178話 喜悦
「…………」
「…………」
アルフレードとニコラウスの視線が交錯する。
それはたった数瞬の事だった。
短い時間、お互いの様子を軽く観察し合っている。
しかし、そこには確かに底冷えするかのような緊張感が張り詰めていた。
アルフレードは兄の事を疑っていた。
いつも愚鈍な行動ばかりを繰り返すニコラウスであったが、そんな彼に裏の顔があるのではないか、そうアルフレードは疑っていた。
「…………」
「…………」
部屋の中は奇妙にしんと静まり返っている。
先に動きを見せたのはニコラウスの方であった。
表情を崩し、困ったように頭の後ろを手で掻き始める。
「も、もも、もしかしてバレてるのかな……?」
「…………」
「あの城に最近新しく出来た愛人がいることを……?」
そう言うニコラウスは間抜けそのものだった。
ブロムチャルドの建設中の城に何度も視察を繰り返すニコラウス。その行動に何か特別な事情があるのか、アルフレードは探りを入れてみたのだが、返ってきた答えがそれであった。
アルフレードは努めて冷静に、小さく息を吐いた。
「……そういう話も聞いたね」
「いやぁ! 困ったなぁっ! これは秘密だったのになぁっ……! 最近、つ、妻たちが僕を軽蔑しているようでね! 愛人を増やす時はなるべくバレない様にしたいと思っているんだけど……! そっかー! 困ったなー!」
ニコラウスはうーん、うーんと唸りながら苦しそうにしている。
まさしく遊びがバレて困り果てるバカ王子の姿そのものだ。
アルフレードの調査によれば、確かにその城にニコラウスと肉体関係を持つ女性が存在する。
しかし彼からすると、それは本当に大事な秘密を隠すための隠れ蓑に見えた。
「ね、ねぇ、アル……? そ、それ、僕の妻たちには言わないでくれないかい……? そ、その……また怒られちゃうんでね? そ、そうだ! アル? 何が欲しい……? 今、何が欲しかったりする……?」
「…………」
「そうだっ! じょ、女性でも紹介しようか? アル? アルももう17歳! 妻の1人や2人いないとね!」
「い、いや、結婚はまだいいかな……。もうちょっと自由でいたいし……」
アルフレードは兄の事を疑っている。
兄の人間性、根っこの根の部分から全てに疑問を抱いている。愚鈍な兄から、何か底知れぬ闇の匂いを感じ取っている。
ブロムチャルドの建設中の城は妹のイリスティナに視察に行かせた場所であった。
アルフレードは妹に何も知らせず、その場に送り込んでいる。
彼は何も知らない者からの純粋な視点の意見が欲しかったのだ。
結果として、そこでイリスは視察関係なく新しい友達を造りに夢中になり、アルフレードの欲している情報は得られていないのだが、元々広い視野を持って貰いたいという思惑もあって送り出したから良しとしている。
そういう風に多角的な視点でアルフレードはニコラウスを調査していた。
「結婚したくないのかー。うーん……じゃあ都合の良い女性の方がいいのかぁ……。遊びまくってもぽいと捨てられる女性がいいってことだよね? 分かった。何人か用意しておくよ」
「違う、違う。兄様、そういうのいいから。その発言最低だよ?」
「えぇっ……? そ、そうかなぁ……?」
しかし、兄に上手く躱されているような気がしている。
揺さぶりをかけても兄はいつもの愚かな姿のままだし、ボロが出ない。
そもそも、アルフレードが兄の事を疑っているのは小さな直感からである。
行動の端々に気になるものがあれども、明確な証拠は未だない。
自分の疑心は間違っているのか?
確固としたものはなく、不安定な状態で彼は揺れていた。
「兄様。俺は女性が欲しいんじゃなくてね……」
アルフレードは席を立ち、兄の耳に顔を寄せる。
ひそひそ話をするように声を絞って喋る。
「ブロムチャルドの城に何か上手い話が転がってるんじゃないかって思ってるんだ。その話に俺もかませて欲しいんだよ」
「…………」
「金が欲しくてね。たくさんの金が。何か、困っていることがあったら何でも言って欲しいんだ。兄様のフォロー、何だってするよ?」
悪事に手を染めてでも、ということを言外に匂わす。
「大丈夫。俺はどこまでもどこまでも兄様の味方だよ」
味方を装い、兄に近づく。
金に目が眩んでいる振りをし、悪事も厭わないことを仄めかし、兄の言葉を待つ。
「…………」
「…………」
至近距離で2人の視線が交錯する。
アルフレードにはどうしても彼の瞳の奥に何か深い闇を感じている。
そしてニコラウスが動きを見せる。
ぽかんとした表情で、頭をポリポリと掻いていた。
「えぇっと……? 僕の愛人を抱かせてくれってことなのかな……?」
「…………」
ニコラウスは最後までとぼけたままだった。
兄とのお茶会が終わり、アルフレードは一人部屋で考え事をしていた。
ニコラウス兄様の持つ隠し事は一体何なのだろうか。
いや、そもそもその自分の勘はちゃんと当たっているのだろうか?
アルフレードがギンと名を騙り、冒険者として活動しているのは兄の事を探るのも理由の一つであった。
詳しく詳しく調査してみると、確かにどこかほんの少し怪しい点が浮かび上がってきたりする。
しかしアルフレードには確信が無い。
本当に自分の感覚は正しいのだろうか、と疑問に思いながら行動をしている。
兄が持っているかもしれない裏の顔には自分以外、家族ですら誰も気付いていない。
あの察しの良い父が兄の姿の片鱗すら掴めていない。
父は自分を特に秀でたところのない普通の王様と評価しているが、父の人を見る目は素晴らしいとアルフレードはいつも思っている。
そもそも、人生の大半、十数年以上凡愚を演じ続けることは可能なのだろうか?
当然だが、アルフレードは生まれてずっとニコラウスの姿を見ている。父や母はそれよりももっと長い。
だが、ニコラウスはずっと愚か者だ。
学校で優秀な成績を取ったとか、何か良い功績を残したとか、何かに秀でていた時期がほとんどない。
「…………」
部屋で一人、アルフレードは悩む。
しかし、歩みを止めることは出来ない。
もし、万が一、今までの彼が全て嘘で塗り固められたものなのだとしたら。
そう考えただけでアルフレードは身の内からぞっとするものを感じた。
それだけの嘘の内側にあるものが、大したことのないものである筈がない。
きっとそれは、世界中を闇で包み込んでしまえるようなものである筈で……。
「…………」
アルフレードは自分で紅茶を淹れ直し、それを一気に飲み込んだ。
熱々の紅茶が喉に強い刺激を与える。
もし、兄が何かを企んでいるのだとしたら、
自分が止める。
そう強い決心を胸の内で固める。
アルフレードの瞳の内側には炎が宿っていた。
* * * * *
ニコラウスは自室で一人、ベッドに腰掛け身を縮めていた。
「ふふっ……、ふふふふふっ……」
声を潜めて、気配が外に漏れ出ないよう自分を抑えているが、体の内側から漏れ出る笑い声を止めることが出来ない。
薄暗い部屋の中で一人、彼はただじっと笑いを堪えていた。
「ふふふっ……、ははは、はははははっ……」
彼の身の内に迸るのは歓喜の渦だ。
自分の存在が疑われている。
自分の本質を暴こうとする者がいる。
明確な敵がいる。
それが至上の喜びでなくて何だというのか。
自分と競い合おうとする者がいる。
それだけでニコラウスは踊りだしてしまいそうな程、喜悦の感情が身の内で迸っていた。
「あははっ……、あはははははっ……」
本当は大声を上げて叫び出したい。
しかし、ここは城内。彼はただ声を押し殺し、じっと自らの狂喜に耐える。
「ふふふふふ……、ふふふ……」
もっともっと工夫をして行動をしなければいけないなぁ。
部屋の隅で一人、ニコラウスは狂いそうなほどの喜びの感情に身を痺れさせていた。




