182話 大事な頼み事
夜、辺りは暗く、空には星が輝いている。
ここは街の中にある公園だった。空気は冷え切っており、周囲に音はなく、人の気配もない。
凛と静まり返った空気の中で、クラッグは一人ぼんやりと公園のベンチに座っていた。
「…………」
無言で身動きもしないまま、あるものをじっと見つめている。
自分の手に持つ一輪の花を見つめていた。
それは先程助けた貴族の子供から貰った花であった。
「…………」
「おう、幽水。こんなとこにいたのか。飯行こーぜ、飯」
そんな時、ギンがのそのそと近づいてきた。
ギンは貴族の子供の誘拐事件の報告と手続きを終え、クラッグを探してここに来ていた。
「ほい、騎士団からの差し入れ。少し冷めちまったけどな」
「……あぁ」
ギンが鞄から水筒を取り出して、簡素な容器にコーヒーを注ぐ。
ここにくるまでに冷たい空気でコーヒーは冷え、淹れたての熱々の温度ではなくなってしまったが、小さな白い湯気が夜の暗闇の中に淡く浮かぶ。
クラッグが軽く口を付ける。
ぬるいコーヒーが喉を通り過ぎて行く。
「なぁ……」
「ん?」
ギンも公園のベンチに腰を掛ける。
クラッグが彼のことを横目でちらりと見た。
「……いや、なんでもない」
「おいおい、なんだよそれ。気になるじゃねーか」
口ごもったクラッグに、ギンが呆れたような声を出す。
促されるようにクラッグが口を開く。
「……お前のその剣」
「剣?」
「……さっきの戦いで、いつも使ってる武器を使っていなかった。なんだその双剣」
「あぁ、これね?」
ギンが腰から双剣を取り出す。
その双剣は歪な剣であった。
一方の剣の先端がギザギザとした形をしている。まるで剣が折れた跡のようで、折れて短くなった剣を無理矢理双剣に打ち直したような無骨さがあった。
「これねぇ、最近見つけた神器なんだよ。どう? いいっしょ?」
「お前には合わない。お前の戦い方だったら今までの大剣の方が合っている」
「ありゃりゃ」
ギンが元々使っていた武器は大剣だった。
神器としての能力は防御不能の不可視の刃を出現させること。剣を振る軌道上にその不可視の刃が発生し、実体の剣が敵に防がれても不可視の刃があらゆる防御をすり抜け敵を刻むというものだった。
「自分でも分かっているだろ」
「んー、まぁ、そりゃあねぇ」
自慢げに見せびらかした新しい武器を批判され、ギンは苦笑する。
双剣を手のひらで器用にくるくると回し、言葉を続ける。
「でもさ、俺はこの武器を使い続けるべきだと思うんだ」
「なに?」
「なんていうのかなぁ……、初めて見たときにビビっと来たんだよ。俺はこの双剣を使いこなせるようにならないといけない。俺の一家はこの神器に認められるようにならないといけないって……」
「……?」
クラッグは首を傾げる。
ギンの言っていることがよく分からなかった。
「ははは、俺もよく分からねえんだけどさ。勘だよ、勘」
ギンが困ったように笑う。
彼自身、自分の言っていることがよく分かっていなかった。彼の胸の内にあるのはあいまいな感覚であり、それを上手く言葉にすることが出来なかった。
「神器自身による持ち主の選定か? そういう神器は確かにあるが、人の方が神器に認められないといけない、と感じるなんてのは聞いた事が無いな」
「ま、なんとなくだよ、なんとなく。なんかそう感じるってだけだ」
ギンはぬるいコーヒーをくいと飲む。
自分でもよく分からない感覚を説明するのはとても難しかった。
「そんなことよりよぉ、幽水。お前そんなことが言いたかったわけじゃねえだろ」
「…………」
ギンに指摘され、クラッグの体がぴくりと震える。
「お前の手に持つその花。花のことでなんか言おうとしてただろ?」
「…………」
それは図星だった。
先程までクラッグはその花をじっと見つめ、その花のことを考えていた。
恥ずかしくなって誤魔化すために武器の話題を出したが、ギンにはそれがバレバレだった。
「…………」
観念したかのようにため息を吐き、口を開く。
「……貰った」
「あぁ、助けた子供からだろ? 良かったな」
「…………」
クラッグの口は重く、会話にいちいち間が開いた。
夜の冷たい風が二人の肌を撫でる。
「……良かったのだろうか?」
「はぁ?」
「僕は、この花を貰って、嬉しいのだろうか? 良かったと感じているのだろうか?」
クラッグはまた手に持つ白い花に視線を落とし、重い表情になる。
「……いや、困惑。困惑だ。僕は花を貰って困惑している」
「何言ってんだ?」
「僕は……」
クラッグは言う。
「……僕は貴族や王族が嫌いだ。魂の底から嫌悪をしている。自分の中の憎しみが、貴族や王族を許すなと大声を上げ、その声が鳴り止んだことは人生の中で一度もない」
「王族……」
「今日の悪徳貴族討伐は最高に愉快だった。憎い存在を心ゆくまで嬲ることが出来る。嫌いな存在があかるさまな悪として現れ、それを断罪することが出来る。……もっと時間を掛けてじっくり痛めつけてやりたかったぐらいだ」
「とどめ刺す時、お前笑ってたもんな」
「…………」
クラッグが王族や貴族が嫌いなことを、ギンはこれまで彼と一緒に行動してきた中で気が付いていた。
彼の中には権力者に対して異常なまでの憎悪がある。
貴族を前にするだけで、彼の瞳の奥底が暗く濁るのを何回か見てきた。
「だけど花を貰った。……貰ってしまった」
クラッグは項垂れるように首を振る。
「僕は貴族が嫌いだ。……でも分かっている。今日の貴族の子供達はただの被害者だ。悪ではない。嫌いだが、悪じゃないんだ」
「…………」
「そんな子から、花を……貰ってしまった。お礼だって言って、笑顔で、僕はこんなにもお前たちを憎悪しているというのに、そんなこと露知らず……嬉しそうに花をプレゼントして来たんだ」
「一人相撲だな、お前の」
「……滑稽なほどにな」
クラッグは自虐気味に笑う。
「……嫌いなものには醜くいて欲しい。何の言い訳も出来ないほど邪悪で、誰もがそれを嫌いであって、罰せられるときは誰も同情しないような醜悪な存在であって欲しい」
「…………」
「バカな考えかな……」
しんと空気が静まり返る。
クラッグは口を閉じる。そして自分自身を傷付けるような皮肉めいた笑みを浮かべる。
ただ、彼が心の奥底から感じている考えだった。
もうコーヒーは冷めきっている。
「……それは、誰もが心の中に持っている感情だ」
ただ、ギンは笑わない。
目は合わないけれど、ギンは真剣な表情でクラッグのことを見る。
「自分を笑う必要なんかねえよ。みんなそうだ。自分の嫌いなものが多くの人から認められる姿なんか見たくねぇ。自分が憎いと思っている奴なんか破滅しちまえばいい。多かれ少なかれ、皆持ってる醜い感情だ」
「…………」
ギンがクラッグの背をぽんぽんと叩く。
「嫌いなものを認めるのは難しいからな。それが出来ないからって、自分を傷付ける必要はねえさ。他人まで傷付けちゃいけねえけどさ」
「……僕のこの醜い感情を認めると言うのか?」
「その憎しみがいつか和らぐ日が来るといいな、って言いたいのさ。その白い花のように」
「…………」
クラッグはまた手に持つ白い花に視線を向ける。
静かに嫋やかに、小さな花弁が美しく広がっていた。
「しかし、王族嫌いかー。そっかー、嫌いかぁー」
「……?」
ギンが腕を組んでうんうんと唸り始める。
何故ギンが悩むような素振りをするのか、クラッグにはよく分からなかった。
「ちなみに、なんで? 理由聞いていい?」
「……別になんだっていいだろ」
「そうは言わずに」
「理由は色々あるが……必要以上に偉そうだから、でいいだろ」
「うーん、否定できねえなぁ……」
ギンは渋そうな顔をしながら天を見上げる。
クラッグはそんな彼を不思議そうに横目で見ていた。
「……お前は、変な奴だよ」
「ん?」
クラッグは小さな声で呟く。
「お前がいなければ僕は、こんなことで悩まなくて良かった。今日もいつものように人に怯えられて、感謝なんかされず、いつもと同じ日を送るだけで済むはずだった」
「それは寂しいってもんだろ」
「お前がいなければこの白い花だって貰わずに済んだんだ……」
クラッグは今日貴族の子供たちを救った。
しかし、始めはその救った子供たちに恐怖されていた。
戦いの時の殺気が彼らに伝わってしまっていた。クラッグ自身貴族が嫌いという面もある。
本当ならば救った人たちに恐怖され、疎まれ、そのままその場を去るはずだった。
それが彼の日常だった。
だけど、ギンがその場をとりなした。
クラッグの頬っぺたを引っ張り、子供たちをあやした。その場の恐怖をいとも簡単に緩和させた。
結果として、クラッグは貴族の子供からお礼の白い花を貰った。
こんなことは初めてだった。
今日だけじゃない。
山奥の小さな里で、暴走した巫女姫の力を抜き取った時も周りの者から感謝をされた。
感謝なんて、彼には慣れないことだった。
「……お前に頼みたいことがあるんだ」
「ん?」
クラッグはベンチから立ち上がりながら、そう言う。
「僕にとって、大事な頼み事だ。それをお前に頼んでもいいかなって、そう思った」
「大事な頼み事?」
「受けてくれるか?」
「…………」
ギンは怪訝な顔をする。
「いや、受けるかどうかと聞かれても……その頼み事ってどんな内容だ?」
「…………」
「……?」
しかしクラッグは答えない。
ベンチから立ち、空を見上げ微動だにしない。ポケットに手を入れ背筋を伸ばし、ギンに背を向けたまま空ばかりを見ている。
「…………」
満天の星がきらきらと輝いている。
どうしてだろう、それを見上げるクラッグの姿が、まるで祈りを捧げるか細い人間の姿のように思えた。
「……分かった、いいぞ」
ギンは頷く。
何も聞かず、ただ肯定を返した。
「ありがとう……」
クラッグは小さな呟きで返事をした。
「……あぁ、そうだ。僕の本名はクラッグって言う」
「ほぁ?」
「頼み事を聞いて貰うんだ。本名くらい教えないと失礼だろう」
ギンには幽水という仕事中で使う名前しか伝えていなかった。
本名を教えろと迫られても、クラッグは今までずっと教えてこなかった。
「ふーん、いい名前じゃねーか」
「……こっちにも準備がある。次会う時から頼み事を少しずつ頼む」
「オッケー、大船に乗ったつもりで任せろ」
ギンは自分の胸をドンと叩く。
「……またな」
「おう」
クラッグはそう言って、ギンの方に振り返らずただ前に歩く。
やがて彼の姿は闇夜に紛れていき、見えなくなる。
ギンはベンチに座ったまま彼の後姿を見送った。
そういえば。
ギンは思う。
クラッグが「またな」と言ったのは初めてだな。
そんなことを考えていた。
それは彼にとってとても珍しい、再会の約束だった。
ギン「いや、飯……」




