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172話 ロビン、話を盛る

「それでね! 聞いてよ、兄ちゃん! そのバカ王女がさっ、僕に向かってあーだこーだ訳の分からない事ばっか言ってきてさ! 自分自身への投資とかなんとかさっ! 僕達がどれだけ貧乏なのかを知らないんだよっ!」

「へー」


 夜、星が綺麗に昇った頃、家の中でロビンはクラッグに愚痴を喋っていた。


 クラッグ、リック、フィフィーの3人は故郷に帰ってきていた。クラッグは情報収集の為、リック、フィフィーは任務の為である。

 大いに喜んだのはロビンである。兄と姉、幼馴染の突然の帰郷にテンションがもの凄く上がっている。


 そして勢いよく自分の近況をその3人に語っている。

 最近の近況として印象強いのは、アレである。


「もー、ほんとっ! 兄ちゃんの言ってる通りだよ! 王女ってバカ! 世間知らず! 今まで苦労らしい苦労をしたことが無いんだよ! 僕達の大変さなんてなんも分かっちゃいないんだ!」

「ふーん」


 椅子から身を乗り出して興奮した様子を見せながら、ロビンは熱く語る。

 2週間ほど前、この国のイリスティナ王女がこの村を訪れ、ロビンとケンカになった。

 その時の怒りを兄に語っているのである。


 肝心の兄はこの村の情報部から渡された資料に目を通しており、妹の話を話半分に聞き流している。


「ははは、困ったね……」

「はいはい、ロビン。怒らない、怒らないのー」

「むー……」


 怒れる少女を窘めるのはリックとフィフィーだ。リックはロビンの頭を撫で、フィフィーは後ろから妹の体を抱き締める。

 ロビンの頬が不満げに膨らむが、少し嬉しそうでもあった。


「王族嫌い……。ロビンは兄の困った部分を受け継いじゃったね」

「ちょっと、バカ兄! あんまりロビンに悪影響を与えないでよ……!」

「ふん」


 クラッグの王族、貴族嫌いは周囲の人間にはよく知られている。


 ロビンはクラッグの事を兄として慕っている。

 その兄の口から出る王族への愚痴、貴族への不満げな態度、そういったものが妹に伝播し、ロビンも兄の態度を真似するようになっていた。


「まー、うちもロビンの気持ちは分かるけどねぇ。バカ兄までとは言わないけど、うちも貴族は嫌いだし」

「フィフィーまで……。いいかい、ロビン? 王族や貴族にも良い人、悪い人がいるんだ。それは当たり前のことで、そこを忘れちゃいけないよ?」

「偉い奴はみんな悪い奴!」

「もー、困ったなぁ……」


 リックは疲れたように項垂れた。


「それでね! 僕はあの王女の服に泥をぶつけてやったんだよ! 嫌味かってくらい白い服を着てたからね! そしたらあいつ怒って怒って。ザマーミロってもんだよ!」

「ははっ」


 妹の話を聞いて、クラッグが小さく笑った。


「ロビン」

「兄ちゃん?」


 クラッグが情報部の資料を読み終え、それを机の上に置く。ロビンの方に向き直り、彼女の目をじっと見た。


「その喧嘩はどうなった? 勝ったのか?」

「当たり前だよ! 甘やかされて育ったお姫様なんかに僕が負けるもんか!」

「強さはどうだ? 強かったか?」

「全然全然! へなちょこへなちょこっ……! あいつのひょろひょろパンチなんて掠りもしなかったね!」


 実際は揉みくちゃになった泥仕合であった。お互い泥だらけになり、互角に近い戦いを行っていた。

 ロビンは話を盛っていた。


「ふむ……。才能は感じたか? 例えばだが、将来強くなりそうとか、そういったものを感じたりしたか?」

「うん? ……いや、全然! へなちょこは一生へなちょこのまんまさ! あのバカ王女が強くなるなんて考えられないね!」


 ロビンは意味もなく空に向かってパンチを放った。


「頭が良かったり、カリスマ性があったりするか? 何か飛びぬけた才能を感じたりしたか?」

「んんー? 全然だよ! 全く、これっぽっちも! 的外れな事ばっか言ってたし! 口喧嘩でも全然ちっとも負けなかったからね! いいとこ無しだよ、ほんと! あのバカ王女……!」


 実際にはロビンはイリスの言う農業改善方法をちっとも理解できなかったし、彼女の反論に言葉を詰まらせることもあった。

 ロビンは話を盛っていた。


「ふむ……」


 クラッグはロビンの話を聞いて、顎に手を当て少しだけ俯いた。

 何か考え事をしているかのようだった。


「……クラッグ?」


 フィフィーが小首を傾げ、義理の兄の名前を呼ぶ。


「なんでもない」


 すぐにクラッグは顔を上げ、軽く手を振った。


「ま、まぁ……イリスティナ王女の話は置いといてさ……、最近新しく友達が出来たんだろう? ロビン? エリーって言ったっけ、その子」

「あ! うん! エリー! 一緒に魔獣を狩ったんだよ! 逞しくてかっこいい子なんだ!」


 リックが話を変え、最近できた友達のエリーの話に移る。

 怒りによって興奮していたロビンの顔が、嬉しさによる熱さに変わる。


 エリーがこの村に遊びに来るようになってから2週間ほどが経過していた。

 最初は大分戸惑っていたけれど、エリーは徐々にこの村に慣れ、今ではこの村に住む子供たち全員と友達になっている。


「エリーの父ちゃんが城の建設工事の人で、最近こっちに来たんだって! よく一緒に遊ぶんだ!」

「おーおー、良かったねぇ、ロビン。その子とは気が合うのかい?」

「うん! あのバカ王女とは全然違っていい子だよ!」


 ロビンがエリーを褒めながらイリスをけなす。


「昨日もね、エリーやみんなと山で食べ物取ってたんだけどね、途中で紫色でぶよぶよの触手魔物が出てね、捕まえて切り身にして晩御飯で出したら、お爺ちゃんが倒れちゃったんだぁ!」

「何やってんの、君たち?」


 今日、村長が具合を悪そうにしていた理由が分かった。

 それでも村長は怒らない。義理とはいえ、彼は孫に甘いのであった。


 リックとフィフィー、クラッグさえもが村長に心の中で合掌をした。


「ねぇ、明日一緒に遊ぼうよ! エリーの事紹介するよ!」

「あ、あー……」


 ロビンは目を輝かせながらそう提案するが、リックとフィフィーは困った様に頬を引きつらせるしかなかった。


「……ごめんね、ロビン。うちらは任務の為にこの村に寄った訳で、長くても一泊……明日の朝にはここを発たないといけないの」

「えっ……!?」


 ロビンは驚いたように目を丸くする。

 前と同じように半年くらい一緒にいられるものだと思っていた。


「そんな……」


 ロビンがしゅんとして肩を落とす。

 さっきまでの嬉しそうな様子は霞のように消え去り、悲し気な様子を見せる。彼女はまだ10歳である。

 家族と会える時間がたった1日というのはあまりに酷だった。


「あー、ごめん! ごめんね、ロビン! 今度ちゃんと長いお休み取るから! 長くこの村の留まれるよう申請するから! だから機嫌を直して、ね? ね?」

「ごめんね、ロビン。なんとかスケジュールを調整するから……。ごめんね」

「…………」


 フィフィーがロビンの体を力強くぎゅっと抱き締める。

 でもロビンの機嫌は直らない。悲しそうに俯き、唇を尖らせている。


「……兄ちゃんも明日行っちゃうの?」

「あぁ」

「……なんで?」

「…………」


 ロビンの不満のこもった目がクラッグに向けられる。クラッグはそっぽを向いたまま、彼女と目を合わせない。

 ロビンの口から低く淀んだ声が漏れる。


「……兄ちゃん、この前も1日しかいなかった」

「忙しいんだ」

「最近……最近ずっとそう。全然ろくに帰ってきてくれない。全然遊んでくれない。リックや姉ちゃんはもっと帰ってきてくれてる」

「我が侭を言うな」

「僕より、お仕事の方が大事なんだ……」

「…………」


 この部屋の空気が悪くなる。

 ロビンは兄の事を慕っている。だからこそ、全然帰ってきてくれない事への不満がどんどんと溜まっていく。


 実際にクラッグはほとんどこの村に帰ってこない。前にここに寄ったのは半年以上前だ。

 実の妹を放置していると言って過言ではなかった。


 険悪な空気にリックとフィフィーがおろおろと慌てる。

 でも、咄嗟に言葉が思いつかない。ロビンの主張は10歳の子供としてごく普通の事で、しかしクラッグは妹に正面から向き合おうとしなかった。


「ロビン。僕の仕事はお前の為を思ってやっていることなんだ」

「……じゃあ、一緒に遊んでよ。そっちの方が僕、嬉しいよ……」

「……僕にはやるべき事がある。お前に構っている暇はない」

「なんだよっ……!」


 ロビンが自分を抱き締めていたフィフィーの腕を振りほどいて、がばっと椅子から立ち上がる。

 大きな声を上げて、兄に不満をぶつける。


「どうせっ……! どうせ兄ちゃんは僕の事なんかどうでもいいんだ! ほっとてもなんとも思わないんだ! なんとなく分かってたもん! 僕の事なんか全然大事じゃないんだ……!」

「ロビン……」

「エリーに……紹介したかったのに……」

「…………」


 彼女の小さい肩が震える。大きな瞳から涙が零れそうになる。

 フィフィーとリックは息を呑む。


「兄ちゃんのバカ! 僕の事を全然分かってくれない! ほんとはずっと……ずっと寂しかったんだもん! 兄ちゃんはずっとずっと外でお仕事で……! バカぁっ……!」

「…………」


 ロビンは溜め込んでいた熱い思いを口にする。顔を真っ赤にして、自分の兄に反抗の意を示す。


 そして、言ってはいけない事を言ってしまった。


「兄ちゃんの言ってることは何も分からない! あのバカ王女と同じだっ! イリスティナ王女と同じで、兄ちゃんは僕の事を何も分かってくれないんだぁっ……!」

「……なんだと?」


 ――瞬間、空気が凍り付いた。


 それはクラッグにとって、最も容認できない事だった。

 彼にとっての最大の侮辱。世界で一番嫌いなものと自分を同一視された。


 王女と同じ。王族と同じ。


 文脈なんか関係ない。

 貴族、王族という存在を心の底から憎んでいる彼にとって、その言葉は絶対に認められないものであった。


「ひっ……!?」

「あっ!」

「くっ……!?」


 その場にいた3人は大きく身震いをする。


 クラッグがロビンに鋭い目つきを向けている。

 彼の体から殺気が漏れている。


 その殺気は劇物だった。領域外の力を持つ者の殺気が漏れだし、まだ年端もいかない幼い少女に向けられてしまう。

 それは、下手したら命に関わることですらあった。


「あ……ぁ……」


 ロビンの口がぱくぱくと動く。上手く喋れていない様子で、どうやら呼吸も出来ていないようである。


 直接殺気をぶつけられていないリックやフィフィーでさえ、恐怖で心臓が握り潰されてしまうような心地になっている。

 動くことすら出来ない。全身から汗が吹き出し、体中ががたがたと震える。


 ロビンはそれよりも酷い状況だ。

 立ったまま動けず、目の焦点が定まらなくなってきている。


「あ……」


 先に正気に戻ったのはクラッグであった。

 しまった、と言わんばかりに手で口を押さえ、殺気を完全に封じ込める。


 その瞬間、3人の金縛りが解ける。

 ロビンはぐしゃりとその場に崩れ落ち、力なく座り込む。そして荒い呼吸を繰り返す。


「ロビン……!」


 リックとフィフィーの硬直が解け、顔を真っ青にするロビンの背中を擦る。


 たった数秒の短い殺気だった。

 それが小さな惨状を作り上げている。


「…………」


 クラッグは呆然としながら、苦しみに呼吸を荒くする妹の姿をただ見ていた。


 クラッグの今の心境は、やってしまった、というものだった。

 売り言葉に買い言葉といった感じで、つい殺気を漏らしてしまった。普段は意識して抑えているもので、漏れ出てしまえばこうなる事は分かっていたものだ。


「…………」


 床に座り込み、顔を真っ青にする妹の姿を見る。

 こんな時どうすればいいのか、彼には分からない。


 ただ茫然と、妹の姿を見ていた。


「ごめん……なさい……」

「…………」


 傷つけられた妹の方から謝罪の言葉が漏れる。真っ青の顔のまま、瞳から大粒の涙を零す。


「ご、ごめん、なさい……兄ちゃん……。僕が、わ、わわ、悪かったから……」

「…………」

「こ、殺さないで……」


 妹が実の兄に「殺さないで」と言った。

 冗談でも、大げさな表現でも何でもない。ロビンは今、本当に実の兄に殺されるのだと思っている。


 人の領域から外れた殺気は、容易く少女の正気を粉々に壊していた。


「こ、殺さないで……殺さないで……」

「ロビン……落ち着いて。落ち着いて……ね……?」

「ロビン、大丈夫だよ……落ち着いて……」

「うぅ……」


 リックとフィフィーがロビンの背中を撫で、慰める。


 クラッグはただ茫然と立ち尽くしている。

 彼には何も出来ない。何か出来るような人間ではない。


 憂いを帯びた目で、涙を流しながら震える妹の姿を見ていた。


「…………」


 そしてクラッグはその場を離れた。

 力なく座り込む妹に背を向け、彼女の視界に入らないようにその部屋から出て行った。


 今、自分はこの場で最も邪魔な存在になった。

 クラッグはそう考える。


 ロビンに謝ることも、慰めることも今や逆効果であった。近づくだけで妹は脅え、生きた心地がしなくなってしまうだろう。


 だからクラッグは荷物を持って家を出た。

 嗚咽を漏らす妹を残して、この場から立ち去った。


 外は真っ暗である。村の人間はそろそろ眠りに付くか、付かないかといった時間帯である。

 その中で、クラッグは朝を待つまでもなく、今この村を離れようとした。


「ちょっと待ってよ、バカ兄」

「…………」


 そんなクラッグに背後から声を掛けられる。

 フィフィーだ。クラッグの義理の妹が彼を追って家の外まで出ていた。


「もう出発するの? 1日もいなかったわね」

「……今日はもう、僕はいない方がいいだろう。僕の殺気は重い。僕の姿はロビンを怯えさせるだけだ」

「…………」


 フィフィーは小さく目を伏せる。

 クラッグの言葉をフィフィーは全く否定しなかった。


 彼を引き留めに来たわけじゃない。

 今日はもう彼はいない方がいい。彼の存在は今、害悪にしかならない。

 フィフィーもクラッグと同じ意見を持っていた。


「……あれはただの兄妹喧嘩よ。普通にどこの家でもあること。ただ、あんたが強過ぎて、あんな悲惨な状況になっちゃっただけ」

「…………」

「でも……でもね……、これだけは言わせて……」


 フィフィーはクラッグに言葉を伝えに来た。

 彼の背中に向けて、悲しそうな声で呟いた。


「……あなたはあの子の兄として失格だと思う」

「…………」


 義理の妹の言葉を受けて、クラッグはまた前に歩き出す。

 振り返りはしない。フィフィーにしてやれる事も、ロビンにしてやれる事も何もなかった。


 人に与えられるものなど、彼は何も持っていなかった。

 そういう人間だった。


「……分かってるよ」


 そうとだけ言って、彼の姿は夜の闇の中に紛れて消えていった。


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[一言] わざわざ追ってきて伝えるのがそれなのかw
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