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171話 子供のケンカ

 石造りの建物の中で、剣と剣が打ち合わされる音がする。

 剣を振るう人間が目まぐるしく動き回り、力の限り走り回る。


 ここは訓練場であった。

 鼠色の広い床は汚れ、あちこちに傷が付いている。長い年月をかけて行われてきた研鑽の痕がしっかりと刻み込まれている。


 同時に何十人も戦闘訓練を行えるような広い建物の中で、まだ小さい2人の少年少女と1人の教官が訓練を行っていた。


「はぁっ!」

「やぁっ……!」


 炎のように赤い紅色の髪をした少年と、氷の様に澄んだ水色の髪をした少女が息を合わせて交差するように剣を振るう。

 リックとフィフィーである。


 ここは『ジャセスの百足』の訓練場であった。

 結界によって外界から遮断された場所に百足は拠点を築いていた。深い深い谷底に築かれたこの陣地は、その場所を訪れるだけでさえ大きな労力を必要とする。


 決して普通の人間が近寄るような場所ではない。

 秘密の場所だ。


 その拠点の訓練場の中で、リックとフィフィーは稽古を受けている。

 教官役はこの組織の副団長ギウス・ファウストという男性だった。屈強な肉体を持ち、膨れ上がった力強い筋肉は敵のどんな攻撃も受け止める。


 リックとフィフィーは副団長直々の指導を受けている。

 11歳になったばかりの彼らは組織の中でも有望な人材であった。


「はぁっ……!」


 リックは剣を振るいながら、その剣の力を使って大きな炎を生じさせる。大きな炎がギウスの体に纏わりつき、その体を蝕もうとしている。


 リックの炎は副団長にダメージを与えられない。単純な力不足だ。

 しかし、リックの目的は炎でダメージを与える事ではない。


 炎を纏わせて、ギウスの視界を塞ぐことにあった。


「たぁっ!」


 それに合わせて、フィフィーがギウスの側面に回り込む。

 彼女が剣を振るう。そしてその青い刀身の剣から、強力な氷を発生させた。


 炎と氷による同時攻撃が教官を襲う。


「え?」

「きゃっ……!?」


 しかし、教官のアクションは即座の反撃。

 姿が見えていない筈のフィフィーの体を正確に蹴り飛ばし、リックに対して剣を振るう。ギリギリ反応出来てリックは教官の剣を防いだけれど、押し込まれて床に倒される。


 フィフィーはごろごろと訓練場の床を転がる。


「詰めが甘い!」


 教官が大声を出す。


「視界を奪ったまでは良い! だが相手は音、匂い、空気の震え、あらゆるものから状況を察知する! 視界を奪う事は決め手ではないぞ!」


 2人の少年少女が立ち上がる。


「副団長、今の一手は間違いでしたか?」

「いや、良い。他の要素で状況を察知出来るとはいえ、視界を奪われることは嫌な事だ。負荷がかかる。もっともっと相手に負荷をかけ、相手の嫌がる事をしていけ。負荷を掛け続け、相手の隙を作り出せ!」

「はい!」

「甘いのは詰めだ! そこを意識しろ!」

「はいっ……!」


 3人は仕切り直して、また訓練に励む。


 リックとフィフィーは対となる2本の剣を2人で使っている。

 炎の剣フランブベルと氷の剣アルマスベルだ。二対一式の神器であり、この二本の剣は二つ揃ってこそ強力な真価を発揮する。


 本来は1人の人間が2本同時に扱うものである。

 だが、この少年少女はそれを2人で扱っていた。


 リックが炎の魔剣フランブベルを、フィフィーが氷の魔剣アルマスベルを扱っている。

 この少年少女はまだ未熟であり、神器の性能を十分に引き出せていない。寧ろ神器の力に封を掛け、暴走状態に陥らないように制御されている。


 しかし百足は近い将来2人がこの神器を使いこなすことを見越し、この剣を与えている。

 リックとフィフィーの2人は組織から大きな期待を寄せられていた。


「やぁっ!」

「たぁっ……!」

「…………」


 その訓練を、大部屋の端の方に座りながら退屈そうに眺めている1人の少年がいた。

 クラッグだ。大きなあくびをしている。


「……副団長」

「なんだ?」


 訓練に少し間が空き、フィフィーは質問をする。


「あのバカ兄は訓練しなくていいんですか?」

「……あいつは俺より強いっぽい雰囲気あるからなぁ」

「うげぇ……」


 つまらなそうな顔をしている焦げ茶色の髪の少年を見て、3人は少し顰め面になる。


「……ま、気が散る要因があるのも訓練の1つだ。集中を保っていけ」

「……はぁい」


 フィフィーとリックは少し釈然としない思いを持ちながら、一生懸命訓練に打ち込むのであった。




「では各所への連絡役、頼んだぞ?」

「かしこまりました!」


 はきはきとした返事で、リックとフィフィーは上司からの任を受けた。


 彼らが今回受け持つ任務は各拠点への連絡役だ。

 百足の組織は至る所に隠れた拠点を持っており、その拠点間で情報を共有する為に連絡役が必要であった。


 はっきり言って雑務である。

 百足に入りたての2人は下積みとしてこういった任務を多く請け負っていた。


 連絡用の手紙は持たない。敵か、公的な機関か、捕まってしまった時に物的な情報が残ってしまうのは避けたい。

 伝えるべき事は全て頭の中に入れている。


 与えられた任務をこなす為、2人は谷底のその拠点を離れた。

 高い崖を自力で登っていく。出ていく事1つでさえ困難な立地だった。


「じゃあクラッグも暫くボク達と一緒に行動するのかい?」

「あぁ、少し各拠点を回って情報収集をしたい」

「意外。バカ兄が真っ当な活動をしてるなんて」

「おい、こら」


 崖をよじ登りながらリック、クラッグ、フィフィーの3人が余裕そうに会話をする。


 クラッグはリックとフィフィーの仕事に付いていくことにした。百足の各拠点を回り、そこが有している情報を収集する為だった。


「じゃあ、里帰りにもなるわね。回る予定の場所に、うちらの村も入ってるから」

「そうだな」

「バカ兄、最後に村に帰ったのいつよ。あんまり妹を放置しちゃダメよ?」

「知らん」


 フィフィー達の連絡の仕事の中には彼女たちの地元も含まれていた。

 真っ当な仕事ではあるものの、彼女たちへのささやかなご褒美でもあった。


「でも、残念ながらボク達も1泊程度が限界なんだけどね。はは、ロビンには怒られるかな? なんですぐ行っちゃうのー!? って」

「気にするな」


 リックは苦笑し、クラッグは突き放すように言う。


「僕たちのやっているのは仕事だ。ロビンもいつか分かる日が来る」

「でも、そうは言ってもね……」

「あ、でもでも、うちね! もう少ししたらちょっと地元付近の勤務になるかもっ!」


 そんな会話の中で、フィフィーが明るい声になってクラッグにそう報告した。


「地元付近の詰め所ってだけだし、仕事中は仮面被って顔隠さないとといけないからずっとロビンと一緒に過ごせる訳じゃないんだけど、それでもちょくちょく村に帰ってもいいってお達しが出てるの!」

「……そうか」


 百足に所属する人間は仕事の際、仮面を被って自らの正体を隠す。

 その為、地元付近の仕事と言ってもそう簡単に知人と顔を合わせる事は許されない。


 しかしそれでも故郷の近くに勤められることとなって、フィフィーは嬉しそうであった。

 たまに家に顔を出しても良い、という特別な許可まで貰っている。


 期待の新人であり心もよく鍛えられているとは言っても、まだ彼女らは11歳の子供である。

 百足の上層部がそこら辺を考慮し、一時的にフィフィーを村の近くに戻すことにした。


「まぁ、百足内での階級が上がれば、自分のスケジュールを自分で調整できるようになる。そうなればもっとロビンに会えるようにもなるだろ。そうなれるよう、頑張れ」

「おっと、クラッグに励まされるとは。これは明日は雨かな」

「生粋の自由人のようなバカ兄に励まされてもなぁー」

「……お前ら」


 軽口を叩かれ、クラッグの眉に皺が寄る。


「うちの可愛い可愛い妹は今頃どうしてるかなー?」

「どうもこうも、別に普通だろ」


 村で待つ妹のことを思いながら、3人は切り立った激しい崖を悠々と登っていた。




* * * * *


「バカって言った方がバカなんです! バーカ!」

「お前だって今言ったじゃないかぁっ! バーカ! バーカ!」

「また言いましたねっ! バーカ! バカバカバーカ!」

「あんぽんたんっ! ボケなすびっ! ちんどんやっ! お前の母ちゃんでーべーそーっ!」

「お母様はでべそじゃありませんっ!」


 のどかな農村の真ん中で、大きな声をまき散らしながら子供の喧嘩が行われていた。

 どこにでもある農村の、どこにでもある平和な光景。


 しかし、その様子はよくある普通の子供の喧嘩とは違っていた。

 一方の少女が気品のある白いドレスを身に纏っている。位の高い貴族の様に身なりが整っていて、事実その少女はこの国のお姫様であった。


 第四王女イリスティナ。

 10歳の少女が同じ年の農村の子供と掴み合いの喧嘩をしていた。


「嫌い! 嫌い! 嫌い! あなたなんて大っ嫌いっ!」

「僕だって嫌いだっ! バーカ! バーカ! バーカ!」


 相手はこの村に住むロビンである。

 髪を短く整え、帽子を被った少年のような少女である。そういった意味では、ロビンの格好も普通の農村の子供とは異なっていた。


 この付近に住む貴族が城の建設工事を始めようとしている。今日はその工事の人員を集めようとして、貴族は近くの農村を訪れていた。


 しかしこれに農村の人間は反発する。

 畑仕事など、彼等には彼等の仕事があるのだ。勝手に人手を持っていかれたらたまったものでは無い。


 それを見越して、貴族は城の建設に訪れていたイリスティナ姫に同行を求めた。

 王権をちらつかせ、農民が叛逆しにくい状況を作り出そうとしていた。


 肝心のイリスはその構図をきちんと理解していなかった。

 仕方がない。彼女はまだ10歳の少女である。


 彼女は貴族に体よく利用されてしまっていた。


 そんな中、その村に住むロビンとケンカになった。

 お互いのプライドを賭けた戦いが勃発する。


 王都の中ではイリスに歯向かう者など存在しない。

 だから真っ向から目を見て自分の意見を否定され、侮辱を受けたのはイリスにとって初めてのことであった。


 イリスの心の中にかつてない程熱い炎が燃え上がっていた。


 土に塗れ、体中を汚しながらイリスはロビンと喧嘩をする。


「悔しかったら追いかけてみろーっ! お前みたいな弱っちいお姫様が僕たちの険しい山を登れるはずないけどなーっ!」

「なんですってーっ……!」

「駄目です! 姫様っ! 抑えて下さいっ……!」


 ロビンがそう言葉を吐き捨てて、脱兎のごとく走り去っていく。

 自分達の過ごしてきた高い高い山々。軟弱なお姫様なんかに自分たちの大切な山を踏破出来る筈が無い。


 そう思ってロビンは山の中に入っていった。

 イリスは追いかけようとするけれど、護衛に抑えられて止められる。


 同年代の子供との初めてのケンカ。

 そんな身を焦がす程の熱い経験を経て、何を血迷ったのか、イリスはこの後変装をして憎きロビンを追いかけるという暴挙に出る。


 この日がイリスとロビンの出会いの日であった。


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