176話 飴玉
「ロビン……?」
「ん? あぁ……」
不穏な空気を漂わせながら、クラッグが呟く。
ここはとある飲み屋。クラッグとギンが料理をつまみながら喋っている途中で、急にクラッグの体に緊張が走った。
「妹が旅先で出会った子の名前だが……それがどうかしたか?」
「…………」
彼の変化の理由がギンには分からない。
目をぱちくりさせながら、クラッグに聞き返す。
クラッグは眉を顰めながら、口に手を当てて何かを考えている。
そして質問をする。
「……お前の妹の名前は?」
「イリ……いや、エリーって言うんだけど?」
「……っ!」
クラッグの体が目に見えて強張る。驚き、目は見開かれ、口が少し開かれたまま、ただギンの顔をじっと見ている。
「な、なんだぁ? なんなんだよ……?」
その変調に、ギンがたじろぐ。椅子をずりずりと下げながら少しだけ下がる。
やがてクラッグの表情が引き締まり、ギンを鋭い目つきで睨むようになった。
「お前……分かってて話しているんだな……?」
「……?」
探る様にクラッグがギンに語り掛ける。
その声に、少しの殺気も込められていた。
しかし、ギンはぽかんとしたまんまである。
「……?」
「……?」
「……?」
なんだかおかしな空気が流れ始める。
お互いが首を傾げる。なにか話が噛み合わないといった感覚を感じとる。
2人の頭の上にたくさんのハテナマークが飛ぶ。
やがて、ギンが疑問を口にする。
「……幽水、お前、エリーって名前に何か心当たりでもあるのか?」
「…………」
「んんー……?」
クラッグは答えない。しかし、額に汗が滲み始めていた。
ギンは考える。
「……もしかして……もしかしてだが……そのロビンって、お前の知り合い?」
その瞬間。
ひゅっとナイフが走った。
クラッグが腰から短いナイフを抜き、目に留まらぬ速さでギンの首元に押し当てる。
薄皮一枚を裂き、そこでナイフが止まる。
ギンの首から一筋の血が垂れる。
「……探っていたのか?」
「ま、ままま、待て待て待て待てっ! 落ち着いて、落ち着いて話し合おう!」
ギンは体の動きを止めながら、クラッグの説得を試みる。
ナイフは小さく、ギンの体で周囲には見えないような位置を取っている。そのせいで騒ぎは起きず、飲み屋の中は先程から何も変わらず陽気な声が響いている。
「え……!? マ、マジ!? マジなの!? マジでそのロビンって子はクラッグの知っている子なの……!?」
「とぼけるな。僕の妹を探るためにそのエリーって子を送り込んだんだろ?」
「誤解っ! 誤解誤解誤解っ! いや、マジで俺もめっちゃ驚いてるからっ……!」
「…………」
ギンの様子に流石のクラッグも戸惑う。
ギンは本当に慌てているように見える。本気で彼の言う通り誤解で、ただの偶然なのだろうか?
ただ、ギンが嘘をついているのだとしたらあまりにも拙い。
目の前の男は馬鹿に見えるが、流石にこんなミスはしないだろう。隠しておきたいのならロビンとエリーの名前は出さないだろう。
クラッグはそう考える。
「…………」
「…………」
両者の間で明確な答えが出ず、そのまま数秒固まった。
「お待たせしましたー。注文のエールです」
「ちっ」
状況を変えたのは、先程注文した酒を持ってきた店員であった。
この状況を誰かに見つかって騒ぎでも起きたら面倒なので、クラッグは店員に見つからない様にナイフを引っ込めた。
「ふ~~~……」
解放されたギンは大きく息を吐き、背もたれに深く体重をかける。
クラッグは苦々し気な表情になった。
「ちっ……、こんなことになるなんてな……」
「いやぁ、流石に俺もびっくりだ。言っとくけど、マジで偶然だからな?」
「ふん」
クラッグは鼻息を鳴らし、不快感を表す。
しかし、彼もこれは偶然なのだろうという意見に考えが傾いていた。あまりに突拍子が無さ過ぎる。
「いやー、こんなこともあるんだな。俺の妹とお前の妹が全く別の場所で友達になってるなんて……あれ? ロビンって子は男の子だって聞いていたんだが……? もしかして、性別偽ってる?」
「……くそ」
先程のやり取りの中でギンは一つの真実に行き着いてしまった。
クラッグの口が滑ったのもあるが、先程までどちらも混乱中だった。
クラッグは仕方がなかったと諦める。
「はーん、女の子に男装をさせる程隠しておきたい何かか。いや、お前の妹さんってだけで、多分とんでもない存在なんだろうなぁ」
「ギン」
クラッグの冷たい声が響く。
「今回の一件、偶然という事で許そう。しかしこれから先、ほんの僅かでも僕の妹を探るような行動に出た場合、殺す。お前も、エリーって子も、お前らに繋がる全てを探り出し、皆殺しにしてやるから、覚悟しろ」
「かしこまりましたっ! 絶対に探るような真似は致しませんっ!」
ギンがきびきびと敬礼をし、クラッグの命令に服従する様子を見せる。
ギンの実力ではクラッグに敵わない。だから、すぐ近くにとっても重要な何かの秘密が眠っていると分かっていても、それを探る訳にはいかなかった。
そもそも、その情報がギンにとって必要なものかすら分からない。
ギンはクラッグの言う事を聞いた。
「しかし、まー、おっどろいたなぁー。世界って狭いなぁー」
「はぁ……」
ギンが気の抜けた声を出し、クラッグは深いため息をつく。
「まぁ、どちらにせよ、妹のエリーがお世話になっているようで。どうもどうも」
「別に僕が世話をしている訳じゃない」
「固いやっちゃなー。幽水にもエリーを紹介しようか? 堅物同士、気が合うかもよ?」
「いらん」
「ちぇー」
ギンがつまらなそうに口を尖らしながら、酒を口にする。
「釘を刺しておくぞ。僕の妹を探る真似をするな。村やその周辺の人間関係、何か調べるような怪しい動きがあったら地の果てまで追いかけても殺す。覚悟しろ」
「分かった分かった。負けると分かってる勝負をするほど馬鹿じゃねえ。約束を守ろう」
「ふん」
話をつけ、クラッグは自分のジュースを少し飲む。
飲みながら、考える。
「…………」
何故今ここでこの男を殺してしまわないのか。
多少無茶をしてでも息の根を止めておいた方が良いのではないか?
ただそうすると言うのなら、目の前のギンを殺すだけでは片手落ちだ。奴の妹のエリーという子も殺さないといけなくなるだろう。
しかし、エリーという子はロビンが今親しくしている友達だ。彼女を殺せばロビンが悲しむだろう。
そうだ。だから僕は目の前の男を殺さないんだ。
クラッグは自分にそう納得する。
「…………」
そう考え、自分がもうなんとなくギンを殺したくなくなっている、という思いに気付かないふりをした。
「あぁ、そうだそうだ。相談事の続きなんだが……」
「相談事?」
きょとんとするクラッグの顔を見て、ギンが呆れたような表情になった。
「おいおい、この飲み会を開いた大目的だろうがよぉ。お前、妹さんとケンカしたのを何とかして欲しいって話じゃんか」
「あ、あぁ……」
そういえばそうだった、とクラッグが思い出す。
衝撃的な事実が明らかになって、その事を忘れかけていた。
「しかし、それは僕の性根が変わらない限り無理だ、という話だっただろう?」
「無理だ、なんて言ってねえよ。ま、お前が丸くなるのが一番なんだろうけどさ」
「…………」
ギンがにやっと笑う。
「ケンカした時の仲直りにはなぁ……やっぱプレゼントが一番さ!」
「…………」
その言葉を聞き、クラッグの眉に皺が寄る。
「そんな物で釣るような……」
「おいおいおい、物で釣るなんて捻くれた言い方はよせよ。プレゼントはシンプルにて絶大! 仲直りの為の最強のアクションだぜ?」
「そう、なのか……?」
「基本を抑えずに捻くれた考えしてっから色々と拗れるんだよ。ほら、そうと決まればさっそく行動! プレゼント選びに行くぞー! お前に任せると、なんか妙なもん選びそうだからなぁ」
そう言って、ギンは早速席を立つ。
「ちょ、お、おい……?」
ギンがクラッグの腕を引っ張る。
狼狽えるクラッグを無視しながらギンがずんずんと足を進める。
会計をこなし、この店を出て、颯爽と町に繰り出しプレゼントを探しに行くのであった。
* * * * *
「…………」
クラッグは微妙な顔をしながらぽつんとその場に突っ立っていた。
ここは村の入り口の手前。
クラッグは自分の村に帰ってきていた。
前に村を発ってから、まだ一か月も経っていない。そのことに気まずさを覚える。
ギンがこういうのは早い方がいい、さっさと帰れ、さっさと帰って会いに行け、と急かしてきたのだ。
プレゼントをずっと持ち歩くのも荷物になって面倒だし、と自分で自分を納得させて、クラッグは地元に帰ってきていた。
「…………」
しかし、気が進まない。
村の入り口に立ち尽くし、足が前に進まない。
どんな強敵を前にしても、こんなに腰が引けるのは初めてだった。
「あれ? 兄ちゃん……?」
「…………」
そうやって立ち尽くしていると、村の中からロビンに見つかってしまう。友達と遊んでいるようで、村中を元気に駆けずり回りながら兄の存在に気付いたようだった。
ロビンと村の子供たちがとととと近づいてくる。
「兄ちゃん、帰ってきたの? 前の時からすごく早い! ……どうしたの?」
「……まぁな」
「…………」
「…………」
2人の間に微妙な空気が流れる。
最後がケンカ別れだった為、お互い何を話したらいいか分からなくなる。ロビンが少し指をもじもじとさせる。
「…………」
クラッグが周囲を見渡す。ロビンの周りにいるのは見慣れた村の子供ばかり。
エリーという子は今日いないようだった。
「……これ」
「え?」
クラッグは荷物の中からとあるものを取り出し、ロビンに手渡した。
「お土産だ。みんなで食え」
「え、えぇっと……?」
それは大きな包みであった。
不愛想な兄からの贈り物に、ロビンは困惑する。
困惑しながらその包みを開ける。周りの友達が顔を寄せ、その袋の中身を覗き込んでくる。
「あっ……!」
「…………」
「飴玉だっ!」
それを見たとき、皆の顔がぱぁっと輝いた。
その包みに入っているのはたくさんの飴玉だった。
安価であるけどちょうどよく甘く美味しいもので、数が多く入っているものだった。
辺境の村にとって甘味はとても貴重なものだ。
何か残る物もいいけど、10歳の子だったらお菓子の方が喜ばれるか? と、いろいろ考えながらギンが選んだものだった。
子供たちが飴玉を前にうずうずとしている。
「……食べていい?」
「あぁ」
「やったー!」
子供たちが我先に我先にと袋の中に手を伸ばす。大渋滞の様子を見せながら、皆が飴玉を手に取ってそれを食べる。
子供たちの顔がとろんと蕩ける。
「兄ちゃん、ありがとう!」
「あぁ……」
どうやらプレゼントは成功したようだ。クラッグはそれを悟る。
「……ロビン」
「なに!? 兄ちゃん!?」
輝いた笑顔のままロビンが兄の顔を見る。
「…………」
クラッグは少し息を呑んだ。緊張をしている。
手を握りこぶしの形に変え、ぎゅっと握った。
「こ、この前は……すまなかった……」
「…………」
ロビンの目が丸くなる。
クラッグは恥ずかしくなって彼女から目を背けた。頬が少し赤くなっている。
「……ううん。僕の方こそ、ごめんね?」
「…………」
そう言ってロビンも気恥ずかしくなったのか、兄に背を向けて飴玉の事を友達と話し合う。
もう一個食べちゃおうよ、まだまだたくさんあるんだし、と賑やかに話している。
「…………」
クラッグはそんな妹の様子をぼうっと見ていた。
「……ふぅ」
そして小さな溜息を吐く。
緊張した。笑える程に緊張してしまった。
戦いのときよりもずっとずっと気を張ってしまった。
「…………」
不思議な脱力感を覚えながら、クラッグはやっと村の中に足を踏み入れる。
癪だが……とっても癪だが、あのバカに感謝しなきゃなと思いながら、クラッグは妹たちの背をゆっくりと追うのだった。




