201話 赤き魔獣との決戦(1)
「こっ……」
「こいつは一体……?」
アルバトロスの盗賊団の団員たちは戦慄する。
自分たちの目の前に、突如として巨大な赤い獣が姿を現した。
見たこともない謎の魔獣。
知識のある者は、その獣の姿が千年近く昔の伝承に残る伝説の魔獣ギガと酷似していることに気付けたが、気付いたからと言って状況は何も変わらない。
自分たちに敵意を向ける魔獣が上空から落下してきた。
自分たちを皆殺しにして、この儀式の発動を妨害しようとしている。
言葉が無くとも、彼らはそれを肌で感じ取った。
「…………」
赤い魔獣はただそこに佇むだけで、この場全体の空気を支配してしまう。
圧倒的な存在感。
見ただけで分かる、その戦闘力の高さ。
獣の殺意が容赦なくアルバトロスの盗賊団へと向けられる。
団員たちは小さく身を震わせながら、慌てて戦闘状態へと移行する。
場は緊張に包まれていた。
「ぼ、防衛の者達は何をしている……ぎゃっ!?」
この『天蓋の世界』の上方で警護に当たっていた団員たちは、全てこの魔獣に殺されていた。
応援を呼ぶことも、連絡を取ることも許さないほど素早く、一瞬で皆殺しにされた。
今喋っていた人間も、大きな獣に即座に踏み潰されて命を散らす。
「くっ……!? なんだ、こいつはっ!?」
動揺しながらも、団員の一人が体勢を立て直し素早く攻撃を仕掛ける。
炎を纏った雷の弾を大量に作り出し、赤い獣へと射出させていく。
それは叡智の力によるものだった。
団長ニコラウスによって叡智の力を外から与えられ、それを強制的に増幅させられている。
『アルバトロスの盗賊団』の団員たちはそうやって力を与えられ、特殊な能力を持ちながら領域外の力を持つに至っている。
炎を纏った雷が魔獣ギガの体にぶち当たり、獣を焼きながら痺れさせる。
しかし、その獣の体は普通ではない。クラッグの血で出来ており、それ自体が強力な防御となっている。
炎の熱も、雷の衝撃も本体のクラッグまでは届かない。
彼自身にダメージは無かった。
赤い魔獣が反撃に移り、その雷の弾を放った術者に牙を立てた。
「ぎゃあああああぁぁぁぁっ……!?」
噛みつかれた団員は体に深刻なダメージを負う。
が、それだけではない。団員の体の血が赤い魔獣に吸われていく。
体にめり込む牙を通して、団員の全身の血が魔獣に吸い尽くされてしまった。
やがて、獣は団員の体をぺっと吐き出す。
そこに残ったのは、ミイラのように干からびた団員の残骸だった。
いくら領域外が通常ではあり得ないほどの強靭な生命力を持っていても、全身の血を全て抜かれては生きていられなかった。
「くっ……!?」
「こ、こいつは……なんなんだ……?」
周囲のアルバトロスの盗賊団たちが怯む。
自分たちは叡智の力によって人ならざる力を手に入れた。なのに、この獣を前にしてもう二人も仲間を殺されている。
団員たちの間に戦慄が走った。
「オオオオオオオオォォォォォォォッ!」
赤い魔獣が強烈な咆哮を上げる。
闇を震わし、その存在感をこの世界に響かせる。
いきなり現れたこの強烈な脅威に、団員たちは震撼した。
「くっ……! 俺が行く!」
怯む団員たちを庇うように、バーハルヴァントが率先して前へと出た。
叡智の力を開放し、変身をする。
彼は巨大な黒竜の姿となった。
その黒い鱗は最強に近い防御力を誇り、その膂力はあらゆる生命を断ち切る暴威と化す。
バーハルヴァントが脅威的な生物の姿に変身し、赤い魔獣と相対した。
「はっ……!」
「…………」
バーハルヴァントが手に巨大な槍を持ち、魔獣ギガに攻撃を仕掛ける。
だが、それでも赤い獣には到底及ばない。
黒竜の姿は巨大と言っても、せいぜい高さ4mほど。
体長が20m近くある赤い獣と比べたら二回りほど小さかった。
バーハルヴァントの槍の攻撃は赤い魔獣の牙によって防がれる。槍を噛みつかれ、いとも容易く黒竜の槍は砕け散った。
魔獣が爪を立て、黒竜に攻撃を仕掛ける。
最強の防御力を誇るはずの黒竜の鱗は簡単に切り裂かれ、バーハルヴァントの体から赤い血が噴き出す。
そして、赤い魔獣は腕を振り下ろす。
黒竜の体は上から押さえつけられ、地面に抑え込まれた。
「ぐっ……!」
「…………」
たった数手でバーハルヴァントは無力化されてしまった。
仲間内でも動揺が走る。
「…………」
「グオッ……グオオオォォォォッ……!?」
「ど、同志っ!」
赤い魔獣が黒竜を踏みつける足に力を込める。
このまま踏み潰し、敵の命を絶つつもりだった。
黒竜の体がみしみしと嫌な音を立て始め、口から痛々しい叫び声を上げる。この後すぐにでも、彼の体はぐちゃりと潰されてしまうのだろう。
彼の命は最早風前の灯だった。
しかし、その時である。
赤い魔獣に向かって、一筋の剣閃が放たれた。
「……ッ!」
魔獣が危険を察知し、その場から飛び退く。
黒竜に止めを刺すチャンスを捨ててまで、赤い獣はその攻撃を回避した。
「うん、良い陽動だったよ、同志」
「団長……有り難き言葉に感謝します……」
その剣の一撃を放ったのは団長であるニコラウスだった。
無骨な大剣を手に握り、その場に悠々と佇んでいる。
別に陽動のつもりではなく本気で戦っていたバーハルヴァントは、少しバツが悪そうに返事をした。
「…………」
赤い魔獣は自分に付けられた刃の傷をじっと観察していた。
敵の攻撃の回避にはほぼ成功した。ただ、完璧に避けられたわけではなく、血の体に浅い傷を負っていた。
別に大した傷ではない。
軽傷とも呼べないほどの掠り傷であるし、戦闘行動にも全く支障はない。
そもそもこの赤い体は血で出来ており、クラッグ本体は微塵もダメージを負っていない。
だが、体の再生が出来ていなかった。
ただ血の形を操作すれば傷の跡すら消してしまえるはずなのに、どうしてかそれが出来なかった。
「ははは、再生の阻止の心得くらいあるさ」
「…………」
そんな獣の疑問に答えるように、ニコラウスが口を開く。
再生阻止。
傷の回復が出来なくなるという厄介な術をニコラウスは持っていた。
「我が直々に戦おう。お前たちはサポートに回れ」
「はっ、かしこまりました」
「恐らくこいつが我らにとっての最大の障害。叡智の力が所有する最強の守護獣だ」
ニコラウスが最大限の警戒を露わにする。
目の前の獣が自分たちの最強の敵であることを認め、激しい闘志を振りまいていた。
「…………」
そして、赤い獣も彼に対して強い敵意を見せる。
こいつは楽な相手ではない。自分を殺し得る相手だと認め、先ほどまでには無かったぴりぴりとした緊張感を見せるようになった。
「…………」
「…………」
人と獣の視線が交錯する。
お互いの闘気がぶつかり合い、それだけで空気が震えるかのようであった。
戦いは合図無く始まった。
「ぬぅっ……!」
「ガアッ……!」
ニコラウスの大剣と獣の爪がガチリと強くぶつかった。
お互いが自身の武器を交えただけで、そこを中心として激しい衝撃波が吹き荒れる。
「ぬ、あぁっ……!?」
アルバトロスの盗賊団の団員たちが、その場から吹き飛ばされないように必死に地面にしがみ付く。
床から落とされでもしたら、もう二度と戻ってこられない。楽に死ねるかどうかすら怪しいものだった。
「はぁっ……!」
「ガアアァッ!」
ニコラウスと赤い魔獣が攻撃を重ねる。
人は剣を使い、獣は爪や牙を使い、荒々しい戦いを繰り広げていた。
体の大きさが極端に違う両者の戦い。
ニコラウスは巨大な相手に対抗し得るだけの攻撃力で剣を振るい、赤い魔獣は小さな人間に翻弄されないだけの素早さを持っていた。
赤い魔獣が想像よりもずっとすばしっこい。
獣は体長20mほどの巨体であり、そういった巨大な生物というのは動きが鈍重になりやすい。
ドラゴンやゴーレムなど、体の大きな敵との戦闘経験をニコラウスは持つ。
その時は素早さによって相手を翻弄して勝利を得てきたのだが、目の前の巨躯な獣はそのセオリーが通用しない。
その巨体でありながら四方八方飛び回り、細かくすばしっこく動き回っている。
ニコラウスは獣に攻撃を当てるのも一苦労だった。
かといって、赤い魔獣が一方的にニコラウスを蹂躙しているわけでもない。
魔獣の圧倒的な攻撃力を、彼は上手くしのいでいる。
躱し、弾き、受け流し……。
獣の体躯ではどうしても攻撃が単調となってしまう。超強大な攻撃力と堅固な防御力とを引き換えに、クラッグは柔軟な攻撃パターンを失っていた。
その利を上手く活かして、ニコラウスは魔獣の攻撃を乗り切っていた。
一進一退。
場は膠着状態となっていた。
「ならば、こういうのはどうかな?」
ニコラウスが新たな一手を講じる。
叡智の力を用いて、特殊な能力を発動させた。
瞬間移動。
ニコラウスが獣の攻撃を躱した際、瞬間移動の能力を使って魔獣の背後に回り込んでいた。
狼の姿をした敵の完全な死角。
相手は自分の姿を完璧に見失った。ニコラウスはそう考える。
狼の背の上に降り立つような形で、彼は自分の剣を魔獣の体に突き立てようとした。
……が、それは失敗に終わった。
突然、魔獣の赤い体から鋭い棘が生えてきたのである。
「がっ……!?」
ニコラウスの肩と腕が赤い棘によって刺し貫かれる。
カウンター。
敵の瞬間移動に反応して、赤い魔獣は自分の死角となる場所に棘を生やしていたのだった。
元々、赤い魔獣の体はクラッグの血によって出来ている。
その血を変形させて狼の体から棘を生やすことは造作もないことだった。
「くっ……!」
ニコラウスは赤い棘を断ち切り、その場から退避する。
赤い魔獣から距離を取りつつ、いったん仕切り直しをすることにした。
「…………」
「…………」
魔獣がくるりと振り返り、ニコラウスを視界に捉える。
彼は自分の傷を再生させながら、今あったことについて考察する。
いくらなんでも反応が早すぎた。
瞬間移動の術を見せるのは初めてだと言うのに、この魔獣はそれを初見で難なく対応した。
そこに迷いとか逡巡などといった隙は一瞬たりとも存在しなかった。
言うなれば、敵が瞬間移動の術を使ってきたらどうするか、魔獣はその対応策を十分に練っていて、迷いなくそれを発動させたという感じであった。
なぜ自分が初めて使った瞬間移動の術に対してそこまでの対応ができたのか。
ニコラウスは察する。
この魔獣は叡智の術を深く理解している。
叡智の力の根本に近い部分の存在であり、まさしく叡智の王が持つ最大の切り札なのだと。
叡智の力を用いれば『瞬間移動』が出来ることを理解していて、始めからその対抗策を用意していた。
この分なら、叡智の力由来の攻撃はどれも対抗策を準備しているのだろう。
「……やれやれ、本当に厄介な相手だ」
「…………」
「でも、じゃあ、こっちも最初から切り札を使わせて貰おうか。現れよ、『叡智の腕輪』よ」
ニコラウスが右腕を掲げる。
そこに禍々しくも、どこか神々しい力が宿っていった。
やがてその力は黒色に輝く腕輪の形に変化していく。
アルフレードを圧倒した正体不明の腕輪。
『叡智の腕輪』がニコラウスの右腕に出現しようとしていた。
「……ッ!」
赤い魔獣はそれを見て、反応を起こす。
目はさらに獰猛に見開かれ、溢れ出る殺意が増す。
「……やはりこの腕輪は叡智の力にとって重要なものなんだね」
「ガァッ……!」
魔獣の反応を見て、ニコラウスは自分の腕輪の重要性をさらに深く理解した。
『叡智の腕輪』も叡智の力由来の神器だったため、獣がこれに対して対策済みである不安があったが、獣が発する警戒心によってそれはないことが明らかになる。
そもそも、この腕輪は対策によってなんとかなるものでないことをニコラウスは理解していた。
魔獣がニコラウスに突進してくる。
腕輪の出現を妨害するかのように、腕輪を噛み砕いてやろうと意気込むように、大きな体を駆け出して、ニコラウスに突撃をした。
しかし、
「放てぇっ……!」
「……ッ!?」
四方八方から魔法が飛んできて、魔獣の突進が妨害される。
アルバトロスの盗賊団の団員たちが放った攻撃だった。
赤い魔獣をニコラウスが相手取っている間に、団員たちは態勢を立て直して、魔獣を包囲するように円形に陣を取っていた。
魔獣から距離を取りつつ、遠距離攻撃で団長を支援する。
それが彼らの作戦だった。
赤い魔獣にとって、彼らの攻撃は大した脅威ではない。
実力の差は歴然であり、彼らの攻撃を喰らっても赤い魔獣にはほとんどダメージを与えられない。
しかし、小さな傷は付く。
団員たちの実力は腐っても『領域外』。
叡智の力を外から与えられ、無理やり植え付けられた力であっても、人間の限界を超えた異常の力には変わりがない。
数発程度なら痛くも痒くもないが、それが何十発と重ねられたら流石の魔獣もダメージを負う。
無策で喰らい続けるわけにはいかなかった。
故に、魔獣は防御を敷く。
突進を止め、自分の周囲に赤い障壁を作り、全方位から飛んでくる魔法の攻撃を防御した。
が、そうしたら今度は正面が疎かになった。
「はっ……!」
「……ッ!」
ニコラウスが前に出ながら鋭く剣を振るう。
腕には叡智の腕輪がしっかりとはまっている。全方位からの攻撃は、団長にその時間を与えていた。
ニコラウスの一撃は赤い障壁に穴を空け、魔獣の腕を斬り付けた。
「…………」
魔獣がギリリと歯を鳴らす。
腕の傷は深くない。しかし浅くも無い。
明確な一撃が獣の体に刻み込まれた。
当然、再生もできない。
「さて、仕切り直しといこうか、化け物よ」
「…………」
改めて、ニコラウスと魔獣の視線が交錯する。
この戦いの勝敗がどちらに転ぶか、まだ答えは見えそうになかった。




