175話 二人の妹たち
「はーん、なるほどねぇ……」
「…………」
ギンが目の前の皿からつまみの豆を取り、そう呟く。
ここはとある飲み屋である。
酒で顔を赤くしたお客たちがガヤガヤと陽気な大声を発している。
その店の片隅で、クラッグとギンが話を交わしていた。
「それは単純な問題のようで、根の深い話でもあるなぁ……」
「…………」
話の内容はクラッグの悩み相談だ。
先日妹と喧嘩した内容を語り、ギンにアドバイスを貰おうとしている。
いや、クラッグは元々誰にもその話をするつもりがなかった。
しかしギンがひたすらしつこかったのと、確かに彼の言う通り自分では解決出来ない問題であったから、飲み屋の片隅でこうしてお悩み相談が開かれている。
なんで僕はこんなことをしているんだ。
自分で自分に疑問を持ちながら、酒の代わりに用意されたジュースをちびちびと呷った。
「内容はただの兄妹ゲンカなんだよ。しかも、軽めの。ただお前の殺気が強過ぎて、それが少しでも漏れれば大惨事になっちまう。最悪、人が死ぬ」
「…………」
先日のクラッグとロビンのケンカは単純なものだった。
自分の事を構ってくれないとロビンが兄に不満を言い、悪口を言った。その悪口にクラッグが苛立ち、怒りが漏れてしまった。
その漏れた怒りが問題だった。
クラッグは圧倒的な実力を持っており、その殺気は人を殺しうる。ほんの少し漏れた殺気が妹の心をズタズタに傷つけてしまった。
ギンは話を頭の中で整理しながら、目の前の皿に並んだ肉を食む。
「ふむふむ……まず根本的なところからの確認なんだが……もっとたくさん村に帰って妹さんに構ってやれないのか? 妹さんの不満の原因はそこだろ?」
「……僕にはやらなければいけないことがある。それは、最後には妹の為になることなんだ」
「ま、『叡智』の力の回収なんて並大抵の人間に出来る事じゃないからなぁ。お前にしかできない仕事だってことは分かる」
「…………」
ギンが椅子の背もたれに体重を掛けながら、両腕を組んでうーんと唸る。
「…………」
クラッグがちらと目線を上げ、ギンの顔を見る。
自分の言う事を否定されず、少しの理解を示してくれた。
そのことに、なんだかちょっと、ほっとしていた。
「うーん……? しかしだ、俺はムカついたことがあったからって、自分から発する殺気はコントロール出来る。俺だってかなり実力はある方だが、幽水の言うような惨事は起こしたことねぇぞ? 幽水の実力なら殺気ぐらいコントロールできるんじゃないか?」
「…………」
高い実力を持つ者は大体自分の殺気をコントロールすることが出来る。
もしそうでなければ、世界に一般的にいるS級の実力者たちでさえクラッグと同じような問題をたくさん起こしてしまっているだろう。
何故このような問題がクラッグに起こるのか、何故自分の殺気をコントロール出来なかったのか、それがギンには不思議だった。
「それは……」
クラッグが小さな声で語り出す。
「僕という存在が、根本的に怒りを感じやすく出来ているからだ……」
「…………」
「憎しみ、恨みに似た感情が自分の力の核となっている。呪いに似た感情が溢れ出しやすい。そういう風に出来ている……」
飲み屋の中は様々な人たちの喧騒で賑わっている。
しかし、この2人の周りだけに少し静かな空気が流れだした。
「力の核?」
「…………」
問いかけるようなギンの言葉を無視し、クラッグはジュースを呷る。
これ以上喋るつもりはない、少し口が過ぎた、と言うかのような仕草だった。
「穏やかになれれば……明るい性格になれれば、殺気が漏れ出すこともないのかもしれないな」
クラッグが言う。
「でも、僕は嫌いだ。人が、他人が嫌いだ。子供も、大人も、男も、女も、貴族も、王族も……話し相手になってくれる幼馴染も、優しく自分たちを受け入れてくれてる養父も、どこまでも呑気で温かい村の人たちも、全部嫌いだ」
「…………」
「嫌いだ。お前も、自分も……」
彼の目がギンの瞳を捉える。
その目はどこまでも黒く深く染まっており、彼の冷たい感情が濃く、鈍く、溢れ出るかのようであった。
「……自分自身も、嫌いなのか?」
「嫌いだ」
ギンの問いかけにクラッグは即応する。
「世界で一番、僕が僕を嫌っている」
「…………」
そう言って、俯いた。
沈黙が過ぎる。
ギンは自分の酒のコップを手に取って、勢いよく呑み込んだ。彼の喉がぐびりぐびりと良い音を鳴らす。
そして沈黙を吹き飛ばすかのように、ぷはぁーっ! と豪快な声を上げた。
「……思春期特有のダークな感じに憧れる少年のような感傷だ。いいぞ、年相応だ」
「……黙れよ」
「なはははははっ……!」
ギンが笑い、クラッグが眉を顰める。
そしてギンがコップをテーブルの上に置いた。
「自分が嫌いなら、変わればいい」
「…………」
ギンがクラッグの深く黒い目を見て語る。
「お前がどんな力の核を持っているのか分からんから、あんまり責任あることは言えないんだが、自分が嫌いなら嫌いな自分を変えればいい。短気な自分が嫌いなら優しくなればいいし、暗い自分が嫌いなら明るくなればいい」
「はん」
ギンの言葉をクラッグが鼻で笑う。
「まるで三流の小説の言葉だな。人がそう簡単に変われるものか。耳触りの良い言葉を並べて何かを言った気になるのなら、お前もその程度の人間……」
「違う」
嘲るような口調のクラッグの言葉をギンが遮る。
クラッグの体が少し震える。彼の表情は真剣だった。
ただ真剣に、ギンはクラッグを見ていた。
「簡単、だとは言っていない。人は変われる。本気で、一生懸命死ぬ気で頑張れば人は変われる。耳触りの良い言葉を述べたつもりはない。自分が嫌いなのならば、お前は本当に本気で、自分が変わる為の努力をするべきだと俺は思う」
「…………」
ギンはクラッグから目を逸らさない。
クラッグの目には深い闇がこもっており、見る者を震えさせるような色を湛えているが、それでもギンは真剣な表情で彼の目を見続ける。
「お前が妹さんを大切に思い、傷つけたくないというのなら、お前は自分を変えるべきだと思う。いいか、何度でも言う。人は変われる。一生懸命、死ぬ気でやるんだ。自分の為に。自分の大切な者の為に」
「…………」
彼の瞳はまるで相手の全てを見透かしてしまうかのような澄んだ目であった。
目を逸らしたのはクラッグの方だった。
「俺はお前が怠慢だと言っているぞ」
「…………」
クラッグは何も言葉を返すことが出来なかった。
ギンは目の前の豆をぽりぽりと食べる。傍を通りかかった店員に追加の酒を注文する。
「俺にも困った妹がいてさぁ……」
「……?」
急な話題転換に、クラッグがふと顔を上げる。
ギンは参ったかのように、しかしどこか楽しそうに語り始める。
「とっても高飛車なやつでさ、能力とか素質とかそういうものは高いんだけど、傲岸不遜の困ったちゃんなんだよ。兄としては心配なのさ。あいつ、友達少ないしさ」
「別にお前の妹になんか興味はないが?」
「おめーもつめてーヤローだなぁ。もしかしてうちの妹と似てる? ……いやぁ、ちょっと違うなぁ」
「なんなんだよ」
「まぁ、聞けって。つまり、俺も妹に変わって欲しいんだよ。もっと広い視点で周りを見てさ、なんつーか、人に優しく出来る子になって欲しい訳よ」
先程の少し張り詰めた空気が緩まる。
「そう思って最近旅に出したんだ。妹をさ。そしたら最近良い友達が出来たって報告貰ってさ。兄さんは嬉しいのさ。やっぱ友達って大事なんだって思うよ。ほんのちょっとのきっかけで明るくなってきてるんだとさ」
「……僕にも友達を作って変われと言っているのか?」
「きっかけは何でもいいんじゃね? ま、雑談みたいなもんだよ。ちょっと話題が似てたから喋っただけ」
何でもないかのようにギンは料理を口の中に放り込む。
もぐもぐと咀嚼する。
「お前も変われるといいな。自分を変えてしまうような、何か特別なことがあればいい」
「…………」
「人生のお兄さんとしてそう思うよ、心から」
彼の言葉を聞き、クラッグは俯いて黙ってしまった。
自分を変えるべき、そう言われ、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。
確かにクラッグは自分を変えようと努力をしたことが無かった。
何故なら、自分自身に対して希望なんて持っていなかったから。
そのことを怠慢だと指摘され、クラッグは静かに目を閉じた。
一方ギンは気軽に飲み屋の飯を美味そうに食らう。
「んぐんぐ……しかし、兄さんとしてはやっぱちょっと嫉妬するかな。あんなに堅物な妹がころりと変わり始めちゃうなんてさ。よっぽど気が合うんだろうな。そのロビンって子とさ」
「ん……?」
瞬間、その場の空気が少し緊張した。
クラッグがはっとした様子でギンの顔を見る。
ギンの口の中にはまだ少し料理が残っているようで、小さく咀嚼を繰り返している。急に彼が目を合わせてきて、少し目を丸くしている。
「…………」
「……?」
クラッグは何か驚いたような表情を見せている。
その意味が分からず、ギンはきょとんとしている。
呆然とした空気が漂う。
今、何かが交わろうとしていた。
『中二病』って言葉使うの違和感あったから『思春期特有のダークな感じに憧れる少年のような感傷』って表現してみた。




