195話 お兄さん
翌日。
朝早くから町を出て、二人は旅を続ける。
クラッグは獣の姿となって大地を駆ける。エリーはその背中にしがみついて、振り落とされないよう力を入れる。
そうやって、二人は次の町へと辿り着いた。
「わぁ……」
エリーは感嘆の声を上げる。
この町は活気に溢れていた。
道の両脇に溢れんばかりの露店が並び、通りは人でぎゅうぎゅう詰めになっている。
物を売る人の集客の声、値段を値切る客の声、色々な声や音がひしめき合って雑多な様相を見せていた。
エリーは忙しなくきょろきょろと首を動かしていた。
「おい、エリー。あまりうろちょろするな」
クラッグが彼女の肩を掴む。
「この町は活気がある代わりに治安が悪い。貧乏人共の溜まり場だ。あまり人に舐められるような真似をするな」
「は、はい……分かりました」
この町は治安が悪い。だからこそ、活気のある町であった。
多少の暴力沙汰なんて誰も気に留めない。酒を呑み、歌を唄い、人が気の向くまま欲望を解放させている。
ここは秩序無き賑やかな町だった。
「お嬢ちゃん、アクセサリーとかは要らないかね?」
「え? わ、私ですか……?」
露店の店員がエリーに話しかけ、彼女は身を強張らせる。
このような接客を受けるのは彼女にとって初めてのことだった。
エリーが横目でちらりとそのアクセサリー屋を見る。
特に美しいわけでも綺麗なわけでもない商品が並んでいた。
材質は銅とか鉄とか、何の変哲もない安い素材が使われている。
腕が良いわけでもセンスが優れている訳でもなく、金属の破片が月型や星型に切り取られているだけの、それだけの品々だった。
おそらく店主はアクセサリー作りの素人で、日銭を稼ぐためにこうしたものを作っては売っているのだろう。
値段も安い。素人の作品の値段という感じだ。
だけど、なんというか、素朴な魅力があった。
高価な材料を使った訳でもない、凝った意匠が施されている訳でもない。そういうものにはない、ただただ簡素で質素なものの持つ独特の柔らかさ。
「…………」
高級素材に慣れ親しんだ彼女には縁の無かった部類の創作物。
そういったものの雰囲気が、エリーの足を止めようとしていた。
「おい、エリー」
だけど、その彼女の頭をクラッグが叩く。
「足を止めるな。この町に用なんかない。飯を食ったらさっさと次の町へと出発するぞ」
「クラッグさん……」
クラッグはすたすたと前へ歩く。
エリーは遅れるわけにはいかない。
彼女はアクセサリー屋の店主に小さくお辞儀して、その場を去る。
人の良さそうな店主がにこやかに笑いながら、手を振って少女を見送るのが彼女の視界の端に見えた。
やがて、二人は飯屋に辿り着く。
その店は一段と喧しい場所であった。昼から酒を出しているのだろう。酔っ払い共が顔を赤くして大きな叫び声を上げている。
人も多く、テーブルは満席に近い。
盛況な飯屋であった。
その熱気にエリーは気圧されたじろぐが、クラッグは全く気にする様子はない。彼がテーブルの椅子に腰掛け、エリーが慌ててその対面の椅子に座った。
すぐに注文の品が届く。
二人はハンバーガーを頼んでいた。
「あの……」
「はい、なんでしょう?」
エリーが店員さんに声を掛ける。
「ナイフとフォークは無いのでしょうか?」
「はぁぁ?」
声を上げたのはクラッグだった。
ハンバーガーは手掴みで食べる。そんなことは世間の常識だ。
しかし、これはいわゆるジャンクフードというものだ。
王族であるイリスはハンバーガーなんてめったに食べたことは無く、宮廷で出たとしてもそれは味のバランスや栄養価がしっかりと考え抜かれた、高級料理としての料理であった。
そして、その時はナイフとフォークを使って食べていた。
「ナイフとフォークお持ちしましょうか?」
「いや、いい。エリー、わけ分からないこと言ってんじゃない」
「す、すみません……」
店員の親切をクラッグが拒否する。
エリーは自分が一般市民の常識から外れたことを言ったのだと悟り、顔を赤くして俯いた。
クラッグがハンバーガーを食べる。
見様見真似でエリーがハンバーガーを手掴みし、恐る恐る口に入れた。
「……っ! おいしいっ!」
そして、エリーが顔をほころばせる。
下々の物が食べるハンバーガーを口にして、お姫様である彼女は目を輝かせた。
それは彼女にとって新鮮な味だった。
塩分多め、油多め、ケチャップが大量にかけられた栄養バランスもクソもない濃い味付け。まさにジャンクフードの代表と言っていい食べ物である。
そんな刺激の強い味付けに、口の中をガツンと殴られたような気持ちになった。
いつもの一流の料理とは違う魅力がそのハンバーガーにあった。
「……まさか、ハンバーガー食べるの初めてなのか?」
「はいっ!」
クラッグの質問に最低限の返事をして、エリーは小さな口をせっせと動かす。
「変なやつ……」
彼はそう小さく呟いた。
そうやって二人で食事をしている最中のことだった。
「よぉ、兄ちゃん嬢ちゃん、美味そうに飯食ってんな」
「……?」
「……!?」
妙な男がクラッグとエリーの前に現れた。
男は二人に対して気安く声を掛けてくる。
「……誰だお前」
「いやちょっとな。兄ちゃんと嬢ちゃんとちょっとお話がしたいなって思った、ただの善良な市民さ」
「…………」
急に現れた男は馴れ馴れしく、二人の座っているテーブルの椅子に腰掛ける。
一瞬エリーはクラッグの知り合いかと思ったが、どうもそういう感じではない。二人とは全く無関係の町の人間が、唐突に二人に声を掛けてきたのだ。
「兄ちゃんと嬢ちゃんは兄妹かい? お近づきの印だ、ジュースでも奢ろうか?」
「さっさと要件を言え」
クラッグは男を気にせずハンバーガーをもぐもぐと食べ続ける。
ただ、エリーは知らない男性を前にして緊張して体を強張らせていた。
男は整った身なりをしていた。
ピシッとしたジャケットを羽織っており、つばの大きな帽子を被っている。およそ、こんな騒がしい酒場に不釣り合いな格好だ。
その男の後ろには舎弟のような大柄の男性が二人、直立不動で控えている。
地位の高い立派な男性……というよりは、マフィアのような裏稼業の人間、という雰囲気が滲み出ていた。
兄妹と呼ばれたことに、クラッグとエリーは否定の返事をしない。
クラッグにとってはどうでもいいし、エリーは男の人が怖くて口を挟めなかった。
「おぉ、こわいこわい。俺はな、兄ちゃん、ファルズバード家の人間だ。知ってるかい、ファルズバード家」
「知らん、弱小の家のことなんか」
「ははは、言うねぇ。まぁ、貴族じゃなくてマフィアの家だ。この町で一番影響力を持っている家って考えて貰っていい。俺はその家の奴隷売買の事業を担当している」
「ど、奴隷売買っ……!?」
驚きの声を発したのはエリーである。
彼女は慌てて席を立って、クラッグの背に隠れた。
「ははは、嬢ちゃんはいいね。いい反応をしてくれる」
「…………」
「まぁ、話は簡単だ。兄ちゃん、その妹さんを俺らに売ってくれないかい?」
「……っ!?」
エリーがぎょっとする。
奴隷商人の男の口の端が小さく吊り上がった。
「わ、私を売るって……ど、どういうことですかっ……!?」
「そのまんまの意味さ。君は良い商品になる。良い商品があったら買いたくなるのは、商人としての性だろう?」
「なっ……なっ……!?」
奴隷商人の余裕そうな表情は崩れない。
クラッグはハンバーガーを下ろさず、視線だけを動かして商人の方を見る。
「何故、僕に許可を取る」
「正直言ってね、男のガキなんて大した値段にもならない。だけど、小さい女の子は別さ。それに嬢ちゃんは特別別嬪さんだ。今まで見たことないくらいにね」
「…………」
「君は要らない。でも、そこの嬢ちゃんは欲しい。言っておくけど、これは譲歩だ。なるべく穏便にことを進めたいっていうね」
そう言いながら、男は金貨の入った包みをクラッグに差し出す。
その金で妹を売れという意味だった。
奴隷だなんだ、こんな話をしているというのに、酒場の人間は誰も奴隷商人の男を咎めようとしない。
店員や客たちはちらちらと彼らの方に視線を向けてくるが、すぐにそっぽを向いて我関せずを貫いている。
この男の所属するマフィアの家がこの町で幅を利かせていることを示していた。
「分かっていると思うが、俺達は力尽くで嬢ちゃんを攫ってもいいんだ。だけど荒事なんて余計な手間は省きたい。これはその金だ、分かるか、兄ちゃん」
「ふぅん」
「妹さんを売れ。こんな世の中だ。肉親を売るくらいの度胸が無くちゃ、この時代は渡っていけないぞ、兄ちゃん」
「…………」
クラッグはゆっくりと腕を組む。
「別に僕にとってはどうだっていい話だ」
「……っ!?」
「そこのエリーがいなくなったって、僕が困ることは何一つない」
クラッグの言葉を聞き、エリーの顔がさっと青くなった。
ここで彼に見捨てられたら、自分に何もできることはない。この奴隷商人の後ろには用心棒のような大柄の男が二人も控えているのだ。
自分は捕まってしまう。
エリーは怖くなって体を震わし始める。クラッグの服をぎゅっと掴むことしかできなかった。
「ただ……」
クラッグは言う。
「飯の邪魔をされた分、気分が悪い。その補填くらいは何か欲しいな」
「……なんだと?」
「金でも何でもいいが、僕のご機嫌を取ってみろ。そうしたら考えてやらないでもない」
クラッグがそう言い終わった時、奴隷商人の男が腰からナイフを抜いた。
きらりと光るナイフの刃先をクラッグの首元に当てる。
「調子乗ってんじゃねえぞ、ガキ」
「…………」
「お前をここで殺していっても、俺達は何にも構いやしないんだ」
クラッグは自分に突き付けられたナイフを、実に興味無さそうな目で見ていた。
「さっきからテメェの態度は気に入らなかったんだ。こっちが丁寧に出ておけば付け上がりやがって」
「……はぁ」
「本当に殺すぞ、ガキ」
奴隷商人の獰猛な目がクラッグに向けられる。
先程までの落ち着いた態度から一変、殺気が溢れて彼を恫喝する。
クラッグは動じない。
ただ、その殺気に震え上がったのはエリーの方だった。
クラッグさんが危ないっ……!
彼女はその危機感に身を強張らせる。
そして同時に頭の中で浮かんだのは、実の兄のアルフレードの姿だった。
彼は自分を庇って死んだ。自分を穴の中に隠して守り、そして外で彼は死んでいた。
またそうなってしまうのではないだろうか。
それで自分はいいのだろうか。
年上の男性の背中に隠れ、その人が死ぬまでビクビクと震えたままでいいのだろうか。
そう思った時、彼女の体は動いていた。
「……あ?」
エリーが前に出て、男とクラッグの間に割って入る。
クラッグの喉元にナイフを突きつけている奴隷商人の手を掴み、出来る限り最大限に彼のことを睨んだ。
「お、お……」
「……?」
「お……お兄さんに手を出すなぁっ……!」
そう叫んで、エリーは手を捻った。
放つのは王宮で習った護身術。弱い力でも相手のことを投げ飛ばせる技を用い、男をすっ転ばした。
「あだっ……!?」
「旦那ぁっ……!」
奴隷商人の体が空中で一回転して、床に尻を強く打ち付けた。
男は床に倒れたまま痛みで呻き声を上げる。その彼に、用心棒の二人が駆け寄った。
「ガキがぁっ……! 痛い目見たいらしいなぁっ!?」
「ひっ……!?」
男は用心棒の手を借りて起き上がり、ナイフをエリーの方に向ける。
怒りで顔が赤くなっており、男の殺気にエリーが震え上がる。
用心棒たちも戦闘態勢に入る。エリーは奴隷商人の男に技をかけたが、男は未だピンピンしていた。
酒場の誰もエリーたちを助けてくれそうにない。
力尽くで襲われる。
エリーの心臓がばくんばくんと震えだした。
だが、
「……気が変わった」
「あぁっ!?」
そう小さな声で呟いたクラッグが、既に奴隷商人の男の間合いの中に入っていた。
「がはっ……!?」
クラッグの無造作な蹴りが男の腹を打つ。
男の体はくの字に折れ曲がり、血反吐を吐きながらまた床に倒れ伏せた。
そのまま気を失って動かなくなる。
「旦那っ……!?」
「なっ……!? がはっ!?」
ワンテンポ遅れて用心棒の二人が反応する。
しかしその時には既にクラッグは二人の背後に回っており、飛び上がって二人の頭を掴み、そのまま床へと叩きつけた。
用心棒二人の頭が木の床の中にめり込む。
クラッグは敵を瞬殺し、三人とも意識を失った。
「え……?」
エリーは目をぱちくりさせる。
気が付いたら全てが終わっていた。周囲のギャラリーもこの一瞬で何が起こったのか頭の中で整理が付かず、口をあんぐり開けている。
クラッグだけが悠々としており、手をパンパンと叩いて埃を払っていた。
「……おい、そこの店員」
「は、はいっ……!?」
「迷惑料だ、受け取れ」
彼はそう言って、奴隷商人がクラッグに渡そうとしていた金貨の袋を店員に投げた。
「僕達が持って行ったって言っとけば、くすねたってバレないだろう」
「…………」
店員の顔が強張る。
「全く、飯ぐらいゆっくり食わせろ」
「…………」
クラッグが自分の椅子に座り直し、何事もなかったようにハンバーガーの残りを食べ始めた。
エリーを始め、周囲の皆がぽかんとした視線を彼に向ける。
床に倒れている奴隷商人たちを完全に無視しながら、クラッグは食事を再開した。
「お、お前さん……大変なことをしたぞ……」
酒場の客であった老人の男性が、震えながらクラッグに声を掛ける。
「ファルズバード家の人間に手を出してしまうなんて……し、死ぬよりも恐ろしい目に合ってしまうぞ……? しょ、少年よ、悪いことは言わない……。すぐにその少女を奴隷市場へと突き出しなされ。それで許しを請うのじゃ……」
「はっ」
老人の言葉をクラッグは鼻で笑った。
「忠告痛み入るがね、ジジイ」
「…………」
「雑魚に興味ないんだ、僕は」
どうでもいいように聞き流しながら、彼はハンバーガーを食べ続けていた。
「エリーもさっさと食べろ。飯ごときに時間食い過ぎるなんてバカらしい」
「は、はいっ……!」
エリーも席に座り、ハンバーガーの残りを食べる。
酒場中の注目を浴びながら、クラッグとエリーは悠々と食事を再開する。
「…………」
「……どうしました? クラッグさん?」
途中、クラッグが自分のことをじっと見ていることにエリーは気が付いた。
顔を上げて、声を掛ける。
「……いや」
「……?」
「お前、さっき、僕のこと『お兄さん』って言ってたなと思ってな」
「……っ!?」
エリーの顔がパッと赤くなる。
先程、奴隷商人を投げ飛ばす時にエリーは「お兄さんに手を出すな!」と言った。
恐怖の中で精一杯出した、咄嗟の一言だった。
「あ、あれはっ……!? この人たちが私たちを兄妹なんて呼ぶから! つ、つい釣られて……!?」
「まぁ、そうだな」
「そ、それにっ……! 私にとっては『ロビンのお兄さん』って意味になりますしっ!?」
エリーが慌てている様子をクラッグは少し楽しげに見ていた。
「……意外と根性あるんだな、お前」
「え……?」
「あの男を投げ飛ばしたこと」
クラッグはテーブルの上の水を飲む。
「……町を出る前にあのアクセサリー屋覗いていくか、エリー?」
「え? え……?」
「さっきのアクセサリー屋。なんかちょっと見たさそうだっただろ」
ころころ変わる話題に、エリーが目を丸くする。
先程の露店のアクセサリー屋。無骨で素朴な素人仕事のアクセサリーを前にエリーは少し興味をそそられていたが、クラッグが先を急ごうとしていたので見ることが出来なかった。
「えっと、その……いいのですか……?」
「まぁ、少しぐらい時間はある」
「で、でも……早く町を出ないと、マフィアの人が報復に来るのではないですか?」
「バカ言え」
心配そうにするエリーを前に、クラッグは言う。
「あいつら程度、僕にとっては物の数にも入らん」
「…………」
「心配するな、エリー」
その言葉を聞いて最初エリーはぽかんとしていたが、すぐにその表情は明るいものに変わる。
頬を赤くして、はにかんだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて……さっきのアクセサリー、見てみたいです……」
「あぁ」
クラッグが小さく頷く。
昼下がりの穏やかな時間。
周囲の客たちのざわつく様子とは裏腹に、二人はゆったりとした昼食を楽しむのであった。
そうして彼らはまた次の町へと足を進める。
アクセサリー屋を見終え、買い物をし、町を出る頃にファルズバード家の刺客が現れたが、クラッグが全てぺちゃんこにしていた。
刺客との戦いの描写はありません。(モブに対してはテキトー)




