194話 真実
「とりあえず、一週間だ」
「一週間?」
「一週間後に、儀式が行われる。そう見込んで動く」
クラッグの言葉にエリーは小さく首を傾げた。
ここは崩壊した城下町のすぐ外。
彼らが王都への旅路を歩き始めてからすぐ、クラッグがこれからの方針を口にした。
「敵はロビンを捕まえた。恐らく目的は『叡智の王』の力の収集。そしてその儀式の発動まで、少なくとも一週間はかかる」
「えっと……その間、ロビンは無事であるということですか?」
「そうだ。そして僕は一週間後、敵が丁度儀式を始めた頃に敵の懐に飛び込もうと考えている」
早朝の草原。
爽やかな風が吹く中を少年少女はゆっくりと歩く。そんな穏やかな光景だけ見ると、昨日の惨劇がまるで嘘かのようであった。
エリーにとって、クラッグの言う儀式というのはよく分からない。
だけど、黙って小さく頷いておいた。
「だから、僕は丁度一週間後に王都に辿り着くよう行動をする」
「そ、それは不味いです……!? クラッグさん!? ここから王都までは最低でも二週間かかります! 間に合いませんっ……!」
エリーが慌てる。
ロビンを取り戻す作戦がどうのこうの言う以前に、目的地に辿り着くこと自体が間に合いそうになかった。
しかし、クラッグは慌てない。
「馬車で二週間でも、僕が走れば一日と掛からない」
「…………」
あまりに荒っぽい解決方法に、エリーの表情が強張った。
彼女はまだ領域外の人間の実力どころか、S級の武人の身体能力すらよく知らない。
長い道のりを走って一日で済ますということが本当にできるのか、疑わしく思っていた。
「す、少なくとも私は……そんな芸当無理なんですけど……」
「……やっぱ置いていきてぇ」
「ひ、一人にしないでくださいっ……!」
クラッグが小さくため息をつく。
そして、彼は自分の爪で手のひらを切った。血がぽたぽたと垂れ始める。
「え……?」
エリーがぎょっとする。
クラッグから垂れるその血はもぞもぞと独りでに動きだし、彼自身に纏わりついていく。その血が集まり、膨張し、姿を変えていく。
やがて、自分の血を纏ったクラッグは一匹の赤い狼の姿となった。
「乗れ」
「……え? えっ?」
「いいのか? 置いていくぞ?」
「あ、い、いえ……! の、乗ります……!」
クラッグが変化した一匹の狼の背に、エリーがいそいそと乗る。
赤い獣の大きさは普通の狼よりやや大きい程度。
彼女には何が起こっているのか分からない。でも、置いていくと言われたら彼の指示に素直に従う他なかった。
「走るぞ、ちゃんと掴まっとけ」
「つ、掴まるって、どこに……?」
「……どこだっていい。別に毛に掴まってようが、抜けやしない」
そして、狼となったクラッグは四本の足で走り出した。
「わっ……!?」
突然の加速に、エリーは息を呑んだ。
風を裂くかのような速さ。狼は四本の足を大きく動かして、力強く躍動している。
今までに味わったことの無いようなスピードを体感して、エリーの体が強張る。
「わわっ……!? わわわっ……!?」
彼女は身を倒して、全身を使ってクラッグに抱き着くことにした。
そう判断したというより、体がそう勝手に動いた。振り落とされてはたまらないと、ぎゅっと目をつむりながら一番体が密着する方法を選んだ。
クラッグは彼女に遠慮をしない。
スピードを緩めず、草原を駆ける。
「…………」
少し慣れてきて、エリーが恐る恐る目を開ける。
景色が高速で動いている。
草原が揺れ、風が音を立てる。
今見た光景が、一瞬でずっと後ろへと遠ざかっていく。
広い世界の中で、自由を一心に浴びている様な気がした。
「……わぁ」
エリーが小さく感嘆の声を上げる。
狼の背から見た初めての世界は、なんだかとても刺激的だった。
夜。
適当な町の中へと入り、二人は宿を取る。
今日の旅路はここまで。ここで体を休めるつもりだった。
「……クラッグさんはアル……ギン兄様とどうやって知り合ったのですか?」
「…………」
ベッドの上に腰掛け、エリーがクラッグに質問をする。
アルフレードの名を出しそうになって、彼女はぐっと堪える。多分恐らく、兄は偽名を名乗っていた。
クラッグの前ではそっちの名前で兄を呼ぶことにしていた。
窓の外には星が輝いている。
クラッグの足ならば一日で王都へと辿り着くことが出来る。しかしそれは同行者のエリーには耐えられない。
夜通しの移動なんて出来ないし、そもそもクラッグの出す最高スピードには体が耐えられそうになかった。
だから、このように宿を取って夜は素直に寝ることとしていた。
「……別に大した話じゃない。叡智の力を追っていたら、標的が重なっただけ。そういうことが何度かあっただけだ」
「仲が良かったのではないのですか?」
「仲が……良かった……?」
クラッグの眉間に皺が寄る。
「……そんなわけない。そんなわけないだろう。僕とあいつが仲良かったなんて、そんなことあるわけがない」
「お友達なのでしょう?」
「違う。ただの知り合い、ただの顔見知りだ」
「…………」
クラッグの言葉にエリーが少し首を傾げる。
彼は兄の遺体の前で、なんだかとても気落ちしたような様子を見せていた。肩を落とし、背を丸め、何かにがっかりとしていた。
もし本当にただの顔見知りだったら、あのような感情を示すはずが無いと思った。
「ただの知り合いだったのですか?」
「…………」
エリーがそう聞き返すと、クラッグが口を少しへの字に曲げた。
「……ま、まぁ、あいつに感謝していることが全くない、なんてことも、まぁ……ない。ロビンとの仲直りのアドバイスをして貰ったり、とか……まぁ、その程度だが……」
「…………」
口をもごもごとしながら、言い難そうに言葉を濁す。
困ったように、気恥ずかしを隠すように。何か遠回りをするかのような言い草で、クラッグはぽつぽつ口を開いていた。
「…………」
それ以降クラッグは言葉を続けなかった。
そっぽを向いて、会話を進めようとしない。
エリーは少し彼と言う人間を理解した。
「え、えっと……私、ロビンからお兄さんの話は少し聞いています。もの凄く強くて、ロビンの友達皆で一斉に稽古をつけて貰っても、誰も攻撃を掠りも出来なかったって」
クラッグが話を続けようとしなかったため、エリーが新たな話題を切り出す。
「あのクソガキ共を圧倒したからって、何の自慢にもならないがな」
「そ、そうですか……? あの村の皆さん、年の割にはとても強い子達ばかりだと思うのですけど……」
ロビンの村には十人近くの年の近い子供たちがいた。
その誰もが子供としては強い力を持っている。
あの村はジャセスの百足の隠れ拠点であり、大人からの稽古は中々鋭いものがあり、自然と子供達も戦闘能力が鍛え上げられた。
イリスが通う王都の学園生たちに比べると、雲泥の差とも言える程である。
学園でトップの実力を持つイリスでさえ、あの村の子供達との戦闘ごっこでは勝ったり負けたりを繰り返していた。
ただ、あくまでそれは子供のレベルの話である。
紛れもなく世界最高峰の実力を持つクラッグにとっては、有象無象と言っていい程度だった。
「まぁ確かに、ガキの割には強いかもしれないな、あの村の連中。ロビンも含めて」
「……クラッグさんもほとんど年変わらないじゃないですか。クラッグさんは実際、どのくらい強いのですか?」
「さてね」
「…………。そういえば見ましたよ、あの大きな大きなイノシシ。あのイノシシ狩ったのがお兄さんだって聞いていますが?」
「あぁ、あれな」
ロビンの村には20mを越える超巨大なイノシシの肉が冷凍保存されていた。洞窟の中で氷魔法が掛けられ、洞窟全体が大きな氷室と化しているのである。
そのイノシシを狩ったのがクラッグであった。
そのお肉は干し肉になったり冷凍されたりで、長い間村の貴重な食料源となっていた。
「私もご馳走になりました。すごいですよ、あんな大きなイノシシを打ち倒すなんて。一体どうやったのですか?」
「別に。ただデカいだけだったぞ」
「いやいやいや……」
エリーが首をぶんぶんと振る。
見上げるほどの山のようなイノシシだった。それをただデカいだけなんて、そんな軽い感じで済むものとは思えなかった。
エリーの顔が少し引きつる。
「まぁ、普通でないことは確かか。村の連中も、妹たちも驚いていたしな」
「……妹?」
クラッグの何気ない一言にエリーが首を傾げる。
「クラッグさんって……妹がいるんですか?」
「は?」
クラッグが怪訝そうな顔を見せる。
「お前、何言ってるんだ? さっきからロビンの話をしてたじゃねえか」
「ん……?」
「…………」
「…………」
お互いの話が少し食い違う。
クラッグとエリーの二人が目を合わせながら、二人とも頭の中にハテナマークを浮かべる。
「……あぁ」
そして、先に何かを納得したのはクラッグであった。
「ロビン……あいつは男じゃない。女だぞ?」
「え……?」
エリーの顔がきょとんとする。
「え、えっと……? ロビンが……ん?」
「ロビンは女。弟じゃなくて、妹」
「…………」
数瞬、部屋の中に沈黙が流れた。
「……ええええぇぇぇっ!?」
そしてエリーは素っ頓狂な声を出した。
ベッドの上で驚き後退る。
「え!? だ、だって、ロビンは男の子……!? 本人もそう言ってましたし……!?」
「あいつ、遂に嘘まで付くようになったのか……」
ロビンは女の子であるけれど、男の子っぽい格好をしていた。
髪を短くし、つばのついた帽子を被って顔を少し隠している。
それは本人の趣味であり、兄や幼馴染のように男らしく強くなりたいという思いから、自分で進んでそういった格好をしていた。
「いや、でもでもっ……!? 誰も何も言わなかったですし!?」
「村としての方針は放置だな。ロビンが男装しているのなら、もし追われる立場になったときにその男装を解けばいい。それで追跡を困難にできる」
「え、えー……?」
エリーが頭を抱える。
自分たちの友情が根本的なところから間違えていたのだと知って、愕然とする。
「別にいいじゃねえか、男だろうが女だろうが」
「そ、それはそうなんですけど……」
「けど?」
「お、お風呂を一緒に入るか入らないかで……ひ、必死になって拒否した私が、バカみたいじゃないですか……うごごごご……」
「なにやってるんだ、お前たちは」
ベッドの上で悶絶をする。
村の中での一幕を思い出し、エリーは恥ずかしくなる。
実はロビンは自分が男であると誤解されていることを大体分かっていた。
それでも誤解を解かぬまま、エリーをからかってその反応を楽しんでいるきらいがあった。
「いや、でも、じゃあ……あの時も、この時も、私をからかって……?」
「はいはい、もう寝るからランプの明かり消すぞ」
「ちょ、ちょっと待って下さい! これは私にとって重要なことなんです! ロビンが女の子ってことの詳細な情報を教えて下さい……!」
「詳細も何もこれ以上語ることは無い。消すぞ」
「あっ……!?」
ふっと明かりが消え、部屋の中が暗闇に包まれる。
「いや! いやいや、納得できません! ロビンは一体いつから女の子だったのですか!?」
「いつからもクソも最初から女だよ。馬鹿かお前」
「えー!? えー、えー!? おままごとに全然参加しようとしてなかったのにー!? たたかいごっこばっかやってたのにー!?」
「寝ろ、うるせえ」
部屋の明かりが消えてもエリーの喧しい声が鳴り止むことは無い。
クラッグはもう一方のベッドに寝転がり、彼女に対して背を向けた。
「どういうことですかー!? クラッグさーん!? 弟さんの……いや、妹さんの教育間違ってるんじゃないですかー!?」
「僕に責任擦り付けるのやめろ。寝ろ、さっさと」
窓の外の星がきらきらと輝いている。
地獄のような騒乱の昨日が嘘のように、穏やかな夜の時間を過ごしている。
とあるお姫様ととある怪物のような少年の奇妙な旅路。
その一日目が終わろうとしていた。
タイトル『(しょーもない)真実』




