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180話 和やかな夜

「はぁ……」


 夜の道。

 星はきらきらと空に浮かび輝いている。周囲に見える山々は全て夜の黒色に染まっており、湿った風が通り過ぎて山の木々が揺れる音が染み渡る。


 フィフィーは大きく肩を落としながら、そんな夜の道を歩いていた。


「全く、そんなため息ばっかついて。まだずきずき心が痛むのかい?」

「うん、だってさ……」


 彼女の隣で歩幅を合わせて歩いているのはリックだ。

 2人でゆっくりと夜の中を進んでいく。


「義妹の友達をさ、拷問に掛けるか掛けないかみたいな感じになっちゃったからさ。なんていうか……自己嫌悪……」

「まぁねぇ……」


 先日、ロビンの村で事件があった。

 村人が『叡智』の力についての話をしている所を偶然にも村の外部の少女、エリーに盗み聞きされてしまったのだ。


 その日、村の監視を務めていたのはフィフィーであった。

 仕事中、フィフィーは『百足』の組織の制服を着ていた。黒いフードコートを被り、昔からの伝統的な紋様を彫った仮面を付けて正体を隠す。


 その格好のまま、建物の陰に隠れながら話を聞いているエリーに背後から襲い掛かり、拘束をした。


 会ったことはないが話は聞いていたから、その子がロビンの友達のエリーという子だとフィフィーは分かっていた。


 しかし、仕事は仕事。

 怪しき行動をした人物から情報を引き出す為、千枚通しのような道具を取り出し、フィフィーは拷問の準備をし始めた。


 結局拷問はしなくて済んだ。

 村長がその場を取り持ち、事件を不問にする許可を得た。


 フィフィーは義妹の友達を拷問せずに済んだのだった。


「はぁ~~~……」


 それでも尚、フィフィーは大きなため息をつく。

 今回の一件、拷問を掛ける側の方が心に大きな傷を負っていた。


「困ったもんだねぇ。拷問の訓練も心構えも一緒にやったじゃないか」


 リックは苦笑する。

 百足は裏社会の諜報機関である。そういう事柄に対する仕事は欠かせないものだった。


 だから未遂ごときでここまで苦しそうにするフィフィーに対し、リックの胸の中ではやれやれという気持ちと心配だという気持ちが混ざり合っていた。


「……練習と本番じゃ大違い。それに相手が義妹の友達だったし。……リックもやってみれば分かるわよ」

「ボクはこの前拷問やったよ。流石に幼馴染の友達とか、そういう状況じゃなかったけどさ」


 そう語るリックの顔を、フィフィーがぎょっとした目で見る。


「……マジ?」

「まじ」

「え……? 楽勝だった?」

「流石に気分がいいものじゃなかったよ。でも、今のフィフィーと比べたら全くもって平気な方だったよ」

「…………」


 それを聞いて、またフィフィーががっくりと肩を落とす。

 自分は心が弱いのだろうか? 彼女がそう考えていることは幼馴染のリックには筒抜けであった。


「フィフィーは人一倍優しいだけなんだよ。ボクやクラッグと違って。だから気に病むことなんてないさ」

「でも……」

「表社会の仕事の方に行ったらどうだい? そっちの方がフィフィーの性に合ってるんじゃないかな? それだって、組織全体に大きく貢献できる」

「…………」


 百足は裏社会の組織であるが、当然表社会の中で行う仕事もたくさんあった。

 例外的な扱いではあるものの、裏の仕事から表の仕事に移行する者もいる。リックはそれを勧めていた。


「……いや、この仕事頑張る」


 しかし、フィフィーの返事は否定であった。

 彼女の水色の髪が揺れる。


「前団長の孫娘だからって特別扱いなんかして貰えない。うちはここで頑張る。それだけ」

「…………」


 フィフィーの目には覚悟が見える。

 しかし、それは我慢する者の目であった。


 リックにはそれが悲しかった。


「……まぁ、すぐに否定しないで、ゆっくり考えてみてよ」

「考えは変わらないだろうけど……うん、分かった」


 そう言って、2人はそのままゆっくり夜道を歩き続けた。


 しんしんと夜が更ける中、目的地に向かって足を進める。

 空気は冷たく、体が冷える。地面は舗装されてなく、大小の石があちこちに散らばり若干歩きにくい。


 周囲は真っ暗だ。何もかもが黒色に塗り潰され、輝くのは遥か彼方の空に浮かぶ星ばかりである。


 そんな夜の中を歩き続け、2人は家に辿り着いた。

 そこに、自分たちを待っている者がいた。


「あれっ!? リックに姉ちゃん!? お帰りなさいっ……!」

「やっほー! ロビンー! 我が妹よー!」


 家の扉の鍵を開けて中に入ると、ロビンがとととと駆け寄って2人を出迎えた。

 ここはロビンの家であった。


「今日帰ってくるとは思わなかったよ!」

「最近は時間が作りやすくなってるからねー。帰って来易いのさー」

「姉ちゃん、苦しい……!」


 フィフィーが自分の妹をぎゅっと抱きしめる。

 流石のロビンも迷惑そうに顔を歪めた。


「あら、フィフィーにリック君。おかえりなさい」

「おかえり、フィフィー、リック君」

「うん、ただいま、お母さん、お父さん」

「お邪魔します」


 出迎えてくれた母と父に返事をし、フィフィーは家の中へと入っていく。

 フィフィーとリックは里帰りをしていたのだった。


 今、フィフィーはこの村から比較的近い場所の拠点で働いている。

 優秀とは言っても彼女たちはまだ11歳。精神衛生上のことを考えて、地元から近い場所を勤務地としていた。


 そのおかげで、こうして自分の家に帰る機会を増やすことが出来ていた。

 百足の事情など全く分かっていないが、甘えたい盛りのロビンも大変喜んでいる。


 この村に近い拠点で働いている為、この村の護衛・監視の仕事がフィフィーに回ってくる時もある。

 その時は百足の衣装に身を包む為、知り合いにも顔を合わすことが許されない。その仕事の最中にエリーとの一悶着があったりもした。


 ただ仕事を終えた後の夜、自由時間内であれば帰宅が許されていた。


 ちなみにリックは現在、全然違う場所に勤めている。

 時間を作り、ロビンに会いに行くのは彼の方がよっぽど大変だった。


「でねでね、兄ちゃんがこの前帰ってきてね、このお菓子をお土産に置いていってくれたの!」


 夕飯を食べ終わった後、2人はロビンとゆったり駄弁る。

 床に敷物を敷き、寝そべって完全に力を抜いていた。


「まさか……あのバカ兄がそんな気を使えるなんて……。近い内に槍でも降るんじゃないかしら?」

「しかもこのお菓子、おいしい……。栄養を取れればなんでもいいって言うクラッグが街のおいしいお菓子を知ってるなんて……、バカな……」


 クラッグが置いていったというお菓子を口にしながら、フィフィーとリックが驚く。

 飴玉のお土産に続き、彼は帰ってきた時にまた新しいお菓子をお土産として持ってきていた。

 その時ついでに巨大なイノシシを狩ったりもしている。


「いや、これはバカ兄のセレクションじゃないんじゃない? 誰かアドバイサーが付いたとか……」

「えー? でも、あのクラッグがそんな人の言うこと聞いたりする?」

「うーん、それもそうかぁ……」


 クラッグがお菓子を持ってくるだけで驚いている。

 2人は若干失礼だった。


「僕もびっくり」


 しかし、ロビンも賛同している。

 兄に辛辣な妹たちや幼馴染であった。


「でも兄ちゃんのお土産は皆に大人気だよ! ビーダーやシータにディーズ……それにエリーも喜んでるんだから!」

「クラッグのお土産が子供たちを喜ばせるなんて……」

「みんなの親分として僕も鼻が高いよ!」


 ロビンが自慢げに胸を張る。


 彼女は村の友達に自分のことを『親分』と呼ばせていた。

 ロビンは女の子であるにも関わらず、常日頃から男らしく強くありたいと思っている。


 髪を短くして帽子まで被って少年っぽい格好をしており、兄の真似して自分のことを『僕』と呼んでいる。


 だから村の年下の子から『お姉ちゃん』と呼ばれるのがあまりしっくりきていなかった。女の子扱いされると怒ったりもした。

 代わりに皆には自分のことを『親分』と呼ばせている。


 ガキ大将ロビンは村の子供たちの『親分』であった。


「んー……」


 その事に対し、フィフィーは頭の中にある疑念が湧いた。

 眉に小さなしわを寄せ、難しい顔になる。


「ねぇねぇ、ロビン」

「なぁに?」

「もしかしてあなた、そのエリーって子に男の子だと思われてるんじゃないの?」

「んん?」


 フィフィーの問いかけに、ロビンはお菓子を頬張りながら考える。


 男らしくなりたい故、彼女は自分のことを女であると宣言した覚えはない。村の友達にも男扱いするように言っている。

 そして裏では、ロビンの正体を分かり辛くしたいという百足の思惑も乗っかっている。


 だから、村の外から遊びに来たエリーがロビンの本当の性別に気付く要因があまりなくなってしまっていた。

 性別への誤解があったからといって、その誤解を解く機会がほとんどない状態であった。


「うーん……確かにそうかもしれないね」

「そうって……」


 お菓子を飲み込んで、何でもない様にそう言うロビンに対し、フィフィーは呆れる。


「ロビンはそれでいいの?」

「いいの。僕は男らしくかっこいい冒険者になりたいんだから」

「おいおい……」

「それに、男だと思ってるんだとしたら、いつかエリーのびっくりする顔が見れるわけでしょ? そう思うと面白いしね!」


 ロビンが意地の悪い笑みを浮かべる。


「性格が悪い」

「将来が心配よ……」


 彼女のその笑顔を見て、複雑な心境になる2人であった。


「そんなことより僕は早くエリーに皆を紹介したいよ。兄ちゃんとか、姉ちゃんのこととかリックのこととか」

「そ、そうね……」


 エリーは前々からそう言っている。

 自分の家族や幼馴染を新しく出来た友達に紹介したいと言い続けている。


 しかし、その言葉にフィフィーの頬が小さく引きつった。

 自分は先日、そのエリーに対して拷問を仕掛けようとしたのだ。


 仕事だから仕方ないとはいえ、胸がチクリと痛む。


「早く皆で一緒に遊べるといいね」

「…………」

「前にエリーとも話したんだけどさ……」


 ロビンが無邪気な笑みを見せながら喋る。


「兄ちゃんや皆だけじゃなくてさ、エリーのお兄ちゃん達も一緒に集まってさ、皆で一緒に遊べるといいなぁ……」

「…………」


 頬を緩ませながらそう語るエリーに対し、リックとフィフィーは少し困ったような表情を浮かべる。

 自分たちは裏社会の人間だ。一体どれほど表の世界で生きる人たちと交流が出来るのだろうか?


「……そうだね」


 そう思いながら、フィフィーはただ相槌を打った。


「……でも、もしそういう機会があったとしてもバカ兄は紹介しない方がいいんじゃないかな? 相手を不快にさせるだけかも?」

「えー?」


 相変わらず失礼な義妹であった。


「でもエリーは兄ちゃんに会ってみたいって言ってたよ?」

「うっそ」

「趣味が悪い」

「やめた方がいいって、エリーちゃんに言っておいて?」

「えー」


 本人のいないところで好き勝手言いながら、和やかな夜が更けていくのであった。


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