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181話 白い花

「グオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォッ……!?」


 とある屋敷の地下奥深く。

 地上の光も、音も、気配も何も届かない隔絶された場所で、とある怪物が悲鳴のような絶叫を上げていた。


「ナンダ……ナンダオ前達ハアアアアアァァァァァッ……!」

「……うるせぇなぁ」

「わっはっは! お前の悪行もここまでだっ!」


 怪物の体は大きかった。

 元は人間の体であったのだが、筋肉が異様に膨らみ、人の体とは思えない様相を呈している。


 頭があり四肢があるものの、体の大きさは5mほどにまで大きくなっており、最早普通の人間の体とは言えないほどその男の姿は化け物染みていた。


 パワーも人間のものではなくなっている。

 ただの拳が石の壁を抉り、巨体にあるまじきスピードを出せるほどの脚力があった。


 しかし、そんな怪物も目の前の2人の人間に敵わない。


「これ終わったら何食う!? 幽水!?」

「……真面目に戦え、バカ」

「ウオオオオオオオオォォォォォッ……! 私ガ、コノ私ガ負ケルハズナインダアアアアアアアアァァァァァッ……!」


 怪物と戦っているのはギンとクラッグの2人であった。


 ここはとある貴族の屋敷の、その隠し階段から地下へと深く深く降りてきた場所だった。

 2人はとある事件を追ってこの場所に辿り着いていた。いや、別々に事件を追っていたはずなのに、また現地でばったり出会ってしまったのである。


 ここ数年、この国の各地で貴族の子供たちが消える神隠し事件が起きていた。

 地位の高い家の子供があちこちで行方不明になるのである。煙のように消息が途絶え、子供たちが姿をくらましてしまう。


 その犯人がこの貴族の家の家長であった。


 この国には、貴族の家の子は能力の長けた優秀な子になりやすいという通説がある。

 世間一般には知られていないが、それは『叡智』の力の元となった『神水』を王家の人間が飲み、その力が遺伝して子孫へと伝わった結果であった。


 王家が『神水』を飲んでから数百年の時が流れ、子孫が繁栄し、その血は広く伝播することとなった。

 遠い家系図を見れば王家の血がどこかで流れている貴族の家が増えてきた。


 高貴な家の人間が優秀な能力を持ちやすいのは、この『神水』の力が現代まで伝わっているからであった。


 そんな事情など露と知らないが、とち狂ったこの家の家長は優秀な貴族の子供たちを誘拐し、その生き血を何年にも渡って飲み続けてきた。


 狂気染みた思考、異常な執念も相まって、この家の家長は化け物のような力を持つに至った。

 戦いの際に筋肉を肥大化させ、普通の人間にはないようなパワーを引き出すことを可能にしていた。


「そういやこの近くで美味い海鮮料理屋があったな。今日はそこに行くかぁ?」

「今日は酒が飲みたい気分なんだが……」

「いや、ダメだろ、未成年」

「…………」

「グオオオオオオォォォォォォッ……! 私ヲ馬鹿ニスルナアアアアァァァァァッ……!」


 しかし、そんな化け物もギンとクラッグの2人には全く敵わない。

 薄暗くかび臭い匂いが立ち込める地下室の中、その貴族の怪物は呑気な会話を交わす2人組に良いように弄ばれていた。


「クソオオオオオオオオォォォォォォォォォォッ……!」


 化け物が雄叫びを上げながら右腕を振り、渾身の一撃を繰り出す。

 大きな拳は恐ろしいまでのスピードで空気を裂き、石造りの床を大きく粉砕する。貴族の子供達から集めた人を超える力を使った強烈な一撃であった。


 しかし、ギンとクラッグには掠りもしない。

 ギンが前に出る。右腕を突き出した化け物の懐に易々と潜り込む。


 そして、手に持つ2本の双剣を鮮やかに振った。


「悪いけど、救い難いバカまで救う気はないんでね」


 銀色に輝く双剣が怪物の首をはねる。

 子供の血を啜る醜い化け物の頭がぼとりと落ちた。


「グアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッ……!」


 怪物から断末魔が響く。

 もう既に頭と胴体は離れ離れになっている。そうであるのに口が独りでに動き、怪物は悲痛な叫び声を上げ続けていた。


「グアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ」

「うるさい」

「ガッ」


 断末魔を上げ続ける怪物の頭を、クラッグが踏み潰す。

 化け物に完全な死が訪れた。


「おーおー、悪い顔してるねぇ、幽水」

「…………」


 敵にとどめを刺したクラッグに、ギンがへらへらと近づく。


「……そうか?」

「今笑ってるぜ、お前」

「…………」


 貴族の頭を踏み潰し、クラッグは自然と口の端を吊り上げていた。


 敵の大将を倒し、捕らえられていた子供たちを救出する。

 誘拐された貴族の子供たちは地下室の牢に幽閉されていた。定期的に血を抜かれ、皆弱り、やせ細ってしまっていた。


「ふん」


 クラッグが牢の鉄格子をまるで紙のように斬り裂く。

 子供たちを縛る檻はもう何も無くなった。


「さぁ、さっさとここを出ろ。助けに来たぞ」

「…………」


 クラッグが横柄な口調で語りかけながら、子供たちのいる牢の中に足を踏み入れる。


 しかし、捕らえられていた子供たちはその場から立とうとしなかった。


「……どうした? さっさと立て。ここから出るぞ」

「……ひ、ひぃ」


 一人の子供から小さな声が漏れる。

 その吐息には恐怖がこもっていた。


 子供達は牢の隅でガタガタと震えている。足に力が入らず、床を這いながら少しでもクラッグから距離を取ろうとしている。

 お互いの体を抱き合って、震える体を寄せ合っている。


「こ、来ないで……」

「…………」

「化け物……」


 子供たちは恐怖のこもった瞳でクラッグのことを見ていた。


 先程の敵との戦闘はこの牢屋の前で行われていた。子供達はクラッグ達の戦いの一部始終を全て見ていた。


 その戦いで溢れ出ていたクラッグの殺気が、子供たちの正気に傷を与えていた。

 敵は憎く醜い非道な貴族。クラッグは嫌悪と憎しみと嗜虐心を撒き散らしながら戦っていたのだ。


 クラッグは最後に敵の頭を踏み潰した。

 笑いながら、大嫌いな貴族に制裁を与えていた。


 子供達はその姿にただ恐怖した。


「…………」


 クラッグの唇がきゅっと閉じる。

 拒絶の言葉を投げつけられ、彼の胸の内に怒りがこもり始める。


 何故そんな目で見られなければいけないのか。自分はお前たちを助けに来てやったというのに。

 そもそも、目の前にいるのは自分の嫌いな貴族の子供達だ。彼らは純粋な被害者であるものの、嫌悪する存在には違いない。


 自分にこいつらを助ける義理はあるのだろうか。


 クラッグの目に憎しみの感情が宿っていき、その目が子供たちに向けられる。


「…………」

「や、や……」


 子供達は涙を流し始める。絶望でどうしようもない感情が渦巻いていく。

 重い重い空気が牢の中に張り詰めていた。


「はいはーいっ!」


 ――そんな空気を吹き飛ばす剽軽な声が響く。

 ギンの声だった。


「はーい! 大丈夫、だいじょーぶだよー! 良い子のみんなーっ! ここにいるお兄さんはねぇ、本当はぜーんぜん怖くないお兄さんなんだからねぇー!」

「…………」

「みんなを助けてくれる正義のお兄さんなんだからねー! もう安心だよー! 悪いやつはやっつけちゃったからー! もう無事におうちに帰れるからねー!」


 ギンが子供たちに陽気な声を掛けながら、後ろからクラッグの頬をぐにぐにと引っ張る。

 クラッグは眉を顰める。


「……何をする」

「子供を前にして固過ぎんだよ。機嫌を取れとは言わねえけど、俺に任せろって」

「…………」


 いきなり気の抜けることをされ、クラッグの目の光から厳しさが抜けていく。


「…………」


 きつい視線が緩まり、子供たちの緊張が弱まっていく。

 不服そうではあるものの為すがままにされるクラッグを見て、みんなは目をぱちくりさせる。


 この場の空気がほだされていった。


「大変だったなぁ、苦しかったなぁ。でももう大丈夫だぞぉ? もう安心していいんだ。安心していいんだからな……」


 ギンが子供たちに近づいて、彼らを抱きかかえる。

 あやすように、慰めるように、逞しい両の腕でたくさんの子供たちを一気に抱きかかえる。


 張り詰めていた緊張の糸がぷつりと途切れる。

 子供たちがギンの胸に顔を埋めながら、小さく小さく泣き始めた。


「う……うぅ……」

「よしよし」

「うぅ、うぅ……」

「よしよし、よしよし……」


 ギンはただゆっくりと子供をあやし続ける。

 その光景を、クラッグは少し離れてぼんやりと眺めていた。




 地下牢を出て、屋敷の外へ。

 空は暗く、街灯の光に照らされながら彼ら一団は固まって歩く。


 ギンとクラッグはこの街の騎士団の詰め所へと向かっていた。

 子供達はこの国の各地から誘拐されてここに来ている。彼らを全員地元に送り届ける為には公的な機関を頼るのが一番良かった。


 ギンが騎士団の人間に報告と交渉を行っている間、クラッグは建物の外で一人ぽつんと立っていた。

 彼は叡智に繋がる力の回収に来たのであって、子供達の保護は目的にしていない。それに人との交渉などは苦手とするとこであった。


 一切の雑事をギンに任せ、建物から少し離れた場所、寒空の下で何もせず一人待っていた。


「ん……?」


 そうしていると、騎士団の建物の中から一人の少年が飛び出してくる。

 少しきょろきょろと首を回し、クラッグの姿を見つけるとその少年がとととと走り寄ってくる。


 僕に何の用があるのか。

 クラッグは顰め面になりながら、少しの警戒心と共にその少年を睨みつける。


「お兄ちゃん!」


 少年はクラッグの傍に駆け寄り、嬉しそうな笑みを見せる。


「これね、お礼!」

「…………」

「助けてくれてありがとねっ!」


 そう大きな声で喋りながら、クラッグに手を差し出す。

 その手には一輪の花が握られていた。


「…………」


 小さく、白い花弁の花であった。

 困惑しながらクラッグは少年の手からその花を受け取る。


 少年はにっこりと笑い、また駆け足で建物の中へと戻っていく。


「…………」


 クラッグはただ呆然と、その少年の後ろ姿を見つめていた。


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