間、獣が血の棘を発生させ、ニコラウスの体をバラバラに引き裂いた。
「あがっ」
ニコラウスの体がいくつにも分離される。
赤い血の棘に刻まれ、首、腕、胴、彼の体がたくさんのパーツに切り分けられる。
「くっ……」
生首となったニコラウスが歯ぎしりをする。まだ死んでいない。
魔獣はまだ手を抜かない。より多くの血の棘を発生させ、ニコラウスの体をさらに細かく斬り刻んでいった。
「団長ーーーっ!」
数十にも切り分けられたニコラウスの姿を見て、団員たちが叫び声を上げる。
その時だった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」
「……ッ!」
「なっ!?」
幽炎が雄叫びを上げ、魔獣とニコラウスに対して横やりを入れる。
赤い魔獣の足元から豪炎が噴き出し、大きな火柱となって立ち昇った。
一体の怪物と一人の人間が灼熱の炎に呑まれ、体を焼かれていく。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁっ……!」
「オオオオオオォォォォォォッ!」
炎の中から叫び声が漏れる。
天を突き破るほど高く火柱が立ち、超高温度の炎が二つの生命を捕えて逃さない。
バラバラとなったニコラウスの体が一瞬で炭化していく。
血で出来た体を持つ魔獣はみるみる内に魔力を削られ、その体が小さくなっていく。
「ガアアァァァ……ガアアアアァァァァッ……!」
幽炎の灼熱の攻撃は赤い獣にとっても危険なものであった。
このままでは血の体が全て削り取られ、中のクラッグの体も焼くこととなる。このままでいたら自分の命が危ない。
それよりも彼にとって懸念だったのが、エリーの存在だ。
弱々しい彼女の体では、この幽炎の炎に少し炙られただけで即座に命を落とすことになるだろう。
猶予はない。
クラッグはすぐに行動を移した。
「エリー! 捕まれ!」
「は、はいっ……!」
クラッグは巨大な魔獣の体の中で、小さな魔獣の体を作った。
二人分が入れるほどの中型の獣。体長20mほどだった元々の獣の体からしたらあまりに小さく頼りない体躯。
その獣の体で自分とエリーの体を包み、大きな魔獣の体から脱出をした。
大量の魔力を残した大きな体を捨て、その飛び出す勢いを使って炎の柱の中から抜け出した。
小さな魔獣の動きは止まらない。
その勢いを殺さないまま、獣は幽炎に向かって突撃をした。
「ガァッ……!」
「……ッ!」
その攻防は一瞬だった。
幽炎は巨大な炎の柱を維持するために僅かな隙が生まれていた。
超高速で小さな魔獣が駆ける。
一切の躊躇なく幽炎に飛び掛かる。
鋭い牙で幽炎に噛みつき、その首をねじ切った。
瞬きする間もないほどの一瞬のことだった。
小さな魔獣は更に置き土産まで残している。
走ってきた道筋に血の棘を発生させ、頭の無くなった幽炎の体をズタズタに引き裂いた。
「ア゛……ア゛……」
呻き声を漏らす幽炎の頭をぺっと吐き捨て、小さな魔獣はその頭を足で踏み潰した。
幽炎が生み出していた大きな火柱がぱっと散る。
たった一瞬の交錯で、赤い獣は幽炎にとても大きなダメージを与えた。
「団長っ……!」
「団長ぉぉぉっ……!」
火柱の跡からバラバラとなったニコラウスの体が降り注ぐ。
数十にも切り分けられた体が高熱に焼かれて完全に炭化しきっている。どこからどう見ても生きているはずない体であったが、一縷の望みに賭けて団員たちは彼の体の頭部を回収した。
「団長っ!」
「生きていて下さい、団長っ……!」
真っ黒焦げとなっている頭を団員バーハルヴァントが抱える。
ニコラウスの唇が微かに動いた。
「て……撤退、だ……」
「……っ! か、かしこまりましたっ!」
今にも消え入りそうなニコラウスの命令を聞き、アルバトロスの盗賊団の団員たちは一目散にこの戦場を離脱していく。
最初は何十人といた盗賊団の精鋭たちは、もう片手で数えられるほどしか残っていなかった。
受けた被害は甚大。実質的に壊滅状態と言ってもおかしくない。
そんな彼らが敵に背中を見せながら、すごすごと撤退していった。
「…………」
小さな魔獣は、その様子をただ黙って見つめていた。
追いかけることは出来ない。彼もまた、大きなダメージを負っていた。
魔獣は首を引き千切られた幽炎の方を見る。
その場に残っているのは幽かな残り火と、僅かな炭の跡だけ。
幽炎もまた大きなダメージを負い、この場から撤退したようだ。
その凶悪な存在感は今この場には無くなっている。
「…………」
小さな魔獣がぽつりその場に佇む。
獣は全ての敵を追い払うことに成功していた。
「…………」
クラッグが血の術を解除する。
魔獣の体の中から彼とエリーの二人が姿を現した。
「ふぅ……」
クラッグが大きく息を吐きながら、その場に尻もちを付く。
「ク、クラッグさん……!? 大丈夫ですか!? というより、その状態でどうやって生きているのですか!?」
エリーが心配そうな声を上げる。
クラッグの心臓は潰れたままであり、胸には大きな傷がありありと残っていた。
体に力が入っていない。彼が受けたダメージもまた甚大だった。
「す、すみません……私やっぱり足手まといに……」
「あぁ? ……あぁ、あの程度、別になんてことはない。気にするな」
「で、でも……」
クラッグはエリーを庇い、敵の団長に心臓を串刺しされた。
しかし、クラッグはまったく気にしていない。彼女が足手まといだなんて全く思っていない。
エリーは泣きそうな目をしているけれど、クラッグはどうでも良さそうに手を軽く振っていた。
「それよりもエリー、そこに縛られている人たちを全員解放して、僕の近くに運んでくれ」
「そ、それよりもクラッグさんの治療をしないと……!」
「僕は大丈夫だ。いいからさっさとやれ。急ぐ必要はないが、時間に余裕がある訳じゃない」
「…………」
困惑するが、言われた通りにエリーは行動をする。
柱に縛られた人達を解放して、一人一人丁寧にクラッグの傍へと運ぶ。
「……ロビン」
その中には当然、ロビンの姿もある。
目立った外傷はないが、ぐったりとしている。エリーはぎゅっと彼女を抱き締めた。
ロビンだけではない。彼女の村で一緒に遊んだシータやディーズの姿もある。
一応、無事なようだった。
「…………」
クラッグはその場から一歩も動かず、上の方を見上げる。
皆を縛っていた柱の上方、そこには巨大な盃が設置されている。
叡智の力を抽出していた盃だ。捕らえた人間から叡智の力を抜き出し、それは盃の中に貯められていた。
クラッグが血を操作する術を使い、その大きな盃を自分の方へ手繰り寄せる。
中には大量の水が貯まっていた。
『神水』。
水神ポスティスがオーガス王家に齎したとされる神の水。
叡智の力の根源とされる伝説の代物を再現されたものがそこにあった。
ニコラウスたちの計画は中途半端なところで終わっている。失敗したも同然だった。
しかし、途中経過の成果物が盃の中に残っている。中途半端な力の塊が盃の中で揺れていた。
「…………」
クラッグはその力の塊を呑み込む。
大きな盃を片手で持ち、口に付けて傾ける。大量の水を喉の中に通し、ごくりごくりと一気飲みで飲み干した。
「ふぅ……」
クラッグが口を拭う。
残った盃は適当な場所に放り投げ、地に落ちて粉々に砕け散った。
「クラッグさん、それは?」
作業を進めながら、エリーが質問をする。
「……悪い力の塊だ。この世に無くていいものだな」
「の、飲んでも大丈夫なんですか?」
「腹の中に封じた」
クラッグはこれまで叡智の力を持つ者を探し出し、その力を奪って自分の中に封じてきた。
それと同じ要領で、今回のこの無粋な力の塊も封印を行った。
「さて、用事は全て済んだ。そろそろここを出るか」
「あの……さっきの戦いは、クラッグさんの勝ちだったのですか?」
「どうだろうな。痛み分け、って程度だろう」
クラッグが重い腰を上げて立ち上がる。
この陰気な場所から脱出するつもりだった。
「ここを出るにしても、皆様をどうしましょう? 見捨てることなんて出来ないし……」
今、二人の前には十数人の気絶した人が横たわっていた。
アルバトロスの盗賊団に誘拐された人達であり、先程体の中の叡智の力を抜かれてぐったりとしている。
目を覚ます様子はない。
そんな彼らを全員抱えて移動するのは難しいように思えた。
「それは簡単だ。ギガの腹の中にしまえばいい」
だが、クラッグはなんてことの無いように言う。
彼はまた自分の血で狼の形を取り、四本足の獣の姿に変化する。大きさは中型。人二人分入れるくらいの体躯となっていた。
そして魔獣は大きな口を開け、気絶している人たちを次々と丸呑みしていった。
「え、えええぇぇぇぇっ……!?」
エリーは驚く。
折角助けた人たちを食べてしまっているのである。
「……違うぞ、エリー。この魔獣『ギガ』の腹の中は異空間になっている。別に食べて殺しているわけじゃない」
「そ、そうなんですか……? でも絵面が……」
「絵面が悪いのは認めるよ」
引きつる顔のエリーを見て、魔獣がくつくつと笑う。
そうやって魔獣はここに気絶している人たちを全て飲み込んだ。その中には当然ロビン、シータ、ディーズも含まれており、更にはメリューの身代わりとなったナディアもいた。
「さて、本当にここを出るぞ。エリー、中に入れ」
「あ、は、はいっ!」
エリーが獣の姿をした血の中にどぼんと飛び込む。
クラッグが敵と認識した者にはその体は強靭な盾と化すが、味方と認めた者は簡単に中に潜り込めるのだった。
獣が駆けだす。
闇の中を切り裂くように走り、この暗い世界を上へ上へと昇っていく。
こうして闇の世界での戦いは小さな決着を迎えるのだった。
心臓貫かれたり、体バラバラにされても当然のように死なないって、読者の人混乱しないかな?




