168話 今日の彼はモテたい男
クラッグはまた、いつものように『叡智』の力の収集のため動いていた。
そこは高い山々に囲まれた隠れ里のような場所であり、外の世界との繋がりが乏しく、ひっそりと隠れ潜む様にその里の人達は日々を暮らしていた。
しかし、その隠れ里に消滅の危機が訪れる。
『叡智』の力の暴走である。
「アア……アア゛ァ……」
「…………」
クラッグの目の前には力に振り回されて正気を失いかけている少女の姿がある。
体がビクンビクンと震え、口から呻き声を漏らしている。長く整えられていた綺麗な髪が荒れ、その少女に不気味さを齎している。
「殺シテ……殺、シテ……」
「…………」
クラッグのいつもの相手と違うのは、目の前の彼女が暴走したてであり、まだ若干の正気を残している点であった。
人の姿を保ち、ほんの少しの会話が出来る。
制御の利かない自分の体に震えながら、少女はクラッグに自分の殺害を懇願する。
「アアアアアァァァァッ……!」
少女の体から溢れ出る様に青い魔力の弾が飛び出す。
クラッグはそれを躱す。すると、その青い魔力の弾は彼の背後にある里の民家にぶつかり、バチバチと音を立てて爆ぜた。
青色の雷。
世にも珍しい青色の電撃が里の民家を焼いて壊す。
「アア……イヤアアァァ……」
「…………」
里の中に人はいない。もうみんな避難をしている。
しかし青い雷を放った少女は苦しそうに頭を抱え、自分の持つ破壊の力に胸を痛めていた。
「モウ、イヤ……大切ナ里ヲ……壊シタクナイ……」
「…………」
少女はその隠れ里では神託の巫女として大切に扱われてきた。
特別な力を持つ一族であり、その少女も里の皆から慕われて生活してきた。
だがその特別な力というのは『叡智』の力に由来しており、少女は力の膨張に耐え切れず、暴走を始めてしまったのだ。
「オ願イ……旅人サン……」
「…………」
「私ヲ……殺シテ……?」
正気を失った目から涙を流し、少女はクラッグにお願いをした。
「……分かった。ちゃんと殺してやる」
そう言ってクラッグは剣を構える。
少女の魔力も膨張していく。クラッグも戦意を高め、体内の魔力を鋭く練る。
次の一撃で決着が付く。
2人の膨大な魔力によって空気が震え、大地が揺れた。
「バカああああああああぁぁぁぁぁぁぁんんんんんんんんんっ……!」
「いだっ!?」
――そんな時、その場に乱入者があった。
銀色の長い髪。
ギンである。
ギンがその場に唐突に現れ、大声と共にクラッグの頭を叩いた。
「アホかぁっ!? お前ぇっ!? そこは『いや、絶対に君を助けるよ』だろぉっ!? 自分を止められない健気な少女が『殺して』って言うんだから、『絶対死なせはしない』って燃え上がるところだろぉっ……! 熱い展開だろうがぁっ……!」
「……またお前か」
ギンの登場にクラッグが呆れ、ため息を付く。
いきなり現れてめちゃくちゃな事を言う。クラッグは困った。
「絶望してしまった少女の命を救ってキュンとなる。最高のモテポイントだろぉっ!? どうして逃す!? ここが男を見せる最高のチャンスじゃねえかぁ! チャンス掴んでけよ! 幽水、お前だってモテたいだろぉ!?」
「別に」
「うっそだー! モテたくない男なんている筈ない! もっと自分に正直になった方がいいぞ!?」
ギンは興奮した様子でクラッグに説教をする。クラッグとしてはどうでもよい。
緊張感が完全に緩んだ。
「ア゛ア゛アアアアアアアアアッ……!」
「むっ!」
「…………」
会話の途中で少女は青い雷撃を放つ。
ギンとクラッグはその攻撃を避ける。彼らの元いた場所は青い雷によって包まれ、一瞬だけ死の世界と化す。
2人は武器を構え直し、戦闘に集中しだす。
「時に幽水。お前以前、『叡智』の力を喰っていたんだよな? それって相手を殺さずに力だけ抜き取る事とか出来るのか?」
「……相手が暴走してなかったら可能だ。だが暴走していると、殺してから喰らうしかない」
「ふぅむ……。じゃあ殺さずに力だけを抜き取って、生きたままあの子の暴走を止めるという事は出来ないと」
「無理だ」
「ふぅむ……」
ギンの問いに、クラッグは正直に話すかどうか一瞬悩んだ。
しかし、この情報は自分を不利にするものではない。生け捕りを考えるギンを諦めさせるためにも、事実を言った。
だが、ギンは顎に手を当てて考え込む。
「つまり……順序が逆であればいい訳だ。あの子の暴走状態が解けたら、あの子を殺さずに力だけを抜き取り、お前の目的も果たせるって事でいいんだよな?」
「それは……そうだが……?」
そう言うギンに対してクラッグはきょとんとする。
ギンの言う通り、暴走状態が解けたら殺す意味は無いのだが、その暴走状態を解く術が見つからないのだ。
ギンは少女を生かして助ける事に執着している。
殺してしまった方が早いとクラッグは考えている。
「殺シテ……殺シテエエエェェェェ……!」
涙を流しながら叫び、少女はまた青い雷を放つ。
彼女の放つ力は決して油断できるようなものでは無い。強力な攻撃だ。
常人が受けてしまったら全身の肉は焼け焦げ、一瞬で炭化し、骨さえ崩壊させてしまうだろう。
その青い雷撃を、ギンはあえて避けなかった。
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ……!」
「……は?」
ギンの全身を強烈な青い雷撃が纏う。
彼の全身が痺れによって震え、痛みによって叫び声を上げる。
ギンは仁王立ちによってその攻撃を耐えきる。
その攻撃はギンにとって致命傷には程遠いものであったが、体のあちこちにちょっとした焦げ目がついており、小さくともダメージを負っている様であった。
その様子を見て、クラッグは疑問を覚える。
今の攻撃、ギンならば確実に避けられたはずだ。
それを何故、あえて受けたのか……?
「少女よ! どんどん攻撃してこい!」
ギンは少女の方に向き直り、自分の胸をどんと叩いた。
「俺に向かってどんどんどんどん攻撃を撃て! 全て防御しきってやる! お前の魔力が切れるまで、攻撃を受け続けてやるぞ!」
「…………」
「…………」
腕を広げ、カモン! とギンが叫ぶ。
クラッグの目が丸くなる。心なしか、正気を失った少女の目も丸くなっているようである。
「お、おいっ……ちょ、ちょっと待て、ギン……?」
「ん?」
クラッグが声を掛ける。
「お、お前、何を言っているんだ? こいつの攻撃を受け続けるのか?」
「おう! 流石に魔力切れを起こしたら暴走状態も解けるだろ。幽水はその後でゆっくり『叡智』の力を吸収すればいい。そうすれば、みんなハッピーだ!」
「…………」
クラッグは目をぱちくりさせる。
力の暴走状態にある奴の攻撃を魔力切れまで受け続ける。それは普通に敵を討ち倒すよりもずっとずっと困難である事は明白だった。
「さぁ! 少女よ! 全力で撃ち込んで来い……!」
「ア……アア……」
「ほら! 遠慮をするな! 俺が全て受け止めてやるっ……!」
「アアアアアアァァァァァァッ……!」
困惑したような声を上げ、少女が青い雷を放つ。
「ふんりゃっ……!」
ギンは音の速さを超えて襲い掛かってくる雷を、剣を振るって弾く。
だがそれだけではない。少女は間を置かずにもう3発、雷の弾を打ち込んできた。
剣を握っていない方の腕で次の雷の攻撃を受ける。彼の腕に電撃が走る。
そしてすぐにあと2発の弾が彼に着弾する。ギンはそれを全身で受けた。
「はははっ! 効くなぁっ……!」
それでもギンは一歩たりとも動かない。
避ける事も、仰け反る事もしない。
全身を痺れさせながら、体を少女の方に向け、にぃと笑った。
「お、おい! お前! 正気か……!? 魔力切れは遠いぞ!? さっさと殺した方が楽だろう……!?」
「楽……?」
「その子を助けて何になる!? お前に得はあるのか……!?」
「得……?」
クラッグは彼の事が理解できない。
ギンほどの実力者であっても、下手をすれば命を落としかねないような作戦だ。相手の魔力は膨大で、単純に魔力切れといってもそれまでに何発の攻撃を撃ち込まれるのか分かったものじゃない。
そして何より、この作戦が成功してもギンが得るものは何もない気がする。
クラッグは彼の事が理解できない。
理解できないから、恐怖すら感じる。
ギンは少し振り返り、クラッグの方に顔を向ける。
「俺は楽をしたい為でも、得をしたい為でもない」
「……なら、何故だ?」
「ふむ……」
クラッグの問いかけに対して、ギンは顎に手を当てて、まるで今自分の中の答えを探る様に考え事をする。
そして小さく微笑んだ。
「さぁ、なんでだろうな? こっちの方が全部終わった時、なんとなく皆ハッピーな感じがしないか?」
「…………」
「皆ハッピーになれるのなら、そっちの方がいいだろう。そういう終わりの方が、俺は好きだなぁ」
ぼんやりとした回答が返ってくる。
クラッグには彼の言葉がよく理解できない。
しかし、当のギンはそのぼんやりとした言葉に自分の心の確信を見い出したようで、満足するようにうんうんと頷いていた。
クラッグは彼の気持ちが何だかよく分からないまま、呆れる他無かった。
「……僕は手伝わないぞ」
「おっけい!」
そう言って、クラッグは彼の後ろの方にある丁度いい岩に腰を掛けた。ギンを手助けするでもなく、少女を攻撃するわけでもない。
我関せずとばかりに体の力を抜き、戦闘には加わらず、ぼんやりと2人の戦いを観察する。
「…………」
「さぁ、来い! 少女! いつまでも、どこまでも付き合ってやるぞぉっ……!」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアッ……!」
少女がギンに何度も何度も攻撃を撃ち込む。
ギンは剣で防御できる攻撃は防御し、腕で受けられる攻撃は受けているのだが、どうしても防御を抜けてダメージを喰らってしまう事がある。
それは彼がその場から一歩たりとも動いていない為だ。
動かない的に集中できるためか、暴走状態の彼女も狙いを損なわず彼に攻撃を集めることが出来ていた。
その為、彼の背後には絶対に攻撃が抜けない。
彼の後ろにある少女の里は破壊されずに保たれていた。
「はははっ! はははははっ……! もっと来い! どんどん来い! いつまでもいつまでも付き合ってやるぞ!」
「アアアアアアアアッ……!」
ギンは笑い、少女は叫ぶ。
彼の負うダメージは決して少なくない。青い電撃によって彼の体が火傷を負っていく。
ダメージを受けて歯を食いしばりながら、しかし目は燦々と輝かせていたさせていた。
その充実しているかのような彼の顔を見て、クラッグは呆れた。
「…………」
ギンは宣言通り、いつまでもこの戦いを止めようとしない。
少女はまだまだ衰えを見せる様子もなく、ギンの体は傷つくばかりである。それでも彼は一切の迷いも見せず、ただただ攻撃を受け続けた。
日が暮れ、夜の空に星が昇った。
夜が明け、朝日が山の向こうから顔を出した。
それでも戦いは止まない。
ギンは豪快に笑いながら、少女の攻撃を受け止め続けている。
「…………」
クラッグはただぼんやりとその戦いを見続ける。
ギンは敵の攻撃を自分の後ろに通さない。だから、彼の後ろは安全地帯である。
その戦いを見続けることによって、彼に尊敬の念が湧いたりはしない。
寧ろ一生懸命頑張る彼に、バカだなー、アホだなー、という感想が浮かんでくる。
横から自分が手を出して、さくっと少女を殺してしまえばいいのでは? そんな案が浮かんでくる。
そうすれば全て解決だし、時間が掛からずあっさりで良い。
叡智の力が暴走した今のままだとこの場を離れる訳にもいかない。
良い案だ。良い案に思う。
「…………」
だけど、なんとなくクラッグはその作戦を実行する気になれなかった。
バカの行動を阻害するのは、どうしてだろう、なんとなく気乗りがしなかった。
そしてまた1日、また1日と経っていく。
その間一時も攻撃の手が止まる事は無い。青い雷はこの場所に炸裂し続け、ギンは全身全霊でその攻撃を受け止めていた。
そして、戦いが始まってから5日が経過した。
「ぜぇっ……! ぜぇっ……!」
「…………」
流石にギンは極度に消耗していた。
全身が傷つき、肩を大きく震わして息をしている。
しかし、それは相手の少女も同じだった。
目に見えて消耗しており、残りの魔力量も少なくなってきている。
もう少しで行動不能となる。
ギンの作戦が実を結ぼうとしていた。
「……アアアアァァァ」
「む?」
「これは……」
「アアアアァァァ……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアァァァァァァッ……!」
そこで、少女が大きく体を揺らす。
長い髪が靡き、魔力が大きく揺らぐ。
「ははっ……差し詰め、最後の全力攻撃といったところか……。はぁっ、はぁっ……!」
「…………」
「来いっ! 最後の激突だっ……!」
全ての魔力を振り絞り、少女は力を溜める。
空に分厚い雲がかかっていく。その雲の中からゴロゴロと雷が喉を鳴らす音が聞こえる。
雲の中から漏れる光は青色。普通ではお目に掛かれない光景だ。
ギンもまた、その最後の攻撃に備えて自身の魔力を振り絞る。
ギンがその攻撃に耐えきれるかどうかは未知数である。最後の力を振り絞った極限の攻撃はギンを殺しうるかもしれない。
2人とも消耗しきっていて、どちらに軍配が上がっても不思議ではない。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッ……!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……!」
雲が一瞬眩く光り、青い稲妻がギンに向かって落ちてくる。
ギンは全力で剣を振る。強大な力がこもったその稲妻を叩き斬ろうをする。
最後の一撃が交錯し、長い長い戦いに決着が付こうとしていた。
――が、
青い稲妻を受けたのはギンの剣ではなかった。
「……くそっ」
短い悪態を漏らし、少女の最後の攻撃を受けたのはクラッグだった。
ギンより前に出て、その電撃を足で受ける。
そしてそのまま青い雷を空に向かって蹴り飛ばした。
「うらぁっ……!」
「なっ……!?」
弾き返された雷が雲を割り、そこから青い空が見えた。
雷は雲の向こうへと消えていく。
最後の全霊の攻撃は全く消耗をしていないクラッグの手によって処理された。
「…………」
雲の切れ間から見える青い空を見上げ、少女は少し呆けたような顔をした。
そして正真正銘全ての魔力を使い果たし、全身から力が抜け始める。
最早立ってすらいられなくなり、膝が折れ、体が倒れ始める。
「…………」
……が、体が倒れる前に素早くクラッグが近づいた。
完全に無防備な少女に迫る。
そして力を抜き取る為に自分の腕を少女の胸に突き刺した。
「……!」
「…………」
端から見ると、クラッグの腕が少女を貫き、彼女の胸に穴が空いたように見える。
しかし腕は少女の体を貫通していない。
物理的に腕を突き刺したのではなく、クラッグはそこから彼女の内側の力を探っていたのである。
少女の顔は落ち着いている。
柔らかく安らぎ、嫋やかな微笑みを湛えている。
「……ありがとう」
「…………」
小さな礼を受け取りながら、クラッグは彼女から叡智の力を抜き取った。
少女の意識が絶え、ゆっくりと眠りに入る。
命に別状はない。ギンの作戦通り、魔力切れから暴走状態が解け、クラッグが安全に力を引き抜くことが出来た。
意識を失った少女をクラッグが地面に横たわらせる。
そうしていると、ギンが2人に近づいてきた。
「よぅ」
「…………」
ギンがクラッグに声を掛けるが、彼は返事をしない。顔も向けない。
ギンは全身が傷つき、ボロボロだ。5日の激戦を乗り越えて体力を使い果たし、今にも倒れそうである。
それに対してクラッグは一切傷付いていない。全く消耗していない。
それでもギンは長い戦いを共に乗り越えた戦友に向けるかのように、気持ちのいい笑顔を浮かべた。
「ありがとなっ!」
「…………」
クラッグは絶対にギンの方を振り向かない。
なんだか気恥ずかしくて、ただ俯いていた。
「……ふん」
小さな悪態は風の音でかき消されていったのだった。
青いイナズ〇が~僕を責める~♪




