170話 ギンの実家
星が夜空を彩っている。
冷たい風が吹き、肌を撫で、木々の枝葉がさわさわと揺れる。
「…………」
青い雷を放つ少女と戦った夜、完全に酔い潰れていたギンを置いて、クラッグはその建物の外へと出た。
半壊になった小さな里の中を歩き、クラッグはこの里の外へ出ようとする。
夜は深く、人の活動する時間帯ではない。
朝日が昇るまでまだ遠く、空気はとても冷たい。
それでもクラッグは暗闇の中に紛れ、星の明かりだけを頼りにこの里を後にしようとしていた。
フードの付いた黒いコートを羽織り、木々が鬱蒼と生い茂る山の始まり、里の出口に近づいていく。
「……あのっ!」
「ん……?」
しかし、そんな時背後から声を掛けられる。
振り向くと、先程までギンと死闘を繰り広げていた少女がその場に立っていた。
「お前か……」
「あの、もう行かれるのですか……? こんな時間に発たなくても……」
「もうこの場所に用はない」
「…………」
クラッグは素っ気ない態度を取る。
そして少女に背を向け、前へと歩きその場から離れようとした。
しかし、
「そのっ……! ありがとうございました! 貴方は私の命の恩人ですっ……!」
「…………」
数歩も歩かない内に、少女の大声に足を止められる。
クラッグは大きなため息を付きながら、また少女の方に振り返った。
「……だから、何度も言うが、僕は何もしていない。お前を助けたのはギンだ。礼ならギンに言え」
「でも、今ギン様は寝てらっしゃいますし……」
「それは、そうだが……」
クラッグは困った様に頭を掻く。話題の中心が今バカみたいに寝ているのだから、仕様がない。
少女はくすりと笑う。
「それに……幽水様に救われたのも紛れもない事実です。貴方がいなかったら私は誰を殺し、何を壊していたか分かりません。私自身も死んでいたと思います……」
「…………」
「それに、貴方の存在はギン様の支えにもなっていたと思いますよ。貴方が後ろにいたから、ギン様は安心して全力を尽くせたんだと思います。……敵だった私が言うのも、変な話ですが……」
「……あのな」
純粋な少女の言葉に、クラッグは眉間に皺を寄せて言う。
「そういう友情ごっこは要らないんだ。僕に仲間なんて要らない」
「……あの時の戦いは、ごっこなんかじゃないと思いますよ?」
「僕の性根は腐っている。僕自身がよく分かっているさ」
「そんなことないです」
「…………」
「そんなことないですよ……」
少女の瞳がクラッグをじっと見つめる。
それは夜空の星のように純真で、小さくキラキラと輝いていた。
清らかなそれを受け止めきれず、クラッグは彼女から目を逸らした。
「……具合はいいのか?」
「はい、おかげ様で」
「そうか……」
そう言って、クラッグは今度こそ彼女に背を向けた。そのまま前へと足を出し、もう振り返る事は無い。
「あのっ……!」
「…………」
「本当にっ! 本当に、ありがとうございましたっ……! 命を救ってくださって、ありがとうございましたっ……!」
背中越しに少女が深々と頭を下げる雰囲気を察する。
だがもうクラッグは返事すら返さない。黒いフードを被り、その姿は外の森の木々に紛れて消えていった。
「…………」
夜の闇の中を歩きながら、クラッグは少し考え事をする。
とても妙な気分であった。
こんな事は初めてだった。
彼はいつも、人から感謝などされない。
暴走状態にある者は容赦なく殺し、そうじゃない時はなるべく人に見つからないように力を抜き取る。
人と関わらないような仕事の仕方をする。
だから、たくさんの人から感謝されることは初めてだった。
何故こんな事になったのか。
原因は分かっている。分かり易い。
ギンだ。
ギンが少女を殺さず助けようと言ったから、こんな事になっている。ほとんど全てギンが動いたにも関わらず、みんなクラッグにも礼を言った。
むず痒い。
くすぐったく、照れ臭い。ほんのちょっぴりイライラもする。
……気持ちがふわふわとしている。
「……くそ」
なんとなく落ち着かなく、その場にあった石ころを蹴る。
自分はそんな人間なんかじゃない。人に礼を言われるような人間じゃない。
頭ではそう考えているのに、心にふわふわとした暖かいものが染み込んでくる。
「…………」
褒められて悪い気分じゃなく、そんな単純な自分の心にイライラとしていた。
* * * * *
翌朝、ギンは目を覚ました。
その場に幽水と名乗る少年の姿が無く、ちょっぴり寂しい思いをする。もう少し語り合いたかったな、と頭を擦る。
昼過ぎまでその里の歓待を受け、そしてその場を後にした。
もう5日も家を離れている。そろそろ本業の方に支障が出るかもしれない。
そう思い、ギンは実家への帰路を走って駆け抜けた。
ギンはよく分身の魔術を使い、本業をそっちに任せている。
しかし、その術では経験や記憶がオリジナルである自分に還元されない。いつもと変わらない書類の業務なら構わないのだが、何か特別な仕事や新しい業務が入ってくると、その分身の術では支障が出てくる。
その仕事を行った記憶が引き継げないのだから、大きな問題となってしまう。
分身が残すメモ程度では限界がある。
だからギンはあまり長い事実家を離れることが出来ない。
ギンはギンとして活動している時に使う拠点の中に入り、身なりを変える。
ボロボロの白いコートの服装から、生地が良く、一流の技術を以て仕立てられた服に着替える。
変身魔法を解き、長い銀髪が短く整ったものに変化する。
目鼻立ちや身長がほんの少し変化し、それだけでも受ける印象は大きく違ってくる。
その場にいるのは冴えない冒険者ではなく、きちりと整った上流階級の人間であった。
ギンはその場所を出て、実家の門を叩く。
執事やメイドの者達が最大級の敬意を以て、丁重に出迎えてくる。
実家の無駄に長い廊下を歩きながら、仕事についての軽い報告を受ける。
――そこで、可愛い妹の姿を見つけた。
「イリスっ!」
「……っ!」
まだ9歳の幼い妹は急に後ろから大きな声を掛けられ、びくりと驚く。
そしてギンの方へと振り返る。その時、彼女の長く綺麗な銀色の髪がふわりと揺れる。
「…………」
驚かされて気分を損ねているのだろう。少女の口は少し尖り、表情から不満気な気持ちが読み取れる。
その様子を見てギンは満足気に笑いながら、自分の妹に近づいた。
「聞いたぞ~? イリス、学校の試験で堂々一位の成績を取ったそうじゃないか! いや~凄い! よく頑張った! ご褒美に城下町で買った飴ちゃんをあげよう」
「要りません」
その少女は眉を顰めながら、ギンの飴玉を持つ手をピシリとはたいた。
ギンはからからと笑いながら、ちぇー、と呟いた。
この少女はイリスティナ・バウエル・ダム・オーガスと言う。
正当なオーガス王国第四王女であり、ギンと母を同じくする妹である。
誰もが思わず見惚れる程綺麗な容姿をしているが、性格は固く、高い能力に見合った強い自尊心を有している。
それ故、他者を見下す傾向にある子であった。
「アルフレード兄様……」
イリスがギンの本当の名前を呼ぶ。
「城内で不要な大声を発するのはお止め下さい。品位に欠ける行動です。王城の中は神聖で不可侵。優秀な人間である私たち王族は全ての民の規範となり、常日頃から高い品性を以て日々を過ごすべきなのです」
「ほえ~」
9歳のイリスが16歳の彼を咎め、説教をする。
そんな小言はどこ吹く風、目の前の彼は呆けた顔をしながら手に持った飴を舐めた。
「…………」
そんな実の兄に、イリスは不満気であった。
イリスは目の前の兄を、王族としての自覚に欠けた奇人、変人として見ている。
「イリス、お前はもっと柔軟になった方がいいと思うなぁ。柔らかい雰囲気の方がもっとモテると思うぞ? 兄様そう思う」
「モテる必要なんてありません」
「はぁー、俺の周りにはモテる事に無頓着な奴ばっかだなぁ……」
「…………」
彼は大きくため息を吐く。
何故世界で一番大切な事を蔑ろにする困ったちゃんが多いのか。彼はがっくりと肩を落とす。
「イリス……」
彼は妹の肩に手を置いた。
「いつかお前の世界をまるっと変えてしまう人と出会えることを、兄様は祈っているよ」
「…………」
そう言って妹の小さな肩を叩き、彼は自分の執務室へと歩いていく。
イリスは羽のように軽い彼の後姿を、ムスっとした顔で見送った。
オーガス王家第二王子、アルフレード。
王家の人間の中でも高い能力を有し、既に高いレベルの実務を行っている優秀な人間だ。戦闘能力は群を抜いており、未だ誰も彼の本気を見た事は無いと言われる程である。
愚鈍な第一王子ニコラウスよりも次代の王位に相応しい人とすら言われている。
しかし、貴族としては飛び切りの変わり者としても知られている。
平民たちとの深い交流を好み、城の外に繰り出しては粗末な場所でたくさんの酒を呑んだりもする。
規律に囚われない自由人であり、変人であった。
それが、ギンの正体だった。
兄妹そろって変人




