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198話 祝福

 あれから一夜明け、次の日の朝。


「じゃあ、走るぞ。背に乗れ、エリー」

「は、はい……!」


 街を出て、外の広い原っぱに出た後、クラッグは狼の形態へと変化した。

 いつものようにエリーがその背に乗り、移動の態勢が整う。


 クラッグが四本の足を勢いよく動かし、駆けだした。

 狼の脚力を利用した高速の旅が今日も始まる。


「わわっ……わ……?」


 そして、すぐにエリーは違和感に気付いた。

 いつもより体に掛かる負担のようなものが少ない。普段なら振り落とされないように体を倒してクラッグの体にぎゅっとしがみ付く。


 しかし、今はそんな必要が無い。

 精一杯しがみ付かなくても振り落とされるような気配がない。


「……いつもよりスピードを落としている。苦しくないか、エリー?」

「あ、だ、大丈夫ですっ! ありがとうございますっ……!」

「……ふん」


 エリーはゆっくりと体を起こす。

 全身が風を切る。高くなった視線が、今までとは違う景色を見せてくれる。


 狼の足が走り、世界が高速で過ぎて行く。

 彼女の旅の中に新たな思い出が追加されていく。


 そこに恐怖は無く、ただただ心地が良かった。


「……あはっ」

「ん?」

「あははっ! あはははははっ……!」


 エリーは笑った。

 なんだかとても嬉しくなって、大声で笑い始めた。


「……ふん」


 その声を聞いてクラッグが小さく鼻を鳴らす。


 狼と少女の奇妙な旅路。

 二人の心の距離が少しだけ縮まった。




 二人が次の町へとやってくると、そこではお祭りが催されていた。

 町行く人々がいつもより少し着飾り、広場では音楽団の方たちが演奏を鳴らしている。


「お祭りですね」

「まぁ、用は無いが……」


 小さな町のお祭りになんて、クラッグには興味がない。いや、大きな街の盛大な祭りであっても煩わしい程度の感想しか湧かないだろう。


 だからさっさとこの町を通り過ぎようとも彼は考えたが、


「……興味あるか、エリー?」

「あ、え、えっと……いいのですか?」

「構わない。時間には余裕がある」


 エリーが広場の方に視線を向けていたので、彼は考えを改めた。


 エリーの正体は王女様であるので、色々な種類のパーティーに出席の経験がある。

 しかしそのどれもが貴族主体の絢爛豪華なパーティーであり、民衆による町のお祭りには参加したことが無かった。


 二人は並んで賑やかな町の広場へと歩いていく。


 露店が並び、様々な料理の香りが広まっている。まだ太陽が高いというのに、お酒を呑んでいる人たちが軽く顔を赤くしながら大声で笑っている。


 音楽団の方たちが演奏をする。彼らの持つ楽器は古びており、長い時間使い込まれていることが見て取れた。

 その音楽に合わせて広場の人たちがダンスを踊り、軽やかに足を動かしている。


 どこにでもある、しかし皆が笑い合うお祭りがそこにあった。


「何が食べたい、エリー?」

「あ、え、えっと……」


 エリーは迷う。

 様々な露店がたくさんの料理を出店している。どれもこれも安い食べ物であり、エリーが食べたことのないものばかりだった。


 そわそわとした気持ちで目移りばかりをしながら、エリーは甘い匂いに釣られて一つの店の前に立った。


「こ、このクレープでお願いしますっ……!」

「クレープか……。オヤジ、クレープ二つ」

「あいよっ!」


 地元で採れる果物を使った、一種類しかメニューの無いクレープを注文する。

 少し待つと、出来立てアツアツのクレープが二人の手に渡された。


 歩きながら、二人でそれを食べる。

 当然食べ歩きなんて行儀の悪いこと、エリーにとっては初めてだった。


「ロビンの村……クラッグさんの村では何かお祭りってあったのですか?」


 クレープに舌鼓を打ちながら、エリーが質問をする。


「うちの村は表向き貧困に喘ぐ村を装っていたからな。ここのようにたくさん料理を出して割と盛大に、っていうのは無かったな。小さな宴と、儀礼的な祭りくらいだった」

「儀礼的な祭りですか?」


 祭りとは本来、神や先祖への信仰や古くから根付く風習が行事となったものである。

 お祭りの中の様々な行動、言葉の中に信仰や祈りの形を混ぜて長く後世へと語り継いでいく。


 何百年と受け継がれていく中で、その祭りの意味や本質が失われて形骸化してしまったという例はたくさん存在する。

 だがそれでも祭りの形だけはしっかりと伝わり、今もはっきりと残っているということはよくあることだった。


 世界中で、様々な土地で、どこにだってあることだった。


 王族であるエリーはそういった儀礼的な行事にもたくさん参加していたため、彼の言うことをすんなりと理解できた。


「うちの村は叡智の力に古くから関わる百足の組織が基盤となった村だからな。古臭い祭りがいくつかある」

「え、えっと……その情報、私に喋って大丈夫ですか? ないしょなのでは?」

「知らん。百足の事情なんて、僕の知ったことではない」


 クラッグが乱暴なことを言いながら、クレープを食んだ。


「少し興味ありますね。ロビンとクラッグさんの村の儀式。どんなものだったのでしょう?」

「…………」


 エリーが軽くそう言うと、クラッグがじっとエリーの顔を眺め始めた。

 自分の顔を注視され、彼女の顔が強張る。


「な、なんでしょう……? 私、変なこと言いましたか?」

「いや……」


 クラッグが顎に手を当てて何か考え事を始める。


「……丁度いいかもしれない」

「ちょうどいい?」

「見せて……というより、体験させてやろう、エリー。うちの村の祭りを」


 体験?

 エリーが小さく首を傾げる。


 その様子を見て、クラッグはニッと笑うのであった。




 夕暮れ時。

 二人は町近くの大きな湖へとやって来ていた。


「じゃあエリー、この小舟に乗ってくれ」

「は、はいっ……」


 湖に浮かべられている小舟へと、エリーが慎重な様子で乗り込む。

 先に乗っていたクラッグが彼女の手を取り、支えになる。


 ぐらりと揺れる小舟の上で、エリーは足を踏ん張った。


「出すぞ。座れ」

「はい」


 エリーが小舟に座って態勢を安定させると、クラッグが櫂を器用に扱い、舟を発進させた。

 音もなく舟が湖の上を滑る。


「本当は六艘の小舟で儀礼の祭りを行うんだけどな。今日はお試し。簡易版だ」

「六艘……結構大掛かりですね?」


 クラッグとエリーは村のお祭りを再現しようとしていた。

 ロビンのいる村の伝統的な祭りであり、湖の上で代々受け継がれてきた儀礼を行う。二人だけの簡略化された儀式だった。


「中央の船を囲んでな、周りの船で演奏を行ったり、舞いを舞ったり、あるいはお供え物の酒や食べ物を積んでいたりするな。そんなもの、今日は用意できないが」

「船の上で踊りをするのですか? 大変ですね……?」

「演者は結構練習するらしいな。それと、儀式用の礼服とかもあるんだが、それも今日は省略だ」


 クラッグが舟を漕ぎ、舟は湖の上を進む。


 太陽は大きく傾いており、夕焼けの空が湖面を赤く照らしている。

 湖の上の冷たい空気が二人の肌を撫でる。風は無く、音もない。舟が二人を乗せ、ただ静かに湖の中央へと向かっていた。


 クラッグの操船技術は巧みだった。

 一本の櫂を上手く使い、船を真っ直ぐ進めている。船は全く揺れず、ぐらつかず、まるで湖の水を操っているかのように軽やかに進んでいた。


 やがて湖の中心へと辿り着き、そこで船を止める。


「……きれいですね」

「そうか?」


 エリーが周りを見渡して、そう呟く。

 夜になる前の僅かな時間。

 周囲の山々には暗く影が落ち、空と湖は夕焼け色に染まっていて、その中にぽつんと自分たち二人が浮いている。


 開けた景色。

 その静かな光景がエリーの心の中に焼き付いた。


「僕にはそういうの分からないな」

「…………」

「この湖の中央で祝福の言葉を子に授ける。それがこの祭りのメインだ」

「祝福? 何に対してですか?」

「……さぁね。叡智の力に対する何かだってのは聞いたことあるがな」


 クラッグがどうでも良さそうに答えた。


「ロビンも主役をやったことがあるな。今エリーがやろうとしている、祝いの言葉を述べられる役」

「へぇ……クラッグさんもやられたのですか?」

「僕がそんな面倒なことするわけないだろ」

「クラッグさんらしいですね」


 エリーがくすくす笑う。

 彼がふんと小さく鼻を鳴らし、儀式を始めた。


「では、祝福の言葉を述べる。祝われし子供よ、心を落ち着かせて言葉に耳を傾けなさい」

「……はい」

「……水に揺らめく祈りの言の葉よ。祝福を。世に生きる遍く子らに炎と聡慧と明達の祝福を」


 淡々とした声で、クラッグが言葉を口にする。

 彼は立ったままであり、エリーはそんな彼のことを見上げながら言葉を聞いていた。


「大地の稚児、空の老骨、海に浮かぶ雷の神、山に沈む風の神。崇敬の中、我らに祝福を与え給え。我らの祝福を聞き給え」

「…………」

「全ては火の怒りの前に、水の嘆きの前に。我ら唯、夜を迷い彷徨う憐れな子供なれば」


 クラッグは目を閉じ、言葉を紡ぎ続ける。

 それは祈りだった。

 そんな祈りの所作が美しいと、エリーは感じた。


「無力を嘆き、不運に泣き、押し寄せる時代の熱に焼かれ、抗えぬ世の波に流され、我ら無価値な人の子なれば、ただ神の祝福を。ただ神の祝福を待ち侘びるのみ」

「…………」

「ただ神の祝福を……」


 クラッグが長く難しい言葉をすらすらと、淀みなく述べていく。

 なんかクラッグさんっぽくないな、なんて失礼なことをエリーはぼんやり考えていた。


 日が沈みゆくまで彼の儀礼の言葉は続く。

 赤い夕焼けが姿を隠し、辺り一帯が暗闇に包まれる。クラッグが篝火を付け、舟の周りだけがぼんやりと炎の明かりに包まれる。


 景色の色が変わる。

 そして、彼の儀礼の言葉も終わりを迎えようとしていた。


「礼節を尊び、分別を心掛ける。我ら無力な人の子なれば、雷の神、風の神、大地の神、空の神、光の神、闇の神よ。水と火の呪いを祓い給え。恨みに塗れた水と火の呪いを祓い、我らに祝福を与え給え」

「…………」

「……叡智を授かりし者の名代にして、守護たる獣の我クラッグがここに祈る。かの者に祝福を。神の祝福を」


 彼が口を閉ざす。

 湖の全てが静寂に包まれた。


「…………」


 儀礼の言葉は終わったが、エリーの緊張は続いていた。

 この厳かな空気を自分が壊すわけにはいかない。口をぎゅっと結び、沈黙を保っていた。


 クラッグが荷物からあるものを取り出した。


「エリー」

「……はい」

「これを首に掛けてくれ」


 それは緑色の宝石であった。

 石は大きく、こぶし大よりも一回り小さいくらいの大きさがある。

 ネックレスのように細いチェーンが付いており、首に掛けられるように装飾が施されている。


「あ、そのチェーン……」

「あぁ、前に露店で買ったアクセサリーを使っている」


 首に掛けるチェーンは数日前にエリーが露店で買った簡素なアクセサリーであった。

 小さな無骨の月型のペンダントが付けられたネックレスのチェーンであり、そこに新たに緑色の宝石が付けられている。


 素朴な月のペンダントと大きな緑色の宝石が一つのネックレスとなって、小さく揺れていた。


「その宝石は?」

「これは……御守り、のようなものだ」

「御守り?」


 クラッグがエリーの首にネックレスを掛ける。

 緑色の宝石は大きく、アクセサリーとして扱うには少々主張が強過ぎる。だけど御守りというのなら、確かに何かご利益がありそうな存在感だった。


「御守り……」


 エリーが自分の胸にぶら下がっている宝石をじっと眺める。

 ただ純粋にその宝石に見惚れていた。


「……分かりました! この御守り、ずっと大切にします!」

「あ、いや、違う。その御守りは壊さないといけない」

「え?」


 御守りなのに壊す?

 エリーの顔がきょとんとなる。


「あー、えっと……お祭りの行事の一環でな。その御守りは御守りとしての機能を果たし、人の身代わりとなって邪まな力を吸い込んでしまった。だからその石を壊し、神様に感謝を捧げる。そういう風習に基づく慣習だったと、記憶している」

「えぇー……」


 その御守りを壊すまでが祭りの行事。

 それは理解できるが、折角綺麗な宝石なのにそれを壊すなんて勿体無い、とエリーは嫌そうな顔をした。


「壊すのはこの場じゃない。周りの人が誰もいない時、一人になったらその石を壊しといてくれ。そこまでが祭りの一部だ」

「……はい」

「さて、ここでの祭りも終了だ。戻るぞ」


 クラッグがまた船を動かし、来た道を戻り始める。

 篝火を照らしながら、暗闇の中を小舟が走っていた。


「……うちの村の祭り、どうだった?」

「はい、とっても雰囲気があって、なんだか神秘的でした。良かったです」

「楽しんで貰えたようでなにより」


 エリーがそう言うと、クラッグが小さく笑う。


 湖の上での二人だけの密やかな祭り。

 それを経験し、二人は静かに帰路へと着いていた。




 夜が深まる。

 クラッグとエリーの二人は宿屋に戻り、寝る支度をする。


 今日はもうクラッグにはやることが何もない。後は寝るだけである。

 しかし、エリーには一つだけやることが残っていた。


 彼女は先程言われた通り、緑の宝石を壊すために一人で宿の外へと出る。

 宿の玄関のすぐ近くに座り込み、鞄から御守りを取り出した。


「……きれい」


 御守りをじっと眺め、思わず呟く。

 星明りの僅かな光が緑色の宝石を微かに輝かせている。


 見惚れていた。

 確かに心を奪われていた。


 壊したくないな。

 壊すなんてもったいないな。

 エリーはそんなことを考え始める。


「だって、ただのお祭り……。ただの行事の一環ってだけなんですもんね……」


 この宝石を砕かなきゃいけないのは、それがそういうお祭りだからである。

 昔からの風習に倣っているだけで、壊すこと自体に意味なんかない。


 邪まな力を吸い込んだからこの御守りを壊さなきゃいけない、というのはいつだか知らない昔の逸話の中であって、この御守り自体がそうというわけではない。


 だったらこんな綺麗なもの、壊さなくてもいいのではないか。

 そんな理屈が彼女の頭の中に浮かんだ。


「…………」


 それと一緒に、別の奇妙な考えも頭の中に浮かんでいた。


 むしろ、壊してはいけない。

 これは、正しく御守りなのだ。


 これを壊したら、もしかしたら、クラッグさんに良くないことが起きるかも……。


「…………」


 理屈の無い直感。

 ぼんやりとする頭の中で、彼女は上手く言葉に言い表せない直感を感じ取っていた。


 緑色の宝石が微かに煌めく。

 一緒に付いている月型のペンダントが僅かに揺れる。


「……御守りを壊したら、バチが当たりそうですもんね」


 言い訳するようにそう呟き、エリーはその緑の御守りを鞄の奥底へとしまい込むのだった。




* * * * *


 やがて二人は王都へと辿り着く。


 決戦の時間が刻一刻と近づいていた。


この宝石の御守りは63話と93話でビミョーに登場してるよ!(申し訳程度の伏線でした……)



それと、新作『それはさておき、俺は宝剣少女とおいしいものを食べて強くなる』を投稿し始めてから一週間が経ちました。


そちらの方も頑張って更新しておりますので、良かったら足を運んでみて下さい。

(https://book1.adouzi.eu.org/n5389gt/)


よろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] デート!デート!やったー!
[一言] やはりクラッグが渡したものだったのか
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