203話 発現する幽炎
「なんだ……アレは……」
ニコラウスが息を呑みながら声を発する。
その仮面の奥の目はぎょろりと見開かれている。
今、彼らの前に異形の者が現れた。
炭で出来た人間。全身が焼け焦げて炭化しており、今にもボロボロと崩れ落ちてしまいそうなほど脆い体。
しかし、それに反して恐ろしいほどの威圧感を発している。
そんな化け物が、ロビンの中から突然姿を現した。
クラッグが『幽炎』と呼ぶ怪物だった。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッ……!」
炭の人間が雄叫びを上げる。
およそ人の発することの出来るような音ではない。炎と憎悪を混ぜ合わせたような不吉な音が周囲一帯に響き渡り、そこにいる者の体と心を震わせる。
「な、なんだ、あいつ」
「さ、さぁ……?」
アルバトロスの盗賊団の団員たちが困惑した声を出す。
いきなり訳の分からない存在が自分たちの目の前に現れたのだ。
しかし、彼らは本能で直感していた。
あれは良くないものだ、と。
「ちぃっ! こんな時に『幽炎』かっ……!」
目の前の異形が何者なのかを知るのはクラッグしかいなかった。
「ク、クラッグさん!? あ、あれは一体……!?」
「説明している暇はない! 口を閉じていろっ……!」
「わっ!?」
獣の形をした血の中でエリーとクラッグが会話する。
珍しく彼の口から焦りの声が漏れていた。
「オォォォ……アアアアァァァァッ……!」
幽炎が身を震わせ、叫び声を上げる。
すると、その場に大量の火柱が立ち上がる。
幽炎が行動を開始した。
「なっ……!?」
「ぎゃっ」
果ての無い闇の空に向かって、巨大な火柱がどこまでも昇っていく。
異常なほど魔力のこもった熱い炎が、その場に幾本も幾本も発生する。
挨拶代わりと言わんばかりの雑な攻撃に呑み込まれて、幾人もの盗賊団の団員が焼け焦げ、その肉体が焼失していった。
「ガァッ!」
「くっ……!」
赤い魔獣とニコラウスはその炎の柱を躱す。
幽炎の攻撃を防ぐことが出来るとしたら、この二人しかいなかった。
「ガアアアァァァッ……!」
赤い魔獣が力を溜め、血で出来た弾を口から発射する。
目にも止まらぬ速さで放たれた血の弾丸が、幽炎を消し飛ばそうと空を切る。
「アアアアアァァァァッ……!」
それを防ぐために幽炎が炎で出来た壁を作る。
血の弾と炎の壁が衝突し、激しい衝撃がその場全体を震わせた。
「わわっ……!?」
「くそっ、なんだこいつらっ!」
その場にいる盗賊団の団員たちが身を屈め、防御態勢を取る。
二つの怪物が作った魔術はどちらも恐ろしいほどの魔力が込められており、あり得ないほどの衝撃が広がっていく。
実際、その攻防の余波だけで幾人かの団員が消滅し、命を落とした。
「アアァッ!」
「ッ……!」
まるで瞬間移動かのように幽炎が突然赤い魔獣の前に姿を現し、炭で出来た剣を振るう。
灼熱の炎を生み出しながら、広範囲を巻き込む攻撃を素早く繰り出してくる。
赤い魔獣は後ろに大きく飛び退いて、幽炎のその攻撃を躱す。
「フォトンレーザー!」
「ガァッ……!?」
回避行動を取った魔獣に対し、ニコラウスが高速の光線魔法を放った。
横やりのような形である。
赤い獣は自分の血で盾を作り、その攻撃を防ぐ。
「オオオォッ……!」
「くっ! 今度はこっちか……!」
次に幽炎がニコラウスに対して攻撃を仕掛ける。
巨大な炎の弾をニコラウスに対して放つ。その炎の弾が彼の近くで炸裂し、大きな爆発を引き起こしていく。
盾を張りながらニコラウスが後退する。
今の攻撃で彼の左腕が焼け焦げ、炭化するも、再生能力を働かせて素早く腕を回復させる。
三つ巴の戦いが繰り広げられていた。
「…………」
ニコラウスは現状の把握に苦慮している。
彼にとって赤い魔獣も炎の化け物も今日初めて見知った存在であり、どういった立ち位置にいるものなのか分からなかった。
どうやら敵対しているらしい、ということは今のやり取りだけで伝わってくる。
だからといって、自分の味方でもないということもだ。
二つの化け物が潰し合ってくれれば御の字なのだが、と彼は考えていた。
「ガアアアアァァァァッ!」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァッ!」
「くっ……!」
だが、そんな彼の考えは容易く上手くはいかない。
二つの怪物が咆哮を上げると、お互いがお互い広範囲攻撃を繰り出した。
赤い魔獣は血で出来た赤い棘を大量に生やし、幽炎はうねるような炎の波を生み出していく。
一瞬でこの場が地獄絵図のような光景に早変わりした。
「くそっ……!? こいつら!」
ニコラウスは何とか防御を敷いて自分の身を守る。
自分を標的にした攻撃でないというのに、それに巻き込まれただけで殺されてしまいそうである。
現に仲間の少なくない数がこの攻撃で命を失っている。
ニコラウスにとってはどうでもいいことであるが。
もう残された団員数はかなり少なくなっていた。
「ガァッ……!」
「ア゛ア゛ア゛ッ!」
二体の化け物が激しい攻防を繰り広げる。
赤い魔獣は爪と牙、血の棘によって、幽炎は炭で出来た剣と炎によって相手の存在を消し飛ばそうとする。
一撃一撃が尋常ではないほどの攻撃力を持っており、お互いの攻撃によってお互いの魔力が徐々に削れていってゆく。
強く、堅く、しかしそれでいて素早く、鋭い。
今にも崩れ落ちそうな炭の体からは想像できないほど幽炎は力強い攻撃を繰り出し、その巨体に似合わないほど赤い魔獣は俊敏にこの場を動き回っていた。
そしてこの二体の怪物はニコラウスを無視しているわけでもない。
赤い魔獣と幽炎はお互いを滅ぼすために激しくやり合っているが、攻撃の都度ニコラウスを巻き込んで殺してしまおうとしている。
射線を彼に合わせて攻撃を放ったり、広範囲の攻撃を意識的に発生させたりして、積極的にニコラウスを巻き込もうとしている。
お互いにとっての一番の脅威は目の前の化け物であるが、その化け物は二体ともニコラウスも脅威の一つとして認識していた。
「くそっ……!」
一々飛んでくる化け物染みた攻撃の嵐に、ニコラウスは自分の身を守ることで精一杯だった。
このままでは本当にもののついでで殺されてしまう。
「…………」
だから、ニコラウスは策を講じることとする。
この二体の化け物の攻防は常識外れの激しいものであるけれど、明らかに妙な動きをしていた。
無秩序染みているけれど、絶対に外しはしない一つのルールに基づいて戦いを行っている。
叡智の王――ロビンに被害がいかないように戦っていたのだ。
どんなに広範囲の攻撃を繰り出そうと、どんなに地獄めいた光景を作り出そうと、ロビンに傷一つ着かないような配慮がなされている。
もっと言うなら、縛られている叡智の力を宿した人間全てにダメージがいかないような戦い方をしていた。
この二つの化け物はお互いを敵視しているが、叡智の力を持った人間を守ろうとしている。
その行動方針だけは一致している様だった。
ニコラウスはそこに付け入る隙を見出した。
「…………」
ニコラウスはテレパシーによって仲間に指示を出す。
作戦は単純。遠距離魔法によって『叡智の王』に攻撃を仕掛けろというものだった。
「はああぁぁぁっ……!」
「……ッ!」
盗賊団の団員たちはすぐさま行動を開始する。
炎、氷、闇、光。各々が様々な種類の魔法を撃ち出し、ロビンに危害を加えようとした。
赤い魔獣はすぐにそれを察知して、ロビンを守る。
自分の身を挺して壁となり、敵の魔法攻撃から彼女らを庇った。
「ア゛ア゛ア゛ッ!?」
「ぎゃっ……!」
報復のように反撃に出たのは幽炎であった。
今、攻撃魔法を放った人間全員に直接炎を飛ばし、その全員が為すすべなく焼かれて消えていった。
ロビンを狙った攻撃は全て赤い魔獣に防がれ、攻撃を仕掛けた者達は瞬時に幽炎に消されてしまった。
「……ここだね」
だが、それはニコラウスにとって計算通りだった。
彼には予め用意しておいた策があった。この戦いが始まる前から周到に準備しておいた仕掛けである。
しかしそれは切り札と呼べるような上等なものではない。
念のために用意しておいた程度の弱い仕掛けであり、しかも一度使ったら後戻りはできないものだった。
そんなものでも、今の状況だったらその策が活きてくる。
そう判断して、ニコラウスは指をパチンと鳴らした。
「う゛っ……」
その瞬間、意識の無いロビンの口から苦し気な声が漏れた。
「……ッ!?」
赤い魔獣が背後を振り向き、ロビンの方に顔を向ける。
彼女の様子が急に変化し始めた。
見る見るうちに顔色が悪くなり、体は痙攣を起こし始める。見るからに様子がおかしくなっていき、生気が抜け始めていく。
「……毒か!」
血の獣の中でクラッグが歯ぎしりをする。
予め、ニコラウスは叡智の王の中に毒の魔法を仕込んでいたのである。
彼はその魔法を発動させ、ロビンの体の中で毒を暴れさせ始めた。
何らかの要因で叡智の王の存在が邪魔になった際、いざという時にいつでもロビンを殺せるように仕込んでおいた毒だった。
もちろんリスクは大きい。
叡智の王を殺してしまうと、自分たちの計画の何もかもが台無しになってしまう可能性がある。そうなったらもう取り返しがつかない。
しかしそれでも、この状況で毒の魔法は活きるとニコラウスは判断した。
「…………」
ロビンの容体が急激に悪くなっていく。
意識の無いまま咳き込み、口から血が垂れる。
このままだと十数秒の内にロビンは死ぬ。それほど強力な毒の魔法であり、一刻の猶予は無かった。
「くっ……!」
すぐさま赤い魔獣はロビンの治療に取り掛かる。
その太い爪を彼女の胸にずぶりと突き刺した。
彼女を傷付けた訳ではない。彼女の体の中に直接爪を刺し込んで、体内の毒を除去し始めていたのである。
「うっ……」
「…………」
ロビンは小さな呻き声を口にする。
彼女の容体は見る見るうちに良くなっていった。荒く細くなっていた息が正常に戻りつつあり、顔色も回復していく。
クラッグの血の操作の術により、ロビンは一命を取り留めた。
それは十秒にも満たない最高の早業だった。
だが、敵にとってその十秒は笑える程に滑稽な隙だった。
「ハハッ、守るべき者がいる者は大変だな」
「……ッ!」
ニコラウスは赤い魔獣の側面に位置取り、剣を突き出してくる。
「エリー」
「えっ……?」
魔獣の血の中で、クラッグがエリーの体を突き押した。
クラッグの傍から彼女の体が離れていく。
その直後、ニコラウスの剣がクラッグの心臓を突き刺した。




